カウンセリングと博愛主義
実はこの記事、昨年の5月28日にアップした記事である。
ごく最初のほうの記事だし、"はてな"の方からFC2に移転して、それまでの記事をまとめてどっとアップしたうちの一つでもあったので、読まれた方は少ないと思う。
そこで、ここのところの話題にかんがみ、ほんの少しだけ手を加えて、最新の日付に直して再度アップしておきたい。
例に洩れず、見ようによっては尖った内容だが、あくまでも私の正直な感覚であることは言うまでもない。
こういう仕事をしていると、困っている人は誰でも分け隔てなく受け入れるイメージというか、どこか博愛主義的なイメージを持たれやすい。
だから、例えば「お年寄りや子どもは、(当然)お好きなんでしょうね」といった質問をされることが少なくないのである。
しかし私の場合、正直言うと、子供だから、お年寄りだから好きだ、あるいは嫌いだといった感覚はまったくない。
もちろん、「近頃の若者というのはどうも……」と、中年世代にお決まりの感情を抱いたことも、一度としてない。
つまり、好きな子どももいれば苦手な子どももいるし、お年寄りに対しても若者に対しても、その点ではまったく同じだからである。
私としては、至極当然の感覚だと思っている。
それどころか、そもそも博愛主義者・献身主義者には、カウンセラーは勤まらないのではないか、とさえ思うのである。
なぜそう思うようになったのか、少し説明することにしよう。
人間はうつや不登校になれば、誰でもカウンセリングを受けに来るのかといえば、決してそういうわけではない。
少なくとも私が会っているクライアントの多くは、考え抜いて、自分でできる限りのことをやりつくし、自らは他者に迷惑をかけることはなく、それでいてさまざまな人間関係の中で不当な役割を引き受けさせられ、あげくに自信を喪失した(あるいは一度も持てなかった)人々である。
私は、こういった人々にいとおしさを覚えると同時に、深い尊敬の念をも抱く。
もちろん、年齢は関係ない。また、だからこそ、長年カウンセラーという職業を続けてこられただけでなく、もはややめることなど考えられもしないのだと言える。
彼らとの時間は、私にとって珠玉の時間であると言っても過言ではない。
もちろん私は社会人でもあるので、こういった方々が、現代社会においていかに希少なタイプの人々であるかは、よく理解しているつもりである。
はじめは、自分の元には、「たまたま」こういったすごい人たちがやってくるのかと、不思議に思っていた。
しかし、世間には少ないはずの、こういったタイプの方があまりにも多くやって来られるので、ここ5〜6年、ようやく「たまたま」ではないのだと思わずにおれなくなった。
そして、次のようなことに気づいたのである。
たまたま職業を聞かれて「カウンセラーです」と答えたとき、まず一般的な人々の10人中7〜8人が、表面的には関心を示しながら、やや硬い表情となり、少し身体を後ろに反らすしぐさをする。
もちろん私の力量は、「黙って座っただけですべて見抜く」といった達人の境地には程遠いのだが、やはりカウンセラーというだけで怖がられるものなんだなと感じていた。
そこで考えてみれば、クライアントの方々とは、そんなカウンセラーの前に、何一つ隠さないという前提の下に、怖がらずに座ることができた人たちなのである。
彼らは表面的には自信を喪失しているが、どこかで深い自信に裏付けられているからこそ、カウンセラーの前に座ることができる。
その自信とはつまり、いわば「おてんとう様に顔向けができる」自信である。
もちろん、たいていのクライアントの方は、自分でもその自信に気づいていない。
つまり、カウンセラーの前に座ることなど、取り立ててすごいことだとは思っていないのである。
(もちろん、カウンセリングを受けようとしない人が不正直という意味ではないが。)
彼らの多くは、意識していないことが多いが、本質的に自分の気持ちに嘘がつけず、筋の通らないことはどうやればいいのかすら分からない。
クライアントの多くがそのような方たちだからこそ、カウンセラーとしては肯定し支えることに意味が見出せるし、力強くもなれる。
しかし、カウンセリングだからといって、クライアントならば誰彼なしにその考えや生きざまを肯定し、受容できる、というわけにはいかない。
実に論理的な思考と澄んだ目を持っているのに、少数派であるがために、自分のことを「ダメ人間」と言う人がいる。
そんな考えは肯定できるはずがない。
また、「あなたはそう感じられるのですね」と、肯定の立場も否定の立場も取らないでいて、その実最も絶望的な突き放しをやれるはずもない。
また一方、比較的少数ではあるが、中には、無謀な理屈に対する無謀な容認を要求してくる人がいるのも、また事実なのだ。
自らの論理と感情に慎重にかんがみ、否定すべき点は隠さずに否定する。
でなければ、こちらの論理や姿勢が崩れ、たちまち状況の本質を見失ってしまう。
つまり、本来カウンセラーとは、相手の論理の是非を明確に切り分ける、きわめて厳格な目と態度が要求される立場なのである。
「博愛主義者にはカウンセラーは勤まらないのではないか」と私が思うのは、そういう理由である。
もちろん、人間の本性に対する肯定的な感覚が背景になければ、そもそもカウンセラーはできないので、広義ではきちんと否定することも博愛的と言えなくもないが、……。
ところで、日本の大学・大学院で教えられるカウンセリング技法の代表といえば、まず第一に、アメリカ人ロジャーズによって創始された「来談者中心療法」という技法である。
この、まるで大前提であるかのように、カウンセラーの卵たちに教え込まれる「来談者中心療法」は、私にとってはあまりに博愛主義的であるばかりでなく、論理的に決定的な矛盾が含まれると考えている。
その批判については、『ロジャーズ理論の問題点』を参照いただきたい。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
ごく最初のほうの記事だし、"はてな"の方からFC2に移転して、それまでの記事をまとめてどっとアップしたうちの一つでもあったので、読まれた方は少ないと思う。
そこで、ここのところの話題にかんがみ、ほんの少しだけ手を加えて、最新の日付に直して再度アップしておきたい。
例に洩れず、見ようによっては尖った内容だが、あくまでも私の正直な感覚であることは言うまでもない。
こういう仕事をしていると、困っている人は誰でも分け隔てなく受け入れるイメージというか、どこか博愛主義的なイメージを持たれやすい。
だから、例えば「お年寄りや子どもは、(当然)お好きなんでしょうね」といった質問をされることが少なくないのである。
しかし私の場合、正直言うと、子供だから、お年寄りだから好きだ、あるいは嫌いだといった感覚はまったくない。
もちろん、「近頃の若者というのはどうも……」と、中年世代にお決まりの感情を抱いたことも、一度としてない。
つまり、好きな子どももいれば苦手な子どももいるし、お年寄りに対しても若者に対しても、その点ではまったく同じだからである。
私としては、至極当然の感覚だと思っている。
それどころか、そもそも博愛主義者・献身主義者には、カウンセラーは勤まらないのではないか、とさえ思うのである。
なぜそう思うようになったのか、少し説明することにしよう。
人間はうつや不登校になれば、誰でもカウンセリングを受けに来るのかといえば、決してそういうわけではない。
少なくとも私が会っているクライアントの多くは、考え抜いて、自分でできる限りのことをやりつくし、自らは他者に迷惑をかけることはなく、それでいてさまざまな人間関係の中で不当な役割を引き受けさせられ、あげくに自信を喪失した(あるいは一度も持てなかった)人々である。
私は、こういった人々にいとおしさを覚えると同時に、深い尊敬の念をも抱く。
もちろん、年齢は関係ない。また、だからこそ、長年カウンセラーという職業を続けてこられただけでなく、もはややめることなど考えられもしないのだと言える。
彼らとの時間は、私にとって珠玉の時間であると言っても過言ではない。
もちろん私は社会人でもあるので、こういった方々が、現代社会においていかに希少なタイプの人々であるかは、よく理解しているつもりである。
はじめは、自分の元には、「たまたま」こういったすごい人たちがやってくるのかと、不思議に思っていた。
しかし、世間には少ないはずの、こういったタイプの方があまりにも多くやって来られるので、ここ5〜6年、ようやく「たまたま」ではないのだと思わずにおれなくなった。
そして、次のようなことに気づいたのである。
たまたま職業を聞かれて「カウンセラーです」と答えたとき、まず一般的な人々の10人中7〜8人が、表面的には関心を示しながら、やや硬い表情となり、少し身体を後ろに反らすしぐさをする。
もちろん私の力量は、「黙って座っただけですべて見抜く」といった達人の境地には程遠いのだが、やはりカウンセラーというだけで怖がられるものなんだなと感じていた。
そこで考えてみれば、クライアントの方々とは、そんなカウンセラーの前に、何一つ隠さないという前提の下に、怖がらずに座ることができた人たちなのである。
彼らは表面的には自信を喪失しているが、どこかで深い自信に裏付けられているからこそ、カウンセラーの前に座ることができる。
その自信とはつまり、いわば「おてんとう様に顔向けができる」自信である。
もちろん、たいていのクライアントの方は、自分でもその自信に気づいていない。
つまり、カウンセラーの前に座ることなど、取り立ててすごいことだとは思っていないのである。
(もちろん、カウンセリングを受けようとしない人が不正直という意味ではないが。)
彼らの多くは、意識していないことが多いが、本質的に自分の気持ちに嘘がつけず、筋の通らないことはどうやればいいのかすら分からない。
クライアントの多くがそのような方たちだからこそ、カウンセラーとしては肯定し支えることに意味が見出せるし、力強くもなれる。
しかし、カウンセリングだからといって、クライアントならば誰彼なしにその考えや生きざまを肯定し、受容できる、というわけにはいかない。
実に論理的な思考と澄んだ目を持っているのに、少数派であるがために、自分のことを「ダメ人間」と言う人がいる。
そんな考えは肯定できるはずがない。
また、「あなたはそう感じられるのですね」と、肯定の立場も否定の立場も取らないでいて、その実最も絶望的な突き放しをやれるはずもない。
また一方、比較的少数ではあるが、中には、無謀な理屈に対する無謀な容認を要求してくる人がいるのも、また事実なのだ。
自らの論理と感情に慎重にかんがみ、否定すべき点は隠さずに否定する。
でなければ、こちらの論理や姿勢が崩れ、たちまち状況の本質を見失ってしまう。
つまり、本来カウンセラーとは、相手の論理の是非を明確に切り分ける、きわめて厳格な目と態度が要求される立場なのである。
「博愛主義者にはカウンセラーは勤まらないのではないか」と私が思うのは、そういう理由である。
もちろん、人間の本性に対する肯定的な感覚が背景になければ、そもそもカウンセラーはできないので、広義ではきちんと否定することも博愛的と言えなくもないが、……。
ところで、日本の大学・大学院で教えられるカウンセリング技法の代表といえば、まず第一に、アメリカ人ロジャーズによって創始された「来談者中心療法」という技法である。
この、まるで大前提であるかのように、カウンセラーの卵たちに教え込まれる「来談者中心療法」は、私にとってはあまりに博愛主義的であるばかりでなく、論理的に決定的な矛盾が含まれると考えている。
その批判については、『ロジャーズ理論の問題点』を参照いただきたい。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
なぜ私がこのブログを書くのか
昨年の4月にカウンセリングルームを開業して以来、しょっちゅう身体のあちこちが痛い。
もちろんそういう年齢でもあるのだが、我ながら、かなりの緊張感の中でやっている証拠だと思う。
ただ、カウンセリングルームの運営のみならず、このブログで自分の書くこともまた、私自身を緊張させている面がある。
これまで続けて読んでくださっている方々には、あらためて言うまでもないことだが、私は自分の書いている内容の多くが、およそ「常識」と呼ばれるものとはかけ離れていることを、百も承知している(もちろん、論理的でないという意味ではない)。
また、内容ばかりでなく、カウンセラーという立場に立つ者が、自分の名を明かした上で自分の精神疾患の体験を書くこと自体、いわゆる「常識的」でないことも重々分かっている。
で、常識的でない行動を取ればどうなるか。
おおよそ常識でばかり物事を判断するタイプの人間の危機感をあおり、それは批判・攻撃という形で表現される。
前回の記事で書いた、このブログの内容を逆手に取ったような攻撃の例も、一つにはそうした文脈の中で起きることだと思う(許す理由にはならないが)。
私がブログを綴るのに緊張感を覚えているのは、どうしてもこういった逆風の生じることは最初から分かっており、それでも敢えて書き続けているからである。
やがて誰かから攻撃を受けると分かっていることをやるというのは、どうしても身体を身構えさせ、緊張させるものなのだ。
逆に、深い理解を示すコメントをいただいたときには、心から嬉しさがこみ上げる。
では私は、そのような緊張感と戦ってまで、なぜ名と立場を明かした上でこうしたブログを書くのか。
それは言うまでもなく、そうしなければならないという結論に達しているからだ。
そうしなければならないというのは、突き詰めれば自分のために他ならないが、もっと現実的に言うならば、あるごく少数の人たちのために、書かないわけにいかないのである。
そのごく少数の人たちとは、ある方が寄せてくださったコメントを引用させていただくならば、「世間の人の大多数が見えていないものを見て、心で感じて生きている人たち」であり、借り物の常識によってではなく、きちんと自分の頭で考えている人たちのことである。
たしかに、ここで書くことを、みんなに理解してもらいたいわけではないかと言えば、それは違う。できれば理解してもらいたい気持ちは山々ある。
だが、実際にそんなことはありえないし、何よりも私がこのブログにこめている目的意識は、すべての非を引き受けてしまいがちな、ものごとの認識や感覚に、生来歪みのない一握りの人たち、すなわち一部のうつ性格の人たちに、自らの存在の正当性を知ってもらいたいという点にあるのだ。
その目的のために最善の方法を選んだ結果が、このブログの内容と、その執筆における私のスタンスなのである。
私が「相談者」という職を選んだ理由・経緯は、「ご縁があって」といった生半な言葉では、到底表現しきれるものではないと自負している。
選択の余地のない内的要請に対し、乾坤一擲、それを真正面から受けとめる決心によって選んだ道である。
ただこのことは、カウンセラーという職業を選ぶ以上、私のみならず誰しもそこまでの決心は必要だと思う。
どれほど謙虚に見積もっても、覚悟のない者が選ぶべき職業では断じてない。
人の身の生き死にばかりでなく、心の生き死ににまで関わる職業なのだから。
ともあれ、覚悟を決めて選んだ以上、その目的のために最善を尽くすしかない。
だから、このブログを通じて私がやっていることは、多人数からの評価が目的なのではなく、何よりも私自身の決心に対するけじめであり、矜持でもあるのだ。
ずいぶんと重い内容になってしまったが、今回書いたことは、いずれかの時点ではっきりと言葉にしておかなくてはならないと、かねがね考えていたことである。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
クチコミサイトにて
思うところがあり、HPのほうのブログで書いた内容を、そっくりそのまま転載します。
------------------------
自然とHPのリンクが増えていることもあり、ものすごく久しぶりに、Googleで「幸朋カウンセリングルーム」というキーワードで検索してみた。
してみると、虫の知らせだったのか、クチコミ欄付きのとあるサイトで、えげつない書き込みがされてあった。
内容は、
「ほんとひどい。精神科に行くくらい重症じゃないとまともにとりあわない。ていうか自分が病んだままだから、自分より軽いと基本的に病んでないと判断。」
私がブログで自分のうつ体験を書いていたのを、取り上げているらしい。
うつの人たちの支えになればと書いたものを、逆手に取られた形だ。
もちろん、直ちに削除を要請した。
何ヶ月か前に、「そもそもうつ病なんていうのは、甘えにすぎない」と、とくとくと語る人物が来たので、「そういった内容は、カウンセリングの対象にはなりませんので……」と継続面接は断ったのだが、まずその人物以外には思い当たらない。
実は、断った直後にも別のサイトで、ほぼまったく同じ内容で書き込んでいた。
執念深いというか……。
今後もあまりひどいようだと、法的手段に訴えることも考えねばならないかもしれない。
こうした不当性には、断じて負けるわけにはいかない。
------------------------
自然とHPのリンクが増えていることもあり、ものすごく久しぶりに、Googleで「幸朋カウンセリングルーム」というキーワードで検索してみた。
してみると、虫の知らせだったのか、クチコミ欄付きのとあるサイトで、えげつない書き込みがされてあった。
内容は、
「ほんとひどい。精神科に行くくらい重症じゃないとまともにとりあわない。ていうか自分が病んだままだから、自分より軽いと基本的に病んでないと判断。」
私がブログで自分のうつ体験を書いていたのを、取り上げているらしい。
うつの人たちの支えになればと書いたものを、逆手に取られた形だ。
もちろん、直ちに削除を要請した。
何ヶ月か前に、「そもそもうつ病なんていうのは、甘えにすぎない」と、とくとくと語る人物が来たので、「そういった内容は、カウンセリングの対象にはなりませんので……」と継続面接は断ったのだが、まずその人物以外には思い当たらない。
実は、断った直後にも別のサイトで、ほぼまったく同じ内容で書き込んでいた。
執念深いというか……。
今後もあまりひどいようだと、法的手段に訴えることも考えねばならないかもしれない。
こうした不当性には、断じて負けるわけにはいかない。
ある臨士会研修会でのこと
数年前、私が家内とともに出席した、とある東京での臨床心理士会の研修会でのことである。
会場は、ある大学の、円形階段式の大講義室だった。
我々は一番後ろの席に座っていたのだが、ある講師の講演が終わりに近づいた頃、家内が手を滑らせて、空のペットボトルを取り落としてしまった。
たまたま話の切れ目だったか、ペットボトルは「カランカランカラン……」と、見事に派手な音を発しながら、机の下の段々を転がり落ち、5列ほど前の席に座っていた出席者の足元に止まった。
半径7〜8メートル内に座る出席者たちの視線が、非難の色を帯びて、こちらにサッと集まる。
(ここでまず1びっくり)
まず、足元にペットボトルの転がった出席者が、ことさらに(?)ゆっくりと拾い上げ(2びっくり目)、全身全霊で(?)迷惑そうな表情を表わしてこちらを睨みつつ、後ろの席の人にそれを渡した(3びっくり目)。
そしてその行動は4回ほど(つまり、私とその出席者の間の列の数だけ)、他の出席者たちによって、判で押したように繰り返され(4びっくり目、5びっくり目、……)、ようやくペットボトルは家内の元に戻ったのだった。
家内は「すみません」と礼を言ってそれを受け取ったが、通常ならば、もう少し申し訳なさそうな顔をつくろうなりして、謝意を示して受け取ったところだったろう。
しかし、家内も私も目の前の光景に唖然としすぎて、ぽかんと口を開けてしまったものである。
拾ってもらってこんなことを言うのも不謹慎と思われるかもしれないが、もし私が最初の人の立場だったら、当然かなり違った行動を取っていたはずだ。
落ちてきたのは空のペットボトル、つまり誰がどう見ても不用品、というよりもゴミである。
私ならば十中八九、これを今返してほしいとは思わないだろうと推測し、振り返って、落とし主に「気にしないで。預かっとくね」というニュアンスを目配せして、自分の机の上なり足元に置くだろう。
もちろん、世の中の人々すべてに、自分と同じ感覚を要求するつもりはない。
他人のちょっとしたミスに迷惑がるなど、世の常であることも、充分に理解している。
さらには、あれほど露骨に迷惑そうな表情をしたのは、たぶん「今恥ずかしい音を出したのは私じゃないよ」と周りにアピールしたかったんだろうなと、その気持ちも理解できる。
しかし……、しかしである。
私と家内が恥ずかしさも忘れて驚いたのは、彼らが全員、臨床心理士だという事実に対してであった。
他人の不可抗力的ミスを責め立てるその価値観が、我々のカウンセリングを行うときの感覚と、あまりにそぐわないのである。
彼らはいったい、どのようなカウンセリングを行なっているのだろう。
臨床心理士のすべてがそうだとは思わないし、思いたくもない。
東京の都心という地域性も関係しているのかもしれない。
今思い返しても、信じられないという思いの方が大きすぎて、かえってまったく恥ずかしさも腹立ちも覚えない。
ともあれ、強烈に印象に残ったエピソードである。
うーん……、みなさんはどう思われるだろうか……。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

会場は、ある大学の、円形階段式の大講義室だった。
我々は一番後ろの席に座っていたのだが、ある講師の講演が終わりに近づいた頃、家内が手を滑らせて、空のペットボトルを取り落としてしまった。
たまたま話の切れ目だったか、ペットボトルは「カランカランカラン……」と、見事に派手な音を発しながら、机の下の段々を転がり落ち、5列ほど前の席に座っていた出席者の足元に止まった。
半径7〜8メートル内に座る出席者たちの視線が、非難の色を帯びて、こちらにサッと集まる。
(ここでまず1びっくり)
まず、足元にペットボトルの転がった出席者が、ことさらに(?)ゆっくりと拾い上げ(2びっくり目)、全身全霊で(?)迷惑そうな表情を表わしてこちらを睨みつつ、後ろの席の人にそれを渡した(3びっくり目)。
そしてその行動は4回ほど(つまり、私とその出席者の間の列の数だけ)、他の出席者たちによって、判で押したように繰り返され(4びっくり目、5びっくり目、……)、ようやくペットボトルは家内の元に戻ったのだった。
家内は「すみません」と礼を言ってそれを受け取ったが、通常ならば、もう少し申し訳なさそうな顔をつくろうなりして、謝意を示して受け取ったところだったろう。
しかし、家内も私も目の前の光景に唖然としすぎて、ぽかんと口を開けてしまったものである。
拾ってもらってこんなことを言うのも不謹慎と思われるかもしれないが、もし私が最初の人の立場だったら、当然かなり違った行動を取っていたはずだ。
落ちてきたのは空のペットボトル、つまり誰がどう見ても不用品、というよりもゴミである。
私ならば十中八九、これを今返してほしいとは思わないだろうと推測し、振り返って、落とし主に「気にしないで。預かっとくね」というニュアンスを目配せして、自分の机の上なり足元に置くだろう。
もちろん、世の中の人々すべてに、自分と同じ感覚を要求するつもりはない。
他人のちょっとしたミスに迷惑がるなど、世の常であることも、充分に理解している。
さらには、あれほど露骨に迷惑そうな表情をしたのは、たぶん「今恥ずかしい音を出したのは私じゃないよ」と周りにアピールしたかったんだろうなと、その気持ちも理解できる。
しかし……、しかしである。
私と家内が恥ずかしさも忘れて驚いたのは、彼らが全員、臨床心理士だという事実に対してであった。
他人の不可抗力的ミスを責め立てるその価値観が、我々のカウンセリングを行うときの感覚と、あまりにそぐわないのである。
彼らはいったい、どのようなカウンセリングを行なっているのだろう。
臨床心理士のすべてがそうだとは思わないし、思いたくもない。
東京の都心という地域性も関係しているのかもしれない。
今思い返しても、信じられないという思いの方が大きすぎて、かえってまったく恥ずかしさも腹立ちも覚えない。
ともあれ、強烈に印象に残ったエピソードである。
うーん……、みなさんはどう思われるだろうか……。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
今年も冬の始まり
今年も、敏感なうつの方々にとっては厳しい季節がやってきた。
3回にわたって自分の不眠体験について書いてきて、なんとか完結させようと思うのだが、その言葉がなかなか綴れない。
あれ?こういうことを前にも書いたなと思い、見てみると、きっちり昨年の11月だった(『冬の始まり 鬱々』)。
寒さへの温度変化の角度が深いこの時期には、精神面・行動面ともに、人間の活動量は低下する。
うつの人たちは「意欲が低下しないだろうか」という恐怖を持っているため、こうした人間の野生動物としての反応にショックを受けてしまい、よけいに抑うつを深めてしまうのである。
この時期には、食料の供給量が地球規模(北半球)で低下する一方で、体温の放出のために個々人の体力も奪われる。
だから、消耗を避けるために、脳が活動を低下させる指令を出す。
いうなれば、ちょうど給料日前の買い控えのようなものだ。
つまり、この時期の活動低下は悪いことなのではなく、非常に合理的な反応なのである。
この時期に無理にテンションを上げようとすると、それは往々にして攻撃性として出てしまうために、人間関係にも悪影響がでてしまうことが多い。
年末に犯罪が多いのも、こうしたことが影響しているのではないかと考える。
だから、できるだけ慌てないほうがいいのは言うまでもない。
当然ながら、内に籠もるべき時期には籠もることが必要であり、それでも必要上、活動的にならざるを得ない場合は、「自分は仕方なく活動しているのだ」と、自分に言い聞かせるくらいの方がいいだろう。
ところが、完全に冬が深まってしまうと、次にやってくるのは春なのだから、かえってだんだんテンションはあがってくる。
その為のきっかけとして人間の編みだしたものが、冬至の祭りや儀式、つまりクリスマスの元となった儀礼や、正月の儀礼である。
だから、クリスマスはまさに、日照時間がもっとも短い冬至の時期だし、日本の旧正月は、寒さの最も強まる時期なのである。
「もう春に向かっているぞ!何とか残りの冬を乗り切ろうぜ!」という儀礼なのだ。
まったく、うまいことできている。
また、日本の「冬」という言葉の語源は、「殖(増)ゆ」だそうだ。
「潜在的エネルギーの蓄えられる時期」という意味である。
つまり、エネルギーは外向するべきではないのだ。
とにかく、あわてないように、あわてないように。
クライアントの方々には、これを話しているところである。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

3回にわたって自分の不眠体験について書いてきて、なんとか完結させようと思うのだが、その言葉がなかなか綴れない。
あれ?こういうことを前にも書いたなと思い、見てみると、きっちり昨年の11月だった(『冬の始まり 鬱々』)。
寒さへの温度変化の角度が深いこの時期には、精神面・行動面ともに、人間の活動量は低下する。
うつの人たちは「意欲が低下しないだろうか」という恐怖を持っているため、こうした人間の野生動物としての反応にショックを受けてしまい、よけいに抑うつを深めてしまうのである。
この時期には、食料の供給量が地球規模(北半球)で低下する一方で、体温の放出のために個々人の体力も奪われる。
だから、消耗を避けるために、脳が活動を低下させる指令を出す。
いうなれば、ちょうど給料日前の買い控えのようなものだ。
つまり、この時期の活動低下は悪いことなのではなく、非常に合理的な反応なのである。
この時期に無理にテンションを上げようとすると、それは往々にして攻撃性として出てしまうために、人間関係にも悪影響がでてしまうことが多い。
年末に犯罪が多いのも、こうしたことが影響しているのではないかと考える。
だから、できるだけ慌てないほうがいいのは言うまでもない。
当然ながら、内に籠もるべき時期には籠もることが必要であり、それでも必要上、活動的にならざるを得ない場合は、「自分は仕方なく活動しているのだ」と、自分に言い聞かせるくらいの方がいいだろう。
ところが、完全に冬が深まってしまうと、次にやってくるのは春なのだから、かえってだんだんテンションはあがってくる。
その為のきっかけとして人間の編みだしたものが、冬至の祭りや儀式、つまりクリスマスの元となった儀礼や、正月の儀礼である。
だから、クリスマスはまさに、日照時間がもっとも短い冬至の時期だし、日本の旧正月は、寒さの最も強まる時期なのである。
「もう春に向かっているぞ!何とか残りの冬を乗り切ろうぜ!」という儀礼なのだ。
まったく、うまいことできている。
また、日本の「冬」という言葉の語源は、「殖(増)ゆ」だそうだ。
「潜在的エネルギーの蓄えられる時期」という意味である。
つまり、エネルギーは外向するべきではないのだ。
とにかく、あわてないように、あわてないように。
クライアントの方々には、これを話しているところである。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
もう一つのブログ 開設
HPの方に、もう一つブログを立ち上げた。
タイトルは「幸朋 日々のつぶやき」である。
はっきり言ってしまえば、SEO対策(検索順位アップ)が目的なのだが、「「うつ」自分にうそがつけない人たち」の方は、常にできるだけ明確なテーマで、一切手を抜かずに書くことがモットーとなっているだけに、かえって時事ネタやその時々にふと思うことが書きづらい。
で、その部分はそちらの方でやっていきたいと考えている。
よかったら、そちらの方も見にいらしてください。
もちろん、"「うつ」−自分にうそがつけない人たち" もこれまでと変わりなく続けてまいります。
タイトルは「幸朋 日々のつぶやき」である。
はっきり言ってしまえば、SEO対策(検索順位アップ)が目的なのだが、「「うつ」自分にうそがつけない人たち」の方は、常にできるだけ明確なテーマで、一切手を抜かずに書くことがモットーとなっているだけに、かえって時事ネタやその時々にふと思うことが書きづらい。
で、その部分はそちらの方でやっていきたいと考えている。
よかったら、そちらの方も見にいらしてください。
もちろん、"「うつ」−自分にうそがつけない人たち" もこれまでと変わりなく続けてまいります。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
生活リズムについて4
一応、不眠時代の中でも最も苦しい状況を作り出した問題が、どのような幕切れを迎えたかについて書いておくならば、それは何ともあっけないものだった。
短く言うと、嘘によって私を陥れた人物と、その言葉を一方的に信じた人物が別の問題で仲違いを起こして、職場自体が混乱し、私が関わった問題は自然消滅のような形となったのである。
当初の問題の全容は、私一人の胸の内にしまい込まれ、二度と陽の目を見る可能性はなくなった訳である。
次年度の仕事はまだ決まっていなかったが、なぜか私には、「自分は、来年にはもうここ(職場)にいない」という奇妙な確信があった。
明らかに一つのプロセスに区切りがついた感覚であり、まるで、その過酷な経験をするためだけに、数年間その場に身を置いていたような気すらした。
そして実際に、その年度末の3月、思わぬ経緯で私の許に別の常勤職のオファーが舞い込んだのである。
しかし、最もひどい時期に比べてやや緩やかにはなったものの、それからもさらに3年半私の不眠は続くことになる。
それもやがて終わる時がくるのだが、その顛末についてはかなり根深い人間関係と、それにまつわる大きな事件がからんでいるので、今は書けない。
とにもかくにも、その10年間で私が学んだことは、権威を中心とする人間集団にあっては、真っ直ぐに立とうとすれば例外なく目の敵にされる、ということだった。
***
ところで、私の不眠時代の生活について、やはりこれも書いておかねばと気づいたことがあるので、追加しておきたい。
というのは、受験勉強と修士論文を執筆していた時期を除いて、不眠時代のほぼ全般を通じて、パソコンのゲームに相当な時間を費やしていたことである。
(ちなみに、今でも大人としてはかなりやっている方だと思う。)
私の場合、ゲームの種類はというと、大体はWindowsに標準装備されているカードゲームで、あとはテトリスなどのいわゆる「落ちもの」やオセロなど、無料の単純なものばかりだった。
すでに書いたように、不眠時代の私にとっては、取り憑かれたように思索・思考することが何よりも大切なことであり、また避けられないことであり、新しい知識を外部から取り入れることは決して重要でなかった。
私は、受験勉強やその後の勉強を通じて、頭に入ってくる心理学の知識の多くが、実際のカウンセリングに少なからず弊害をもたらすことを、経験的に知った。
弊害をもたらす理由は、言うまでもなくそれらが根本的に間違っている、もしくは正確でないからである。
そうした中で、私の「自分の頭で考える」という傾向はますます強くなっていったように思う。
だが、思索・思考というものは、いわゆる沈思黙考という形で、そればかりに専念することは実際にはほとんどありえないし、「よし、考えよう」といちいち決心した上ですることでもない。
私の場合、辛い状況の中で、ほとんど自動的に始まってしまう思索・思考に対して逆らわないことが、すでに習慣化していただけである。
だからこの時期、論文を書く以外に、思考するために何らかの努力を払った記憶はない。
私ばかりではないと思うのだが、感情を必要としない単純なゲームというのは、己れの思考の内に籠もるには持って来いのアイテムだった。
ゲームをやっている時のメインの思考は、もちろんパズルなどを解いていく作業そのものに費やされる。
で、その他のことについては、思考のメインの部分を明け渡しているために、いわゆる「考えるともなく考える」という形になる。
しかし不思議なもので、「考えるともなく考える」ほうが、かえっていくつかのことを同時に考えることができたり、何かを空想しながらそれ以外のことをつなげたり分解したり、意外と自由な思考が可能になるのである。
おそらく、ゲームの「解いていく」という方向性が、思考するのに適度な刺激となる面もあるのだろう。
また「考えるともなく考える」場合、論理的に思考するばかりでなく、自分がどう感じているのか、感性や感情に沈み込むようにして探索していく面も大きい。
ゲームのことをなぜわざわざ付け足したのかというと、その時期の私の体験について、これを読む方々から過大評価も過小評価もされたくないからである。
一般的に見れば、いい年をしながら自室に引きこもって没交渉、何ら努力めいたことはせずにただゲームに没頭していた「暗ーいおっさん」という面もあったことを、書かないわけにいかないのだ。
しかし反面、その時期があったからこそ、見えてきたものが計り知れないほど大きいことも、書かないわけにいかないのである。
繰り返し言うように、私はその時期を含むこれまでの大部分の体験が、私にとっては選択の余地のない、必然的で避けられないものだったと考えている。
もちろん、私自身が主体的になしてきたあらゆる判断も含めてである。
私が払ってきた「努力」に似た頑張りのほとんどは、津波に襲われそうになった人が、我を忘れて丘に向かって全力疾走するのとまったく同じであり、そうしなければ「心の死」に飲み込まれるしかないから、否応なくやってきたことに過ぎない。
不眠の時期のことを人に話すと、「すごい忍耐力だ」と言われることがあるが、私としては正直あまりピンと来ない。
「忍耐」と言うと、何か高い理想にでも到達するための静かな努力のように思えるのだが、それとは少し違うのである。
端的に言うと、私は「心の死」よりはましな方を取り続けたに過ぎない。
30台半ばで気づいたことだが、そもそも私は「努力」と名のつくことが大嫌いなのである。
その反面、努力をしないで済む方法にたどり着くためだったら、かなりのエネルギーを惜しまない自信はある。
時に活動的であっても、それは努力によるものではなく、自分の興味や気持ちに突き動かされるものでありたい。
私が自分の人生に求めるものは、努力による何かの構築ではなく、詰まるところ「解放」である。
存分に、生きたいように生きるというあり方以外に、私は人生にほとんど意味が見出せない。
私が、アメノウズメやこぶとり爺さんの陶酔的踊りに重ね合わせているのは、まさにそうしたことなのである。
「自分に嘘をつくまい」と思うのも、不当に踏みつけにされている人々に助力したいと思うのも、また微力を承知で「世の中を少しでもよくしたい」と思うのも、決して向上心からではなく、自らのやる瀬ない気持ちから解放されたいがために過ぎない。
あと1回だけ、このテーマ続く
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

短く言うと、嘘によって私を陥れた人物と、その言葉を一方的に信じた人物が別の問題で仲違いを起こして、職場自体が混乱し、私が関わった問題は自然消滅のような形となったのである。
当初の問題の全容は、私一人の胸の内にしまい込まれ、二度と陽の目を見る可能性はなくなった訳である。
次年度の仕事はまだ決まっていなかったが、なぜか私には、「自分は、来年にはもうここ(職場)にいない」という奇妙な確信があった。
明らかに一つのプロセスに区切りがついた感覚であり、まるで、その過酷な経験をするためだけに、数年間その場に身を置いていたような気すらした。
そして実際に、その年度末の3月、思わぬ経緯で私の許に別の常勤職のオファーが舞い込んだのである。
しかし、最もひどい時期に比べてやや緩やかにはなったものの、それからもさらに3年半私の不眠は続くことになる。
それもやがて終わる時がくるのだが、その顛末についてはかなり根深い人間関係と、それにまつわる大きな事件がからんでいるので、今は書けない。
とにもかくにも、その10年間で私が学んだことは、権威を中心とする人間集団にあっては、真っ直ぐに立とうとすれば例外なく目の敵にされる、ということだった。
***
ところで、私の不眠時代の生活について、やはりこれも書いておかねばと気づいたことがあるので、追加しておきたい。
というのは、受験勉強と修士論文を執筆していた時期を除いて、不眠時代のほぼ全般を通じて、パソコンのゲームに相当な時間を費やしていたことである。
(ちなみに、今でも大人としてはかなりやっている方だと思う。)
私の場合、ゲームの種類はというと、大体はWindowsに標準装備されているカードゲームで、あとはテトリスなどのいわゆる「落ちもの」やオセロなど、無料の単純なものばかりだった。
すでに書いたように、不眠時代の私にとっては、取り憑かれたように思索・思考することが何よりも大切なことであり、また避けられないことであり、新しい知識を外部から取り入れることは決して重要でなかった。
私は、受験勉強やその後の勉強を通じて、頭に入ってくる心理学の知識の多くが、実際のカウンセリングに少なからず弊害をもたらすことを、経験的に知った。
弊害をもたらす理由は、言うまでもなくそれらが根本的に間違っている、もしくは正確でないからである。
そうした中で、私の「自分の頭で考える」という傾向はますます強くなっていったように思う。
だが、思索・思考というものは、いわゆる沈思黙考という形で、そればかりに専念することは実際にはほとんどありえないし、「よし、考えよう」といちいち決心した上ですることでもない。
私の場合、辛い状況の中で、ほとんど自動的に始まってしまう思索・思考に対して逆らわないことが、すでに習慣化していただけである。
だからこの時期、論文を書く以外に、思考するために何らかの努力を払った記憶はない。
私ばかりではないと思うのだが、感情を必要としない単純なゲームというのは、己れの思考の内に籠もるには持って来いのアイテムだった。
ゲームをやっている時のメインの思考は、もちろんパズルなどを解いていく作業そのものに費やされる。
で、その他のことについては、思考のメインの部分を明け渡しているために、いわゆる「考えるともなく考える」という形になる。
しかし不思議なもので、「考えるともなく考える」ほうが、かえっていくつかのことを同時に考えることができたり、何かを空想しながらそれ以外のことをつなげたり分解したり、意外と自由な思考が可能になるのである。
おそらく、ゲームの「解いていく」という方向性が、思考するのに適度な刺激となる面もあるのだろう。
また「考えるともなく考える」場合、論理的に思考するばかりでなく、自分がどう感じているのか、感性や感情に沈み込むようにして探索していく面も大きい。
ゲームのことをなぜわざわざ付け足したのかというと、その時期の私の体験について、これを読む方々から過大評価も過小評価もされたくないからである。
一般的に見れば、いい年をしながら自室に引きこもって没交渉、何ら努力めいたことはせずにただゲームに没頭していた「暗ーいおっさん」という面もあったことを、書かないわけにいかないのだ。
しかし反面、その時期があったからこそ、見えてきたものが計り知れないほど大きいことも、書かないわけにいかないのである。
繰り返し言うように、私はその時期を含むこれまでの大部分の体験が、私にとっては選択の余地のない、必然的で避けられないものだったと考えている。
もちろん、私自身が主体的になしてきたあらゆる判断も含めてである。
私が払ってきた「努力」に似た頑張りのほとんどは、津波に襲われそうになった人が、我を忘れて丘に向かって全力疾走するのとまったく同じであり、そうしなければ「心の死」に飲み込まれるしかないから、否応なくやってきたことに過ぎない。
不眠の時期のことを人に話すと、「すごい忍耐力だ」と言われることがあるが、私としては正直あまりピンと来ない。
「忍耐」と言うと、何か高い理想にでも到達するための静かな努力のように思えるのだが、それとは少し違うのである。
端的に言うと、私は「心の死」よりはましな方を取り続けたに過ぎない。
30台半ばで気づいたことだが、そもそも私は「努力」と名のつくことが大嫌いなのである。
その反面、努力をしないで済む方法にたどり着くためだったら、かなりのエネルギーを惜しまない自信はある。
時に活動的であっても、それは努力によるものではなく、自分の興味や気持ちに突き動かされるものでありたい。
私が自分の人生に求めるものは、努力による何かの構築ではなく、詰まるところ「解放」である。
存分に、生きたいように生きるというあり方以外に、私は人生にほとんど意味が見出せない。
私が、アメノウズメやこぶとり爺さんの陶酔的踊りに重ね合わせているのは、まさにそうしたことなのである。
「自分に嘘をつくまい」と思うのも、不当に踏みつけにされている人々に助力したいと思うのも、また微力を承知で「世の中を少しでもよくしたい」と思うのも、決して向上心からではなく、自らのやる瀬ない気持ちから解放されたいがために過ぎない。
あと1回だけ、このテーマ続く
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
生活リズムについて3
もともと、私の不眠体験にまつわるこの一連の記事は、うつの人にとって「生活リズム」を整えることに大した効力はなく、むしろプレッシャーを強めるばかりであることを説明するために、参考として書きはじめたものである。
しかし、どうも目的がまったく入れ替わってしまった。
すでに、完全に私が自分自身を振り返るために書いている記事である。
なぜ「今」、このことを振り返らなければならないのかは、自分でも分からない。
そういった理由が分かるのは、えてして後になってからである。
ともあれ、すでに始まってしまったことである。
もうこれは、最後まで書ききるしかないようだ。
こうなったら、とことんまでお付き合いくださいませ。
えいやぁっ!……と。
前回記事からの続き
大学院入試直後にはじまった発熱から回復し、普通に日常生活ができるようになるまで、結局11日かかった。
もうこれで不眠症から脱することができるのではないか、という淡い期待を持っていたが、身体症状が治まると同時に、やはり不眠はやってきた。
大学院生としての新しい生活が始まっても、不眠の程度はほとんど変わらずで、平日は常にひどい睡眠不足状態、そして週末・休日の朝から昼間にかけて、それを少しでも解消するというサイクル(?)だった。
こういった生活を長年続けると、生活形態は一変する。
私の場合、まず、夜入浴するということが一切なくなった。
夜入浴して気分がさっぱりしてしまうと、その日は一睡もできなくなる確率が高くなるからだった。
部屋の片付けや、洗濯物を畳むということもなくなった。
そもそも抑うつ感が強いのに加えて、こういうちょっとした頑張りによって交感神経(自律神経)が昂ぶってしまい、たちまちにして不眠を強めてしまうことが、経験によって分かってきたからである。
洗濯物はすべてハンガーに干し、畳まずに屋内用のハンガーパイプに掛けるだけ。
片付けができないから、とにかくできるだけ部屋を汚さないように心がけ、掃除機をかけるのも実に年に1、2度、休日の早い時間に、奇跡的に「おっ、今日はすごく掃除機をかけたいかも」という気分になった時だけだった。
何とか片付けができたのは、シンク周りだけである。
神経を緩める、つまり副交感神経をより活発化させるため、できるだけ不快なことは避け、できるだけ心地よい方向を選ぶよう、ほとんど無意識に心がけるのが常となったのである。
はじめは、昼寝すると夜眠れないと思い、たまたま日が高いうちに家で眠気が襲うことがあっても、眠らないようにしていた。
しかし、眠るまいとするその頑張りが仇となり、結局その夜は一睡もできなくなってしまうので、「眠れるときに眠る」というのが習慣化した。
へとへとになるまで運動すれば眠れるのでは、と考えたのも最初だけだった。
友人とテニスをやってみたり長距離を歩いたり、へとへとになるまで運動した日は、かえって神経が昂ぶり、ほぼ例外なく一睡もできないのである。
身体がへとへとの上に一睡もできず、それでも仕事に行かねばならない時のしんどさについては、語るまでもない。
それでも運動したいときには、その日は一睡もしない覚悟で運動した。
ほんの少しながら、眠れる確率を上げてくれるのはアルコールだけだったこともあり、とにかく毎夜、かなりの量の酒を飲んだ。
あまり正確に思い出せないのだが、ビール・赤ワイン・ウイスキーは、ほとんど毎日どれ一つとして欠かさなかったのではないかと思う。
とくに修士論文を書いていた間は、酒瓶をパソコンの横に置き、ほとんど酔わないにもかかわらず、毎日最低でも1本の赤ワインとボトル1/3ほどのウイスキーを消費していた。
そのため、一人暮らしの大学院生という立場からすると、月々の生活費はかなりの額だったと思う。
もちろん、生活費の計算など恐ろしくて出来なかった。
だが、何よりも心配なのは、「肝臓がもってくれるかどうか」という点だった。
毎日、酒を飲むたびに、「今の俺にはどうしてもこれが必要なんだ。何とか持ちこたえてくれ。ごめん!」と、自分の肝臓に頼み、詫びていた。
不眠の10年で私の体型はかなり変わった(太った)が、原因の大半がアルコールにあることはまず間違いない。
そのようにして書いた修士論文で、一番大きく取り扱った神話の題材は、おもしろいことに酒と踊りと愛欲の神、ディオニュッソス(バッコス)であった。
少し話は逸れるが、実は昨年から野口整体に通っている。
野口整体のことを知ったのは、武術家甲野善紀氏の著書やブログでである。
持病となっていた腰痛が通い始めた理由なのだが、始めてから間もなく、2年ほど飲み続けていた鎮痛剤が不要になった。
また、それと同時に、すごい臭いの汗が出はじめた。
不眠になって以来、それが治ってからも、私にはどうした訳かほとんど体臭というものがなかった(と、嗅覚の尋常ではない妻が言う)。
しかしこの頃から、これまで発することなく溜まっていた臭いの元(?)が次々と出始めたらしいのである。
ある時期には、すごく薬の臭いのする汗が出続け、またある時期には、酒に似たすえた臭いの汗が出続けた。どうやら、毎日飲み続けた痛み止めと、不眠時代に摂り続けたものすごい量の酒の成分だったようだ。
それに伴って、うつ伏せになった時の腹部の圧迫感が、明らかに小さくなっていった。
はっきり調べたわけではないが、すでに脂肪肝(気味)と診断されていた私の肝臓が、どうやら急速にしぼんできているらしいのである。
野口整体、恐るべしである。
話を戻そう。
抑うつ感は小さくなかったが、当初の不眠生活が私にとって地獄だったかというと、意外とそこまでの意識はなかった。
「自分は、本当に自由になど生きてよいのか」という、強烈な不安と恐怖が不眠の原因であることは何となく分かっており、だとすれば、「自由に生きてよいのだ」という答えが出さえすれば不眠は解消するはずだ、という楽観がどこかにあった。
逆に、「俺は、自由になど生きてはならないのだ」という答えが出れば、即座に死ねばいいと本気で考えていた。
正直言って、今となってはその感覚がよく思い出せないのだが、そういった答えが出て死を選ぶことに対しては、一片の恐怖も感じていなかったと断言できる。
死んだように生きることのほうに、はるかにリアルな恐怖を覚えていたのである。
その答えが、どういった形で訪れることになるのか、そのときには想像もつかなかったが。
そういった生活が地獄とは言えなかったもう一つの理由は、そんな自分にもできることがある、という実感からだった。
それは、他ならぬカウンセリングという仕事である。
うつになった人々の不安や恐怖が、手に取るように理解できたし、自然と「共に戦う」という立場に立つことができたので、とにかく身が入ったし、クライアントの側にもそれに見合った手応えを感じることができた。
それまでの人生において、どこかで感じ続けてきたある特殊な孤独感は、このときすでに解消していたと言えるかもしれない。
また、カウンセリングを通じて、「本当に自由になど生きてよいのか」という問いは、すでに私だけのためのものではなく、人間全般に関わる問いへと昇華しつつあった。
ちなみに、私はクライアントの方々に対し、基本的に自分の不眠症を隠すことはしなかった。
以前の私は、例に洩れず、やはり休日の夕方などに起きだすと自己嫌悪を感じていたが、ここまでひどい生活サイクルになると、自己嫌悪や罪悪感を感じるどころではなかった。
その生活が、自分にとって不可避かつ必然的であることは、あまりにも歴然としていたからである。
不眠が始まって3年余りが過ぎた頃、私の抑うつと不眠の強まる出来事が生じた。
詳しくは書かないが、数ヶ所あった非常勤の職場の一つ(大学院に通いつつ)で、ある同僚のかなり屈折した愛憎と嘘に巻き込まれてのことである。
また悪いことに、その女性は、私がこの世界に飛び込む際にかなり世話になった人物の友人であり、その人物から彼女の立場を守ってくれと、頼まれてしまったのである。
もちろん、それはかなり理不尽な要求だったが、私はすべて呑み込むことを決心した。
そして、断じて言い訳をしなかった結果、私は最悪の立場に立たされることとなったのである。
その状況は実に3年半もの間、結局私に別の常勤の仕事が決まって退職するまで続いた。
当然のことだが、現在私はその要求を持ちかけた人物と、連絡を取っていない。
果たすべきものは果たし、返すべきものはすべて返したからである。
このことを多少なりと公表するのは、この記事が最初である。
少なくとも、その状況が始まった最初の2年半ほどの私の精神的状況は、言うまでもなくかなり追い詰められたものだった。
ただでさえひどかった不眠はさらにひどくなり、実際の程度は定かではないが、30分眠れればそれでよしとしていた記憶がもっとも多い。というよりも、一昼夜のうちにたとえ一瞬でもぐっと眠れれば、それだけで上々という感覚だったように思う。
「人間、眠らなくても死なないものだな」と本心から思ったのは、この時期である。
はっきり言って、自分を陥れた人間に対する憎悪の塊だった。
断じて負けるわけにはいかなかった。
また、自分の非を暗に認めることを嫌って、逃げ出すという発想すら持たなかった。
それは、私にとって死を意味していたし、彼女らのために死を選ぶのはあまりに馬鹿馬鹿しすぎた。
それまで毎年1〜2本はどこかに論文を載せていたが、常に心を捉え続ける激しい憎悪のために、この2年半は1本も書けず、それどころか、専門書も、ユングの『ヨブへの答え』を除いては1ページたりと読めなかった。
他に読めたものは、夢枕獏さんの小説だけだった。
もともと『陰陽師』を通してファンになったのだが、彼の作品にはエロくてグロくて暴力的で、それでいて耽美的なものが多い。
そういった作品を読み続けることで、私は憎悪を抑えるよりも、さらに滾(たぎ)らせることを選んだ……、というよりもそれは、私の内的要請においては、他に選択の余地のない道だったのである。
一番多かった時で、1年間に約250冊、彼の作品ばかりをひたすら読み耽り、まだ読んでいない彼の作品が手元になくなると、恐ろしく不安にもなった。
もしもあの時、夢枕獏という小説家がこの世に存在していなかったらと思うと、今でもぞっとする。しかも、よくぞ数100冊も書いていてくれたものだ。
彼は私にとって、紛れもなく、この地上で最も感謝の念を覚える人物の一人である。
聞く音楽も一変した。
もともと、J−POPはもちろんクラシックも映画音楽も洋楽も、わりあい幅広く聞くタイプだったのだが、その時期には、まず歌詞のある曲が一切聞けなくなった。
最後まで聞けたのは桑田佳祐だったが、それすら聞けなくなると、次には映画音楽、クラシックの順で次々に聞けなくなった。
で、とうとう聞けるのは民族音楽ばかりとなった。
一番よく聞いたのは、陶酔的なバリのガムラン音楽である。
インドのシタールや壺を叩く独特のパーカッション、ホーミー、チベット密教の読経、バグパイプ、アフリカの童謡、ラージャスタンの民謡など、おそらく古い時代に成った類の民族音楽は、洋の東西を問わずに聞くことができた。
中国音楽でも、時代の新しげなものは無理だった。
2年余りの間、毎日明け方まで陶酔的な民族音楽を流し、酔えない酒をあおり、枕元の電気スタンドだけを点けて、夢枕獏の描く、人が生きながらにして鬼に変貌し、殺戮し、犯し、喜悦の雄叫びを挙げる物語に、全身全霊で没頭する。
陽が昇り、窓の外に人の気配がしてきてはじめて、うまくするとふっと緊張の緩む瞬間があり、その機を逃さず数10分の睡眠をとる。
そして、再びタイマーでセットしたガムラン音楽で目覚め、遅刻ギリギリの時間に重い身体を起こして2分でシャワーを浴び、職場や大学に向かう途中でパンをかじる。
もちろん、何日も一睡もできないということもしばしばあった。
言うまでもなく、「俺はいったい何をやっているんだ」という不安に、幾度となく襲われた。
そうした時は、畳んだ掛け布団と敷布団の間に頭を差し入れ、絶対に部屋の外に声が漏れぬように絶叫したりしていた。
ほとんど狂気の生活である。
だがその間にも、「人として、何が正当であり、何が不当であるか」ということについては、心のどこかで、常に取り憑かれたように考え続けていた。
いや、紛れもなく、取り憑かれていたという表現が正しい。
その時期の思考によって、現在の私のカウンセリング観・人間観・家族観のベースの部分が、ほぼ形作られたと言ってよい。
事実、自分がそのような状態であったにもかかわらず、クライアントの人たちの状態・回復のスピード・何よりも表情の明るさなどからは、それまでとまったく次元の違う手応えを感じるようになった。
同時に、大半の心理学理論が、まったくの屁理屈に過ぎないものに見え始めた。
多くのユング派学者の理論も例外ではない。
また、気がつくと、職業・性的志向・学歴その他に基づくさまざまな差別的意識が、価値観の中から拭い去ったように消えていた。
私が臨床心理士の資格を得たのは、この時期のちょうど真ん中頃だった。
今よりはずっと簡単な試験問題ではあったが、勉強という勉強が手につかなかったので、そのために特に使った受験勉強の日数は、実質的に丸5日間のみである。
どうして受かったのか、自分でもよく分からない。
さらに次回に続く
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

しかし、どうも目的がまったく入れ替わってしまった。
すでに、完全に私が自分自身を振り返るために書いている記事である。
なぜ「今」、このことを振り返らなければならないのかは、自分でも分からない。
そういった理由が分かるのは、えてして後になってからである。
ともあれ、すでに始まってしまったことである。
もうこれは、最後まで書ききるしかないようだ。
こうなったら、とことんまでお付き合いくださいませ。
えいやぁっ!……と。
前回記事からの続き
大学院入試直後にはじまった発熱から回復し、普通に日常生活ができるようになるまで、結局11日かかった。
もうこれで不眠症から脱することができるのではないか、という淡い期待を持っていたが、身体症状が治まると同時に、やはり不眠はやってきた。
大学院生としての新しい生活が始まっても、不眠の程度はほとんど変わらずで、平日は常にひどい睡眠不足状態、そして週末・休日の朝から昼間にかけて、それを少しでも解消するというサイクル(?)だった。
こういった生活を長年続けると、生活形態は一変する。
私の場合、まず、夜入浴するということが一切なくなった。
夜入浴して気分がさっぱりしてしまうと、その日は一睡もできなくなる確率が高くなるからだった。
部屋の片付けや、洗濯物を畳むということもなくなった。
そもそも抑うつ感が強いのに加えて、こういうちょっとした頑張りによって交感神経(自律神経)が昂ぶってしまい、たちまちにして不眠を強めてしまうことが、経験によって分かってきたからである。
洗濯物はすべてハンガーに干し、畳まずに屋内用のハンガーパイプに掛けるだけ。
片付けができないから、とにかくできるだけ部屋を汚さないように心がけ、掃除機をかけるのも実に年に1、2度、休日の早い時間に、奇跡的に「おっ、今日はすごく掃除機をかけたいかも」という気分になった時だけだった。
何とか片付けができたのは、シンク周りだけである。
神経を緩める、つまり副交感神経をより活発化させるため、できるだけ不快なことは避け、できるだけ心地よい方向を選ぶよう、ほとんど無意識に心がけるのが常となったのである。
はじめは、昼寝すると夜眠れないと思い、たまたま日が高いうちに家で眠気が襲うことがあっても、眠らないようにしていた。
しかし、眠るまいとするその頑張りが仇となり、結局その夜は一睡もできなくなってしまうので、「眠れるときに眠る」というのが習慣化した。
へとへとになるまで運動すれば眠れるのでは、と考えたのも最初だけだった。
友人とテニスをやってみたり長距離を歩いたり、へとへとになるまで運動した日は、かえって神経が昂ぶり、ほぼ例外なく一睡もできないのである。
身体がへとへとの上に一睡もできず、それでも仕事に行かねばならない時のしんどさについては、語るまでもない。
それでも運動したいときには、その日は一睡もしない覚悟で運動した。
ほんの少しながら、眠れる確率を上げてくれるのはアルコールだけだったこともあり、とにかく毎夜、かなりの量の酒を飲んだ。
あまり正確に思い出せないのだが、ビール・赤ワイン・ウイスキーは、ほとんど毎日どれ一つとして欠かさなかったのではないかと思う。
とくに修士論文を書いていた間は、酒瓶をパソコンの横に置き、ほとんど酔わないにもかかわらず、毎日最低でも1本の赤ワインとボトル1/3ほどのウイスキーを消費していた。
そのため、一人暮らしの大学院生という立場からすると、月々の生活費はかなりの額だったと思う。
もちろん、生活費の計算など恐ろしくて出来なかった。
だが、何よりも心配なのは、「肝臓がもってくれるかどうか」という点だった。
毎日、酒を飲むたびに、「今の俺にはどうしてもこれが必要なんだ。何とか持ちこたえてくれ。ごめん!」と、自分の肝臓に頼み、詫びていた。
不眠の10年で私の体型はかなり変わった(太った)が、原因の大半がアルコールにあることはまず間違いない。
そのようにして書いた修士論文で、一番大きく取り扱った神話の題材は、おもしろいことに酒と踊りと愛欲の神、ディオニュッソス(バッコス)であった。
少し話は逸れるが、実は昨年から野口整体に通っている。
野口整体のことを知ったのは、武術家甲野善紀氏の著書やブログでである。
持病となっていた腰痛が通い始めた理由なのだが、始めてから間もなく、2年ほど飲み続けていた鎮痛剤が不要になった。
また、それと同時に、すごい臭いの汗が出はじめた。
不眠になって以来、それが治ってからも、私にはどうした訳かほとんど体臭というものがなかった(と、嗅覚の尋常ではない妻が言う)。
しかしこの頃から、これまで発することなく溜まっていた臭いの元(?)が次々と出始めたらしいのである。
ある時期には、すごく薬の臭いのする汗が出続け、またある時期には、酒に似たすえた臭いの汗が出続けた。どうやら、毎日飲み続けた痛み止めと、不眠時代に摂り続けたものすごい量の酒の成分だったようだ。
それに伴って、うつ伏せになった時の腹部の圧迫感が、明らかに小さくなっていった。
はっきり調べたわけではないが、すでに脂肪肝(気味)と診断されていた私の肝臓が、どうやら急速にしぼんできているらしいのである。
野口整体、恐るべしである。
話を戻そう。
抑うつ感は小さくなかったが、当初の不眠生活が私にとって地獄だったかというと、意外とそこまでの意識はなかった。
「自分は、本当に自由になど生きてよいのか」という、強烈な不安と恐怖が不眠の原因であることは何となく分かっており、だとすれば、「自由に生きてよいのだ」という答えが出さえすれば不眠は解消するはずだ、という楽観がどこかにあった。
逆に、「俺は、自由になど生きてはならないのだ」という答えが出れば、即座に死ねばいいと本気で考えていた。
正直言って、今となってはその感覚がよく思い出せないのだが、そういった答えが出て死を選ぶことに対しては、一片の恐怖も感じていなかったと断言できる。
死んだように生きることのほうに、はるかにリアルな恐怖を覚えていたのである。
その答えが、どういった形で訪れることになるのか、そのときには想像もつかなかったが。
そういった生活が地獄とは言えなかったもう一つの理由は、そんな自分にもできることがある、という実感からだった。
それは、他ならぬカウンセリングという仕事である。
うつになった人々の不安や恐怖が、手に取るように理解できたし、自然と「共に戦う」という立場に立つことができたので、とにかく身が入ったし、クライアントの側にもそれに見合った手応えを感じることができた。
それまでの人生において、どこかで感じ続けてきたある特殊な孤独感は、このときすでに解消していたと言えるかもしれない。
また、カウンセリングを通じて、「本当に自由になど生きてよいのか」という問いは、すでに私だけのためのものではなく、人間全般に関わる問いへと昇華しつつあった。
ちなみに、私はクライアントの方々に対し、基本的に自分の不眠症を隠すことはしなかった。
以前の私は、例に洩れず、やはり休日の夕方などに起きだすと自己嫌悪を感じていたが、ここまでひどい生活サイクルになると、自己嫌悪や罪悪感を感じるどころではなかった。
その生活が、自分にとって不可避かつ必然的であることは、あまりにも歴然としていたからである。
不眠が始まって3年余りが過ぎた頃、私の抑うつと不眠の強まる出来事が生じた。
詳しくは書かないが、数ヶ所あった非常勤の職場の一つ(大学院に通いつつ)で、ある同僚のかなり屈折した愛憎と嘘に巻き込まれてのことである。
また悪いことに、その女性は、私がこの世界に飛び込む際にかなり世話になった人物の友人であり、その人物から彼女の立場を守ってくれと、頼まれてしまったのである。
もちろん、それはかなり理不尽な要求だったが、私はすべて呑み込むことを決心した。
そして、断じて言い訳をしなかった結果、私は最悪の立場に立たされることとなったのである。
その状況は実に3年半もの間、結局私に別の常勤の仕事が決まって退職するまで続いた。
当然のことだが、現在私はその要求を持ちかけた人物と、連絡を取っていない。
果たすべきものは果たし、返すべきものはすべて返したからである。
このことを多少なりと公表するのは、この記事が最初である。
少なくとも、その状況が始まった最初の2年半ほどの私の精神的状況は、言うまでもなくかなり追い詰められたものだった。
ただでさえひどかった不眠はさらにひどくなり、実際の程度は定かではないが、30分眠れればそれでよしとしていた記憶がもっとも多い。というよりも、一昼夜のうちにたとえ一瞬でもぐっと眠れれば、それだけで上々という感覚だったように思う。
「人間、眠らなくても死なないものだな」と本心から思ったのは、この時期である。
はっきり言って、自分を陥れた人間に対する憎悪の塊だった。
断じて負けるわけにはいかなかった。
また、自分の非を暗に認めることを嫌って、逃げ出すという発想すら持たなかった。
それは、私にとって死を意味していたし、彼女らのために死を選ぶのはあまりに馬鹿馬鹿しすぎた。
それまで毎年1〜2本はどこかに論文を載せていたが、常に心を捉え続ける激しい憎悪のために、この2年半は1本も書けず、それどころか、専門書も、ユングの『ヨブへの答え』を除いては1ページたりと読めなかった。
他に読めたものは、夢枕獏さんの小説だけだった。
もともと『陰陽師』を通してファンになったのだが、彼の作品にはエロくてグロくて暴力的で、それでいて耽美的なものが多い。
そういった作品を読み続けることで、私は憎悪を抑えるよりも、さらに滾(たぎ)らせることを選んだ……、というよりもそれは、私の内的要請においては、他に選択の余地のない道だったのである。
一番多かった時で、1年間に約250冊、彼の作品ばかりをひたすら読み耽り、まだ読んでいない彼の作品が手元になくなると、恐ろしく不安にもなった。
もしもあの時、夢枕獏という小説家がこの世に存在していなかったらと思うと、今でもぞっとする。しかも、よくぞ数100冊も書いていてくれたものだ。
彼は私にとって、紛れもなく、この地上で最も感謝の念を覚える人物の一人である。
聞く音楽も一変した。
もともと、J−POPはもちろんクラシックも映画音楽も洋楽も、わりあい幅広く聞くタイプだったのだが、その時期には、まず歌詞のある曲が一切聞けなくなった。
最後まで聞けたのは桑田佳祐だったが、それすら聞けなくなると、次には映画音楽、クラシックの順で次々に聞けなくなった。
で、とうとう聞けるのは民族音楽ばかりとなった。
一番よく聞いたのは、陶酔的なバリのガムラン音楽である。
インドのシタールや壺を叩く独特のパーカッション、ホーミー、チベット密教の読経、バグパイプ、アフリカの童謡、ラージャスタンの民謡など、おそらく古い時代に成った類の民族音楽は、洋の東西を問わずに聞くことができた。
中国音楽でも、時代の新しげなものは無理だった。
2年余りの間、毎日明け方まで陶酔的な民族音楽を流し、酔えない酒をあおり、枕元の電気スタンドだけを点けて、夢枕獏の描く、人が生きながらにして鬼に変貌し、殺戮し、犯し、喜悦の雄叫びを挙げる物語に、全身全霊で没頭する。
陽が昇り、窓の外に人の気配がしてきてはじめて、うまくするとふっと緊張の緩む瞬間があり、その機を逃さず数10分の睡眠をとる。
そして、再びタイマーでセットしたガムラン音楽で目覚め、遅刻ギリギリの時間に重い身体を起こして2分でシャワーを浴び、職場や大学に向かう途中でパンをかじる。
もちろん、何日も一睡もできないということもしばしばあった。
言うまでもなく、「俺はいったい何をやっているんだ」という不安に、幾度となく襲われた。
そうした時は、畳んだ掛け布団と敷布団の間に頭を差し入れ、絶対に部屋の外に声が漏れぬように絶叫したりしていた。
ほとんど狂気の生活である。
だがその間にも、「人として、何が正当であり、何が不当であるか」ということについては、心のどこかで、常に取り憑かれたように考え続けていた。
いや、紛れもなく、取り憑かれていたという表現が正しい。
その時期の思考によって、現在の私のカウンセリング観・人間観・家族観のベースの部分が、ほぼ形作られたと言ってよい。
事実、自分がそのような状態であったにもかかわらず、クライアントの人たちの状態・回復のスピード・何よりも表情の明るさなどからは、それまでとまったく次元の違う手応えを感じるようになった。
同時に、大半の心理学理論が、まったくの屁理屈に過ぎないものに見え始めた。
多くのユング派学者の理論も例外ではない。
また、気がつくと、職業・性的志向・学歴その他に基づくさまざまな差別的意識が、価値観の中から拭い去ったように消えていた。
私が臨床心理士の資格を得たのは、この時期のちょうど真ん中頃だった。
今よりはずっと簡単な試験問題ではあったが、勉強という勉強が手につかなかったので、そのために特に使った受験勉強の日数は、実質的に丸5日間のみである。
どうして受かったのか、自分でもよく分からない。
さらに次回に続く
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
生活リズムについて2
おもに30代の頃だったが、かつて私は、10年にわたってうつに伴うかなり強い不眠症を経験している。
今回は、前回掲げたテーマ「生活リズム」について、私がある一定の考えを持つにいたった経緯を説明するために、不眠の10年の中でも、最も症状の強かった2〜3年間の生活がどのようなものだったかについて、ある程度詳しく書いてみようと思う。
なお、匿名で書いているブログではないので、発症の誘引となった家族関係・人間関係上の問題などについてはあまり触れられないことをお断りしておきたい。
私は、家族や人間関係における一つの葛藤をある程度乗り越えたのを機に、自分の思い通りに生きることを決心した。
私のうつと不眠は、それまでの職を捨て、まずは大学院浪人となってカウンセラーを目指すことにした、まさにその時に始まったのである。
大逆風の中、自分の向かっている方向が本当にこれでいいのか、本当に思い通りになど生きてよいのか、何の確信も得られぬまま、それでももう直進するしかないという深い不安を抱えた状況でのことだった。
当初は、ただひたすら入眠が困難なタイプの不眠が数年続いた。
早朝覚醒はなかったが、不眠の強さ自体はひどいものだった。
履修生として大学の授業に出なければならない平日の就寝は、まず早くても早朝の4〜5時。休日は好きなだけ眠ることができたので、無理に眠らなくてよいという解放感から、就寝は午前8時から10時くらいの間だった。もちろん、その日に起き出すのはたいてい午後3時頃から夕方である。
土日に1週間の睡眠不足分を取り戻すわけだが、それを入れても、平均睡眠時間はいいところ2〜3時間程度だったと思う。
一睡もできないことも、1〜2週間に一度くらいあった。
しかし、何が何でも、とりあえず大学院に受からないことには希望が潰えてしまう状況だったので、独り暮らしのマンションにはテレビも置かず、眠れない時間はすべて入試のための勉強に当てた。
当時はまだ臨床心理士認定協会の指定大学院自体が少なく、しかもユング派系のところは京大と甲南大くらいしかなかったので、倍率も異常に高かったのである。
机の前に座っている時間だけでも、1日平均で約16時間、食事をしている時間も英文を読み続けていたので、少なくとも18時間ほどは勉強していたかもしれない。
もともと学校での成績は悪くなかったが、勉強が好きだったわけではない。
親がやかましいから机には向かうが、ほとんど身が入らずに遊んでしまい、自己嫌悪するタイプだった。
しかし、目標が絞られるというのは力が入りやすいというか、大学院入試のこの間ばかりは、自分でも驚くほど勉強することが苦にならなかった。というよりも、ただただ必死だった。
言うまでもなく、朝、寝床から起き出すには常に大変な努力を必要とした。
それでも、不眠があまりに強かったせいで、一睡もせずとも、大学での講義の時などに眠気が起こることは一切なかった。
だから、あまりにつまらない講義を受ける時などは、居眠りする代わりに、とにかく何かを思索していた。
それどころか、不眠の10年間は、長時間電車に乗っていてさえ、居眠りの気配すら一度も覚えなかったのである。
この1年間は夢見もひどく、大洪水や大地震といった、いわゆる没落夢を何度も見た。
没落夢とは、統合失調症を発病するときなどに見るタイプの夢だが、私の場合、幸いなことに、そういった夢にも次第に一応の救いらしき状況は現れるようになっていった。
たとえば、大地震によって町は瓦礫の山と化すが、その後人々がぞろぞろと這い出してきて、町の再建を目指すなどである。
このままでは不眠のために身体を壊してしまうのではないか、翌日に支障が出るのではないかと、眠れないことに強い焦りを覚えていたのは、初めの頃だけである。
もちろん、常にひどい気だるさにまとわりつかれてはいたが、眠れないものは眠れないのだから仕方がない。
精神科で眠剤・導入剤を処方してもらっても、眠れる時間が少しばかり増えたのは最初の1〜2回だけで、ただ気だるさが増すばかりだったので、ほとんど飲まなかった。
それに、1〜2時間程度ではあるが、一応ほとんどの日に眠れてはいたので、このままやれるところまでやるしかないと思っていた。
少なくとも大学院浪人の1年間に、緊張が緩んだと自覚した記憶は皆無である。
その緊張は、当然ながら受験直前にピークとなった。
実際、私はまる3昼夜一睡もせずに大学院入試に臨んだのである。
まともに答案できるのかどうか心配したが、頭の働きへの影響はまったく感じなかった。
思いのほか楽に答案用紙を埋め、後は一次試験の採点を待ち、同日の夜に面接試験という日程だった。
しかし、ついに面接試験も終わり、大学を後にするや否や、私は激しい倦怠感に見舞われた。
帰りの電車では、座席に座っていることすら辛く、駅から自宅まではどうやって帰ったのかあまり記憶がない。意識を失ってしまわぬよう、歯を食いしばっていたことしか覚えていない。
自宅マンションのドアを開けて入り、鍵を閉めると、たちまちその場に倒れこみ、荷物はその場に捨て置いて万年床へと這いずった。
途中で何とかたくさんの水だけは飲んだが、すでに熱は39度を越えており、あとは何も口にできないまま実家に電話し助けを求め、そのまま明かりも消せずに眠り込んだ。
高熱に伴う筋肉の炎症のため、全身に激痛があり、私は数分おきに自分の叫び声で眼を覚まさなければならなかった。
特に首の右側の炎症がひどいらしく、激しい痙攣を起こし、数秒から数10秒おきに首が右肩に着くほど折れ曲がるように引き攣った。もちろん、そのたびに今でも思い出したくないほどの激痛が走った。
自分の首の筋肉が、まるで別の生き物のように感じられた。
近所に声が聞こえることなど気にはしていられず、私は自分の首が折れ曲がるたび、声がガラガラになるまで、歯を食いしばったまま叫ばねばならなかった。
翌日から、母が2泊3日で面倒を見にきてくれた。
そのようにひどい状態は何日も続いたが、ゆるい粥しか喉を通らなかったのは2日目の昼までで、その後はかなりの量の飯を食うことができた。
実を言うと、私は文科系のクラブにしか所属したことがないにもかかわらず、高校でも大学でも伝説的な大食漢であり、どれほどひどい風邪を引いたときにでも、食事だけはかなりたくさん摂ることができたのである。
今はもちろん食事の量は多くないが、若くて代謝がよかったこともあってか、すごい量を食べていたときのほうがずいぶんと痩せていた。
それでも、首の激痛と痙攣自体は5日間ほとんど治まらず、立ち上がってもフラフラだったので、初めて自力で医者に行けたのは、倒れてから6日目のことだった。
マンションの一階がコンビニであったことに、心から感謝した。
合否の結果が届いたのは、おそらく倒れてから4日目か5日目だったと思うが、乱雑に通知書の封を開けて合格の文字を確認しただけで放っぽり出し、「ははは……、感激どころやないわ」と独り言を言って横になった。そして、ようやく数分間隔にはなっていたものの、いまだ激痛を伴う首の痙攣に耐え続けるばかりだったのを覚えている。
このような状態ではあったが、ともあれ大学院への合格は果たしたわけである。
私としては、ひょっとすると、もうこれでひどい不眠からは解放されるのではないかという淡い期待があったのだが、現実としてはさらにそれから9年間持ち続けなければならなかった。
もしも始めからそのことが分かっていたとしたら、私はどれほどの絶望感を味わったことだろうか。
案の定、長くなりそうだ。続きは次回に。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

今回は、前回掲げたテーマ「生活リズム」について、私がある一定の考えを持つにいたった経緯を説明するために、不眠の10年の中でも、最も症状の強かった2〜3年間の生活がどのようなものだったかについて、ある程度詳しく書いてみようと思う。
なお、匿名で書いているブログではないので、発症の誘引となった家族関係・人間関係上の問題などについてはあまり触れられないことをお断りしておきたい。
私は、家族や人間関係における一つの葛藤をある程度乗り越えたのを機に、自分の思い通りに生きることを決心した。
私のうつと不眠は、それまでの職を捨て、まずは大学院浪人となってカウンセラーを目指すことにした、まさにその時に始まったのである。
大逆風の中、自分の向かっている方向が本当にこれでいいのか、本当に思い通りになど生きてよいのか、何の確信も得られぬまま、それでももう直進するしかないという深い不安を抱えた状況でのことだった。
当初は、ただひたすら入眠が困難なタイプの不眠が数年続いた。
早朝覚醒はなかったが、不眠の強さ自体はひどいものだった。
履修生として大学の授業に出なければならない平日の就寝は、まず早くても早朝の4〜5時。休日は好きなだけ眠ることができたので、無理に眠らなくてよいという解放感から、就寝は午前8時から10時くらいの間だった。もちろん、その日に起き出すのはたいてい午後3時頃から夕方である。
土日に1週間の睡眠不足分を取り戻すわけだが、それを入れても、平均睡眠時間はいいところ2〜3時間程度だったと思う。
一睡もできないことも、1〜2週間に一度くらいあった。
しかし、何が何でも、とりあえず大学院に受からないことには希望が潰えてしまう状況だったので、独り暮らしのマンションにはテレビも置かず、眠れない時間はすべて入試のための勉強に当てた。
当時はまだ臨床心理士認定協会の指定大学院自体が少なく、しかもユング派系のところは京大と甲南大くらいしかなかったので、倍率も異常に高かったのである。
机の前に座っている時間だけでも、1日平均で約16時間、食事をしている時間も英文を読み続けていたので、少なくとも18時間ほどは勉強していたかもしれない。
もともと学校での成績は悪くなかったが、勉強が好きだったわけではない。
親がやかましいから机には向かうが、ほとんど身が入らずに遊んでしまい、自己嫌悪するタイプだった。
しかし、目標が絞られるというのは力が入りやすいというか、大学院入試のこの間ばかりは、自分でも驚くほど勉強することが苦にならなかった。というよりも、ただただ必死だった。
言うまでもなく、朝、寝床から起き出すには常に大変な努力を必要とした。
それでも、不眠があまりに強かったせいで、一睡もせずとも、大学での講義の時などに眠気が起こることは一切なかった。
だから、あまりにつまらない講義を受ける時などは、居眠りする代わりに、とにかく何かを思索していた。
それどころか、不眠の10年間は、長時間電車に乗っていてさえ、居眠りの気配すら一度も覚えなかったのである。
この1年間は夢見もひどく、大洪水や大地震といった、いわゆる没落夢を何度も見た。
没落夢とは、統合失調症を発病するときなどに見るタイプの夢だが、私の場合、幸いなことに、そういった夢にも次第に一応の救いらしき状況は現れるようになっていった。
たとえば、大地震によって町は瓦礫の山と化すが、その後人々がぞろぞろと這い出してきて、町の再建を目指すなどである。
このままでは不眠のために身体を壊してしまうのではないか、翌日に支障が出るのではないかと、眠れないことに強い焦りを覚えていたのは、初めの頃だけである。
もちろん、常にひどい気だるさにまとわりつかれてはいたが、眠れないものは眠れないのだから仕方がない。
精神科で眠剤・導入剤を処方してもらっても、眠れる時間が少しばかり増えたのは最初の1〜2回だけで、ただ気だるさが増すばかりだったので、ほとんど飲まなかった。
それに、1〜2時間程度ではあるが、一応ほとんどの日に眠れてはいたので、このままやれるところまでやるしかないと思っていた。
少なくとも大学院浪人の1年間に、緊張が緩んだと自覚した記憶は皆無である。
その緊張は、当然ながら受験直前にピークとなった。
実際、私はまる3昼夜一睡もせずに大学院入試に臨んだのである。
まともに答案できるのかどうか心配したが、頭の働きへの影響はまったく感じなかった。
思いのほか楽に答案用紙を埋め、後は一次試験の採点を待ち、同日の夜に面接試験という日程だった。
しかし、ついに面接試験も終わり、大学を後にするや否や、私は激しい倦怠感に見舞われた。
帰りの電車では、座席に座っていることすら辛く、駅から自宅まではどうやって帰ったのかあまり記憶がない。意識を失ってしまわぬよう、歯を食いしばっていたことしか覚えていない。
自宅マンションのドアを開けて入り、鍵を閉めると、たちまちその場に倒れこみ、荷物はその場に捨て置いて万年床へと這いずった。
途中で何とかたくさんの水だけは飲んだが、すでに熱は39度を越えており、あとは何も口にできないまま実家に電話し助けを求め、そのまま明かりも消せずに眠り込んだ。
高熱に伴う筋肉の炎症のため、全身に激痛があり、私は数分おきに自分の叫び声で眼を覚まさなければならなかった。
特に首の右側の炎症がひどいらしく、激しい痙攣を起こし、数秒から数10秒おきに首が右肩に着くほど折れ曲がるように引き攣った。もちろん、そのたびに今でも思い出したくないほどの激痛が走った。
自分の首の筋肉が、まるで別の生き物のように感じられた。
近所に声が聞こえることなど気にはしていられず、私は自分の首が折れ曲がるたび、声がガラガラになるまで、歯を食いしばったまま叫ばねばならなかった。
翌日から、母が2泊3日で面倒を見にきてくれた。
そのようにひどい状態は何日も続いたが、ゆるい粥しか喉を通らなかったのは2日目の昼までで、その後はかなりの量の飯を食うことができた。
実を言うと、私は文科系のクラブにしか所属したことがないにもかかわらず、高校でも大学でも伝説的な大食漢であり、どれほどひどい風邪を引いたときにでも、食事だけはかなりたくさん摂ることができたのである。
今はもちろん食事の量は多くないが、若くて代謝がよかったこともあってか、すごい量を食べていたときのほうがずいぶんと痩せていた。
それでも、首の激痛と痙攣自体は5日間ほとんど治まらず、立ち上がってもフラフラだったので、初めて自力で医者に行けたのは、倒れてから6日目のことだった。
マンションの一階がコンビニであったことに、心から感謝した。
合否の結果が届いたのは、おそらく倒れてから4日目か5日目だったと思うが、乱雑に通知書の封を開けて合格の文字を確認しただけで放っぽり出し、「ははは……、感激どころやないわ」と独り言を言って横になった。そして、ようやく数分間隔にはなっていたものの、いまだ激痛を伴う首の痙攣に耐え続けるばかりだったのを覚えている。
このような状態ではあったが、ともあれ大学院への合格は果たしたわけである。
私としては、ひょっとすると、もうこれでひどい不眠からは解放されるのではないかという淡い期待があったのだが、現実としてはさらにそれから9年間持ち続けなければならなかった。
もしも始めからそのことが分かっていたとしたら、私はどれほどの絶望感を味わったことだろうか。
案の定、長くなりそうだ。続きは次回に。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
生活リズムについて
カウンセリングルームを開設して1年半が経過し、ここのところかなり忙しくなってきたために、ぜひ書いておきたいテーマがいくつかあるにもかかわらず、なかなかブログが更新できないでいる。
今回は、その中の一つである「生活リズム」について書きたい。
まず結論から言うと、精神病圏の症例をのぞいては、基本的に生活リズムは気にするべきではない、と私は考えている。
というのは、さまざまな神経症症状をもつ多くの人々と会ってきて、生活リズムがくるっていることが明らかな原因で症状の悪化した人を、ほとんどまったく見たことがないからである。
逆に、どうしても生活リズムの整わないことがプレッシャーとなり、結果的に自己嫌悪やうつを深めてしまっている人は無数に見る。
こういったことを考えると、「生活リズムはあまり気にしないほうがいい」というよりも、さらに一歩踏み込んで、「生活リズムは気にしてはならない」と考えるほうがはるかに合理的だ。
さらに言えば、精神病圏の人たちですら、たとえ昼間でも充分に睡眠が取れているならば、症状が急激に悪化していくことはまずもって考えづらい。
つまり、入眠が困難なタイプの不眠の人などは、生活リズムを考えるなどせず、眠れるときに眠ることを心がけるほうが、はるかに合理的で精神衛生上もいいのである。
ひとたび、うつや精神活動の強い内向化の状態が治まれば、生活リズムなどものの3日もあれば整えることはできる。
ちょうど時差ボケを直すほどのことに過ぎないのである。
うつの人にとってもっとも大切なことは、「どうしてもできないことは、しようとしてはならない」である。
できないことにはできないだけの理由があるのだ。であるならば、他のことには見向きせず、その理由を見極めることに最大のエネルギーを注ぐべきなのである。
多くの医師やカウンセラーが「生活リズム」すなわち「早寝早起き」をかなり重視することは、ご承知の通りである。
これはおそらく、精神医学の発展が、基本的に統合失調症の研究を中心に展開されたためではないかと思う。
たしかに、統合失調症の急性期症状は、薬物を用いてでも充分な睡眠をとらせることによって、かなり緩和できる場合が多いのである。
うつの人までが生活リズムの指導を受けるのは、そうした経験知の行き過ぎた応用ではないだろうか。
さらに言えば、「朝起きは三文の得」という、生活リズムに関する一種の倫理観とでもいうべき古典的常識が、こうした考えを後押ししてしまっているのだろうと思う。
そもそも「健康的」という言葉のイメージの大部分は、ステレオタイプ的なお仕着せの常識から来ているものなのだ。
少なくとも、「健康的」と「健康」を混同してはならない。
なお、学校や仕事場にきちんと行くためには、朝起きるということがどうしても必要になってくることは言うまでもないのだが、このことについての私の考えは、次回で詳しく述べたい。
また昨今は「生活リズムを整えることは、脳内物質の調整、ひいてはうつの改善に効果がある」と、まことしやかに語る研究者も少なくない。
だが、その理屈をよく読みこんでみると、論理的に穴だらけだ。というよりも、ほとんど屁理屈である。
極端な例では、「うつは心の病などではなく、脳の病気、つまり脳内物質の分泌や受容の異常の結果である。」と言う。
こういったことを平気で言ってのける無責任な研究者は、本当に、患者の人間的な悩みを、ただの一度でも聞いたことがあるのだろうか、と私は疑う。
最近では、専門家のみならず一般にも比較的よく知られるようになったことだが、うつという症状に、「セロトニン」という脳内物質が絡んでいることは事実である。
簡単に言うと、うつの人の脳内では、このセロトニンの量が少なくなってしまっているのである。
一部の研究者が「うつは脳の病気だ」と主張するのはこういったことを意味するのだが、一方、少なくとも私は、家族関係や人間関係において、うつになる理由がないにも拘らずうつになった人とは、一度も会ったことがない。
人から聞いた話を含めても、ごく稀に、外傷や薬物で脳に損傷を受けた人が、極度のうつに陥ることがある、という例を知るばかりである。
うつに、家族関係や人間関係といった心理的要因が必ず関わっていることを考慮する以上、次のように考えるのが妥当であるはずだ。
「強い劣等感や不安にさいなまれている人においては、自我がそれ以上傷つくことを避けるために、最終防衛手段として、自律神経が感情活動そのものを鈍重化させる。
その感情の鈍重化という自律神経の働きこそが、セロトニンの抑制である。」
つまり、セロトニンの抑制がうつの原因なのではなく、それはうつという症状における脳内の状況、すなわち結果の説明に過ぎないのである。
だから、生活リズムを整えることでうつがよくなるという彼らの理屈は、原因と結果を混同している点で、根本の部分で破綻していることになる。
一部の良心的な医師が、本質的にうつは薬物では治らないと言うのは、こうしたところを正確に理解しているからであろう。
生活リズムを気にすることは、それができない人にとっては自己嫌悪を深めるばかりであり、むしろうつを重くさせてしまう、つまり二次的な原因を作ってしまうということを、はっきりと意識するべきである。
以前このブログで書いたことがあるが、私はちょうど10年間、うつに伴う極度の不眠症を経験したことがある。
次回は、その体験を通じて「生活の夜型化を怖れてはならない」ということを説明したい。
続く
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
今回は、その中の一つである「生活リズム」について書きたい。
まず結論から言うと、精神病圏の症例をのぞいては、基本的に生活リズムは気にするべきではない、と私は考えている。
というのは、さまざまな神経症症状をもつ多くの人々と会ってきて、生活リズムがくるっていることが明らかな原因で症状の悪化した人を、ほとんどまったく見たことがないからである。
逆に、どうしても生活リズムの整わないことがプレッシャーとなり、結果的に自己嫌悪やうつを深めてしまっている人は無数に見る。
こういったことを考えると、「生活リズムはあまり気にしないほうがいい」というよりも、さらに一歩踏み込んで、「生活リズムは気にしてはならない」と考えるほうがはるかに合理的だ。
さらに言えば、精神病圏の人たちですら、たとえ昼間でも充分に睡眠が取れているならば、症状が急激に悪化していくことはまずもって考えづらい。
つまり、入眠が困難なタイプの不眠の人などは、生活リズムを考えるなどせず、眠れるときに眠ることを心がけるほうが、はるかに合理的で精神衛生上もいいのである。
ひとたび、うつや精神活動の強い内向化の状態が治まれば、生活リズムなどものの3日もあれば整えることはできる。
ちょうど時差ボケを直すほどのことに過ぎないのである。
うつの人にとってもっとも大切なことは、「どうしてもできないことは、しようとしてはならない」である。
できないことにはできないだけの理由があるのだ。であるならば、他のことには見向きせず、その理由を見極めることに最大のエネルギーを注ぐべきなのである。
多くの医師やカウンセラーが「生活リズム」すなわち「早寝早起き」をかなり重視することは、ご承知の通りである。
これはおそらく、精神医学の発展が、基本的に統合失調症の研究を中心に展開されたためではないかと思う。
たしかに、統合失調症の急性期症状は、薬物を用いてでも充分な睡眠をとらせることによって、かなり緩和できる場合が多いのである。
うつの人までが生活リズムの指導を受けるのは、そうした経験知の行き過ぎた応用ではないだろうか。
さらに言えば、「朝起きは三文の得」という、生活リズムに関する一種の倫理観とでもいうべき古典的常識が、こうした考えを後押ししてしまっているのだろうと思う。
そもそも「健康的」という言葉のイメージの大部分は、ステレオタイプ的なお仕着せの常識から来ているものなのだ。
少なくとも、「健康的」と「健康」を混同してはならない。
なお、学校や仕事場にきちんと行くためには、朝起きるということがどうしても必要になってくることは言うまでもないのだが、このことについての私の考えは、次回で詳しく述べたい。
また昨今は「生活リズムを整えることは、脳内物質の調整、ひいてはうつの改善に効果がある」と、まことしやかに語る研究者も少なくない。
だが、その理屈をよく読みこんでみると、論理的に穴だらけだ。というよりも、ほとんど屁理屈である。
極端な例では、「うつは心の病などではなく、脳の病気、つまり脳内物質の分泌や受容の異常の結果である。」と言う。
こういったことを平気で言ってのける無責任な研究者は、本当に、患者の人間的な悩みを、ただの一度でも聞いたことがあるのだろうか、と私は疑う。
最近では、専門家のみならず一般にも比較的よく知られるようになったことだが、うつという症状に、「セロトニン」という脳内物質が絡んでいることは事実である。
簡単に言うと、うつの人の脳内では、このセロトニンの量が少なくなってしまっているのである。
一部の研究者が「うつは脳の病気だ」と主張するのはこういったことを意味するのだが、一方、少なくとも私は、家族関係や人間関係において、うつになる理由がないにも拘らずうつになった人とは、一度も会ったことがない。
人から聞いた話を含めても、ごく稀に、外傷や薬物で脳に損傷を受けた人が、極度のうつに陥ることがある、という例を知るばかりである。
うつに、家族関係や人間関係といった心理的要因が必ず関わっていることを考慮する以上、次のように考えるのが妥当であるはずだ。
「強い劣等感や不安にさいなまれている人においては、自我がそれ以上傷つくことを避けるために、最終防衛手段として、自律神経が感情活動そのものを鈍重化させる。
その感情の鈍重化という自律神経の働きこそが、セロトニンの抑制である。」
つまり、セロトニンの抑制がうつの原因なのではなく、それはうつという症状における脳内の状況、すなわち結果の説明に過ぎないのである。
だから、生活リズムを整えることでうつがよくなるという彼らの理屈は、原因と結果を混同している点で、根本の部分で破綻していることになる。
一部の良心的な医師が、本質的にうつは薬物では治らないと言うのは、こうしたところを正確に理解しているからであろう。
生活リズムを気にすることは、それができない人にとっては自己嫌悪を深めるばかりであり、むしろうつを重くさせてしまう、つまり二次的な原因を作ってしまうということを、はっきりと意識するべきである。
以前このブログで書いたことがあるが、私はちょうど10年間、うつに伴う極度の不眠症を経験したことがある。
次回は、その体験を通じて「生活の夜型化を怖れてはならない」ということを説明したい。
続く
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
「微妙な家族」との関係
直接的には職場や学校での人間関係が原因でうつになった人でも、まずほとんどの場合、家族関係に深刻な問題が隠されている。
つまり、家族から否定され続けた経験によって、もともと根深く劣等感が植えつけられており、それが社会での人間関係の問題によって刺激され、悪循環が起こって、自己評価がさらに激しく低下したのである。
だから、うつの人のカウンセリングを行なう場合には、より問題の根本にある家族関係、特に親との関係について掘り下げることは不可欠だ。
うつになった人の親との関係を分析していくと、もちろん例外は少なからずあるが、一方の親が非常に理不尽かつ横暴で、もう一方の親は、「一見」比較的ましに見えるというパターンが多い。
大まかに言うと、都市部ではない旧体質の強い地域ではよりパターン的で、父親の横暴さが際立っているのに対して、母親は世間体を気にして子どもに我慢をさせる、というケースが比較的多くなるように思う。
これが都市部や新興住宅地でだと、状況はもっと非パターン的・ランダムになるようだ。
親子関係の分析においては、誰が見てもひどい親の性格を把握することも当然重要だが、意外と、比較的ましに見えるほうの親の言動のパターンの分析が、さらにもっと重要であることが少なくない。
ご存知の方も多いと思うが、「サブリミナル効果」に関する有名な実験がある。
アメリカでのことだが、ボランティアの観客にある映画を見せ、数分に一度、一コマだけ、つまり人間には知覚できない時間で「コカコーラを飲め」というメッセージの字幕を挿入したところ、売店でのコカコーラの売り上げが倍増したという実験だ。
実のところ、近年になって、実験自体捏造された可能性の強いことがわかり、以来この実験は真面目には取り上げられなくなった。
ただ、それがまるで嘘だったとしても、考え方に興味深い示唆が含まれているとは言える。
つまり、人間にとっては、予測できない、あるいは認識しがたい出来事の方が、より深い影響力を持ってしまうという点である。
これを、先に挙げた親子関係に当てはめてみると、どういうことになるか……。
日常的に理不尽な暴力を振るう、あるいは働きもしないで文句ばかり言うなど、誰がどう見てもひどい親は、やられる者から見てもやはりひどいために、自我はバリアを張ることができる。
つまり、その親に対しては、比較的早い段階で「人としてだめな奴」だと見切ることができるのである。
だから、ある程度ひどい仕打ちを受けても、「自分にも問題がある」とはならず、直接、自己評価の低下にはつながりにくい。
しかし一方、比較的ましな方の親に対しては、何をされたのか複雑すぎて分かりにくいために、容易にはこのバリアが張れないのである。
例えば、理不尽なことを子どもに押し付け、言うことを聞かなければたちまち罵り、殴ったり蹴ったりする父親がいたとする。
それに対して、母親が「あんたが逆らうから叩かれるんや。逆らうあんたも悪い」と言うとする。
この場合、父親に対する子どもの怒りや恐怖はある程度単純なのに対して、母親の言葉は子どもをひどく混乱させることになる。
そもそも理不尽なことを言われるから拒絶し、暴力を受けたのに、いつの間にか、被害者であるはずの自分が悪者になっているのである。
家族コンプレックスは、こうした混乱の複合によって形成されている面が大きい。
こうした母親は、彼女自体暴力を振るわないし、時には優しいことも言ったりする。
それだけにこの母親は、子どもにとって頼みの綱とも言うべき存在なのだが、その母親が、一見筋が通っているように見えなくもない理屈で、子どものほうを否定してきたのである。
子どもは訳が分からず、納得のいかないまま自分を否定し、こうしたことが常態化すると、やがて自らの存在そのものを消し去りたいとまで思うようになってしまう。
この母親がこのような行動を取ってしまったのは、無茶苦茶な人物である父親の方をあからさまに否定することは、かえって事態を紛糾させてしまうからであろう。
言い換えると、聞き分けのよい子どもに我慢させる方が、都合がよかったのである。
もちろん、混乱させるパターンはさまざまだし、それぞれの役割を誰が演じているかも、必ずしも両親がらみとは限らず、さまざまだ。
確かに、どちらかの親が、子どもに対して、常に論理的に矛盾のない立場に立っている場合も、稀ではあるが存在する。
何をやるにも「面倒くさいなあ」と思っている人が、「あんたは面倒くさがりやなあ」と周囲から指摘されても、さほど厄介な劣等感を持つに至ることはない。
なぜなら、その指摘は客観的に見ても主観的に見ても正しいからだ。
しかし、例えば、一生懸命周りのことを考えつつ、常に最善を尽くそうと心がけている人が、「あんたは自分のことしか考えてない」と言われる時、根深い混乱と劣等感が生じるのである。
うつになる人の多くは、生来内省的で聞き分けがよく、責任感が強い。
それだけに、非を引き受けてしまいやすいのである。
「くよくよ考えてしまう」と感じているのも、それは本来内省の強さから来ているのだ。
だが、内省性も聞き分けのよさも責任感の強さも、これを捨てようと考えてはならない。
誰がどう言おうが、それはやはり得がたい生来の長所であり、また捨てようと考えても断じて捨てられないものだからである。
大切なことは、自分が劣等感を負うことになった元の人物の矛盾を、傲慢・不遜・冷徹になることを恐れずに、正確に見抜いていくことである。
突き詰めていくと、傲慢・不遜・冷徹になってしまう恐怖を乗り越えることが、もっとも大きな難所であるようだ。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
この1ヶ月のこと
記事を更新できなかったこの1ヶ月あまり、「厳格さ」というものについて意識させられることが非常に多かった。
どうしたわけか、この1ヶ月、うつや摂食障害の人の家族との面談で、不条理や論理の歪みをいつも以上に多く見てきたのだが、「厳格さ」を必要とする場面ばかりだったのである。
カウンセリングという仕事をしていると、ユングが「シンクロニシティ」という発想を持たざるを得なかったことが、しばしば感じられる。
たとえば、相談の内容や症状・テーマなどが、一時に重なることが非常に多いのである。
一例をあげると、同じ日に「胃の調子が悪い」「父が胃癌になりまして……」「昔、私は大変胃が弱くて」などと、今日は胃の話ばかりだったなと思わせられるようなことも、決して珍しいことではない。
しかもそのような日は、自分自身も朝から「胃がおかしいな」と感じていたりするのである。
その文脈でいうならば、この1ヶ月は、「当たり前であるはずの理屈がまったく通用しない家族」という構造・モチーフが、かなりはっきりと布置していた。
当然のことだが、カウンセラーとしての私は、常に細心の注意を持って言葉を選択し、クライアントにそれを語る。
だから私は、面接室での私自身の言葉に対して、明確な責任の意識を持っている。
だが、カオスのごとき論理性の彼らにあっては、言っていないことが言ったことになっていたり、明言したはずのことが「そんな言い方ではなかった」ということになったりする。
それはもちろん、彼ら自身の言葉についても同じだ。
論理や事実のすり替えが、とにかく多発するのである。
だから、しばしば会話そのものが成立しない苛立ちを覚えさせられる。
虚しい議論からくる疲労感に、つい負けてしまいそうになる自分を、まさに奮い立たせ続けた1ヶ月だった。
「うんうん」と頷いてしまったほうがいっそ楽になれるのだが、不当な被害に合っているクライアントを守らねばならないから、踏ん張らないわけにいかない。
「負けを認めたら終わりだ」とか、「とにかく勝たねばならない」という意識は、まったくない。
相手が論理的に筋の通ったことを言ってくれれば、また私の方にに非があると正確に指摘してくれれば、いつだって、何の迷いもなく私はそれを認めるのだが、とにもかくにも無茶を押し通そうとする相手については、聳え立つ山のごとくにならざるを得ないのだ。
幼い頃から親と意見が食い違い、言い合ったときのことも蘇る。
そのような時、親はたいてい多数決を頼みにし、「親不孝」という言葉で罪悪感と恐怖を刺激し、ついには「屁理屈」という言葉で私の言い分を封じ込めた。
そして、そういった経験の数だけ、私の劣等感と対人恐怖は強められた。
その流れは、私が三十路にさしかかり、ある一大事に関する、家族親戚のほとんどを敵に回した戦いに完全勝利するまで、断ち切られることはなかった。
丸1年に及ぶ議論の末、勝敗を決したのは、生真面目でおとなしく、結婚以来母の尻に敷かれ続けてきた父の「こいつの言葉には、矛盾がない。」という静かな一言だった。
それを認めることのできる父が存在したこと……、多くのうつの方々と接する中で、私はやはり非常に幸運だったのではないかと感じる。
私のカウンセリングのイメージには、部外者ながら、あのときの父のような役割をカウンセラーとして果たすことはできないだろうか、という面が確かにある。
ともあれ、それ以前の古い記憶が、矛盾だらけのクライアントの家族と相対するときに蘇り、罪悪感を刺激されて、気を萎えさせようとするのである。
この間、私の頭の中では、真言密教におけるきわめて重要な仏尊、「不動明王」のイメージが踏ん張り続けた。
はじめから意識していたのではない。
気がつけば、火焔に包まれ、剣を真っ直ぐに立て、忿怒の形相であらゆる方向に睨みをきかせている不動明王の像が浮かんでいたのである。
弘法大師空海が、この世の全体と調和、完全性を体現する大日如来の化身としての座に、何ゆえ不動明王を据えたのか、少し感覚的に分かるような気がした。
大日如来が描く大円満の日輪は、人のあらゆる邪(よこしま)な思いを断じて許さず排除する、不動明王の一大決心によって裏打ちされているのである。
『古事記』の解釈をすると宣言していたのだが、それとこれは無関係ではない。
というのは、アマテラスの完全性を完成させたのは、一見わがままの塊に見える、天衣無縫の男神スサノオである。
父神イザナギは、この地上を拓いた存在ではあるが、罪なき子ヒノカグツチを斬殺したり、理(ことわり)に背いて黄泉に降ったり、妻イザナミに蘇ってほしいと自ら望んだにもかかわらず彼女を黄泉に閉じ込めたり、あまりに矛盾だらけの存在であった。
そういった矛盾に対し、最初に反乱を起こしたのは、アマテラスではなくスサノオだったのである。
スサノオは、天衣無縫であるがゆえに性質に歪みがなく、そのため思いのままに取る行動が、そのまま矛盾を正していくこととなる。
不動明王の本性は、剣と索(さく:邪気をとらえる縄)と火焔によって表現されるが、不動明王とスサノオは、剣という属性において共通している。
皇統に伝えられる三種の神器のうち八尺の勾玉(やさかのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)は、アマテラス再臨の呪術のときに献上されているが、残る草薙の剣(くさなぎのつるぎ)は、スサノオが退治した八股の大蛇(やまたのおろち)の尻尾より取り出し、アマテラスに献上したものなのである。
ついでに言うと、大日如来とアマテラスの共通属性は、言うまでもなく日輪である。
『古事記』解釈の続きは次の機会に譲るとして、ともかく今回はブログを更新できなかった間の心情について報告しておきたかった。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

どうしたわけか、この1ヶ月、うつや摂食障害の人の家族との面談で、不条理や論理の歪みをいつも以上に多く見てきたのだが、「厳格さ」を必要とする場面ばかりだったのである。
カウンセリングという仕事をしていると、ユングが「シンクロニシティ」という発想を持たざるを得なかったことが、しばしば感じられる。
たとえば、相談の内容や症状・テーマなどが、一時に重なることが非常に多いのである。
一例をあげると、同じ日に「胃の調子が悪い」「父が胃癌になりまして……」「昔、私は大変胃が弱くて」などと、今日は胃の話ばかりだったなと思わせられるようなことも、決して珍しいことではない。
しかもそのような日は、自分自身も朝から「胃がおかしいな」と感じていたりするのである。
その文脈でいうならば、この1ヶ月は、「当たり前であるはずの理屈がまったく通用しない家族」という構造・モチーフが、かなりはっきりと布置していた。
当然のことだが、カウンセラーとしての私は、常に細心の注意を持って言葉を選択し、クライアントにそれを語る。
だから私は、面接室での私自身の言葉に対して、明確な責任の意識を持っている。
だが、カオスのごとき論理性の彼らにあっては、言っていないことが言ったことになっていたり、明言したはずのことが「そんな言い方ではなかった」ということになったりする。
それはもちろん、彼ら自身の言葉についても同じだ。
論理や事実のすり替えが、とにかく多発するのである。
だから、しばしば会話そのものが成立しない苛立ちを覚えさせられる。
虚しい議論からくる疲労感に、つい負けてしまいそうになる自分を、まさに奮い立たせ続けた1ヶ月だった。
「うんうん」と頷いてしまったほうがいっそ楽になれるのだが、不当な被害に合っているクライアントを守らねばならないから、踏ん張らないわけにいかない。
「負けを認めたら終わりだ」とか、「とにかく勝たねばならない」という意識は、まったくない。
相手が論理的に筋の通ったことを言ってくれれば、また私の方にに非があると正確に指摘してくれれば、いつだって、何の迷いもなく私はそれを認めるのだが、とにもかくにも無茶を押し通そうとする相手については、聳え立つ山のごとくにならざるを得ないのだ。
幼い頃から親と意見が食い違い、言い合ったときのことも蘇る。
そのような時、親はたいてい多数決を頼みにし、「親不孝」という言葉で罪悪感と恐怖を刺激し、ついには「屁理屈」という言葉で私の言い分を封じ込めた。
そして、そういった経験の数だけ、私の劣等感と対人恐怖は強められた。
その流れは、私が三十路にさしかかり、ある一大事に関する、家族親戚のほとんどを敵に回した戦いに完全勝利するまで、断ち切られることはなかった。
丸1年に及ぶ議論の末、勝敗を決したのは、生真面目でおとなしく、結婚以来母の尻に敷かれ続けてきた父の「こいつの言葉には、矛盾がない。」という静かな一言だった。
それを認めることのできる父が存在したこと……、多くのうつの方々と接する中で、私はやはり非常に幸運だったのではないかと感じる。
私のカウンセリングのイメージには、部外者ながら、あのときの父のような役割をカウンセラーとして果たすことはできないだろうか、という面が確かにある。
ともあれ、それ以前の古い記憶が、矛盾だらけのクライアントの家族と相対するときに蘇り、罪悪感を刺激されて、気を萎えさせようとするのである。
この間、私の頭の中では、真言密教におけるきわめて重要な仏尊、「不動明王」のイメージが踏ん張り続けた。
はじめから意識していたのではない。
気がつけば、火焔に包まれ、剣を真っ直ぐに立て、忿怒の形相であらゆる方向に睨みをきかせている不動明王の像が浮かんでいたのである。
弘法大師空海が、この世の全体と調和、完全性を体現する大日如来の化身としての座に、何ゆえ不動明王を据えたのか、少し感覚的に分かるような気がした。
大日如来が描く大円満の日輪は、人のあらゆる邪(よこしま)な思いを断じて許さず排除する、不動明王の一大決心によって裏打ちされているのである。
『古事記』の解釈をすると宣言していたのだが、それとこれは無関係ではない。
というのは、アマテラスの完全性を完成させたのは、一見わがままの塊に見える、天衣無縫の男神スサノオである。
父神イザナギは、この地上を拓いた存在ではあるが、罪なき子ヒノカグツチを斬殺したり、理(ことわり)に背いて黄泉に降ったり、妻イザナミに蘇ってほしいと自ら望んだにもかかわらず彼女を黄泉に閉じ込めたり、あまりに矛盾だらけの存在であった。
そういった矛盾に対し、最初に反乱を起こしたのは、アマテラスではなくスサノオだったのである。
スサノオは、天衣無縫であるがゆえに性質に歪みがなく、そのため思いのままに取る行動が、そのまま矛盾を正していくこととなる。
不動明王の本性は、剣と索(さく:邪気をとらえる縄)と火焔によって表現されるが、不動明王とスサノオは、剣という属性において共通している。
皇統に伝えられる三種の神器のうち八尺の勾玉(やさかのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)は、アマテラス再臨の呪術のときに献上されているが、残る草薙の剣(くさなぎのつるぎ)は、スサノオが退治した八股の大蛇(やまたのおろち)の尻尾より取り出し、アマテラスに献上したものなのである。
ついでに言うと、大日如来とアマテラスの共通属性は、言うまでもなく日輪である。
『古事記』解釈の続きは次の機会に譲るとして、ともかく今回はブログを更新できなかった間の心情について報告しておきたかった。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
「用語集」のこと2
カウンセリングルームHPの、「用語集」の内容を追加しました。
こちらにもアップしておきます。
−感情−
一般に、感情の動きは喜怒哀楽として表現される。
では、喜怒哀楽とは何か。簡単に言うと、……
・ある願い・感情がかなえられず、抑えこまざるを得ないとき、それは「哀しみ」として表れる。
・また、その抑えこもうとする状況に反発し、強く感情が突き上げてくるとき、それは「怒り」として表れる。
・そして、その感情が解放されるとき、「喜び」として表れる。
・さらに、感情が一切抑えられることなく、そのままスムーズに流れている状態が「楽しい」状態である。
……と言えるだろう。
うつが強くなると、自分でも感情の動きが感じられなくなるが、「うつ」とは、まずもって「怒れなくなること」だと言ってよい。
うつの人は、「悪い(おかしい)のは私のほうだ」と、ものごとの非を自分が引き受けてしまう傾向が強く、そのため他者が非難できなくなっている。
不当な相手に対する怒りを覚えられるようになると、それはうつ回復の兆しとみなしてよい。
ちなみに、いわゆる「キレる」という状態は、やはり「怒り」の一つの表現には違いないが、それは極度の不安や疑心暗鬼からくる一種のパニック状態、方向性を失った破壊衝動の爆発である。
学校や企業のような管理的・支配的な組織ばかりが巾をきかし、「気心知れあった同士のご近所づきあい」といった自然発生的なコミュニティが壊れた現代社会では、他人が何を考えているのかがなかなか見えない。
「キレる」人が増えているというのは、それだけ現代では他者が得体の知れない存在となり、未来も見えにくい点に、原因があるのではないかと思う。
−いじめ−
人は往々にして、地位が上位の者から強い圧迫を受け続けていると、自分よりも弱い立場の者、あるいは少数者(マイノリティ)を圧迫することで、その鬱積を晴らしたり、自尊心を取り戻そうとしたりすることがある。
それがいじめの本質であると、私は考える。
だから、他者をいじめる者は、常に自分が優位に立つ者であることを、相手に誇示しようとする。
大部分のいじめが、人数の多さを頼みにし、少数者(多くは一人)に対して行われるのはそのためである。
場を支配する人物や組織からの理不尽な押さえつけが強い集団で、いじめが起きやすいのは、そうしたためであろう。逆に言えば、いじめがしょっちゅう起きる学校や企業では、上からの理不尽が常に横行していると見るべきである。
学校での陰湿ないじめが確実に増加していることについても、教育関係者は、その原因を深く自覚せねばならない。
校則に「禁止」の文字が多く、教員が高圧的で、また生徒に劣等感を感じさせる傾向が強ければ強いほど、それぞれの学校では一見効果をもたらすように見えても、日本の学校全体でのいじめの数は増えるのだ。
少しでも生徒への圧迫を減らす発想が、教育者側からはどうしてほとんど出てこないのか、理解に苦しむ点である。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

こちらにもアップしておきます。
−感情−
一般に、感情の動きは喜怒哀楽として表現される。
では、喜怒哀楽とは何か。簡単に言うと、……
・ある願い・感情がかなえられず、抑えこまざるを得ないとき、それは「哀しみ」として表れる。
・また、その抑えこもうとする状況に反発し、強く感情が突き上げてくるとき、それは「怒り」として表れる。
・そして、その感情が解放されるとき、「喜び」として表れる。
・さらに、感情が一切抑えられることなく、そのままスムーズに流れている状態が「楽しい」状態である。
……と言えるだろう。
うつが強くなると、自分でも感情の動きが感じられなくなるが、「うつ」とは、まずもって「怒れなくなること」だと言ってよい。
うつの人は、「悪い(おかしい)のは私のほうだ」と、ものごとの非を自分が引き受けてしまう傾向が強く、そのため他者が非難できなくなっている。
不当な相手に対する怒りを覚えられるようになると、それはうつ回復の兆しとみなしてよい。
ちなみに、いわゆる「キレる」という状態は、やはり「怒り」の一つの表現には違いないが、それは極度の不安や疑心暗鬼からくる一種のパニック状態、方向性を失った破壊衝動の爆発である。
学校や企業のような管理的・支配的な組織ばかりが巾をきかし、「気心知れあった同士のご近所づきあい」といった自然発生的なコミュニティが壊れた現代社会では、他人が何を考えているのかがなかなか見えない。
「キレる」人が増えているというのは、それだけ現代では他者が得体の知れない存在となり、未来も見えにくい点に、原因があるのではないかと思う。
−いじめ−
人は往々にして、地位が上位の者から強い圧迫を受け続けていると、自分よりも弱い立場の者、あるいは少数者(マイノリティ)を圧迫することで、その鬱積を晴らしたり、自尊心を取り戻そうとしたりすることがある。
それがいじめの本質であると、私は考える。
だから、他者をいじめる者は、常に自分が優位に立つ者であることを、相手に誇示しようとする。
大部分のいじめが、人数の多さを頼みにし、少数者(多くは一人)に対して行われるのはそのためである。
場を支配する人物や組織からの理不尽な押さえつけが強い集団で、いじめが起きやすいのは、そうしたためであろう。逆に言えば、いじめがしょっちゅう起きる学校や企業では、上からの理不尽が常に横行していると見るべきである。
学校での陰湿ないじめが確実に増加していることについても、教育関係者は、その原因を深く自覚せねばならない。
校則に「禁止」の文字が多く、教員が高圧的で、また生徒に劣等感を感じさせる傾向が強ければ強いほど、それぞれの学校では一見効果をもたらすように見えても、日本の学校全体でのいじめの数は増えるのだ。
少しでも生徒への圧迫を減らす発想が、教育者側からはどうしてほとんど出てこないのか、理解に苦しむ点である。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
神話の効力
『古事記』の超訳を書きはじめた頃、「甲羅を脱がなければ背骨は通らない」という記事をはさんで書いた。
その記事で書いたとおり、臨床心理士の資格を放棄したその日から、ついつい唾をゴクリと飲んでしまうチックが出ていた。
ほぼ丸3ヶ月、「やっかいだなあ」と思いつつ、症状に付き合っていたわけである。
それが、今度は神話を書き上げたその日に、まだ100パーセントとは言えないまでも、ほぼ完全に症状が消失した。
ほんの少し予想はしていたのだが、我ながら不思議だと思う。
しばらく様子を見てみないことには安易に判断するわけにはいかないから、今日までそのことを書かなかったが、どうやら間違いないようだ。
語り継がれる物語、神話やおとぎ話の力を、身をもって体験したことになるのだろう。
ゾクリと興奮する。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

その記事で書いたとおり、臨床心理士の資格を放棄したその日から、ついつい唾をゴクリと飲んでしまうチックが出ていた。
ほぼ丸3ヶ月、「やっかいだなあ」と思いつつ、症状に付き合っていたわけである。
それが、今度は神話を書き上げたその日に、まだ100パーセントとは言えないまでも、ほぼ完全に症状が消失した。
ほんの少し予想はしていたのだが、我ながら不思議だと思う。
しばらく様子を見てみないことには安易に判断するわけにはいかないから、今日までそのことを書かなかったが、どうやら間違いないようだ。
語り継がれる物語、神話やおとぎ話の力を、身をもって体験したことになるのだろう。
ゾクリと興奮する。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
『古事記』超訳−後記
『古事記』の、この世の初めからアマテラス復活までの超訳を書き終えてから、少し日がたってしまった。
日本の正史のことなので、アマテラスの岩戸籠りのくだりでどこをどう脚色したか、一応簡単に書いておこうと思う。
まず大きな部分で言うと、アマテラスの内面的な動きについては、原文には一切記述はない。
つまり、「弱き神」の節は、まるまる私の創作である。
ただ原文のままに読むならば、はじめは完全武装までしてスサノオを追い返そうとしていたのに、あとはスサノオのしたい放題の行状にも文句一つ言わず、果てはただ恐れて籠もってしまうアマテラスの行動は、やはり理解しがたい。
私自身、かつては「神様というのは、人間には理解できない行動を取るものだ」という程度にしか思っていなかった。
しかし、以前『古事記』の心理学的・象徴的解釈を試みた際、アマテラスの行動が、決して論理的に筋の通らないものではないことに気づき、今回はその時の解釈を脚色として含めたわけである。
実を言うと、この部分こそが、アマテラス復活を解釈する上での最も大切な部分ですらある。
また、呪術が行われた際の情景描写は、アメノウズメの神楽の系譜に深く関わる神社である、奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮での取材、他の神社での体験、日本書紀での記述などを参考に、ある程度リアリティーを考慮しつつ想像して書いた。
さらに、アメノウズメの行動はほぼ原文のままだが、キャラクターに関する記述は原文にはなく、これも私の解釈に基づく創作が含まれている。
河合隼雄氏は『古事記』のこのくだりを解釈し、「女陰には、明けをもたらすマナ的霊力があるのだ」と述べておられたが、正直そのニュアンスだと、神々はまるで魔法にかかって笑ってしまったように思えてしまい、あまりしっくりこなかった。
しかし、アメノウズメを一人のお笑い芸人として見れば、裸になって笑わせるというのは、不思議なことでも何でもない。
しかも、お笑い芸能の「真実を露呈させる」という機能は、物語の文脈から言ってもぴったり当てはまるので、ある程度お笑い芸人を意識してキャラクターを設定した。
ただ、『古事記』における、このあとの国譲りのくだりでのアメノウズメの活躍の仕方などを見ても、このキャラクター設定は妥当であると、自負はしている。
スサノオの罰については、原文にない表現はある程度含まれるが、何冊かの古事記研究書などを基にしているので、その中身はまず妥当だと思う。
なお、細かい点ではあるが、アマテラスが岩戸から出た後、タヂカラオが急いでそれを閉めようとしたところ、アマテラスが制したと書いたが、これは私の小さな創作である。
原文では、フトダマが、さっさと岩戸に尻くめ縄(しめ縄)を渡してしまう。
アマテラスがいったん制することにしたのは、父イザナギは千引きの石という強力な遮蔽物によってあの世を閉じ込めてしまったが、アマテラスにあっては、闇の世界を閉じ込めず、ただしめ縄で境界線を引いただけであることを強調したかったからである。
ともあれ、非常に楽しい作業だった。
自画自賛するわけではないが、みんなに「ね、古事記って面白いでしょ?」と普通に問いたい。
ちなみに、コメントばかりでなく、「古事記、面白いです」と、自分から触れてくださったクライアントの方も少なくなく、少々気をよくしているところである。
さて、残るは解釈なのだが、気軽に読めて分かりやすくて、しかも物語の意味の深い部分に触れるというのは、やはり至難の業のように思えてきている。
「やっぱりだめでした」となるかも知れませんが、次回以降、とにかく頑張れるだけ頑張ってみます。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。

日本の正史のことなので、アマテラスの岩戸籠りのくだりでどこをどう脚色したか、一応簡単に書いておこうと思う。
まず大きな部分で言うと、アマテラスの内面的な動きについては、原文には一切記述はない。
つまり、「弱き神」の節は、まるまる私の創作である。
ただ原文のままに読むならば、はじめは完全武装までしてスサノオを追い返そうとしていたのに、あとはスサノオのしたい放題の行状にも文句一つ言わず、果てはただ恐れて籠もってしまうアマテラスの行動は、やはり理解しがたい。
私自身、かつては「神様というのは、人間には理解できない行動を取るものだ」という程度にしか思っていなかった。
しかし、以前『古事記』の心理学的・象徴的解釈を試みた際、アマテラスの行動が、決して論理的に筋の通らないものではないことに気づき、今回はその時の解釈を脚色として含めたわけである。
実を言うと、この部分こそが、アマテラス復活を解釈する上での最も大切な部分ですらある。
また、呪術が行われた際の情景描写は、アメノウズメの神楽の系譜に深く関わる神社である、奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮での取材、他の神社での体験、日本書紀での記述などを参考に、ある程度リアリティーを考慮しつつ想像して書いた。
さらに、アメノウズメの行動はほぼ原文のままだが、キャラクターに関する記述は原文にはなく、これも私の解釈に基づく創作が含まれている。
河合隼雄氏は『古事記』のこのくだりを解釈し、「女陰には、明けをもたらすマナ的霊力があるのだ」と述べておられたが、正直そのニュアンスだと、神々はまるで魔法にかかって笑ってしまったように思えてしまい、あまりしっくりこなかった。
しかし、アメノウズメを一人のお笑い芸人として見れば、裸になって笑わせるというのは、不思議なことでも何でもない。
しかも、お笑い芸能の「真実を露呈させる」という機能は、物語の文脈から言ってもぴったり当てはまるので、ある程度お笑い芸人を意識してキャラクターを設定した。
ただ、『古事記』における、このあとの国譲りのくだりでのアメノウズメの活躍の仕方などを見ても、このキャラクター設定は妥当であると、自負はしている。
スサノオの罰については、原文にない表現はある程度含まれるが、何冊かの古事記研究書などを基にしているので、その中身はまず妥当だと思う。
なお、細かい点ではあるが、アマテラスが岩戸から出た後、タヂカラオが急いでそれを閉めようとしたところ、アマテラスが制したと書いたが、これは私の小さな創作である。
原文では、フトダマが、さっさと岩戸に尻くめ縄(しめ縄)を渡してしまう。
アマテラスがいったん制することにしたのは、父イザナギは千引きの石という強力な遮蔽物によってあの世を閉じ込めてしまったが、アマテラスにあっては、闇の世界を閉じ込めず、ただしめ縄で境界線を引いただけであることを強調したかったからである。
ともあれ、非常に楽しい作業だった。
自画自賛するわけではないが、みんなに「ね、古事記って面白いでしょ?」と普通に問いたい。
ちなみに、コメントばかりでなく、「古事記、面白いです」と、自分から触れてくださったクライアントの方も少なくなく、少々気をよくしているところである。
さて、残るは解釈なのだが、気軽に読めて分かりやすくて、しかも物語の意味の深い部分に触れるというのは、やはり至難の業のように思えてきている。
「やっぱりだめでした」となるかも知れませんが、次回以降、とにかく頑張れるだけ頑張ってみます。
少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
- Genre :
- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス















