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2017-03

ブログ移転後、初の記事 - 2008.05.26 Mon

はじめまして。
今年4月、大阪市西区で幸朋カウンセリングルーム(心理カウンセリング専門)を立ち上げました。
3月半ばから他のページで、カウンセリングルーム立ち上げにまつわる記事を書いてきましたが、きちんと残しておきたい内容もたくさんあるので、まずは主な内容を転載しようと思います。

2008/2/17の記事 - 2008.05.26 Mon

はじめまして。
2008年4月、大阪市西区で‘幸朋カウンセリングルーム’を開設することになりました、松波と申します。
これまで、ある大学の相談室(京都市西京区)で、多くの不登校やうつの人たちと会ってきました。
その中で、問題は彼らばかりでなく、少なからず学校や社会の側にもあると感じ続けてきました。
クライアントの方々とのみ向き合うだけでは、自分の仕事は半分しか果たせていないと思い、社会への発信として、この日記を公開することにしました。

2008/3/16の記事 - 2008.05.27 Tue

オープンまであと半月


「幸朋カウンセリングルーム」のオープンまで、とうとう残り半月を切った。

マンションの一室(2LDK)を借りたのが昨年12月はじめで、和室2室を何とか見栄えだけは洋間に改造、工事の終わったのが1月末だったが、夫婦とも現在勤務する大学にぎりぎりまで通わなければならないため、なかなか室内の調度が整わない。

家具をそろえるだけなら、たとえほとんど自分で組み立てるにしても、大したことはないのだが、箱庭療法に用いるアイテム(フィギュアや置物)をそろえるのにかなりの労力を費やしている。

少なくともこれまでの臨床経験の中では、カウンセリングに箱庭療法をもちいる頻度は必ずしも高くなかったのだが、箱庭療法のアイテムには面接室内の雰囲気をやわらげる効果がある。また一方、アイテムはカウンセラー自身が選んで買ったり、作ったりするため、必然的に自らのキャラクターを間接的に表現する面もあるので、思わず気持ちを注いでしまう。

カウンセラーにもそれぞれの考え方があるが、私や妻の場合、クライアントに対する見立てはもちろん、自分の考え方やカウンセリング中に覚える感情、自らのキャラクターについては、なるべく相手から見て分かりやすいように表現、というよりも、できるだけ余さず公開するように心がけている。

現代人の病理を一言で表現するのは難しいが、社会恐怖・不安神経症・パニック障害といった症状を抱える人々の多さから考えても、「不安」が重要なキーワードの一つであることは間違いないといえる。
そしてその「不安」の最も大きな原因は、臨床経験から見るかぎり、周囲の人間が何を考えているのか分からない、というところからきている。

だからこそ、カウンセラーが何を考えているのか分からない人であってはいけない、というのが私の持論である。

このブログにしても、ひとつには自らのスタンスや性格を世間に公開する目的で立ち上げたのだが、ルーム開設の作業のあまりの忙しさに、気がつけば最初の言葉を書いてから1ヶ月がたってしまっていた。

最初の宣言をうそにしないためには、結構がんばらなければならないもかもしれない、と実感している。

2008/03/21の記事 - 2008.05.28 Wed

HPの立ち上げ、ほぼ完了
幸朋カウンセリングルームのHPに、以前、教育関係の雑誌に書かせてもらったエッセイのうちの2つ『現代人の病理と妖怪』、『「もの語り」の原風景としてのカウンセリング』をリンクさせ、工事がほぼ終わった。

この3月まで勤めていた大学で、児童文学のH氏、人文地理・民俗学のS氏と知友を得たのだが、この2つのエッセイは、H先生からオファーをいただき書き下ろしたものである。

先生方は、「裏ゼミ」という一種の学生サロンを運営され、学生とともに日本各地を訪れての妖怪研究など、非常に興味深い活動を展開しておられた。

この「裏ゼミ」での体験は、私にとって非常に示唆的なものばかりだったが、ルーム開設準備に追われている現在、残念ながら振り返っている暇がない。

が、いずれはここでも書かせていただきたいと思っている。

2008/03/22の記事 - 2008.05.28 Wed

今回お世話になった方々1


幸朋カウンセリングルームの開設に際しては、多くの方々に大変お世話になっている。

まだ立ち上げ作業の途中ではあるが、この場をかりて、まずさしあたってお礼を申し上げたい。

まず第一に、資金が大幅に不足していたのだが、30年来の友人であるMさんとその奥さんが、まだ採算がとれるかどうかもまったく分からないにもかかわらず、非常に快く高額を貸し付けてくださった。足を向けて眠れないとは、まさにこのような心境を言うのであろう。

失礼ながら、Mさんは決して大きな企業の経営者でもなければ、社会的に高い地位にある高額所得者というわけでもない。町で小さな店舗を営む、つつましやかな個人事業主である。

今回私が無理をお願いしようと考えたのは、以前私がスイスへの留学を考えていたときに、その費用数千万円の全額出資をみずから申し出てくださったことからである。熟考のあげく、どうしてもその時点で4年もの留学に充分な意味が感じられなかったため、一旦はお断りしていたのを、今回こういった形で資金の貸し付けをお願いすることにした。

この人の存在なくしては、開設の計画すら成り立たなかったといわねばならない。

次に、この1年大学の学生相談室で、事務員として私のアシスタントを勤めてくださった、Nさんである。

彼女は、私の相談室開設の計画を聞き、一も二もなく「何でも言いつけてください。できることは何でもしますから!」と申し出てくれた。その熱意には、当初はこちらが驚いてしまうほどだったが、この方にも、実にいろいろ無理を聞いてもらった。

案内を送るべき大阪市内や近郊の精神科・診療内科・内科のリストアップや、タックシールの印刷をはじめ、開設に向けて必要な事務的作業のほとんどを、この方がやってくださることになった。

さらに、HPの立ち上げと当初の管理については、大学生のMくんが、これもみずから「ぶしつけなお願いですが、ホームページを作らせてください。」と、思わず頭が下がるほどの謙虚な態度で申し出てくださった。私にはそちら方面の知識が皆無なところにもってきて、割くべき時間もないため頭を抱えていたので、彼の申し出は本当にありがたかった。

このブログも含め、ネット上の活動に関して何をどうすればいいのか、無知な私に懇切丁寧にすべて教えてくれたのも彼である。

また、箱庭療法用のアイテムを手に入れるため、やはり大学の心理教育相談室のスタッフであるFさんと、その友人のKさんがずいぶん手配してくださったのだが、Kさんなどは、私とはたった一度の面識しかないにもかかわらず、かなりの数のフィギュアを、これもすすんで提供してくださった。こちらからは、Fさんにアイテム集めに苦労しているという話を1度か2度しただけだったのだが、それ以降ずいぶん気にかけてくださっていたようだ。

他にも、こちらの心理面も含めて、陰になり日なたになり支えてくださった方々がたくさんいる。最初にあげた個人事業主のMさんは特別としても、一度に書くと長くなりすぎるので、ここでは一応お世話になった時系列に沿って書かせていただくことにして、続きは次回のブログで書きたい。

本当に、ありがたさと感激に胸がいっぱいになる。ただ他方で、単にご好意という以上の、希望を託されているような心地もする。

収入の安定する大学に片足をかけてのことではなく、そちらをすっぱりやめた上での全日開業だけに、正直、経営としてなり立つのかどうか、不安は決して小さくないのだが、こういった方々の気持ちを感じるにつけても、やはり今回の相談室開設は、必然的な流れなのだと思う。

2008/03/26の記事 - 2008.05.28 Wed

今回お世話になった方々2

前回の日記に続き、今回幸朋カウンセリングルームの立ち上げでお世話になった方々に、お礼を申し上げたい。

まずは、今回の物件をお世話いただいた、個人で不動産の会社を経営しておられるKさんである。

もともと家内と奥さんが習い事を通じての友人(といってもKさんの方はそちらの先生をしておられ、時々テレビ出演もされる)であったが、とにかくこちらの要望を的確にとらえるのが早く、話が早いことこの上ない。実は現在の自宅を探す際もお世話いただいていた。

カウンセリングルームの場所決定については面白いエピソードがある。

こちらがあらん限りの無茶な条件提示をしたのだが、Kさんが調べたところ、何百件を絞り込んでたった一軒だけ条件に合う物件が見つかった。で、いよいよ下見に行こうという段になって住所を確認すると、何と自宅から徒歩3分ほどの場所、コンビニよりも近かったのである。

何せ下町っぽいのに落ち着いた雰囲気が好きで住んだ場所、そこでカウンセリングルームを経営できるのは理想的かつ予想外だった。

Kさんのもってこられる物件は、いつもこちらの気持ちにフィットしてくる。まるで、相手の顔を見てから調理を始める職人気質の板前のようだ。

資金を貸してくださったMさんもそうだが、こういう生きたやりとりは、個人経営だからこそできるという面があるのだろう。われわれが今回相談室私設を思い立ったのも、まさにそういった点からである。

Kさんには内装でもお世話になり、安価で腕のいい業者を紹介してくださった。

次に、子どもの親同士のつながりからだが、家内の友人であるFさんはカーペットやカーテンを取り扱う会社を経営しておられて、家内がルーム立ち上げの話をしたところ、非常に積極的に室内装飾に関するお世話どりをしてくださったばかりでなく、よい品物がかなり安価に整うよう心をくだいてくださった。

おかげで、安普請とは思えぬ落ち着いた雰囲気の面接室にすることができた。

ルームの要である面接室の雰囲気が、こうした真心によって仕上がるというのは、面接室を訪れる方の大半が人間関係で傷ついた人たちであることを思うと、流れとして非常に嬉しい。

また、おなじく親同士のつながりだが、出版関係の仕事をしておられるNさんが、パンフレットをはじめ必要な印刷物に関するお世話どりを快く引き受けてくれ、デザイナーや印刷会社をご紹介くださった。

これを一から探すとなると、それはそれでかなりのエネルギーを必要としたはずだが、その分を完全に引き受けていただいた形である。

また、最後になってしまったが、PCのシステムは、これも家内の旧友であるフリーのシステムエンジニア(? HPデザインやグラフィックなども含め、PC関係はすべてにプロ級のため、何が本職なのかは分からない)Fさんが、思わぬアクシデントもあったため、ほぼ丸一日を費やしてすべて立ちあげてくださった。

といっても、実はこちらの不手際でまだネットには繋がっていないのだが、いやな顔一つせず、最後まですると言ってくださっている。

何かお礼がしたいと言うと、「ご飯でもおごってくれたら」とのこと。まったく恐縮の至りである。

仕事が始まってしまえば言うまでもなくこちらの領分だが、とにかく準備に関してはどれ一つとってもこちらは素人である。気がつけば、そのほとんどすべての領域について、どなたかのご好意、あるいは思い入れの恩恵をもらっている。

一応個人経営という形でカウンセリングルームをスタートさせるのだが、僭越をおそれず言えば、やはりわれわれがしようとしていることは単に個人的な欲求を満たす目的だけではなく、周囲からの要請の結晶でもあるのだなと思う。

2008/04/03の記事 - 2008.05.29 Thu

ようやく開設。


この4月1日に、ようやく幸朋カウンセリングルームの業務開始にこぎつけた。

しかし、まずこの3日間で、これまで京都でお会いしていたクライアントの方々が数人来られたところ、たちまち面接室の家具の配置その他に違和感を感じ始める。

さまざまな面接室を経験し、また多少ながら自分でも拵えてもきたのだが、やはり実際にクライアントの方に来ていただいてカウンセリングをしてみないことには、充分しっくり来る形というのは見えてこないものだ。

また、決して広いとはいえない施設(2LDK)のことではあるし、カウンセラーが息を抜く部屋、いわゆるスタッフルームなどは作らない方針でスタートしてみたが、やはり無理のあることに早々と気づかされる。

考えてみれば当然のことなのだが、自分で自分のリラックスや感情を大事にしていない状態では、すんなりと相手の体験世界に入っていきづらい。

カウンセリングの目指す方向性は、割り切って感情を切り捨てるありかた、いわゆるビジネスライクとは対極にあるわけで、うかつといえばうかつだったが、まあやってみないことには本当に分からないものだ。

2008/04/25の記事 - 2008.05.29 Thu

国際グラフ取材


昨日、『国際グラフ』誌の記者の方から電話があり、各方面の企業人のインタビュー記事を掲載しているので、幸朋カウンセリングルームも応じてくれないかとの依頼があった。

はじめは取材の話だと思ったので、願ってもない広告の機会だとばかりに喜んだのだが、もちろん掲載してもらう方にはそれなりのメリットがあるわけだから、有料であることがわかった。

そりゃそうだ。

正直ほんの少し落胆はしたが、よくよく考えた上、やはり掲載をお願いした。

で、なんと昨日の今日なのだが、MBSの『ちちんぷいぷい』などにレギュラー出演しておられるフリーアナウンサーの梅田淳さんが、インタビュアーとして当カウンセリングルームにやってこられた。

テレビ画面での梅田さんの印象だと、ずいぶん陽気で快活なのだが、今日は終始実直そのものといったたたずまいでインタビューしてくださった。

こちらはこういったことに慣れていないので、言うまでもなく緊張していたが、いっぽう梅田さんもまた「緊張してます」と、インタビューの終わり頃に告白しておられた。やはりカウンセラーという職業は、何でも見抜くと思われてしまうからだったのか……。

言うまでもなく、実際なかなかそうはいきません。

インタビューの要点は、「うつ」や「不登校」の増加と社会状況の変化について、といったところだった。詳しい内容については、後日記事になったものをHP上にアップしようと思う。

ともあれ、梅田さんと記者のSさん、本日はご足労いただきありがとうございました。



追記  後日記者の方から連絡があり(この記事を見たのかもしれない)、著作権の問題から、掲載された内容はどこにも転載できないとのこと。ちょいガックシである。

カウンセリングルーム開設から半年 - 2008.10.02 Thu

大阪に幸朋カウンセリングルームを開設して、半年がたった。

新しい経験がぎっしりとつまっていた分、とても半年とは思えないほど長くも感じられたが、やはり無我夢中だったので、あっという間だったと言うほうがいいような気がする。

実際に半年間やってみて、料金設定や開室日が実情に合わないと分かり、10月1日付である程度変更した。

で、HPのモデルチェンジやら周辺へのお知らせやらでバタバタするうち、気がつけば1週間もブログを更新していなかった。

半年前に、はじめてHPというものをアップし、そこに我々のカウンセリングに対するポリシーを載せたのが、一般の方々に向けて行なった最初の発信だったのだが、今読み返してみると、我ながらすでにずいぶんと考え方が変わっているのが分かる。

以前ならば、数年かけてやっと生じたような考え方の変化が、このたった半年で起きたというのは、ブログを綴る中で集中して考えることができたのと、何より、多くの方々が寄せてくださったコメントのおかげである。

これまで、論文やらエッセイという形で、自分のカウンセリングに対する考えを書く機会は幾度もあったが、言ってみれば狭い研究領域の中でのこと、しかも、「何を書いたか」よりも「どの論文誌に」「何本書いたか」のほうが、業績として評価される世界での話である。

このブログを通じて、うつをかかえる方をはじめとする読み手の人々に真剣に問いかけ、真剣な反応をいただく体験と比べれば、まさに雲泥の差があった。

ここでは自分の「うつ」体験についても書いたが、はたして読まれるのかどうかも分からない、また読み手の感想もキャラクターも一切見えない論文誌であれば、かえって恐ろしくて書くことはできなかったはずである。



これまでに何度か述べてきたことだが、私はこのブログを、カウンセラーとして、また「うつ」の経験者として、どうしてもやらなくてはならない仕事だと考えている。

なぜなら、ただただ生活の安定ばかりが「生きる意味」よりも優先してしまう現代にあって、面接室で出会ううつの方々が、どなたも本質的に歪みがなく、人間としてきわめて大切なものを保持しておられるということを、世に伝えることがなければ、私はカウンセラーとしての仕事を、半分しか果たしていないことになるからだ。

実際、うつの方に対するカウンセリングでは、特に初期においては、本人の分析よりも、家族や地域、あるいは職場や学校における場の歪みに関する分析のほうが、何倍も重要なのである。

また、さらにその根底、現代という時代・社会の歪みに焦点を合わせずして、うつの本質的な原因は見えてこないのだ。

そういった意味で、今後も、カウンセラーとして面接室で感じていることを、できるだけ伝えていきたいと思っている。





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「用語集」のこと - 2009.03.08 Sun

幸朋カウンセリングルーム開設から、まもなく一年がたとうとしている。

これを機に、HPをリニューアルしようと思っている。
まあ、これまでのものもちょっと無骨な感じで嫌いではなかったのだが、HPビルダーのツールの使い方やなんかが初めの頃よりも分かってきたこともあって、さすがに不細工に見え始めてきたのである。

同時に「用語集」というページを追加することにした。
カウンセリングや心理学についての一般的な用語解説集というよりも、カウンセリング経験を通じて、私自身が重要だと感じるカウンセリングの要点について述べていくつもりである。

で、現在それを少しずつ書き進めている最中なのだが、やはり頭の中に漠然とあった事柄を言葉にしていくと、それなりに新しい気づきがある。
可能な限り専門用語の使用を避け、誰もが分かる言葉で書こうとしているだけに、なおさら面白い。言葉が生きると、つまり感情が素直に動き出すと、感覚や論理も生きてくるものだと実感する。

ここ数ヶ月、言葉が出ないなあと思っているうちに、カウンセリングルームがそこそこ忙しくなってきたこともあって、ブログの更新が遅れていることでもあるし、用語集の中からいくつかを抜粋して、ここに記載することにする。
実は、このブログのある読者の方への返信で、縄文人と弥生人について書くと約束したのだが、果たせていない。
その点については、用語集の中でほんの少しだけ触れているので、まずはその問題とカウンセリングの関係を、どういった方向性で捉えているかについてのみ、知っていただけたらと思う。



容姿コンプレックス

日本人の家族関係では、容姿を褒めることが極端に少なく、そのため、他国に比べて容姿に劣等感を持っている人の割合が高い。
日本の女性に摂食障害の人が非常に多いのは、おそらくこのためだろうと思われる。

彼女らの多くは、まったく実際とは違う不合理な自己像を持っている(痩せているのに「太っている」と感じるなど)。
生物学的に言えば、年頃の女性の身体にとって脂肪や水分の貯留は非常に大切だが、昨今のような画一的な美意識にとっては、それらは「いけないもの」として嫌われる。
これは、日本の社会においては、女性性や母性に対する抑圧がいまだ強いことも、大きな原因の一つと考えられる。

たとえば、洋服店でいいデザインのものがあっても、サイズが細すぎて入らない、ということは多々あるが、こうした時、容姿にコンプレックスのある女性は、「自分は醜い」と信じ込んでしまう。
これは、日本の服飾・美容業界が、女性たちの容姿コンプレックスを助長している一例とも言える。

過食症になる女性には、心身両面で非常に女性的な性質の強い人が多いが、そうした人々が「自分は醜い」と思い込まされてしまうことは、現代の日本人の美意識の歪みを反映している面が強いと考えられる。


日本人の劣等感

我々はあまりに慣れすぎて自覚できないが、日本の家庭では、一般的に容姿のことを始め子どもに対して褒めるということをあまりせず、何かにつけてけなすことが極端に多い。
おそらくこれは、劣等感を植えつけておくことで、目上の者が目下の者をコントロールしやすくするというパターンが、歴史的に習慣化した結果ではないかと思われる。

長くなるので詳述できないが、古くは、おそらく弥生時代から続く農村社会特有の病理が、大きく影響しているのではないかと考えられる。


日本人の成り立ち

日本でカウンセリングを行なう上で、日本人というものの成り立ちを深く考えておくことは、言うまでもなく不可欠である。
最近のDNA研究や形態人類学的研究によれば、おおまかに言って、現在の日本人は、狩猟採集民であった先住民(縄文人・古モンゴロイド)たちの土地に、稲作民であった大陸の人々(新モンゴロイド)が長い時間をかけて大量に移住・混血したことによって成立したらしい、ということが分かっている。

我々自身気づくことは少ないが、日本人は、自分の身体で感じ自分の頭で考え、状況に即応する狩猟採集民的性格と、ひたすら集団の規範を忠実に守ろうとする農耕民的性格を併せ持っている。
このことは、しばしば個人の心の内部や、家庭・学校・会社などの集団において、混乱をきたす原因となっていることが多いと思われる。




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「用語集」のこと2 - 2009.07.07 Tue

カウンセリングルームHPの、「用語集」の内容を追加しました。
こちらにもアップしておきます。


-感情-
一般に、感情の動きは喜怒哀楽として表現される。
では、喜怒哀楽とは何か。簡単に言うと、……
・ある願い・感情がかなえられず、抑えこまざるを得ないとき、それは「哀しみ」として表れる。
・また、その抑えこもうとする状況に反発し、強く感情が突き上げてくるとき、それは「怒り」として表れる。
・そして、その感情が解放されるとき、「喜び」として表れる。
・さらに、感情が一切抑えられることなく、そのままスムーズに流れている状態が「楽しい」状態である。
……と言えるだろう。

うつが強くなると、自分でも感情の動きが感じられなくなるが、「うつ」とは、まずもって「怒れなくなること」だと言ってよい。
うつの人は、「悪い(おかしい)のは私のほうだ」と、ものごとの非を自分が引き受けてしまう傾向が強く、そのため他者が非難できなくなっている。
不当な相手に対する怒りを覚えられるようになると、それはうつ回復の兆しとみなしてよい。

ちなみに、いわゆる「キレる」という状態は、やはり「怒り」の一つの表現には違いないが、それは極度の不安や疑心暗鬼からくる一種のパニック状態、方向性を失った破壊衝動の爆発である。
学校や企業のような管理的・支配的な組織ばかりが巾をきかし、「気心知れあった同士のご近所づきあい」といった自然発生的なコミュニティが壊れた現代社会では、他人が何を考えているのかがなかなか見えない。
「キレる」人が増えているというのは、それだけ現代では他者が得体の知れない存在となり、未来も見えにくい点に、原因があるのではないかと思う。


-いじめ-
人は往々にして、地位が上位の者から強い圧迫を受け続けていると、自分よりも弱い立場の者、あるいは少数者(マイノリティ)を圧迫することで、その鬱積を晴らしたり、自尊心を取り戻そうとしたりすることがある。
それがいじめの本質であると、私は考える。
だから、他者をいじめる者は、常に自分が優位に立つ者であることを、相手に誇示しようとする。
大部分のいじめが、人数の多さを頼みにし、少数者(多くは一人)に対して行われるのはそのためである。

場を支配する人物や組織からの理不尽な押さえつけが強い集団で、いじめが起きやすいのは、そうしたためであろう。逆に言えば、いじめがしょっちゅう起きる学校や企業では、上からの理不尽が常に横行していると見るべきである。
学校での陰湿ないじめが確実に増加していることについても、教育関係者は、その原因を深く自覚せねばならない。
校則に「禁止」の文字が多く、教員が高圧的で、また生徒に劣等感を感じさせる傾向が強ければ強いほど、それぞれの学校では一見効果をもたらすように見えても、日本の学校全体でのいじめの数は増えるのだ。
少しでも生徒への圧迫を減らす発想が、教育者側からはどうしてほとんど出てこないのか、理解に苦しむ点である。



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もう一つのブログ 開設 - 2009.10.29 Thu

HPの方に、もう一つブログを立ち上げた。
タイトルは「幸朋 日々のつぶやき」である。

はっきり言ってしまえば、SEO対策(検索順位アップ)が目的なのだが、「「うつ」自分にうそがつけない人たち」の方は、常にできるだけ明確なテーマで、一切手を抜かずに書くことがモットーとなっているだけに、かえって時事ネタやその時々にふと思うことが書きづらい。

で、その部分はそちらの方でやっていきたいと考えている。


よかったら、そちらの方も見にいらしてください。

もちろん、"「うつ」-自分にうそがつけない人たち" もこれまでと変わりなく続けてまいります。

仕事納め - 2009.12.31 Thu

昨日30日に仕事納めした。
ルームはさほど汚れてもいなかったので、大掃除というほどでもなかったが、終わってから1時間ほど、ちょこちょこっと溜まっていたダンボールなどを整理し掃除して、家族で近所のロイホに夕飯を食べに行ったのが夜の11時だった。

食事の最中あたりから、肩やら背中がキューッと引き攣ったように痛んでくる。
1年間ため続けた緊張のツケが、ほっとした途端に一気に襲ってきたのだろう。
東洋医学の方によく言われるが、鈍感化しているよりは、痛いところが痛いと感じられるほうが、よほど健康ということだ。

心理も同じことである。
家族や職場で上の者の矛盾が見えてしまうと、その場は耐え難いものになるから、多くの人が直視することを恐れるのだが、それでもその方が自分を見失わないですむ。

おかしいことがおかしいと感じられなくなること、これが現代人の精神病理の核だと私は思っている。

ともあれ、今年一年好意的にコメントを下さった方々、また考える機会を与えてくださった方々に、厚く御礼申し上げます。
来年もまた、よろしくお願いいたします。
それでは皆様、良いお年を。

開業から2年 今思うこと - 2010.04.19 Mon

久しぶりの更新である。

幸朋カウンセリングルームを2008年4月に大阪で開業して、早2年がたったが、やはり思い通りにやれるというのは実にいい。

私は2008年まで、大学付属の一般向けカウンセリングルームに責任者として勤めていた。
だから、やっている中身としては、表面上開業とほとんど変わらなかったわけだが、大学運営ありきという姿勢からくる縛りのほか、臨床心理士としての形骸的「常識」にも縛られねばならず、自分の目でものを見、自分の頭で考えることにどうしても制限があった。
さらには、大学院生のカウンセリング実習の施設であることが謳われていたために、病理の重い人や、差し迫った悩みの人、そして男性のクライアントが非常に少なかった。

いずれは開業するつもりだったので、もともと就職については、そのためのノウハウを身に付けるという目的意識があり、大学カウンセリングルームの立ち上げ・運営という仕事内容に飛びついて応募したのだったが、やはり実際に開業するのとはかなり違っていた。

開業カウンセリングでは、何よりもまず気づきが多い。
一つには、年齢層・職種・悩みの質など、世の人々の悩みの中身や質・分布が、そのまま来談するクライアントに反映するため、世間全体の傾向を見渡しやすいからというのが大きな理由だと思う。
また一つには、意味のない縛りから解放されることで、より中立的かつ澄んだ目でそれらのありようを観ることができるからである。
そして、とにかく一人当たりで行なうカウンセリングの数が、倍ほど違う(初めは暇で、経営自体どうなることかとヒヤヒヤしたが)。

カウンセリングの中で気づいたことは、もちろんカウンセリングにとって重要なことばかりではない。
それは同時に、社会に潜在している病理についての気づきであり、何1000年にもわたる日本人の歴史に関する気づきでもある。

その中でも最も重要なのが、「ものごとの全体を見通すことができ、争いを好まず、自分に嘘がつけず、人として真面目な性質の人々が、何ゆえ日本ではうつにならねばならないのか」という点である。

これからも、このブログではそのことを中心に書いていくつもりである。


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ファンサイトを立ち上げていただきました。 - 2010.05.02 Sun

4月29日、幸朋カウンセリングルームのファンサイトを、知り合い同士であり、双方クライアントのお2人が立ち上げてくださった。
『幸朋カウンセリングルームファンサイト』 http://kohofan.web.fc2.com/


心から感謝する。

思えば我々夫婦もまた、多くのクライアントの方々と同様、それぞれの人生の中で、懸命に生きようとすればするほど周囲になかなか思いや考えが通じずに孤独を感じ続け、絶望に近い気持ちを覚えていた長い時代を経てきている。

ところが、縁あってカウンセラーという仕事に就き、うつをはじめとする症状を持つクライアントの方々と多く出会うことで、話の通じる人々がたしかにこの世に存在するのを知ることとなったのである。


そのことは、我々をさまざまな意味で力づけてくれたわけだが、同時に、同じ思いをもって苦しんでいる人々を、力づけずにはおれないという思いへと、我々を駆り立てた。

しかし、大学をはじめとする一般的な臨床機関では、そのことにひどい制限の加わってしまうことを思い知らされ、そちらをあきらめて、2年前、大阪の地にカウンセリングルームを開業したのである。

だが、我々のほうは、カウンセリングを通じて多くの人々と話の通じる体験をするが、それは、クライアントの方々一人一人にとっては、目の前にいるたった一人のカウンセラーとだけ話が通じる体験に過ぎない。
ましてや、目の前のその人はカウンセラーであり、「カウンセラーだから、好意的に理解してくれているだけではないか」という考えが頭のどこかにあり、拭いきれないという面もある。

必然的に、本来感情が豊かで思慮深く、他人と争うことの嫌いなクライアントの方々同士が、何らかの形で交流し、自分が決して奇妙な存在ではないということ、気持ちの通じる人がこの世に存在するのだということを、互いに知る場が必要なのではないかと、我々は考えるようになった。

しかし、そのための動きは、我々カウンセラーの側が発信するものであってはならなかった。
そのようにして形成される関係は、結局、我々カウンセラーを中心とした放射状の関係に過ぎないからである。
また、たとえほんの少しであっても、参加を強制する意味合いが含まれてはならないからである。


今回のファンサイト立ち上げは、我々と同じそうした考えを持たれたあるクライアントの方々が、自らの篤志によって企画してくださったものである。

このサイトが、クライアントの方々の交流のみならず、より広い対象に向けて大切なことを発信していく一つの起点になるとしたら、これ以上に嬉しいことはない。




幸朋カウンセリングルーム

松波 幸雄   中林 朋子




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緊張! ファンサイト - 2010.05.09 Sun

前にご紹介したように、4月29日、ある知り合い同士のクライアントの方々お2人が、幸朋カウンセリングルームのファンサイトを立ち上げてくださった。

管理者の方々はじめ、クライアントのみなさんは、どなたもかなり恐る恐る書き込みをしておられるようだ。
正直、私も緊張して毎日何度も見てしまう。
といっても、「自分はあまり積極的に関わってはならない」という頭があって、内容はあまり詳しく読まないのだが。

それぞれ緊張するのも無理はない。
文字だけで書き手のタイプ・キャラクターを判断するのは、当然ながらまず不可能だし、さまざまな場面で、幾度となく傷ついた体験をしてきておられる方々ばかりなので、さらにここで傷つかれるようなことがあると、かなり厳しい状態になってしまうからだ。

それでも私がこの試みを重要だと思うのは、世間全般で見て、うつに陥るタイプの人々の多くがかなり稀な人々であり、人生の中でも、話の通じる人と出会う機会が非常に少ないからである。

どう希少なのかというと、本質的に彼らは、少しでも矛盾のある言動を、強いることも強いられることもできないという点でである。
矛盾に敏感であるということは、彼らが情緒的に繊細であるばかりでなく、論理的であることをも意味する。
もちろん彼らの大部分は、どこかでそのことを感じていることはあっても、ほぼ無自覚である。それどころか、少数派であることのために、ひどい劣等感にさいなまれてきているのが普通だ。

鋭い直観の持ち主も、きわめて多い。
自然、記憶というものにあまり頼らない性質でもあるために、概してポカミスをよくやる人が多いことは否めないが。(ちなみに、私のポカミスの多さも半端ではない。)

私の感じる限り、過食症の人の性格傾向がうつ性格にもっとも近いが、過食症の人の場合、過食という行動化によって部分的に感情を切り離している面もあり、社会適応の状況はある程度よいようである。

うつ性格の人のこうした内向的な能力の高さは、今日数多いカウンセラーという職業の人々の平均を、問題にならないほど高く上回っている。
つまり、うつ性格の人の内面がカウンセラーによって理解されないということは、頻繁に起きているということになる。

少なくとも幼稚園の頃から、私は「話が通じない」ということを、家族をはじめあらゆる場所で、嫌というほど繰り返し体験してきた。
もちろん、比較的通じる人もいるにはいたが、論理的な詰めの部分で、どうしてもある程度の妥協に甘んじねばならない。
必然的に、人との付き合いはどうしても浅く表面的になる。
本心で納得のいかない態度は、時として頑なに見えたであろうから、いじめに発展しかかることも少なくなかったが、大めし喰らいのお笑い芸人的キャラクターで、かろうじて凌いだものである。

「理屈ではそうかもしれないが、常識から言って……」というのが、おおむね周囲がとる最終的なスタンスだった。
ならば、なぜその「常識」を疑う立場に立とうとしないのか、それが私には理解できなかったのである。
単なる話の上で、「常識」が「論理」に優先されるのは一向にかまわないが、そのために正直者が馬鹿を見ることには、どうしても耐えられなかった。

カウンセラーという職業を目指して大学院に入ったとき、自分と同質の人とある程度出会えるのではないかと仄かに期待したが、出会ったのはたった1人の後輩(現在の家内)だけで、それなりに失望は深かった。

だが、その期待は思わぬ場所で叶えられた。
カウンセリングの面接室の中。
他ならぬその場所だったのである。

最初は偶然だと思った。
だがそれは違っていた。
私が小さい頃から周囲に対して感じ続けてきたことを、まるで私の代弁者であるかのように、クライアントの方々はそのまま言葉にする。

「私が彼らを理解した」と言うのは、おこがましい気さえする。
私にとっては、私の言葉を理解する人々との出会いだったのである。

私は、そのような人々がこの世に多く存在することを知り、希望を感じて、それをクライアントの方々にも伝えた。
伝えられたクライアントの多くは、一瞬明るい表情を見せるものの、すぐに寂しげな表情に戻る。
その寂しげな表情は、「どの道、私はそのような人たちと出会えない。期待すればもっと辛い」と語っていた。

私は、「自分だけ、ずるいのではないか」と、次第に強く思うようになった。

カウンセリングルームのクライアントがコミュニティを形成すること自体、業界においては、決して「常識的」なことではない。
だが、孤独感の強いクライアントの方々と連続で面談したとき、「今、あなたが座っているその椅子に、もしも出会えば一生の友となるかもしれない人が、ついさっきまで座っていたのだ」という思いにしばしば駆られるうちに、私は、私自身が貴重な出会いを妨げている壁のようにさえ感じることが多くなった。

「常識」は絶えずうつろう。
ましてや、近代カウンセリング自体、その歴史はたったの100年そこそこ、その常識というのも、さほど多くの経験知に裏付けられているわけではない。
こういった思いを抱えながら、頼りない常識に縛られるのはあまりに馬鹿げている。

だが、こちらが主導でそれをやるとなると、どうしても場に強すぎる中心ができてしまう。
学会の懇話会などで嫌というほど目にした、権威者とその取り巻きという、あのおぞましい構造が頭をよぎる。

それぞれのサル山で、少しでも自分の順位を上げようとするためのへつらい。
権威者がウケ狙いで言った言葉に対し、ちっとも面白くないのに絶妙のタイミングで一斉に笑う、あの雰囲気(「おもしろないやん」とよく小声で突っ込んだものだ)。

無節操にそれができればできるほど、覚えめでたく取り立てられ、臨床心理士であれば共著や共同発表を依頼されたりする。
そして、それが一切できない者は業界の隅っこでふてくされるか、威光を傘に着、自我肥大を起こした連中の我がもの顔に、ビクビクしていなければならない。
そうした構造が、間接的にカウンセリングにどういった影響を与えてしまうのか、それを省みる他のカウンセラーと、私は妻以外に一人として出会ったことがない。

私が臨床心理士をやめた、一つの大きな理由でもある。
興味がないばかりではなく、嫌悪感があまりに強すぎたのだ。

あれと同質の雰囲気だけは、何がどうあっても避けたい。
そもそも、そんなことになれば、多くのクライアントの方々は、もうその場にいないはずだ。
もともと、そうした場に「適応」できなかった「まともな」人たちなのだから。

とにかくそのためには、強すぎる中心があってはならない。
そうした中で、まったく同じことを頭に描いてくれたクライアントの方が、今回ファンサイトを、我々主導ではない形で立ち上げてくださったわけである。


反面、一般の読者が疎外感を覚える雰囲気になりはしないか、また、何かしら思想的に偏った集団であるかのような印象を与えることになりはしないか、ということは気になる。
また一方、クライアントの方々が、発言することを義務のように感じはしないだろうか、という可能性にも少し不安を覚える。

ともあれ、こればかりはやってみなくては分からない、というところだ。


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手作り箱庭アイテム - 2011.02.09 Wed

  滝1



この4月で、カウンセリングルームを開業して早3年になるが、思い起こせば、開業前に私と妻が一番ハマっていたのは、箱庭療法に使うアイテムの手作りだった。

われわれの心理療法ではやはり談話療法(カウンセリング)がメインになるので、箱庭療法を用いることはそんなに多くはないとわかっていたのだが、面接室にどういったアイテムを並べているかは、ある程度カウンセラーのキャラクターを表現することになる。
また、箱庭アイテムは、ふとした視線のやり場になったり、部屋の雰囲気を和らげたりする面もあるので、実際には箱庭以外にも効用は広いと言える。

だが、すべての箱庭アイテムを専門業者から買ってそろえると、すごく高額になってしまうのである。

だが実際のところ、私と妻がそこまでアイテム作りにハマっていたのは、開業前の不安(ほとんど恐怖!)を紛らすためみたいなものだった。
顔を突き合わせば、ああいう場合があるかもしれない、こういうことが起きればどうすればいいかなど、やってみなければわからないことばかりが話題になって、へとへとになってしまう。

で、どちらからともなく作業に取り掛かるとたちまちやめられなくなってしまい、平日であるにもかかわらず、気がつけば2時3時になっていることもしょっちゅうだった。
ほとんど休みのたびに100均ショップなどに行き、ちょっとした置物や素材を買い集め、平日に仕事と家事のすべてを終えた後で、作業に取りかかるわけである。

しかしその結果、取り扱い業者からはほとんど買わず、それでもかなり充実した質と量のアイテムをそろえることができたと思う。

今回は、3年前の苦労を振り返る……というわけでもないが(まだそれほど苦労を脱したわけでもないので)、2人がせっかく一生懸命に作ったものではあるし、一部ではあるが、手作りアイテムたちに少し陽の目を見せてやりたいと思ったわけである(ちょっと自慢もしたいし……)。

ちなみに、おおよそ造形は私、塗装は家内が担当した。

考えてみれば、このブログで写真をアップするのは初めてやなあ……


地蔵さん
粘土(フォルモ 茶色)・竹串等使用 よだれ掛け(?)は妻の母が作ってくれました。
たぶん、粘土で作った最初のもの。
「たとえば地蔵さんなんか作れるかなあ」とやってみたら、けっこういいのができて、結局それが一番よかったということになりました。


寝男子

寝女子
眠る人、2体。
男性のほうは白のフォルモ、女性のほうは滑らかな感じがほしかったので樹脂粘土で作りましたが、中に針金の骨材が入っていて、樹脂粘土のほうは収縮でひびが入っちゃいましたね。
修理しないと……


逆風
風に逆らって歩く人。白のフォルモ使用。マントは樹脂粘土。


大木
葉はダイソーで買った造花、幹と枝は茶色のフォルモ。骨材は針金。
うろ(空洞)のある木がほしかったんですね。


吊り橋
吊り橋。割り箸と針金使用。


竜巻と富士山
竜巻と富士山。もう少し細い針金だったら、もっと竜巻のうねる感じがうまく出せたんだけど……
富士山のほうは、発泡スチロールとフォルモ。
右にあるのは、大きさ比較のCDケース。


かまど
前の職場で、暇だったときに作ったもの。退職時にもらいました。
たしか白のフォルモで、取っ手は事務用クリップです。
黒い色はマジック、かまどのくすみはタバコの灰をこすり付けました。


滝2
この記事トップに載せた滝。
作りかけで2年くらい放っていたものを、最近やっと仕上げました。
茶色のフォルモ、ベニヤ板、骨材に金網使用。滝の部分はビニールの荷造り紐で、滝壺には透明樹脂を使いました。右は、大きさ比較の単3電池。
水に関するアイテムが、一つもなかったんですよね。
さて、もう1つ家内の分を作らねば……


縮尺
↑クリックで拡大。
CDケースと比べています。このくらいの大きさです。



ここから先はオリジナルではなくて、当時ダイソーで30体(?)100円で売ってたプラ人形に、ちょっと手を加えたりして色を塗ったものです。
画像をクリックして拡大してください。

海賊
海賊。


中世兵士1 中世兵士2
中世ヨーロッパの兵士たちです。


worker
工事の人たち。


農夫
アメリカの農夫。


消防士
消防士です。ノズルの部分は爪楊枝です。

農夫と消防士は、もともと工事する人たちの人形でしたが、樹脂粘土をくっつけ塗装して、こんな風にしました。


もしまた新しいのがたまってきたら、アップするかもしれません。

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ルームの鉢植えと置物 - 2011.05.03 Tue

前に、ルームで使っている手作り箱庭アイテムの写真をアップしましたが、今回は家内が丹精している鉢植えのいくつかと、一部の置物の写真をアップさせていただきます。

せっかく丹精しているのだから見てほしいという思いもありますが、我々の好みやキャラクター、ルームの雰囲気をご紹介するということで……。

カメラが大したことないので、例によって写真のまずさはご勘弁ください。




玄関

まずは、玄関外に置いている鉢植え。

こうした鉢が20ほどあるので、置いているものは日替わりです。
玄関外は、日当たりが悪いので、植物の負担を考えローテーションしています。
このときは、ヘデラ(上段)、グレコマ(中段手前)、ヘデラ(中段奥)、セダム(下段)、ビオラとアリッサムの寄せ植え(フクロウの上)です。

家内によれば、気候が不安定なときは、どの植物も一様にしんどそうに見えるとのことです。
またそんなときは、クライアントの方々ばかりでなく我々も心身が重いので、人間って自然の一部なんだなということを実感します。


<以下の写真は、すべてクリックで拡大です。>

玄関外2

玄関外の、別パターン。中段の鉢は、ヘデラとヒューケラ、ワイヤープランツの寄せ植えです。



ワイヤープランツ  ビオラ大

左はワイヤープランツ、右はビオラ(薄紫色の花)とアリッサム(白い小さな花)。
ビオラのほうは、先月初め花の時期に撮りました。



玄関内引き  玄関内2

玄関を入ったところです。
2種類のポトスとシュガーバイン、ワイヤープランツの寄せ植え。
左にあるのは、アボリジニの楽器ディジュリドゥ。民族楽器って、置いてあるだけで癒されるんですよね。
たまに暇なときは、「ビヨヨ~ン♪」と鳴らしてます。



シヴァ

待合の本棚にあるシヴァ神。17年位前に、奈良市は猿沢の池近くのエスニックショップで買いました。
この世の生々流転は、シヴァが踊っているということなんだ、という考えに惹かれます。
一人暮らしの頃、部屋の守り神でしたね。



飾り棚

面接室前の飾り棚(一部写ってません)。
ジャンルはまったくもって雑多ですが、「生きた感じのするもの」っていうのがコンセプトですかね。



シダカリヤ ガルーダ1 ガネーシャ

飾り棚の置物のアップです。
左から、バリ島のウブドゥで買ったシダカリヤの仮面、
同じくウブドゥで買ったガルーダ、
京都、東寺の弘法さん(骨董市)で買ったガネーシャ。

ウブドゥでは、美術品レベルの土産物工芸品が少なくないんですよね。
真ん中のガルーダは秀逸です。

シダカリヤっていうのは、日本ではあまり有名ではないんですが、バリヒンドゥーの聖地ブサキ寺院では最も位の高い神とされているそうです。現地の人の話では。
本来ヒンドゥーの最高神はヴィシュヌなんですが、バリ島はインド人が大量移住し、先住民と融合・共生した土地なので、おそらく先住民の信仰が絡んだ神ではないかと推測します。

日本で言うところの、能の翁ですかね。日本の先住民の半分は海洋民なので、ひょっとすると同じルーツを持っているのかもしれません(どちらもサル顔だし)。
ちょっとした美術館みたいな構えの建物の中に展示してあったもので、「レプリカはあるか」と聞くと、「これ、売ってあげるよ」と言われびっくりしました。しかもそんなに高くなかったです(もちろん値切りましたけど)。



寄せ植 小ポット ワイヤープランツ2

面接室や飾り棚に日替わりで置く鉢植えです。
左は、シマトネリコとヘデラ、フィカス・プミラの寄せ植え。
中央は、セダム。
右は、シュガーバインとワイヤープランツです。



ポトス 寄せ植2 寄せ植3

左は、ポトス。
中央は、シッサスヘンリアーナとヘデラ。
右は、ロータス・ブリムストーンとヘデラ、ワイヤープランツです。
とにかく、どの鉢植えも元気さ♪が売りです。

ちなみに、画像ではちょっと見にくいですが、鉢の彩色のほとんどは家内がしました。
塗料はアクリル絵の具で、物によっては砂を混ぜ込んだりしています。



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当日キャンセル料金について - 2011.07.01 Fri

本年(2011年)7月1日より、料金改定をさせていただくことになったが(→参照)、それに伴って、急病・事故・近親者の不幸など一部の例外を除き、当日キャンセルの場合のみキャンセル料をいただくことにした(新規・継続とも)。

カウンセリングを受けられる方の多くは、経済的に苦しい状況にあるし、また当然、急病や事故など不慮の場合が想定されるので、開業から3年余り、キャンセル料を頂くことにはどうしても躊躇があった。

しかし反面、当日キャンセルに対して何の予防策もないままだと、受け取りようによっては、言外にそれを容認していることにもなるため、「一部の例外を除き」という条件付で、基本的には頂く方向に踏み切らせていただいたのである。

当日のキャンセルは、やはり我々にとって厳しい。
たとえば、事前にAさんの予約が入っていると、言うまでもなく、その枠にBさんからの申し込みがあった場合、お断りせねばならない。
しかし、Aさんの予約が当日キャンセルとなった場合、結果としてBさんがカウンセリングを諦めたことは「ふい」になってしまう。

当然ながら、たいていの人は、よほどのことがなければカウンセリングを受けることはしない。
つまり、カウンセリングの予約には、一つ一つ多大な重みがある。
だから、予約が一杯でカウンセリングをお断りするたび毎に、我々はそれなりに胸を痛めなくてはならないのである。

また、経営という面からも締め付けを受ける。
ご承知のように、カウンセリングは簡単な診断面接とは違い、1回につき1~2時間の時間をかける。
したがって、集中力の維持を考えると、1日にどれほど多く予約を受けたとしても、我々の場合は上限が5人、かなり無理しても6人で、事業としてはきわめて小規模なものである。
そこで1枠が無駄に空いてしまうことは、収入面で受けるマイナスは決して小さくない。

以上2つの点から、特に予約の集中する土曜などに、当日キャンセルが起きると、ガクリと気力を奪われるのが常であった。

ただ、こういう記事を書いて心配されるのは、うつ性格の方々の反応である。
まず、自分自身決して楽ではない状態にある人が、「私なんかより、もっとしんどい人がいるだろうから……」と、予約を遠慮してしまうこと。
それと、不慮の出来事で当日キャンセルしなくてはならなかった人までが、罪悪感にとらわれてしまうことである。
どうか、そのようなことのないよう、お願いしたい。



以前の記事『見返りを意識すること』でも取り上げたのだが、ほとんどの現代人同様、我々カウンセラー(とくに開業カウンセラー)もまた、うつの危険に晒されていると言って過言ではない。
その理由を具体的に述べるならば、過剰サービスからくる、気力と体力の持ち出しすぎである。

思えば大学院生の頃に、50分なら50分、1時間なら1時間という、定められた面談時間を守ること、面接室を一定にすること、キャンセル料を受け取ることなど(こうした契約内容を治療構造という)は、クライアントの安心感を保証する上で重要と習ったものである。

しかし、正直言えば、定額の給料をもらっていた雇われ時代、実験的にある程度それらを崩してみたところ、クライアントの情緒の安定に何らマイナスが生じなかったために(子どもの遊戯療法室だけは、基本的に不変がいいようだ)、その考えはそれほど重要ではないと感じていた。

だがしかし、いざカウンセリングルームを開業し、直接手渡されるカウンセリング料だけが収入という状態になってみると、それらのことが、カウンセラー自身の心身を守る上でいかに重要であるかを、思い知らされることになったのである。

ただ、決してひねくれるわけではないが、「私が間違っておりました」と思ったわけではない。
「あれってクライアントのためじゃなくて、完全にカウンセラーのためじゃないか!」と気づいたものである。
本当に「きれいごと」はよくない。


さらに言うならば、カウンセラーが守らなければならない自分のものは、気力や体力ばかりではない。
何よりも自身の「尊厳」を守ることが、極めて重要である。
カウンセラーが自らの尊厳を切り売りし続けている状態では、心理の深いレベルでクライアントの尊厳を損なう行いを、間違いなくどこかでやってしまうことになるのである。

クライアントの方が気軽に当日キャンセルをすることは、さほど多くはありませんが、以上の諸々の点からこうした規定変更を行わせていただくこと、皆様には、どうかご理解のほどお願いいたします。



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『人間関係講座』開講決定のお知らせ - 2012.03.31 Sat

当ルーム主催『人間関係講座』を開講することになりました。
第一回目は6月29日(金)の夜7時から
場所はルームからほど近い、大阪市西区民センター第 3 会議室です。入場料2000円
<申込者多数のため、会場を第4会議室に変更しました。>
講師は私松波がつとめます。

一応1時間半くらいを予定していますが、質問の時間を設けるので、その流れ次第で多少延長するかもしれません。
終わりは少し遅い時間になるので、もちろん途中出席・退席は自由です。

なお、定員が60名ほどですので、事前申し込みが必要です。
お申し込みは、専用フォームからお願いいたします。


講座の内容について(本日のツイッターから)

ここ15年から20年来、うつ・パニック障害をはじめとする精神疾患を抱える人の数は、確実に急増している。
以前から仮説は立てていたのだが、カウンセリングルームを開業して以来、さまざまな立場・性格のクライアントと会う中で、「ご近所づきあい」をはじめとするコミュニティの崩壊がそのもっとも大きな原因だと、確信するようになった。

ご近所づきあい・親戚づきあいといったコミュニティの崩壊は、地域差はあるにせよ、おそらくここ40年ほどの間に起きたことである。
カウンセラーという立場だけに、危機感はいっそう大きいのだが、最近さまざまなサルの生態学に関する本を読んだのだが、ますます空寒い気分になった。

人間はサルであった時代から、100万年単位の時間をかけて、「社会性」を構築、発達させてきた。
それが、その歴史から見ればほんの一瞬に過ぎないたったの数10年で、根底から崩壊してしまったというのは、人が宇宙に飛び出し、原子力を使い始めた以上に、インパクトのある出来事と言えるのではないかと思うほどである。

カウンセリングルームで会う、うつやパニック障害の方々の奥底にある問題は、「社会性」の欠落が引き起こす「孤独感」や「人間不信」である。
これは、ただただ本人の社会性が欠落している、という意味ではない。
周りの人々もほとんどすべてがそうなのであり、クライアントはむしろその被害者という立場であることが少なくない。

かく言う私においてすら、きちんと社会性の感覚が保持できていて、孤独や人間不信から自由であるのかと言うと、それははなはだ心許ない。
いや、むしろ私も現代人の一人として、そうした虚無感を抱えているからこそ、クライアントの恐怖や不安が理解できるのだとも言える。

今回開講する『人間関係講座』では、我々がクライアントとともにもがきつつ、達することのできた人間に対する見方、あるいは諦めねばならなかったことを、例を踏まえて、惜しみなく出していくつもりである。

もちろん、クライアントの事例をそのまま出すわけにはいかないので、さまざまな職場や学校における問題、家族・友人関係上の問題からエッセンスだけを取り出し、典型例を創作して、例示するつもりだ。
だから、しばらくは小説家にならざるを得ない。
途方もないことに思えるのだが、やはりどう考えてもこのやり方が一番分かりやすいと思うからである。

実は、ぼんやりとしたイメージはあるものの、まだ具体的にはちっとも浮かんでいない。
乞うご期待というところです。

→大阪市西区民センターのGoogleマップはこちら

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幸朋カウンセリングルームのカウンセリングについて - 2012.12.09 Sun

ホームページの方に掲載している文ですが、私たちのカウンセリングに対する姿勢について、ブログの方でもアップしておきます。


◆黙ってお話を伺うタイプのカウンセリングではありません

日本でカウンセリングと言うと、カウンセラーは自分の考えを一切差しはさまず、受容・共感的態度でもって無条件にクライアントを肯定し、クライアントはただ黙って話を聞いてもらうことで、不思議にも自然と回復に向かう……、こういったイメージが主流なのではないかと思います。

ご存知の方も多いと思いますが、これはアメリカの心理学者カール・ロジャーズが創始した「来談者中心療法」が主張する、理想的なカウンセリングのイメージそのものです。
そして実際、このイメージをそのままに実行しようとするカウンセラーは、少なくとも日本のカウンセラー全体の半数ほどを占めるほどではないかと推測します。

ただ、私たちは来談者中心療法を含む自らの実践経験から、こうした「ただ黙って話を聞く」というカウンセリングの方法は、あまりにも現実離れしていると考えています。
日本人はもともと昔から、「話を聞いてあげる」という態度を重視する傾向があり、それが見事にロジャーズの考えと一致してしまったので、あまりにも無抵抗にそれを受け入れてしまった結果ではないかと考えられます。

ちなみに、ロジャーズ自身を含むアメリカのカウンセラーで、そこまで徹底して黙って聞くだけの人は、まずほとんどいないようです。
ひょっとすると、日本とは違い、アメリカのように自己主張しすぎるきらいのある国柄のカウンセラーにとっては、ロジャーズの考え方はブレーキになってちょうどよかったのかもしれません。

実際にカウンセラーがまったく自分の見解について語らないと、クライアントから見えるカウンセラーは「いったい何を考えているのか、さっぱり分からない人物」ということになります。
しかし人は、本質的には何を考えているのか分からない人が苦手です。そのような人とは、精神を支配されることはあっても、本当の信頼関係を結ぶことができないからです。

私ども幸朋のカウンセラーは、そうした点を踏まえ、何らかの気づきや知識・見解があれば、クライアントの方の許容力の許す限り、速やかに余さずお伝えするようにしています。

ちなみに私たちの、人間の深層心理に対する考え方は、スイスの心理学者カール・グスタフ・ユングの心理学を基本としており、それを自らの臨床経験により、日本人の特性に関する知見を加味するなどして、独自に発展させています。



◆取り巻く人々の分析

私たちのカウンセリングにおいては、家族や職場の同僚、同級生など、クライアントを囲む人々の性格・行動様式などの分析が、ある程度大きなウェイトを占めます。
というのは、うつ・パニック障害・社会不安障害・摂食障害など、現代を代表する精神疾患のほとんどのケースにおいて、周囲から不当な形で劣等感を植え付けられてしまった側面があるからです。

うつやパニック障害などの精神疾患を乗り越えるプロセスにおいては、ただ当人の内面の分析にばかり集中しすぎていては、かえって劣等感を強めるばかりで、一歩も進めなくなる段階があるのです。
自分が小さく思えてしまうという心理の裏側には、他者が実際よりも大きく見えすぎているという面があることを、知っておかなくてはなりません。

◆社会性の成長を目指す

私どものカウンセリングのもう一つの特徴は、社会性、つまりその人の他者と関わる能力や技術についての分析と、その成長にかなりの力を注ぐ点です。
メインブログ『うつ-自分にうそがつけない人たち』で多く記事を書いておりますが、現代人の心の病には、直接的・間接的に「現代人の社会性の低下」という問題が少なからずかかわっています。

カウンセリングという技術は、日本では1980年代頃から、急速に世の中に認知されてきました。
それは必ずしも、新しい技術が発見されたという、単に喜ばしいばかりのできごとではありません。
何かが崩壊したために、それまで必要がなかったカウンセリングという方法が、必要とされる時代になってしまった、という側面もあると考えるべきです。

では、いったい何が損なわれたのでしょうか。
一言でいうと、「コミュニティ」であると、私たちは考えます。

昔のご近所づきあいや親戚づきあいがどのようなものであったのか、もはや都会では50代以上の人でないと知らないことですが、それらは、ごく幼い頃から、様々な年齢や性格や職業の他人と、盛んに触れ合う機会を与えてくれるものでした。
これらが崩壊したことで、人がサルとして群れ生活を始めて以来、数100万年もかけてつちかってきた高度な社会性は、次世代へと伝えられなくなり、また子どもたちが集団遊びをできなくなったことで、実践的に社会性を学習する機会も激減してしまったのです。

社会性を失った人がうつになる、ということではありません。
もちろん、うまく人と関われないため、孤独に陥り自己評価が低下して、うつに罹患してしまう側面もあります。
しかし現代社会では、どの人においても同様に社会性が低下してしまったので、個性的な人が集団に受け入れられなかったり、周りを気づかう傾向の強い人(つまり本来は社会性の"高い"人)が、その人柄の良さを利用され、傷つけられるなどして、うつになってしまう場合が少なくないのです。
これは、本人に問題があるというよりも、ギスギスとした集団のしわ寄せをこうむった結果であると考えなければなりません。

したがって、現代社会では、ただ穏やかに周りと関わっていく方法だけではなく、ある意味「かわす技術」や「戦う技術」すらかなり必要とされます。
卑怯に身を堕することなく、また自らの尊厳を失うことなく、それでいていかに力強く周囲と関わり生き抜いていくか、その道を見出す上で、戦う技術やかわす技術を含む社会性を養うことは欠かせません。

◆カウンセリングが長く続くことを、必ずしも良いことだとは考えません

多くのカウンセラーが陥りがちな、間違った常識の一つに、「カウンセリングが長く継続することは、いいことだ」という考えがあります。
クライアントの方々からすれば、「そんなのおかしいじゃないか」と言いたくなる方は当然多いはずですが、それをクライアント目線でカウンセラーが理解するというのは、意外にも難しいことなのです。

たしかに、1~2回目のカウンセリングで、カウンセラーがあまりに頼りなかったり高圧的だったりして、クライアントが再び行く気になれないという気持ちになった場合、それは質のよくないカウンセリングだったと言わざるを得ません。
また反対に、目の前の問題克服以上の「生きる意味の探求」といったことが問題となっているケースなどは、たしかに長期間を要します。
さらには、すでに問題は乗り越えているけれど、時々ものごとに迷ったりしたときにカウンセラーのもとを訪れてブレを修正するといった、何10年もの長いお付き合いになるような、非常に質のいいカウンセリング関係も存在します。

しかし反面、カウンセラーがはっきりとものを言わないために、クライアントが何の手応えも得られず、そのためかえって、延々と10年以上も通い続けさせられてしまうカウンセリングが多く存在するのも、また事実です。
こうしたカウンセリングは、1~2回で中断してしまうケース以上に悪質であると言わざるを得ません。
つまり、カウンセリングは、必ずしも長く続けばいいというものではないのです。

私たちのルームを含め、一般的にカウンセリングの料金は決して安価とはいえません。
ましてやクライアントが、そのカウンセラーに「いつかはきちんと答えを与えてくれるはずだ」という期待を持ちながら通い続けていたとしたら、その長い年月と莫大な費用は、まったくの無駄だったということになります。

基本的に私たちのカウンセリングは、いわゆるブリーフセラピーやコーチングと呼ばれる短期療法、またいわゆる指示的心理療法(認知行動療法など)とは異なり、現実的な問題解決だけに焦点をしぼる訳ではなく、緻密な心理分析を土台としていますが、時間的にも費用的にも、できる限り無駄を省くことを心がけています。
それは単に節約という理由からだけではなく、意味のないやりとりを極力排除することで、その人のたどるべきプロセスが、より明確なものとして浮かび上がってくるからです。

ただ、無駄のないしっかりとしたカウンセリング・心理療法を望まず、不満を聞いて欲しいだけの方に、私たちの価値観を押し付けることになっているケースなども、ないとは限りません。
そこで、来談される方々にお勧めしたいのは、私たちのことも含め、「ああ、このカウンセラーとは合わないな」と感じたら別のカウンセラーを探されることです。
そのことは、カウンセラーに告げてもよし、言いにくければ告げなくてもいいと思います。

一昔前でしたら、様々な医師やカウンセラーのもとを訪れる行為を「ドクター(カウンセラー)ショッピング」と呼んで、治療者たちは敬遠していた面がありますが、カウンセラーもいろいろですので、セカンド・オピニオンを求めるのに、あまり迷う必要はないと思います。


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カウンセリングに関する告知 - 2013.01.20 Sun

<ツイッターより転記>

遠方の方や重度の身体障害者の方のカウンセリングに、スカイプを使っていましたが、音声だけだとどうしても情報が少ないため、思い切ってビデオ通話にしてみたところ、思った以上にカウンセリングができることが分かりました。

そこで、今後は全国対応(海外も)可能ということにしました。ご希望の方はお申込みを。ただし、やはり近隣地域にお住まいの方は、直接のご来談ということでお願いいたします。外国語のカウンセリングはできませんが。

ちなみに……ですが、これまでビデオ通話を渋っていたのは、私も家内もカメラやビデオで撮られるのが何となく苦手だったからです。

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拙著

2015年2月28日発売
アマゾン限定商品

プロフィール

Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

ブログポリシー
当ブログの記事内容の著作権は、幸朋カウンセリングルーム代表松波にあります。
本サイトの内容を権利者に無断で複製・改変することは、固く禁止いたします。

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