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2017-05

遅れ馳せながら…… - 2009.01.16 Fri

2009年も早1月16日。
なんと今年初めての記事である。

とんだ時期はずれですが、明けましておめでとうございます。

11月の記事で書いたように、ここ2ヶ月ほど、言葉が内から出てくる感じがパッタリとなくなってしまっていた。
ブログを更新しなかった言い訳ではないが、無理に記事を書かなかったのは、今のところこのブログが、私にとって文を書く場所として一番大切に感じている場所だからである。

これまで、研究者や専門家だけが目にする論文誌や、ごくマイナーな(と言えば失礼だが)雑誌に寄稿することはあっても、不特定多数の人々を対象とする場で文を書くのは初めてだったし、何よりもうつをはじめとする精神疾患の方々が直接読まれるであろう場だけに、記事を書く上で他にはない私なりのルールがあった。

そのルールとは、ただひとつ「あくまでも嘘のない言葉で書くこと」である。

言葉が内から出てこようとしないときに、無理に何か書こうとすると、その言葉はたちまち宙に浮いたようになる。それを恐れて1ヶ月あまり一切書かなかった。

話は飛ぶが、何をもって「心理学」なるものが成立したのか。
それは、人の心の領域に「無意識」という領域が発見・想定された時点をもって、成立したと言える。
私が初めて「心理学」に触れたのは、大学の授業でだったが、「無意識」という発想には実に感動した。
私にとっては、それに続く細かい理論以前に、もうこの発想に触れただけで自分の中で色々始まってしまい、何だか楽しくて仕方なかった。

当時私が独りで暮らしていたのは、奈良県の山奥、その名も「山の辺荘」という旧家の離れを改造した下宿屋で、近代文明の発する音はほとんどまったく聞こえないようなところだった。
夏は蝉時雨、冬は雪景色、鳥の声や、時には何だか分からない獣の声まで聞こえることもあり、季節ごとに自然の発する音や色や匂いに満ち溢れており、空気、というよりも空間の清浄感が半端ではなかった。

まさに、神々もいれば妖怪も棲むようなところだった。
実際に、私が住んでいた部屋の前の住人は、部屋の中で化け物を見たという理由で引越して行ったのである。私は悲しいほどに何も見なかったが。

高校まではテレビっ子だった私が、結局は全然見ないので、持っていたテレビまで手放してしまったほど、人工的な音がそぐわない場所だった。
2~3年前、近くを通ることがあったので、あまりの懐かしさに訪れたところ、22年前とほとんど変わっていなかったことがあまりに嬉しく、泣きそうになってしまったほどである。

私の住む6畳間には、幸運なことに短い縁側まで着いており、大学時代の私はよくそこに座り、三輪山に連なる小さな山と対峙しつつ、自分の心の中に「無意識」という、私自身にとっても未知の領域があることを存分に楽しんだ。

瞑想三昧だったと言っていいだろう。
今思い出しても、うっとりするような記憶である。

以来、私にとって「無意識」は、かけがえのない友のようでもあり、唯一無二の相談者でもある。
だから、重要な答えが導き出されることは少なくないが、もちろん、いつも言うことを聞いてやるわけではない。
特に、浅い層から出て来る答えに対しては、「ならば俺はその逆をいこう」とあえて逆らわねばならないことも多々あるのである。

そういった面もすべて含め、私にとって「無意識」はやはり、唯一無二の相談者である。

私がこのブログで書く言葉は、私にとっても、また私の「無意識」にとっても、ともに納得のいくものでなくてはならない。
「あくまでも嘘のない言葉」とは、そのような意味である。

私がブログを更新しなかったこの1ヶ月あまりの間に、日本の経済はさらに大きくぐらつきはじめている。
この混乱が、国が少しでも本質的なあり方に立ち戻るためのプロセスであることを願うが、どれほど微力であれ、その中で私は私なりにやれることをやっていきたいと思っている。

もちろんこのブログは、その大切な場の一つである。




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シンクロニシティー - 2009.02.16 Mon

いやー、ブログが書けない書けない。
あまりに書けなくて、自分でもびっくりするくらいなのである。

昨年の12月からこっち、ブログを書く筆がぴたりと止まってしまった。
日々に何らかの気づきはあるが、とくにこれまでの基本的な考え方が大きく解体されたわけでもなく、うつになっているわけでもない。
自分自身のその時その時のありように逆らわない癖がついているので、まあ焦ることはなかったが、それでもさすがに、またしても1ヶ月の更新停滞はひどいなと思う。

ともあれ今回は、以前私の身に起きた不思議な体験について書いてみたいと思う。いかがわしいと思われるのを覚悟で……
その時に得られたイメージが、ここのところ改めて妙にリアルに感じられて仕方ないからである。


もう、10年ほど前のことだったと思うが、当時まだ独り暮らしだった私は、ある休日の正午頃、その日は予定もなかったので、まだ寝床の中でぐずぐずと寝坊していた。
すでに一度目は覚めていたが、再び眠りに引き込まれそうでいて意識ははっきりしているような、半覚醒の状態を楽しんでいたのである。

そういう意識水準で、私はある2つのまったく別個のことについて、同時に考えるともなく考えていた。
1つは、「自分の感情に無自覚な母親というものは、カオス、あるいは渦のようなものだな」ということ、もう1つは、中学の頃に読んだ、筒井康孝のたった数行のSF小説のことである。
この小説のタイトルをネットで調べてみると、『到着』らしい。
要約すると、「ある日、地球がぺちゃっと音をたてて潰れた。金星も木星も月も太陽もぺちゃっと音をたてて潰れた。今まで、一団となって落ちていたのだ。」というものである。

まるで頭が左右別々になったかのように、半分ではカウンセリングで出会った多くの母親たちと自分の母親のことを思い出し、もう半分では、
「あの小説には、矛盾がないなあ。そもそも地球の公転というのは、ある意味、太陽への落下だしなあ。それに太陽系自体も、銀河系の中心の周りをグルグル回ってるんだよなあ。確かに太陽系は落下し続けてるわけだ」
ということを、ぼんやりダラダラと考えていた。

しかしこの2つの思考は、ある瞬間唐突に1つの場所に向かい、同じ答えに辿り着いた。
その答えとは、あるイメージだった。

「銀河系など渦巻き型星雲の中心には巨大なブラックホールがあり、それは超高速回転している。
星々の生成流転は、すべてそれの引力と回転エネルギーによって生じているが、一方、一定の距離を取って周回しているから、遠心力でブラックホールに飲み込まれないでいる。」

「すべての人の心理的中心には巨大な原始的母性があり、それは超高速回転している。
あらゆる人の心のあらゆるプロセスは、すべてそれの引力と回転エネルギーによって生じているが、一方、一定の距離を取って周回しているから、遠心力で原始的母性に飲み込まれないでいる。」


ここでは別々の言葉で書いたが、その時の私の頭の中では、これらの言葉はまったく同じものだったのである。
突然頭が一つになった私は、すでにはっきりと目を開き、「このイメージは覚えておかなければならない」と考えていた。

それから4日ほどたったある朝、新聞を読んでいた私の目に、思わず「えっ!!」と叫んでしまうほど驚愕するべき記事が飛び込んできた。
何座の星雲だったかは忘れたが、アメリカのどこかの天文台が、史上初めて、星雲の中心で大質量のブラックホールが回転しているのを観測したというのである。
10年たった今では、他にも多くの渦巻き型星雲の中心で、回転する大質量のブラックホールが観測され、おそらくすべての星雲の中心に、ブラックホールが存在するのではないかと言われているそうだ。

物理的大宇宙と、人という小宇宙。これらは別々のものではないことを、身をもって実感させられると同時に、「やはり、あのイメージには重大な意味がある」と確信させられた。

ブラックホールと原始的母性は、その引力によって個々を引っ張り込み、自らと融合させようとするが、同時に遠心力によって遠ざけもする。つまり、人が自立できるのもまた、つきつめれば同じ原始的母性の働きによるものなのである。
推測するに、相対性理論や量子論など高度な物理学理論においては、これら2つの側面(回転と重力)もまた、実は同じ一つの原理から生じるものなのではないかと思う。

「シンクロニシティー(共時性)」という発想を得たユングという人物は、おそらくたびたびこのような体験をしていたのだろう。




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ある臨士会研修会でのこと - 2009.11.11 Wed

数年前、私が家内とともに出席した、とある東京での臨床心理士会の研修会でのことである。
会場は、ある大学の、円形階段式の大講義室だった。


我々は一番後ろの席に座っていたのだが、ある講師の講演が終わりに近づいた頃、家内が手を滑らせて、空のペットボトルを取り落としてしまった。
たまたま話の切れ目だったか、ペットボトルは「カランカランカラン……」と、見事に派手な音を発しながら、机の下の段々を転がり落ち、5列ほど前の席に座っていた出席者の足元に止まった。

半径7~8メートル内に座る出席者たちの視線が、非難の色を帯びて、こちらにサッと集まる。
(ここでまず1びっくり)


まず、足元にペットボトルの転がった出席者が、ことさらに(?)ゆっくりと拾い上げ(2びっくり目)、全身全霊で(?)迷惑そうな表情を表わしてこちらを睨みつつ、後ろの席の人にそれを渡した(3びっくり目)。
そしてその行動は4回ほど(つまり、私とその出席者の間の列の数だけ)、他の出席者たちによって、判で押したように繰り返され(4びっくり目、5びっくり目、……)、ようやくペットボトルは家内の元に戻ったのだった。

家内は「すみません」と礼を言ってそれを受け取ったが、通常ならば、もう少し申し訳なさそうな顔をつくろうなりして、謝意を示して受け取ったところだったろう。
しかし、家内も私も目の前の光景に唖然としすぎて、ぽかんと口を開けてしまったものである。



拾ってもらってこんなことを言うのも不謹慎と思われるかもしれないが、もし私が最初の人の立場だったら、当然かなり違った行動を取っていたはずだ。

落ちてきたのは空のペットボトル、つまり誰がどう見ても不用品、というよりもゴミである。
私ならば十中八九、これを今返してほしいとは思わないだろうと推測し、振り返って、落とし主に「気にしないで。預かっとくね」というニュアンスを目配せして、自分の机の上なり足元に置くだろう。



もちろん、世の中の人々すべてに、自分と同じ感覚を要求するつもりはない。
他人のちょっとしたミスに迷惑がるなど、世の常であることも、充分に理解している。
さらには、あれほど露骨に迷惑そうな表情をしたのは、たぶん「今恥ずかしい音を出したのは私じゃないよ」と周りにアピールしたかったんだろうなと、その気持ちも理解できる。

しかし……、しかしである。

私と家内が恥ずかしさも忘れて驚いたのは、彼らが全員、臨床心理士だという事実に対してであった。
他人の不可抗力的ミスを責め立てるその価値観が、我々のカウンセリングを行うときの感覚と、あまりにそぐわないのである。
彼らはいったい、どのようなカウンセリングを行なっているのだろう。


臨床心理士のすべてがそうだとは思わないし、思いたくもない。
東京の都心という地域性も関係しているのかもしれない。

今思い返しても、信じられないという思いの方が大きすぎて、かえってまったく恥ずかしさも腹立ちも覚えない。
ともあれ、強烈に印象に残ったエピソードである。



うーん……、みなさんはどう思われるだろうか……。



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祖母のこと - 2012.01.21 Sat

ここ1年ほど老眼がひどく進んでいて、視力が不安定なため、眼鏡を作り替えることもできないでいる。
11月に、甲野善紀先生の勧めで、大著の大本教教祖出口なお・王仁三郎伝『大地の母』を読み始めたのだが、やはりこれも15分ほどで頭痛がし、休み休み読まねばならない有様で、年末頃には中断せざるを得なかった。

そこで、今年になって石坂浩二さんCM出演のハズキルーペを購入したところ、これがなかなかに具合がいい。そこで再び『大地の母』を読み始めたのだが、やはり面白く、また深いところが刺激される。

ただ深いところが刺激されるといっても、今のところ宗教観が刺激されているというよりも、むしろ明治年間の農民・庶民の生活や人情の生き生きとした描写。また、それほど特別なことでもなく、人に狐や狸やどこそこの神様が憑くほど、自然と不可分の人々の生活・心性に、情緒の刺激されるところが大きいのである。
また、当時の貧しい人々が(というよりも、今の人々の暮らしぶりからすると、物量という意味では平均して貧しかったわけだが)生活の糧を得るため、物思いにふける間もなく馬車馬のように働くありさまに、ある部分では懐かしさのようなものを覚える。

もちろん、私は明治時代の農民のような生活を経験したことはない。
ただ、私が幼かった頃には、この小説の描く時代の雰囲気を残した人々が周りに大勢いた。
その中には、口の悪い人やぶっきらぼうな人、いやに横柄な人もたくさんいるにはいたが、どことなく、現代の人々にはない、ある種の安定した善良さや朴訥(ぼくとつ)さがあった。
たとえば、噂話が好きな代わりに、近所の誰かが困っていれば助けてやらなければならないということに、そういった人のほとんどが一点の疑いも持っていなかったのである。

この小説を読んでいると、彼らの持っていた雰囲気が思い出され、日本人としての深い場所のどこかが、疼いたりあるいはフワッと緩んだりする。
そういえば、渡辺京二著『未踏の野を過ぎて』を読んでも、まったく同じ部分が刺激された。

一応断っておくと、私は大本教とはまったくの無縁である。
私と宗教とのかかわり、および考え方について簡単に触れておくならば、かつて実家が、大本ではないが、幕末に始まった、日本では代表的な新宗教を熱心に信仰していた時期はあった。
実を言うと、私がある指導者の一人と考え方の面で衝突した結果、私の考えに引っ張られて、家族全員がその宗教から離れたという経緯がある。
以来、教団と名のつくものとはまったくの無縁なのである。

もちろん、その宗教のことも、教団信仰そのものも否定するつもりはない。
教団信仰は確かに、かなり多くの人々にとって、必ずしも思考というプロセスを経ずして、自らの存在をこの世に位置づける思想・信念であり、営みであり、奇跡の場である。
そういった点において、どうしても必要なものであることは否定するわけにいかない。
大まかに言うと、無神論でもいいが、安易に他人の信仰を否定するのは好ましくない、というほどの認識を持っている。

また、私がカウンセラー・心理学者として、一応の理論的根拠とするユング派では、宗教的表象・象徴を重んじる。
だから、教団信仰、個々人の心の中に生じる宗教性・イメージに関わらず、宗教や神と人との関係について、我ながらかなり真剣に考えてきたことは、まず人後に落ちないつもりではある。


ともあれ、今回は信仰について述べるのが目的ではない。

明治生まれの私の父方の祖母は、福井県の農家出身の人で、『大地の母』が描く時代の匂いをぷんぷん匂わせる人の一人だった。
祖母は、長男である父の家族と同居していたので、もちろん私も、生まれてから大学時代に一人暮らしを始めるまでは、ずっと同居していた。
祖父と結婚して以来、戦後の貧しい時代を含めて、専業主婦以外は経験したことのない人である。

少なくとも私が物心ついて以降ずっと、彼女は耳が遠く、家事はどれ1つとっても雑だったが、しかしパワフルで、家族の誰よりも人情家であった。
彼女の言動の雑さについて例をあげると、わが家に欠けていない茶碗はなく、またよく割れたものだ。
落として割るわけではなく、彼女が普通に食器を洗うだけで、どんどん食器が欠けたり割れたりしていくのである。耳が遠いせいもあったのか、彼女が食器を洗うと、まるで「怒っているのか」と言いたくなるほど、出す音がガチャンガチャンと派手だった。

また、私が育った家の壁はほとんど塗り壁だったが、畳から3~5センチ上の部分は、すべてえぐれて下地がむき出しになっており、壁土の中の刻み藁がヒョロヒョロ飛び出していた。
祖母が掃除機をかけるとき、ガンガン壁に当てるからである。
ケチャップやマヨネーズを使い終わると、そのしぼり口をペロリと舐める。私が見咎めると「知らん!やらしい子や!」と開き直る。

小学校の頃、ある夏の夜ゴキブリが出て、私は祖母に「取って!」と頼まれスリッパを片手に近寄ったところ、突然そいつが私の顔めがけてブーンと飛んできた。
しかし、後ろにいた祖母が「イヤー!」と私を押したために、私はかわすことができず、首を前に下げたところ、そいつは襟首からパジャマの中に飛び込んだ。

ゴキブリが背中を走り回るものだから、私もワーワー叫びながら走り回ったが、祖母もまたワーワー言いながら、「やめろー、やめろー!」と言う私の背中をバンバン叩く。追いかけっこだ。私と祖母とゴキブリと、3者同時にパニックである。
ゴキブリはかろうじて難を逃れ、私のパジャマの裾からどこかへ飛んでいった。
あとで話を聞いた家族に、涙を流して笑われた。

また、彼女は盗み酒が好きで、中学高校の頃の私はよくその相手になった。
他の家族がいないとき、するめがあればその端っこをちょっとちぎって炙ったり、何もなければ出汁雑魚(だしじゃこ)を数匹、甘辛く炒めたりして、誰もいないのに声をひそめて「ちょっおいで」と私を誘い、わざわざ台所の隅で、2人で父の取って置きの日本酒を、ほんの少しだが冷やでちびちびやるのである。

私は顔に出ない体質なので、私の方からばれることはなかったが、祖母は目の周りだけが赤くなるたちで、家族から「お婆さん、また狸みたいな顔しとるがな!また隠れて飲んだやろ!」と笑われると、「知らん!」と白を切っていた。
初めて覚えた酒の味のせいだけではなく、後に一人暮らしして当たり前に飲むようになった酒よりも、婆さんと2人で「へっへっへっ」と飲む隠れ酒のほうが、格段にうまかったように思う。

祖母とは、よく喧嘩もした。
私は何か物をこしらえるのが好きで、よく机の上に作りかけの物を置いていたが、途中で触られるとわけが分からなくなるので、学校に行く前「絶対に触るなよ!」と祖母に念を押した。
だが、まずそれが守られたためしがなかった。机を拭くのに、すごく雑な片付け方がしてあるのである。
「何で触んねん!」と抗議しても、「知らん!」と言う。
「ほかに誰が触んねん!」と言えば、「やらしい子や!」と返す。
何事につけ、事実も認めなければ非も認めないので、とにかくよく怒鳴り散らした。

9人の子を産み、育ててきた人なので、子どもに対する扱いも雑だった。
幼い頃で言えば、風呂から上がると、まず髪の毛がちぎれんばかりの勢いで頭を拭かれる。そして身体の前を拭き終わると、両肩をつかんで独楽のようにくるりと回され、後ろを拭かれる。
私は、ただしばしの苦痛に身を任せるばかりである。
目にごみが入ったと言うと、いきなり頭をつかまれ、私が「うわーっ」と叫ぶのを意にも介せず、眼球をベロリと舐められる。

……等々、現代的な感覚でいえば、とにかくやることなすこと粗雑で、思慮・配慮というものからは無縁の人のように見え、愛情などというものもあるのかないのか、直接にはよく分からなかった。
だが、やはり長らく時を経てみると、彼女は自分なりに楽しむことを知っており、また私をはじめ家族はみな、彼女から愛されていたことがはっきりと分かる。
私のどこが好きだとかいうことではなく、お婆さんだからという理由で、当たり前のように子どもや孫を愛していたのである。

おそらくそうした家族のありようは、親が子に頭から頭へと伝えたものではなく、地域社会全体において、皆が馬車馬のように働きつつも、ふとしたくつろぎや楽しみの共有がある生活を通じて、身体から身体へと伝えられたものなのであろう。
大勢から大勢に対して伝えられていたとも言えるだろう。

日本人は、家族に対して「愛している」という言葉を発しにくいし、褒めないし、抱きしめるといった愛情表現も苦手である。
それは、家族愛が薄いとか、単に表現が下手というよりも、当たり前のように身体の隅々まで染み込んでいるつながりの感情、漠然としつつも確かな信頼を、ことさらに「愛情」と名づけて抽出し、表現することに違和感を覚えてしまう、そうしたありようの名残りではないかと思うのである。

今日では、そうした、身体から身体へ、大勢から大勢へと何かが伝えられる自然発生的システム、地域社会や大家族の構造が、見る影もなく破壊されてしまっている。
したがって、直接的な愛情表現が苦手だなどと言っていては、今やいい家族関係を作ることは難しい。かなりはっきりとした形で、そうしたものを作る努力をしなくてはならないのである。
しかし、このように、小さな地域社会すなわち近所づきあいが、ひどい機能不全を起こしているままで、どこまでもいけるものだとは到底思えない。
実際、今日、うつや社会不安障害を訴えるケースにおいては、その当人のみならず、症状の原因となった家族や職場の同僚においても、自然発生的な人間関係の感覚が歪んでいたり、場合によっては崩壊しているのである。
かく言う私においてすら、現代社会に生きる者であるのだから、歪んでしまっている可能性は否めない。

カウンセリングでは、家族に対する今日的な愛情表現や配慮について、助言することはある程度まで可能である。
しかし、地域社会そのものを再生することはできない点に、はっきりとした限界を感じざるを得ない。
これは、すべての日本人が必ずクリアしなければならない課題であると、私は思う。


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プロフィール

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Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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