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2017-05

古事記物語① - 2009.06.06 Sat

私は『古事記』という日本神話が好きである。

まあ正直、後半部分については政治的色合いがどんどん強くなってくるので、読んでいると少ししんどくなってくるのだが、序盤のアマテラスとスサノオ姉弟が活躍するくだりなどは、繰り返し読めば読むほど、泣きそうにすらなってしまうのである。

もちろん、大和朝廷ありきの政治的目的によって編修された日本の正史としてではなく、おそらくは古くから言い伝えられてきた民間神話をベースとする、純粋な意味での神話・物語としての部分にである。
アマテラスの岩戸籠りの話などは、うつの人の病理やその復活について考える上で、きわめて重要な示唆に富んでいる。

で、『古事記』のそういったあたりの解釈を、しばらくシリーズで書いてみようと思う。
実は、以前論文でこのことを書いたことがあるのだが、研究職でない方々には、やはりどうにも内容がややこしすぎる。
だから今回は、ユング心理学の知識がない人でもできるだけ読みやすいように、改めてオリジナルとしてその心理学的解釈を書いていきたい。

おそらく、合間合間に別に何か書きたいと思えば、時々中断して差し入れていくと思うが、これは一応最後まで書きたいと思っている。

解釈をしていく前に、さしあたって何回かは、『古事記』の冒頭からアマテラスの岩戸篭り、そしてその復活までのストーリーを、独自の解釈に基づく若干の脚色を含みつつ、本筋とは無関係な部分は要約し、かつ超訳的に書いていくことにする。

やはり由緒ある日本の正史なので、こういったものには、一般的には「脚色は入れてはいけない」という制約がある。
しかし、『古事記』の原文をそのまま読み、書かれている内容だけを現代語訳しても、しばしば辻褄が合わなかったり意味が分からなかったりする。
そのため、一般に出版されている『古事記』の現代語訳は、かなり有名な作家の訳も含めて、その制約のために残念ながらどうしても面白さに欠けるのである。
特に「国生み」のくだり以降のことだが、読み込めばこれほどに意味が深く、面白く、美しい物語なのに……、と、いつも考えていた。
で、ほんの少しの脚色入りを思い立ったわけである。

そこで、私が若干の脚色を入れた部分については、少し文字の色を変えることにし、どう脚色したかについてはいちいち説明しない。
※印や説明文をたくさん入れると、どうしても文の雰囲気を壊してしまうからである。
勝手ながら、気になる方はご自分でお調べいただくということで、お願いしたいと思う。
ちなみに、原文および注釈は、岩波文庫の『古事記』(倉野憲司 校注)を参考にし、現代語訳については文芸春秋社の『口語訳 古事記』(三浦佑之 訳)・学研文庫の『古事記』(梅原猛 訳)を参考にしている。

ではでは、古事記物語の始まりである。

……………………………………………………

この世の初め

この世に、上と下、天と地が生じ分かれ、ようようその姿らしきものが見え始めた時まさに、天なる世界すなわち高天の原(たかまのはら)に、一柱の神が成った。
これをアメノミナカヌシの神という。

また、アメノミナカヌシに続いて、二柱の神が高天の原に成った。タカミムスビの神とカミムスビの神である。

これら三柱の神は、いずれも伴侶を持たない独り神であったため、直接には子を成すことなく、やがて姿を隠し、目には見えぬ存在となった

地上はというと、それはいまだ、水に浮く鹿(しし)の脂のごときもので、くらげのようにゆらゆらと海に漂うばかりであったが、そこから葦の芽のごとく目覚しい勢いで萌え上がるものがあった。それは二柱の神となって天に昇った
最初に成ったのはウマシアシカビヒコヂの神、次に成ったのがアメノトコタチの神である。

この二柱の神も、やはり独り神であったため、直接は子を成さぬままに姿を隠し、目に見えぬ存在となった

これまでに成った、合わせて五柱の神は、別天つ(ことあまつ)神という。高天の原の神の中でもとりわけ貴い、特殊な地位にある神々というほどの意味である。

続いて、クニトコタチ、トヨクモという神が高天の原に成ったが、やはり二柱とも独り神であり、やがて姿を隠した。
さらに、ウヒジニとその妹スヒジニがともに成り、
ツノグヒと、その妹イクグヒ、
オホトノヂと、その妹オホトノベ、
オモダルと、その妹アヤカシコネ、
イザナギと、その妹イザナミが、それぞれに成った。

クニトコタチの神から、イザナギ・イザナミの兄妹神までを、神代七代(かみのよななよ)という。

すでに姿を隠して神霊ばかりとなった神々も含め、これら天つ神々は集い語らいて、イザナギ・イザナミの兄妹に、
「ゆらゆらと漂えるこの国に理(ことわり)を吹き込み、固め成せ」
と命じ、天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けた。矛とは、槍に似ているが、槍よりも穂先の長い古代の武具である。
 
イザナギ・イザナミの二柱は、高天の原から天空に突き出した天の浮き橋に並んで立ち、天の沼矛を、海上に浮かぶあの鹿の脂のごとき柔らかいものに指し入れ、ぐるりぐるりと掻き回し始めた。
手応えが変わったところで矛を引き上げてみると、矛の先には塩が凝り固まっていた。
塩は次々と海に滴り落ちて重なり、一つの島となった。海上に、小さいながら初めて硬い地面ができたのである。
これを、オノゴロ島という。
 
イザナギ・イザナミはともに天より降り、このオノゴロ島に降り立った。

※「柱」は、神々を数えるときに用いる数称である。
しかし、これ以降は情景のリアリティーを考え、「一人、二人」と数えることにする。


イザナギ・イザナミの国生み

島にはすでに木々が生えていたが、中でもひときわ目を引く、頂きが天にも届くほどの堂々とした大樹があった。
二人は、この大樹が落とす巨大な葉陰の及ぶところを、これから二人が暮らす大神殿と見立てた。その太い幹は、さながら神殿の中央に立つ大柱である。
二人は、これこそこの土地を修める中心となるにふさわしい、天と地をつなぐ御柱だと直観した。

この時イザナギは、妹イザナミに問うた。
「そなたの身体は、どのようにできておるのか。」
「私の身体は、だんだんと成ってこのようになりましたが、一ところだけ塞がらぬところができてしまいました。」
「さようか。我が身体もまた、だんだんと成ってこのようになったが、そなたとは反対に、一ところだけ余るところができてしもうた。
余るところと塞がらぬところ……。そうじゃ、我が余るところでそなたの塞がらぬところをふさげば、理(ことわり)が通る。そうして国を生んでいくのが善いと思うが、そなたはいかに思うぞ?」
イザナミは目を大きく開き、こぼれるような笑みで、
「おお、それはまことに善き考えにございます!」
と答えた。
イザナギは言った。
「では、天地を貫くこの御柱の周りを、我とそなたで反対方向に巡り、行き合うたその場所で交わることにいたそうぞ。」

かくして、この世で初めての結婚の儀、国生みの営みは始まった。

イザナギは言った。
「そなたは右より巡り給え。我は左より巡ろう。」
二人は衣を脱ぎ、互いに反対方向に柱の周囲を巡った。
二人が顔を合わせるや、イザナミはきりりと逞しいイザナギの姿に、思わず、
「ああ……、なんと善い男(おのこ)なのでしょう。」
と、ため息を漏らした。
イザナギもまた、たった今朝露から生まれ出たばかりのような、イザナミの瑞々しく美しい裸体を見て、
「おお……、そなたはなんと善い女(おなご)なのだ。」
とつぶやいた。
しかし、そうつぶやいた後でイザナギは、
「出会うて、まず最初に女であるそなたが口を開いたのは、好いことではなかったのう……。」
と、わずかばかり眉をひそめた。

それでも二人は交わり、瞬く間にイザナミは最初の子を出産した。
ところが、生まれた子にはまるで蛭(ひる)のごとくに骨がなく、立つことすらままならなかった。
それゆえ、この生まれし子を、ヒルコという。
二人は、このヒルコを葦舟に入れ、海に流した。

子はもう一人生まれた。
しかしそれは、波頭に生じる泡のごとき島、アワ島であり、生まれてすぐに消え去ってしまった。

これら二人の子は、そのあまりの儚さゆえに、イザナギ・イザナミの子には数えられないのである。



続く




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古事記物語② - 2009.06.07 Sun

イザナギ・イザナミの国生みの続き

イザナギは言った。
「このたびそなたが生んだは、善からぬ子ばかりであったのう。何ゆえこのようなことになったのか、天つ神々に申し上げ、お尋ねせねばなるまいぞ。」
そうして二人はすぐさま高天の原に昇り、神々のお言葉を請うた。

神々は早速、ハハカの薪に火を熾し、高天の原に棲む牡鹿の肩甲骨を、その火に投げ入れた。
火に焼かれた骨はひび割れを起こす。そのひび割れの形によって、神意を伺うのである。
これは、姿の見えない別天つ神々の意志を伺うための、太占(ふとまに)という占いである。

答えは出た。神々が言うには、
「二人が御柱を廻り、出会うたまではよいが、まず女が先に口をきいたのが間違いであったようじゃ。この次は、男が先に口をきかねばならぬ。」
ということであった。

二人はオノゴロ島に戻り、前と同じように御柱の周りを廻った。
だが今度は、まずイザナギの方が、
「おお、そなたは何と善い女なのだ。」
と言い、その後にイザナミが、
「ああ、貴方は何と善い男なのでしょう。」
と言い、交わった。
すると、やはりすぐにイザナミは身ごもり、出産が始まった。

最初に生まれたのは、アワジノホノサワケの島(淡路島)である。
イザナギとイザナミは、生んだばかりの淡路島に身を移し、そこで次の子を孕み、生んだ。
生まれたのは、イヨノフタナの島(四国)であった。
イヨノフタナは身一つに顔が四つあり、そのそれぞれに、エヒメ(伊予の国)、イヒヨリヒコ(讃岐の国)、オホゲツヒメ(阿波の国)、タケヨリワケ(土佐の国)という名があった。

イザナギとイザナミは、生まれた島に次々と身を移しつつ、出産を続けた。
隠岐の三つ子の島、筑紫の島(九州)、壱岐の島、対馬、佐渡の島が次々に生まれた。
そして、とりわけ大きな島が生まれた。オホヤマトトヨアキヅ島、すなわち本州である。
日本の国は、これら八つの島が最初に生まれたことから、大八島国(おおやしまぐに)と称した。

さらにイザナギとイザナミは、今の瀬戸内海の島々を次々と生みながら、徐々に西方へと身を移し、最後に北九州の多くの小島を生んだ。
これで、ようやくすべての国土が生み終えられた。


神々の誕生

すべての国土を生み終えたイザナミは、さらに地上の万物の理を司る神々を、次々に生みおろした。
土や石の神、家の神、海や河の神、山の神、谷の神、霧の神、食べ物の神など、いわゆる八百万(やおよろず)の神々である。

続く




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古事記物語③ - 2009.06.09 Tue

イザナミの死

八百万の神々を生みおろしたイザナミは、最後にヒノカグツチすなわち火の神を生みおろした。
しかしこの子は、身を燃えさかる炎に包まれた神であったため、あろうことかイザナミは女陰(ほと)を焼かれ、起き上がれぬ身となってしまったのである。

床に臥せったイザナミは、ひどい火傷の激痛のために喘ぎ苦しみ、時折、激しく嘔吐した。
イザナミの吐瀉物や、大便・尿からも神は成った。
吐瀉物に成った神は、カナヤマビコとカナヤマビメ。
大便に成った神は、ハニヤスビコとハニヤスビメ。
尿に成った神は、ミツハノメとワクムスビである。
これらの神々は、それぞれ冶金、窯業、農業を司る、産業の神々である。

夫イザナギの願いも虚しく、イザナミの病はついに癒えることはなかった。
儚くも、ここにその命を落としたのである。

イザナギの嘆きはあまりに大きく、
「愛しき我が妻の命を、何ゆえ、たった一人の子と引き換えにせねばならぬのだ!」
と、イザナミの亡骸の枕元に転(まろ)びては叫び、足元に突っ伏しては激しく慟哭した。
この時、イザナギの涙には、ナキサハメという神が成った。
イザナミの亡骸は、出雲と伯耆の国境にある、比婆という山に埋葬された。


黄泉の国

イザナミの葬儀を終えた後も、イザナギの怒りは収まるべくもなかった。
戻るが早いか、ものも言わずに十拳剣(とつかのつるぎ:大剣の意)を抜くと、妻を死に追いやった我が子、ヒノカグツチの首を一刀の下に刎ねたのである。
剣から飛び散り、あるいは滴ったヒノカグツチの血には、八柱の神々が成り、両断された遺骸にもまた八柱の神々が成った。
剣を濡らした血から成った神々は、さまざまな武の神であり、火の神の骸から成った神々は罪の神々であった。

それでもなお、イザナギのイザナミに対する想いは、弱まるどころではなかった。
イザナギはついに、黄泉へと旅立ったイザナミを、追いかける決心をしたのだった。

黄泉への入り口である黄泉つ平坂(よもつひらさか)は出雲の国にあったが、近づくにつれて、えも言えぬ甘い香りが漂ってきた。
香りの主は、巨大な桃の古木であった。坂の端に生えたその木が、幾万とも知れぬ数の大きな実を、たわわに稔らせていたのである
また、そのすぐ近くには、小山ほどもある大きく丸い岩が転がっていた。

桃の木の横を通り過ぎ、平坂を降ると、あたりは次第に濃い闇に包まれていった。

黄泉の道の最も深い場所には、不気味に黒光りする神殿があった。
扉が開いた。
中から現れたのは、イザナギが夢にまで見た愛しき妻、イザナミだった。
イザナミはもともと肌が白かったが、今のそれは、生きていた頃のイザナミとは違い、蝋のような白さに見え、表情にも濃い翳があった。

イザナギは叫ぶように言った。
「愛しき我が妹よ、そなたが我とともに創りし国は、いまだ最後まで出来てはおらぬ。今一度、葦原の中つ国(現世)に還り、ともに国創りを続け給え!」
イザナミは答えて、
「ああ……、兄上ではございませぬか。悔しきかな……、何故もっと早ように来てくださらなかったのでしょう。
私はすでに、ヨモツヘグイ(黄泉の竃(かまど)の食物を食すること)してしまいましたゆえ、もう帰ることは叶いませぬ。
けれど、愛しいあなた様が、このような穢れた国にまでおいでくださったは、まことに恐れ多きこと……。私もお気持ちにこたえ、どうかして帰りとうございますゆえ、黄泉の神にご相談申し上げましょう。
ただ、しばらく時がかかることでしょうが、決して私の姿は御覧なさりませぬように。」
こう言いおき、奥へと下がった。

イザナギは心待ちに待ったが、いつまでたってもイザナミは戻ってこなかった。
ついに痺れを切らしたイザナギは、左の御角髪(みずら:男子の結髪)に指していた櫛の端を折り取り、それに火をともして、神殿の中にそろりそろりと入って行った。

イザナミの着物が見えた。しかし、嬉しさに近づいてみると、まず凄まじい悪臭がイザナギの鼻を叩いた。恐る恐る火をかざすと、そこにいたのは、あの美しいイザナミには似ても似つかぬものだった。
その灰色に浮腫んだ肌の表面では、無数の蛆(うじ)が不気味にうごめいており、髪も半分抜け落ちていた
また、頭と胸と腹と陰部と、両手・両足からは、合わせて八つの雷光がほとばしっている。八柱のイカヅチの神であった。

驚愕したイザナギは、叫び声をあげることも忘れ、前後もなくその場を逃げ出した。
夫に、約束を破って姿を見られたばかりか、目の前から逃げ出されたイザナミは、
「ようも、我に恥をかかせよったなあ!」
と激怒し、むくりと体を起こすと、
「夫イザナギを逃すでない。疾く追え!」
と、何者かに命じた。
すると、地面や岩壁から、頭の位置も形も、手足の数も定まらぬ、異形のものどもがざわざわと湧き出し、ものすごい速さでイザナギの後を追い始めた。
イザナミの眷属、黄泉つ醜女(よもつしこめ)どもであった。

黄泉つ醜女どもが追ってくるのを知ったイザナギは、髪につけていた黒ミカズラを取って、後ろに放り投げた。すると、それはたちまち山ぶどうの実を稔らせた。
醜女どもの目には、それがイザナギに見えたのか、すぐさまぐちゃぐちゃと汁をこぼしながら喰らい始めた。
その隙にイザナギは逃げに逃げたが、山ぶどうを食い終えた醜女どもが、なおも追ってくるので、今度は髪に挿していた爪櫛を後ろに投げた。
するとそこからは、たくさんの筍がにょきにょきと生えだした。
醜女どもは、やはりそれをがつがつと喰らい始めたので、ようやくイザナギは醜女どもから逃れることができた。

イザナミはますます怒り、今度は身にまとっていた八柱のイカヅチの神々に、イザナギを追うよう命じた。
すると、どこから湧き出したのか、千五百人もの黄泉の軍勢がいたるところから集まってきて、それに付き従った。
イザナギは一度も振り返らず、腰に佩いた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜き、走りながら後ろ手に振り続けた。
十拳剣の霊威のせいで、黄泉の軍勢は一定以上イザナギに近づくことができず、イザナギは、ようよう平坂の桃の木のところまでたどり着くことができた。

桃の木に走り寄ったイザナギは、その実を三つもぎ取ると、黄泉の軍勢が最も密集している辺りに次々と投げつけた。
桃の実は破邪の霊力を持っており、恐れた軍勢は、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
ようやく息をつくことができたイザナギは、桃の実たちを愛しげに見上げ、
「お前たち、今し我を助けてくれたように、葦原の中つ国に住む人間たちが苦しみの瀬に落ち、また患い悩むときには、助けてやっておくれ。」
と請い、オホカムヅミ(大神つ実)ノミコトと、神名まで賜れた。


千引きの石

不甲斐ない兵どもに業を煮やしたイザナミが、ついにその凄まじい姿を現した。
そして、自ら恐ろしい勢いでイザナギに迫ろうとしたそのとき、イザナギは桃の木の横に転がる小山ほどの大岩を、全身を瘤のようにして押し、動かし始めた。
そして、イザナミが平坂のちょうど中ほどあたりまで迫り来たった頃、大岩は完全に平坂を分断していた。
この岩は、千人の人が曳かねば動かない岩という意味で、千引きの石(ちびきのいわ)といい、後に、道反大神(ちがえしのおおかみ)とも、また黄泉戸大神(よみどのおおかみ)とも名づけられた。

黄泉の国から一歩も出られなくなったイザナミは、わなわなと身を震わせて悔しがり、大岩の向こうより叫んだ。
「私の愛しい夫イザナギさま。御前がこのような仕打ちをするというなら、我は御前の国に住む大切な人草(人間)を、一日に千頭(ちがしら:千人)くびり殺してくれましょうぞ。」
イザナギは答えて、
「愛しい妻イザナミよ。そなたが一日に千人くびり殺すというなら、我は一日に千五百の産屋を建てて見せようぞ。」
と言った。
この時より、葦原の中つ国(現世)においては、一日に千人の人間が死に、千五百人の赤子が生まれることとなったのである。
また、この国の土と万物を生みおろしたイザナミは、黄泉を支配する神、黄泉つ大神(よもつおおかみ)と名を変えることとなった。

続く



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古事記物語④ - 2009.06.13 Sat

三貴子の誕生

黄泉つ平坂を後にしたイザナギは、
「我としたことが、何とも醜く穢らわしい国に行ってしもうたものよ。早うこの穢れを落としてしまいたいわい。」
と、さも忌々しげにつぶやいた。
かつては、あれほどまでに愛おしんだ妻イザナミの、あの変わり果てた姿が、今でも目の前にちらつくのである。
そこで、筑紫は日向のアハキ原に至りしとき、川で禊(みそぎ)をすることにした。

一刻も早く川に浸かりたいと思ったイザナギは、持ち物や衣服を川原にぽんぽん投げ捨て、下帯一つになるが早いか川に向かった。
次々と投げ捨てた杖、帯、袋、衣、袴、冠、装飾品からは、合わせて十二柱の神々が、次々と成った。

川に入るとき、イザナギは、
「上流の瀬は流れが速すぎる。下流の瀬は流れが弱すぎて、垢が落ちぬ。」
と言って、中ほどの瀬にざぶりと身を沈め、まずは全身を大きく洗い流した。
このとき洗い落とされた垢には、ヤソマガツヒ、オオマガツヒという、二柱の禍つ神(まがつかみ)が成った。
これより先、たびたび人間を苦しめることとなるこれら禍つ神々は、イザナギの身体についた黄泉の国の穢れより生じたのである。

ただし、すぐその後に、いわば禍つ神に睨みをきかせ、その力を封じるために成った神々もあった。
カムナホビ、オホナホビ、イヅノメの三柱の神々である。

イザナギは、今度は丁寧に、下から順に身体を洗い清めた。
川底・中ほど・水面近くと順にすすいでいく時、それぞれの段階で二柱ずつ、合計六柱の神々が成った。

そして最後に、イザナギは顔を洗い清めた。
まず、左目を清めると、太陽のごとく金色に光り輝く女神が成った。
アマテラスであった。
次に右目を清めると、もの静かで、月のごとき知性的な光をしらしらと放つ男神が成った。
ツクヨミである。
最後に鼻を清めると、眉太く、目も鼻も口も身体もずば抜けて大きな、偉丈夫の男神が成った。
タケハヤスサノオ(スサノオ)であった。

イザナギはたいそう喜び、晴れ晴れとして、
「我はこれまでに、多くの子を生みに生んで参ったが、ついにかくも貴き三柱の子を成すことができた。」
と言った。
そしてイザナギは、首にかけていた勾玉の飾りを、ころころと涼やかな音を立てて外すと、アマテラスに向かって、
「汝は、高天の原を治めよ。」
と言い、その首飾りを授けた。
次にツクヨミに向かって、
「汝は、闇夜の覆いし国を治めよ。」
と。
そして最後に、スサノオに向かって、
「汝は、海原を治めよ。」
と命じたのであった。

続く



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古事記物語⑤ - 2009.06.15 Mon

閑話休題

さて、いよいよアマテラス、スサノオの姉弟神の物語である。

イザナギ、イザナミを中心としたこれまでの話でも、人間の性(さが)を思わせる神々の言動が実に生き生きと描かれており、「由緒正しき日本の正史」という四角四面の箱の中に閉じ込めておくには、もったいないくらいの躍動感があった。
が、今回、私が取り上げたいと思っている一連の物語の本当のクライマックスは、実はこれからである。
責任感が強く、内向型の姉アマテラスと、天衣無縫で真っ正直な弟スサノオ。
詳しくは今述べるわけにいかないが、私にとっては、どちらも限りなく愛おしいキャラクターである。

今は、ただただ楽しんでいただけたら幸いである。

………………………………………………………………

スサノオ

父イザナギの命を享けて、三貴子のうちアマテラスとツクヨミは、滞ることなく各々の世界、すなわち高天の原と夜の国をよく治めた。
しかし、ただ一人スサノオだけは、長く延びた顎鬚が胸先まで至ってなお、どういうわけか、いつまでもただわあわあと泣いてばかりいて、一向に父の命を守る気配すらなかった。

その泣く様はというと、轟音のごとき声を発して泣くものだから、青々と木々の茂っていた山がことごとく枯れ山となり、川の水も海の水も干上がってしまうほどだった。
またそのため、禍つ神(まがつかみ)とその眷属たちは、ここぞとばかりに暗躍していた。その声は、無数の夏蝿の羽音のごとくこの世を満たし、いたる所で災いという災いが起こった。
言うまでもなく、葦原の中つ国に住む人草たちの苦しみは、惨を極めた。

いい加減業を煮やしたイザナギは、ついにスサノオを呼びつけて言った。
「汝は何ゆえ、我が命じたとおりに海原を治めず、そのようにやかましく泣いてばかりおるのだ。」
スサノオは泣きながら答えた。
「うおぉーん! 私は、根の堅洲(ねのかたす:黄泉)とやらにおわす母上が恋しゅうて、会いに行きとうて仕方がないのです。」

これを聞いたイザナギは、怒りのために、目が眩むほどであった。
イザナギの脳裏には、己れが生んだ国と人草を呪詛し、一日に千頭(ちがしら)くびり殺すとまで言い放った、あの醜いイザナミの姿がまざまざと蘇った。
イザナミの呪いが、今また我が子スサノオを狂わせ、国を荒廃させている気がしたのである。

「うつけ者!
なれば、汝の住む場所はこの国には無きものと思え。今すぐにここを立ち去れい!」
イザナギは怒鳴り散らしたばかりか、「我はもう知らぬ」とそっぽを向かんばかりに、淡路島の多賀に鎮座してしまい、二度と出てこなくなってしまった。

父から追放を言い渡され、途方にくれたスサノオは、
「まずは、姉上に事の次第を申すべし。」
と、高天の原に昇って行った。
しかしこの男神、一つ思い込んだら、他のことは何も見えなくなる性分である。
おのれの有り余る力を斟酌(しんしゃく)せず、ただまっしぐらに昇ったために、その勢いはまたしても轟音となり、山も川も大地もことごとく大きく揺らいだ。


アマテラス

スサノオの発する轟音は、高天の原をも激しく震動させていた。
アマテラスは、
「この天地を揺るがす轟音を発するは、我が弟神スサノオより他にあるまい。
この勢いで昇ってくるということは、必ずや悪しき思いがあってのことに違いない。」
と考えた。
アマテラスもまた、かねてより、父の命に一向に従わぬ弟を「手に余る者」と思っていたのである。

アマテラスは、早速結い上げた髪を解き、それをみずら(男の髪型)に結い直した。
そして、みずらにも両手にも、それぞれ八尺(やさか)の勾玉の飾りを何本も巻きつけた。
玉の持つ霊力によって、スサノオの強大な力に対抗するためである。
また、背と脇には千五百本もの矢を携え、左肘には稜威の高鞆(いつのたかとも:弓を射た時に大きな音を発し、敵を威嚇する武具)を巻き、武装を固めた。

アマテラスは、弓の末を雉の尾のごとくぴんと跳ね上げ抱えて、高天の原に流れる天の安河(あめのやすかわ)の此岸にてスサノオを待ち構えた。
そして、左足を高く跳ね上げたかと思うと、そのままどしんと四股を踏み、
「おおーっ!!」
と、凄まじいばかりの雄叫びを挙げた。
その声はスサノオの発する轟音に勝るとも劣らず、また踏み抜かれた地面には大穴が開き、アマテラスの太股までめり込んだ。

アマテラスが淡雪のごとく蹴散らした土煙がおさまった頃、スサノオが姿を現した。
スサノオが言葉を発するよりも早く、アマテラスは、
「何をしに昇って参ったか!」
と鋭く詰問した。

続く



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古事記物語⑥ - 2009.06.16 Tue

対決

アマテラスの鋭い詰問に、スサノオは口を尖らせた。
「姉上は、我に邪心ありとお思いか?
とんでもない!
父に、なぜ泣いてばかりおるのかと問われ、母の国に行きたいと答えたら、『なればこの国から出て行け』と、我は神逐らい(かむやらい:神の追放)を言い渡され申した。
我がこの国を去る事の次第を姉上にお話しいたし、お別れのご挨拶せんと昇って参ったまでのこと。
まこと、嘘偽りはございませぬ。」

アマテラスは少し動揺した。
弟には邪心ありと決めつけていたところが、言葉に偽りが感じられなかったことと、泣いていた理由が、「母の国に行きたかった」ということにである。
ここで母の話が出ようなどとは、アマテラスには思いも寄らなかった。

父があれほどまでに憎む母のことである。
だから、アマテラスもまた、母イザナミのことを悪に堕ちた神と思い込み、これまで母のことは考えまいとしてきたのだが、その虚を、不意にスサノオの言葉によって衝かれた形となったのだった。


「ならば、そなたの心が清く偽りのないことは、いかにして知ることができるのか?」
やはり警戒心を怠らずアマテラスは問うたが、それでもいつの間にか、一も二もなくスサノオは追い払わねばならぬ、という思いは失せていた
スサノオが答えた。
「姉上と我が各々子を生み、それにて誓約(うけい)いたしましょうぞ。」
この場合の誓約とは、一種の占いを意味する。

こうしてアマテラスは、スサノオの一方的な案を受け入れてしまったのだった。


誓約(うけい)

誓約は、そのまま天の安河をはさんで行われた。
まず、アマテラスが、
「そなたの剣を。」
と言うと、スサノオは剣を外し、それを鞘ごと投げてよこした。
ずば抜けて大柄なスサノオに見合う大剣であったが、アマテラスはそれを、こともなげに空中で受け取った。

アマテラスはその大剣をすらりと抜くと、まず手刀で三つに折った。

天の安河のほとりには、天の真名井(まない)という、清冽な水を満々とたたえた井戸がある。
アマテラスは、まず剣の切っ先の部分をその井戸の水に浸け、ゆらゆらと振り濯いだ。
次に、剣を自らの口に差し入れたかと思うと、ぱりんぱりんと細かく噛み砕き、川原に向かって口をすぼめた。
剣の破片を、狭霧のごとくふうーっと噴き出したのである。
剣の狭霧に成った神は、タキリビメという女神であった。
アマテラスは、さらに剣の中ほど、柄元の部分と、続けて同じように真名井の水で濯ぎ、やはり噛み砕いて噴き出した。
成ったのはイチキシマヒメ、タキツヒメという、いずれも女神ばかりであった。

次に、スサノオが、
「姉上の玉を。」
と言うと、アマテラスは左のみずらに巻いた八尺の勾玉(やさかのまがたま)を外した。そして、今度は先にそれを真名井の水で濯いでから、スサノオに投げて渡した。
スサノオは、アマテラスがやったのと同じように、それを口に含むと、こりこりと細かく噛み砕き、やはり川原に向けてふうーっと噴き出した。
そこに成ったのは、アメノオシオミミという男神であった。
後に葦原の中つ国に降臨する天孫、ホノニニギの父神である。

さらにスサノオが玉を請うと、アマテラスは右のみずら、頭、左手、右手に巻いた勾玉の飾りを、一つずつ外しては真名井で濯ぎ、スサノオに渡した。
スサノオがそれを噛み砕き、狭霧に噴き出して成ったのは、それぞれアメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマノクスビという、いずれも男神ばかりであった。

子はすべて成し終えられた。
三柱の女神と五柱の男神、合わせて八柱の神々である。
では、それぞれの神はどちらの子ということになるのか。
これには、アマテラスが断を下した。
「後に成った五柱の男神は、私の持ち物より成ったゆえ、私の子となるであろう。
反対に、先に成った女神たちはそなたの持ち物より成ったゆえ、そなたの子となるであろう。」

これを聞いてスサノオは、どういうわけかたちまち得意満面となった。
「我が心の清く偽りなきこと、これにて明らかなり。
そうでなければ、我が手弱女(たわやめ:優しげな女神)を成すことはなかったはず。
ゆえに、おのずと我の勝ちなり!」

これは、一方的な決めつけ以外の何物でもなかった。
通常、誓約(うけい)を行う場合には、結果がこうなった場合にはこういう神意が示されているという取り決めを、あらかじめ交わしておかなければならない。
その取り決めがなかったこと自体異常なのだが、女神を成したから自分の勝ちというのは、主観以外の何ものでもない。
だがこのスサノオという男神、はじめから嘘をついているつもりがないのだから、どういう結果が出ても自分が正しいということになるはずだと、一点も疑いを持っていなかったのである。
(このくだり、『日本書紀』等参照)


しかし、スサノオの強引さに押されるままに、アマテラスは、ついに彼が高天の原に足を踏み入れることを許してしまった。
それは、強引かつ我がままではあるが、真っ正直なスサノオの性分と、彼の「母が恋しい」という言葉の投げかけた波紋が、すでにアマテラスの心の中で大きく広がりつつあったためだった。

続く



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古事記物語⑦ - 2009.06.18 Thu

スサノオの狼藉

アマテラスとの誓約に勝ったことで、スサノオは有頂天となった。
また、それと同時に、ただ母に会いたいと願っただけの自分に、追放を言い渡した父親への腹立ちの分も含め、高天の原から自分を冷たく追い払おうとした姉アマテラスに、スサノオのすべての怒りの矛先が向けられた。
これよりスサノオは、高天の原において狼藉の限りを尽くすのである。

ある時は、大御神であるアマテラスが食す米を作る営田(つくだ)で、田作業をする神々を蹴散らし追い払うと、畦を滅茶苦茶に壊し、その土で溝を埋めた。
またある時は、アマテラスがその大嘗(おおにえ:一年の最初に献じられる米)を食す、もっとも貴い社殿に泥沓で上がり込んだかと思うと、やおら下帯ごと袴を下ろし、凄まじい悪臭を放つ巨大な糞をあちこちにひり散らかした。

だが、アマテラスはこれを咎めなかった。
「弟がわが営田の畦を崩し、溝を埋めたは、新しき田を作らんと地をならしたのであろう。
また、大嘗を食す殿を汚したは、よい気分で酒(ささ)を飲み、酔うて吐き散らしてしもうたのであろう。」
と、むしろかばったのである。

あの誓約以来、アマテラスは弟スサノオに対して不憫と思い始めたばかりでなく、訳も聞かずに追い返そうとしたことに、申し訳なさをも感じていたのである。
だが、そのことによって、高天の原を律する決まりごとは崩れ、全体に混乱を招きつつあることは確かだった。


当のスサノオは、それによって行状を改めるどころか、
「ふん!
我は新しい田んぼを作ろうと思うたのでもなければ、酔うておったのでもないわい。
我は糞をひってやったのよ!」
と、アマテラスの言葉にかえっていら立ちを覚え、
ますます乱暴な振る舞いを繰り返すのだった。
そしてその怒りは、ついに、もっともあるまじき狼藉をスサノオになさしめたのである。


ある日アマテラスは、忌機屋(いみはたや:神聖な衣の生地を織る機屋)にて、天の機織女たちに生地を織らせていた。
すると突然、どすんと大きな衝撃が走ったかと思うと、天井がばりばりと音をたてて崩れた。
見上げると、大穴が空いた天井の縁には、すさまじい形相の弟スサノオが立っているではないか。
屋根に登ったスサノオが、忌機屋の屋根を一蹴りで踏み抜いたのである。

スサノオの片手には、皮を剥がれ、血を滴らせて痙攣する瀕死の馬が、軽々とぶら下げられていた。
アマテラスの厩から盗み出した、天の斑駒(あめのふちこま:斑模様の馬)の皮を、逆剥ぎ(尻から皮を剥ぐやり方)に剥いだのである。

スサノオは、ものも言わず、それを無造作にどさりと投げ落としてきた。
それまで、声も出せずに震えていた機織女たちは、いっせいに叫び声をあげて逃げ惑った。
その時、一人の機織女が尻もちをつくと、そのまま倒れて動かなくなった。
尻のあたりから、床に血の輪が広がった。
不幸にも、尻を落とした拍子に、梭(ひ:横糸を通すための、先の尖った道具)が女陰に突き刺さってしまったのだった。

この機織女は名をワカヒルメといい、アマテラスが、まるで自らの分身であるかのごとく、とりわけ慈しんでいた女神であった。(ワカヒルメという神については、『日本書紀』参照)
ワカヒルメは、アマテラスの目の前で、たちまちのうちに絶命したのだった。

続く



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古事記物語⑧ - 2009.06.20 Sat

岩戸籠り

ある日を境に、高天の原に朝が来なくなった。
陽の大御神であるアマテラスが、弟スサノオの狼藉に深く傷つき畏れて、突然、姿を隠してしまったからである。

高天の原に朝が来ないということは、もちろん、人草の住む葦原の中つ国も同様であった。
つまり、この世のすべてが、闇に包まれてしまったのである。

アマテラスは、誰にも告げず、ひとり天の安河の上流の方へと歩いていった。
安河の上流には、平らで広々とした川原があり、その川原を上流のほうから見下ろすようにして、岩石でできた洞窟があった。
ところがこの岩窟は、やはり岩石でできた一枚岩によって、戸のようにぴったりと塞がれていた。
これを天の岩戸(岩屋戸)という。

アマテラスは、他の者では決して動かすことのできないこの岩戸を開け、中に入って、再び閉じてしまったのである。
こうしたことが、神々の立てた占(まに)によって分かった。

いつまでも明けぬ闇夜は、まさに悪しき神々の領分であった。
スサノオが泣き続けていた時と同様、禍つ神とその眷属たちは、ありとあらゆる災いを高天の原と葦原の中つ国に引き起こし、耳元で飛び回る羽虫の声のごときその不気味な哄笑は、この世のあらゆる場所を満たしていた。

どれほど剛力の男神が動かそうとしても、岩戸はピクリとも動かなかった。
たしかにアマテラスは剛力ではあったが、どうやらそれだけではなく、何らかの呪(まじ)がかかっているようだった。


はじめは、ただまちまちに騒いでいた八百万(やおよろず)の神々も、ようやく団結し、アマテラスに再び現れてもらうための相談を始めたのだった。


岩戸の前、天の安河の大河原に集った神々は、まず高天の原随一の知恵の神であるオモイカネに、その方策をゆだねた。
占(まに)を立てたオモイカネは、庭火(にわび:焚き火)を囲む主だった神々の顔を見渡し、アマテラス再臨の呪術を行うための方策を、矢継ぎ早に告げた。

「まずは、大御神に朝が来たとお知らせせんがため、高天の原におるすべての常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり:人間界では鶏)を集めよ。」
次にイシコリドメに命じて、
「安河の川上にある天の堅石(かたしわ)を取って参り、鍛冶師アマツマラに請い、堅石の上で天の金山(かなやま)の鉄をもって、八咫鏡(やたのかがみ)を作らしめよ。」
タマオヤに命じて、
「五百の玉が連なる八尺の勾玉(やさかのまがたま)の飾りを作れ。」
アメノコヤネ、フトダマに命じて、
「呪(まじ)を行う刻限を、太占(ふとまに)にて知らしめよ。」
そして最後に、
「天の香具山に生える大真榊を一本、根こそぎに取って参り、上の枝には八尺の勾玉を取り付け、中の枝には八咫鏡を取り付け、下の枝には白和幣・青和幣(しろにきて・あおにきて:コウゾや麻の繊維を編んで作る、象徴的な飾り)を取り付けよ。」
と命じた。

八咫鏡(やたのかがみ)と八尺の勾玉(やさかのまがたま)は、今に伝わる三種の神器のうちの二つである。

こうして、アマテラス再臨の呪術をとり行う準備は整った。

続く



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古事記物語⑨-最終話 - 2009.06.24 Wed

呪術

岩戸の前の大河原には、高天の原に住む八百万の神々のすべてが集まり、みな思い思いの場所に腰を下ろし、アマテラス再臨の呪術の始まりを待った。

あちこちで庭火が焚かれ、河原は、夕闇ほどの明るさになっている。
岩戸の左右手前には、とくに大きな庭火が二つ焚かれていたのでもっと明るく、岩窟の岩肌を闇の中に浮かび上がらせていた。
その二つの庭火に挟まれるようにして、差し渡しが神の背丈二人分ほどもある大きな丸桶が、伏せて置かれている。

やがてフトダマが、おもむろに、八咫鏡(やたのかがみ)をはじめ種々の供え物の取り付けられた真榊を、岩戸の方に向けて捧げ持った。
これが、呪術開始の合図となった。

まず、アメノコヤネが祝詞(のりと)を奏上した。
別天つ(ことあまつ)神々、神代七代(かみよしちよ)の神々と、岩戸に籠もるアマテラス大御神に捧げられる言挙げの詞である。
その声は朗々として、あるいは高く、あるいは低く、砂浜に寄せては返す波のような静謐なリズムを作り出し、河原全体を包みこんだ。

祝詞が終わると、一人の偉丈夫の男神が、音もなく岩戸の脇のくぼみに身を潜めた。
高天の原随一の剛力の神、タヂカラオであった。

どこかから時折聞こえる、「コーケコッコ――――」という長鳴き鳥たちの声と、庭火の薪が、パチリ、パチリとはぜる音のほかには、咳き(しわぶき)一つ聞こえない静寂の中、一人の女神が静々と岩戸の前に進み出た。
女神は、伏せられた桶の上に乗ると、ゆっくりと岩戸を背にし、神々のほうに向き直った。
踊りの女神、アメノウズメであった。

アメノウズメは、髪にマサキノカズラを巻き、アメノヒカゲ(足の長いコケ)を襷(たすき)にかけ、手には束に結わえた笹の葉を捧げるように持っていた。
これらは、いずれも霊力が強いとされる植物ばかりである。

彼女は、頬も身体もふくよかで、眉もまなじりも下がっており、美しいというよりは、愛嬌たっぷりの顔立ちをしていた。
もちろん集中はしているのだが、その顔立ちのせいで、少し笑っているようにも見える。
性質も、いたって朗らかで茶目っ気のあることは、高天の原のどの神もよく知っていた。
厳かな雰囲気の中、居並ぶ神々もそれまでどこか緊張していたが、彼女の姿を見ただけで少し気が緩んだのか、ほっというため息のような声が、河原のあちこちから洩れた。

アメノウズメの腰が沈み、同時に笹を持つ手が大きく円を描いた。
すると、その動きを合図に、横手から笛の音が入り、木桶のような打楽器の音が「トーン!」と響いた。

目を奪われるような、みごとな舞だった。
ただ、そのみごとな舞の中にも、生来のひょうきんな性質は隠せない。
厳粛な儀式というよりも、ただただ我を忘れて、遊んでいるように見えてしまうのだ。

はじめはやや緩やかだったその舞は、徐々に速く、また激しくなった。
舞台となっている丸桶を踏んだり、跳び上がったりするたび、桶は「ドン!ドドン!」という大きな音を発し、その音は高天の原中にも轟くほどだった。
汗びっしょりのアメノウズメの表情は、すでに恍惚となり、今度は気のせいではなく、確かに歓喜の笑みを浮かべていた。
神懸りとなっているのである。

踊りはますます激しく、身にまとったカズラもヒカゲも千切れ飛んでいる。
衣は乱れ、すでにその大きな乳房はすっかり露わになっていた。
アメノウズメが、自分でかき出だしたのである。
また、裳(も:古代のスカート)の前も押し広げていたので、もはや陰毛までが丸出しである。
と、裳を括りつけていた紐が半分ほどけ、陰毛の上に垂れ下がった。
それでも、アメノウズメはお構いなしに踊り続けるので、その紐は跳ね上がり、生き物のようにぺたんぺたんと女陰を叩く。

ある神が、ついにたまらず吹き出した。
すると、その笑いは一瞬で河原にいる神々全体に広がった。
ドオーンッ!!
神々の爆笑する声は、まるで火山が噴火する音のようであり、高天の原全体を揺さぶった。

それでも、アメノウズメは気にもかけず踊り続ける。
ドオーンッ!! ドオーンッ!!
神々はみな大口を開けて立て続けに爆笑し、手を叩いた。
言うまでもなく、この神々の笑い声は、岩戸の内部にも届いていた。


弱き神

岩戸の内側は、仄暗かった。
本来ならば、陽の大御神であるアマテラスの身は光り輝いていて、あたりを明るく照らすはずなのだが、その力がひどく弱まっているのである。
あるいは、アマテラスが岩戸に籠もらずとも、夜明けは来なくなっていたのかもしれない。

力を弱まらせていたものは、アマテラス自身の迷いであった。
そしてその迷いは、スサノオという弟から生じていた。

父によって神逐らい(かむやらい)された弟を、高天の原に立ち入らせてしまったということは、アマテラスもまた父の命に背いたも同然である。
しかし、アマテラスがスサノオを追い返せなかったばかりか、その狼藉を咎める気にもなれなかったのは、黄泉に閉じ込められた母イザナミの悲しみと恨みが、スサノオに乗り移ったものであると、そう確信したからだった。
アマテラスは、スサノオに対しても、ましてや母イザナミに対しても、父イザナギのようには、ただただ厳格にはなれなかったのである。

だがしかし、その結果として、高天の原を混乱に陥れたばかりか、ワカヒルメをも無惨な死に追いやってしまった。
アマテラスは、独り岩屋に端座しながら、
「何と、弱き神であることよ……。」
と自らを嘲(わら)っていた。

もしもあの時、そのままスサノオを追い返していれば……、とも思うが、今再び同じ状況になったとしても、結局同じようにしかできなかったのではないか、と思う。
このように弱き神が、この高天の原を治め続けるなど、途方もないことに思えたが、同時に、父のようにただ厳格なだけでも、もはや高天の原を治めることはできないのでは、と、心のどこかで感じていたことも確かだった。

何かが変わらねばならなかった。
「籠もろう。」
そもそも、そうアマテラスが思ったのは、誰の意見も感情もいったん遮断し、自らの内部に深く坐す神霊に、その答えを求めるためだったのである。


復活

と、岩戸の外から、ゴーッ! ゴーッ! という地鳴りのような音が聞こえてきた。
怪訝に思ったアマテラスは立って、岩戸に耳を近づけた。
どうやら、大勢の神々の笑い声であるらしいことが分かる。

自分が籠もっていることで、世は暗闇となっているはずなのに、どうしてみな笑っているのか。
不思議で仕方なくなったアマテラスは、ついに、ほんの少しではあるが岩戸を開け、隙間から外をのぞいた。
すると、岩戸のすぐ前で、ほとんど裸体のアメノウズメが、いかにも楽しげに踊っているではないか。

アマテラスは目を丸くして、思わずアメノウズメに尋ねた。
「私が籠もり、高天の原の夜は明けぬというのに、何ゆえそなたはそのように楽しげに踊り、八百万の神々は笑うておるのじゃ?」
アメノウズメは、すかさず答えた。
「アマテラス様にも増して貴い大御神が、ここにおわすのです。それでみな笑い、遊んでいるのですよ!」
「私よりも貴い……?」

自らの弱さを嘲っていたアマテラスは、それも仕方のないことと思ったが、ではそれほどの貴い神がどのような姿をしているのか、どうしても見ずにはおれなくなった。
アマテラスは、さらに岩戸を大きく開いて、外を見回した。

すぐ近くに、その貴き大御神は立っていた。
考えていたよりも、はるかに気高く、力強く、そして清らかな女神であった。
このような自分どころか、まさしく父イザナギにも勝る大御神である。
「おお……!」
アマテラスは、そのあまりの貴さに見惚れ、吸い寄せられるように、一歩、二歩と、岩戸を出て女神に近づいた。

神々の歓声は止み、代わりに「おお……!」 「アマテラス様……」といったささやきが、あちこちから聞こえてくる。
あとは皆、ただ固唾を呑むばかりである。

不意に、アマテラスは何者かに手をつかまれ、ぐいと大きく引き出された。
岩戸の横に身を潜めていた、タヂカラオであった。
はっと我に返り、もう一度前を見ると、そこにいたのは何者でもなかった。
誰よりも貴い女神に見えたのは、フトダマの掲げる八咫鏡(やたのかがみ)に映った、自らの姿だったのである。

アマテラスは、刹那、
「肯(よし)。」
という声を聞いたように思った。
すべてがこれでよかったのだと知った。
父の命に背き、スサノオを咎めることもできず、ただ独り籠もって内省するしかなかった、この一見弱々しげなありようが、実は何よりも尊いあり方であり、同時に、黄泉に押し込められた母イザナミの神霊をも救ったのだということを、自ら理解したのだった。

タヂカラオが急いで岩戸を閉じようとしたが、アマテラスは、
「閉じてはならぬ。」
と、静かにそれを制した。
もう、闇を闇の世界に閉じ込めてはならない。
アマテラスは、閉じ込められた闇はやがて牙を剥く、ということを学んだのだった。
そこで、フトダマが岩屋戸にしめ縄を渡し、
「もう二度と、ここにはお還りくださいますな。」
と平伏して言った。

この瞬間、アマテラスの身は、以前にも増して燦然とした光を発し、高天の原も葦原の中つ国も、再び陽の光を取り戻したのだった。


スサノオの罰

八百万の神々によって罰を言い渡されるスサノオは、気味が悪いほどに大人しかった。
憑いたものが落ちるがごとくとは、このような有様を言うに違いなかった。
自分でも理由は分からないが、とにかく何だかすっきりしていたのである。

スサノオが言い渡された罰は、多くの貢物を納めることと、爪と髭を切られること、あとはまたしても、高天の原からの神逐らいだった。
貢物は仕方ないとしても、爪と髭を切られることなど罰とは言えない。
伸びすぎた爪や髭の先は、悪気の溜まる場所とされているので、それは罰というよりむしろ、一種の祓え(はらえ:清める行為)であった。
ましてや、神逐らいなど、すでに高天の原に用のなかったスサノオにとっては、無罪放免に等しい沙汰である。

神々のなすがままに爪と髭を切らせ、身を清められて、さっぱりとした心持になったスサノオは、一度も振り返ることなく、下界へと飛び降りて行ったのだった。

このスサノオという男神、葦原の中つ国でも、いくつかの破壊による創造をなした後、自らの望んだとおり、かつて母イザナミの支配していた地下世界に降り、その王となる。
ただ、その世界はもはや黄泉とは呼ばれず、根の国と名を変え、この後重要な役割を果たす国となったのであった。




……………………………………
今回、すなわち古事記物語最終回では、もう脚色部分の文字色は変えませんでした。
なぜなら、脚色部分が全体の半分ほどになってしまったので、見た目がうっとうしいと思ったからです。
では、どこをどのくらい脚色したかについては、次回ちょっと詳しく述べることにします。
なかなかに疲れましたので、今回はこれまでということで。



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『古事記』超訳-後記 - 2009.06.29 Mon

『古事記』の、この世の初めからアマテラス復活までの超訳を書き終えてから、少し日がたってしまった。
日本の正史のことなので、アマテラスの岩戸籠りのくだりでどこをどう脚色したか、一応簡単に書いておこうと思う。


まず大きな部分で言うと、アマテラスの内面的な動きについては、原文には一切記述はない。
つまり、「弱き神」の節は、まるまる私の創作である。

ただ原文のままに読むならば、はじめは完全武装までしてスサノオを追い返そうとしていたのに、あとはスサノオのしたい放題の行状にも文句一つ言わず、果てはただ恐れて籠もってしまうアマテラスの行動は、やはり理解しがたい。
私自身、かつては「神様というのは、人間には理解できない行動を取るものだ」という程度にしか思っていなかった。

しかし、以前『古事記』の心理学的・象徴的解釈を試みた際、アマテラスの行動が、決して論理的に筋の通らないものではないことに気づき、今回はその時の解釈を脚色として含めたわけである。
実を言うと、この部分こそが、アマテラス復活を解釈する上での最も大切な部分ですらある。

また、呪術が行われた際の情景描写は、アメノウズメの神楽の系譜に深く関わる神社である、奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮での取材、他の神社での体験、日本書紀での記述などを参考に、ある程度リアリティーを考慮しつつ想像して書いた。

さらに、アメノウズメの行動はほぼ原文のままだが、キャラクターに関する記述は原文にはなく、これも私の解釈に基づく創作が含まれている。
河合隼雄氏は『古事記』のこのくだりを解釈し、「女陰には、明けをもたらすマナ的霊力があるのだ」と述べておられたが、正直そのニュアンスだと、神々はまるで魔法にかかって笑ってしまったように思えてしまい、あまりしっくりこなかった。

しかし、アメノウズメを一人のお笑い芸人として見れば、裸になって笑わせるというのは、不思議なことでも何でもない。
しかも、お笑い芸能の「真実を露呈させる」という機能は、物語の文脈から言ってもぴったり当てはまるので、ある程度お笑い芸人を意識してキャラクターを設定した。

ただ、『古事記』における、このあとの国譲りのくだりでのアメノウズメの活躍の仕方などを見ても、このキャラクター設定は妥当であると、自負はしている。

スサノオの罰については、原文にない表現はある程度含まれるが、何冊かの古事記研究書などを基にしているので、その中身はまず妥当だと思う。

なお、細かい点ではあるが、アマテラスが岩戸から出た後、タヂカラオが急いでそれを閉めようとしたところ、アマテラスが制したと書いたが、これは私の小さな創作である。
原文では、フトダマが、さっさと岩戸に尻くめ縄(しめ縄)を渡してしまう。

アマテラスがいったん制することにしたのは、父イザナギは千引きの石という強力な遮蔽物によってあの世を閉じ込めてしまったが、アマテラスにあっては、闇の世界を閉じ込めず、ただしめ縄で境界線を引いただけであることを強調したかったからである。



ともあれ、非常に楽しい作業だった。
自画自賛するわけではないが、みんなに「ね、古事記って面白いでしょ?」と普通に問いたい。
ちなみに、コメントばかりでなく、「古事記、面白いです」と、自分から触れてくださったクライアントの方も少なくなく、少々気をよくしているところである。

さて、残るは解釈なのだが、気軽に読めて分かりやすくて、しかも物語の意味の深い部分に触れるというのは、やはり至難の業のように思えてきている。

「やっぱりだめでした」となるかも知れませんが、次回以降、とにかく頑張れるだけ頑張ってみます。



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神話の効力 - 2009.07.03 Fri

『古事記』の超訳を書きはじめた頃、「甲羅を脱がなければ背骨は通らない」という記事をはさんで書いた。
その記事で書いたとおり、臨床心理士の資格を放棄したその日から、ついつい唾をゴクリと飲んでしまうチックが出ていた。
ほぼ丸3ヶ月、「やっかいだなあ」と思いつつ、症状に付き合っていたわけである。

それが、今度は神話を書き上げたその日に、まだ100パーセントとは言えないまでも、ほぼ完全に症状が消失した。
ほんの少し予想はしていたのだが、我ながら不思議だと思う。
しばらく様子を見てみないことには安易に判断するわけにはいかないから、今日までそのことを書かなかったが、どうやら間違いないようだ。

語り継がれる物語、神話やおとぎ話の力を、身をもって体験したことになるのだろう。

ゾクリと興奮する。



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講習会『日本神話と人間関係』-「異」なるものとの対立を超えること - 2010.08.01 Sun

7月25日、大阪は難波神社の一室で、クライアントの方々にのみ告知し、ごくクローズドの形で講習会を行なった。
テーマは『日本神話と人間関係』(副題-「異」なるものとの対立を超えること)である。

以前、このブログで日本神話である『古事記』の現代語超訳をこころみ、その心理学的解釈を行なうと予告していたのだが、分かりやすい言葉で文にすることがあまりに難しく、断念している状態だった。
しかし、相手の顔を見ながら語り言葉で伝えることは可能だと思い、講習会のテーマに選んだわけである。

こういった講義や講演を行うと、内容が真面目なものであるだけに、たいてい眠気を感じる人がある程度の割合でいるものだが、今回の講習会では、そうしたことがまったく感じられなかった。
この体験だけでも、私にとってはかなり新鮮だったのだが、その後参加者の方々から寄せられた感想を読ませていただくと、かなり深く聞き込んでくださっていたのが分かる。
まったく、貴重な体験だった。

講義の形は、あらかじめパワーポイントで資料を作成し、プロジェクターを使ってスクリーンに映し出す方法を取ったのだが、数日前からPCの調子が悪く、途中何度も機械がダウンするというトラブルがあった。
大変申し訳ないことではあったが、参加者の方々は生きた感性の持ち主ばかりだったので、「やはり有機的な場とPCは相性が悪い」と思ったものである。


以下は、そのときの内容のダイジェストである。
要約なので、意味が分かりにくいところがあると思うが、このブログで書いた『古事記』超訳を今一度読んでいただければ、おおよそご理解いただけるのではないかと思う。




「日本神話と人間関係」 -「異」なるものとの対立を超えること


1. 人間にとって、神話・昔話がなぜ大切なのか(なぜ心理学の研究対象となりうるのか)

・神話・昔話のストーリーは、基本的に無文字社会での言い伝えがベースになっていると考えられる。文字によって記録されていないので、代々語り継がれる過程で、話は少しずつ作りかえられる。しかし、そのことによって、万人にとってよりしっくりとくるストーリーが出来上がっていくと考えられる。
物語が文字で記録されると、改変が行なわれなくなるために、物語の成長は止まると言ってもいい。
・こうして、神話や昔話は、人の心のしくみや心の成長のプロセスを、表現するようになる。=普遍的無意識(ユング)の内容の表現
・神話は「自分はどこから来たのか」を教え、セルフ・アイデンティティー(自分はこれこれの者である、という意識)を安定させる。


2. アメノヌボコ - 攪拌の心理段階
(イザナギ・イザナミが、天の沼矛で海をかき混ぜたくだりより)

・渦以前は そこもここも違いがない =新生児の世界(自他が分かれていない)
・渦には中心がある・・・動かない一点(渦の中心)が決まったことで、一応そことここの違いが生じている。 =空間の広がりが認識される、最初の意識段階
・でも、いまだ渦の中では、右も左も分からない
この心理段階の例……周りを振り回す中心人物(ワンマン社長とか、自己中心的親とか……)。いわゆる「カリスマ性」を持った人で、このタイプの人は多い。

特徴……一貫性がないのに自信たっぷり
⇒周りは、いつもその人の顔色を見、何を考えているのか読みとることに専念してしまう。
⇒「私はこの人を尊敬している」と脳が勘違いを起こしてしまう。
=中心に立つためには、矛盾が必要(この人にとっては、論理は毒薬)
これがイザナギの性格


3. イザナギ(・イザナミ)の性格

・イザナギとイザナミの関係
    ・男が先に口をきかなければならない
    ・目に映る女性(イザナミ)の姿は  最高の美 ⇔ 最低の醜悪
    =男尊女卑的・善悪二極的

・矛盾に満ちている
    ・死者を追いかけ、黄泉に降ってしまう
    ・本人の罪ではないのに、ヒノカグツチの首を切り落とす
    ・「見るな」と言われても、我慢できずに見る
    ・自分が戻ってくれと頼んだのに逃げ出し、イザナミを黄泉に閉じ込め、憎む
    ・スサノオに腹を立て 「もうわしは知らん」と役割放棄…ets.

  「千引きの石」がイザナギの性格を表現 = あちらとこちらを無理矢理分ける



4. 男性性と女性性の(代表的な)現れ方

《男性性》  意識性の強いとき……知的・論理的   無意識性の強いとき……高圧的・無茶苦茶な理屈

《女性性》  意識性の強いとき……情緒的・生命力  無意識性の強いとき……取り込む支配性・疑心暗鬼(不安)


5. 三貴子の性格

・アマテラス・・・イザナギの左目より生まれる
   ⇒明るい場所を見る能力
・ツクヨミ・・・イザナギの右目より生まれる
   ⇒暗い場所を見る能力
・スサノオ・・・イザナギの鼻より生まれる
   ⇒本能的に嗅ぎ分ける能力(動物的・本能的)


6. スサノオの性格

・スサノオ・・・名の由来は「荒(すさ)の男」か
    荒々しさ = 自然災害そのもののような神
・母に会いたいと泣き叫ぶ・・・幼児的
・海原の統治を命じられる・・・無意識的(海や沼・池は無意識を象徴する)
すべてにおいて 自然そのもの

ということは、
・スサノオの駄々こね・乱暴狼藉も自然の機能(ホメオスタシス)?
※ホメオスタシス……生物のもつ、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生体の状態が一定に保たれるという性質

つまりスサノオは、イザナギ・イザナミが作り出した世界のアンバランス(母性が抑圧されすぎた状態)を補正しようとしていた。=イザナミの神霊を救う衝動



7. スサノオの行動の意味

・母に会いたいと泣き叫ぶ ⇒ 母性を遮断していてはならないと 訴えている
・田の畦を壊し 溝を埋める ⇒ 境界線を 取り払おうとしている
・神聖な場所に糞をひる ⇒ 現在の価値観を壊そうとしている
  =ギリシャ神話での「ディオニュッソス(バッコス)」に相当するキャラクター
・馬の生皮を忌機屋に投げ入れる(ワカヒルメの死) ⇒ アマテラス(=古い価値観の代表者)を心理的に殺害し、より高度な論理を確立させる

梭(ひ)とは 横糸を通すための道具 …… 二極構造から四極構造へ



8. アマテラスの性格の移り変わり

・生真面目でズルができない = 完全なうつ性格

 1. 最初に物語に登場したとき
    父親イザナギと同じ立場に立ち、厳格・高圧的
 2. 誓約(ウケヒ)後 ~ 忌機屋のくだり
    受動的・なされるがまま = 無意識のメッセージに心を開く段階
 3. 天の岩戸のくだり
    内向的・内省的 = 受け入れ、同化する段階



9. 誓約(ウケヒ)~忌機屋の段階

・誓約については 日本書紀にいろいろな物語がある
  (スサノオの子が女ばかりだったので、怒って暴れる…ets)
・単に弟をかばうというより、田を滅茶苦茶にしたり神殿に糞を撒き散らしたことの、意味を考えようとしている。
・アマテラスは別名をオオヒルメノムチといい、死んだ機織女は「ワカヒルメ」と日本書紀にある。(ヒル=太陽のこと)
機織女はアマテラスの分身
つまり、ワカヒルメの死とはアマテラスの象徴的死


10. 梭(ひ)について

・論理・理性は、ものごとを判別する(切り分ける)ものであることから、よく剣などで象徴される。梭もまた、縦糸を分けて横糸を通すものであり、ワカヒルメの女陰を突いて死なせたことは、それと同じこと。
・加えて……これまでの二極構造に終止符を打ち、十字(縦糸と横糸のクロス)によって象徴される、高度な精神構造(四極構造)に生まれ変わらせる行為。
・さらに……逆剥ぎの馬を女性の世界に投げ入れるのは、いわば強姦の隠喩だが、これは、この時点ではまだ充分に自我(アマテラス)が、無意識(スサノオ)の投げかけるものを受け入れられてなかったため。


11. 岩戸ごもりの段階

・スサノオの投げかけたものを、受け入れ同化する段階
・女性にとっての 「籠もる」ことの重要性
   生理前症候群(PMS)では、籠もることが許されない状況が関係?
   =ダイエット不可能 ・過食が出やすい

内から生じてくる身体感覚・感情・想念に逆らわず、それらを充分に感じ、自分で自分を抱えること。



12. タマフリの呪術

・真榊・・・神の姿を模したもの?
・鏡・・・これこそがカウンセラーではないかと!(その人の歩んだ道の尊さを映し返す)
・アメノウズメの踊り
   ・ 裸踊りはお笑いの基本?
   ・ 「舞踊」のうち アメノウズメのは「踊り」←「桶を踏みとどろこす」
     「舞」は円運動 ・・・求心性を高める
     「踊り」は縦の動き ・・・シェイクすることで、物事をあるべき場所に治める
   ・ 女陰を見せる
     「お笑い」はありのままの姿を露呈させ、受け入れさせる機能を持つ



13. アマテラス再臨

・一般に、万事に迷いのないイザナギタイプの人のほうが
 尊敬を集めやすい ←父親コンプレックス
・鏡を見て、自らの偉大さを知る =父親越え・父親殺し
岩戸は閉じられない ただしめ縄を掛けたのみ
   ・異界(未知なるもの)との風通しを良くしておくことで、ものごと本来の意味を見失わない
   ・自らの意志によって、こちらとあちらを分ける =常に主体性が関与



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大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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