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2017-07

戯言です - 2010.06.21 Mon

昔、大学で所属していたクラブで、後輩の指導上、相手の緊張をほぐすためいろいろと工夫を凝らしていた頃、こんな空想にふけっていたことがある(正直、あまり活かすことはできなかったのだが)。



ある若い書道家の卵が(私が属していたのは書道部ではない)紙に向かい、懸命に文字を書いている。
何枚も何枚も書くのだが、いくら書いてもどこかがうまくいかず、彼はイライラする。

不意に、彼の師匠が、うしろからぽんと肩を叩く。
彼は、自分の肩に異様に力が入っており、自分のイメージする形を描き出すことにこだわりすぎていたことに気づく。

彼は何度か肩を上下にゆすり、肩から力を抜いて書いてみる。
筆の運びにゆとりが生まれ、かえって自分のイメージ以上に優美な文字が生まれてくるのを感じる。

しばらくたち、彼は再び壁にぶち当たっている。
やはり何度書いても、思うように筆が運べない。
「また肩に力が入ってしまってるんじゃないか」と、彼は何度もチェックしてみる。

確かに力が入っている。
しかし今度は、何度力を抜こうと肩をゆすってみても、思うように力が抜けてくれない。
「力よ抜けろ」と念じつつ、彼は書き続ける。

と、彼の師匠が、またしても不意に後ろから肩をぽんと叩いた。
彼ははっとする。
力を込めようとする肩から無理に力を抜こうとすることが、かえって「自分」を歪めていたのだ。



肩に力が入るのはかまわない。
腹を立てることも、恨めしい相手を恨むこともかまわない、と私は思う。
「人を恨んではいけない」と思い、かえってそれがとらわれになっていた人が、「恨んでもいいんだ」と気づいたその日から、相手に対する興味そのものが消えたという話は、決して珍しくない。
いまさら言うまでもないが、人の心の綾、心の妙には果てしがない。


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「がんばれ」と「腕組み」 - 2011.04.21 Thu

カウンセリングにはいくつかの通説というものがあるが、当然ながら、それらは必ずしも正しいものとは限らない。
というよりも、疑ってみるべきものばかりであるように、私には感じられる。

ちょっと有名なのをあげてみると、

「うつの人に『がんばれ』という言葉を使ってはならない」
「腕組みをするのは拒絶のサインだから、カウンセラーは腕組みをしてはならない」
などである。

これらについて、私が気をつけているかどうかと言うと、ほとんどまったく気にしていない。

たしかに、うつで仕事にいけない人に対し、「明日こそは、がんばって仕事に行きましょう」と言うべきでないのは当然だ。
がんばって行けるくらいなら、はじめからカウンセリングなど受けに来るはずがないし、仕事に行こうととことんまでがんばってきた人に対して、「あなたはまだがんばっていない」と言うのと同じだからである。

本質的に、うつになる人たちは、がんばれない人たちではない。
その多くは、周りの状況が人よりも見えてしまうために、多くのものを一人で抱え込まざるを得ず、人知れずがんばり抜いてた人たちなのだ。

だが、うつの人が非常に重要な内省的思考に入り込むなどしたとき、
「これは、是非がんばって考え抜くべきですね」
と言うべき場合がある。
うつの人々の多くは、自分のクヨクヨ思考にうんざりしているが、反面迷いやブレのない思考は、しばしば大切な結論を導き出すことがあるので、こちらも迷いなくそれを支持し、強化せねばならないことがあるのだ。

もちろん、プロセスの文脈やクライアントの気合いを、慎重にかつ鋭く見据えた上でのことである。


また、カウンセラーの腕組みについては、なぜそれが必ず「拒絶のサイン」になるというのか、まったく理解に苦しむ。

椅子の背もたれに背中を預け、そっくり返るように大きく腕組みをすれば、そうしたサインとなることは多いだろう。
しかし、たとえば、クライアントが非常に大切な記憶の想起をはじめた際に、身を乗り出しつつキュッと小さく腕組みをした場合、
「私は一切口をはさまず、今からあなたの言うことに完全に耳を傾けます」
という態度の現われとなることもある。

つまりその場合、「私は話さない」というサインになり、クライアントは安心して最後まで話し切ることにつながるのである。
そもそも、カウンセラーがクライアントの話を拒絶すること自体、あってはいけないとは限らないのだ。

おしなべて言うと、すべては「中身」と「文脈」次第なのであり、クライアントとカウンセラー双方の性格に左右される部分があるものの、この言葉、この仕草がいけないという固まった考えは持つべきではない。
これは武術で言うところの「居付き」に相当する(……たぶん)。



以前、臨床心理士関係の権威ある機関誌の中で、カウンセリング中クライアントにコーヒーを出すようなカウンセラーは、臨床心理士会から除名するべきではないかという議論が真剣に行われ、掲載されていた。
その議論のくだらなさから、しばし脱力感に見舞われたものである。

そうした形が適切だと判断したならば、あっていいに決まっている。
そもそも除名論者は、実際にそれをやってみた上で「あってはならない」と判断したわけではない。
ただただ多数派であることを頼みに、根拠にならない根拠を並べ立てていたに過ぎない。

ちなみに、私はクライアントにコーヒーを出しはしないが、それは、コーヒーを用意する手間が取れないという理由からに過ぎない。
クライアントがペットボトルの飲み物を持参し、「これ、飲んでてもいいですか?」と言われたときには、「私もコーヒー飲んでいいですか?」とマグカップのコーヒーを持ち込むことはある。

固まった印象に依存し、自分の頭で考えられない者に、適切な判断は期待できない。


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Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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