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2008-06

タイトルを変更した - 2008.06.30 Mon

ブログのタイトルを、「幸朋カウンセリングルームでの日々」から、「「うつ」-自分にうそがつけない人たち」に変更した。

理由は2つある。

カウンセリングを受けにこられる方々は、もちろんうつの人ばかりではないのだが、私にはやはり、うつが現代人の病理をもっとも端的に現しているように思える、というのが理由の一つ。

もう一つの理由は、私自身も長らくうつ状態に陥り、なんとか「乗り越えた」と言えるほどの経験を持っているからである。

ブログやホームページで、「うつ」の人の病理や現実について少し触れてきたが、それはうつの方々と会ってきた経験だけがベースになっているのではなく、むしろ多分に自分自身の経験に基づいた話である。

今後もそういったスタンスで、このブログを綴っていくことになるが、ここらでうつと自分との関係をはっきりさせておきたかった、ということである。

ADHDと性格、広汎性発達障害と犯罪 - 2008.06.20 Fri

非常に興味深い記事を見つけた。
http://www.afpbb.com/article/3017791

かなり大雑把に結論だけを要約すると、主に集団行動において問題の生じる発達障害の一種であるADHD(注意欠陥多動性障害)の遺伝因子は、ある特定の生活形態においては、むしろ優位に作用している可能性がある、ということである。

つまり、ADHDは障害というよりも、本来、ある環境に適応するために人類が生み出した、一種の「性格」かもしれないというわけだ。

かなり興奮した。
私自身カウンセラーとして、ADHDや広汎性発達障害(高機能自閉症やアスペルガーなど)の子どもたちと接するとき、常に、やはりこれは一種の性格と考えるべきではないかと感じ続けてきたからである。

たとえばADHDとされる人は、行動が衝動的であるという特徴を持つが、それは言い方を変えると、本能の命ずるままに躊躇なく動くということであり、そのような性質が優位に働く場面は容易に想定できる。
たとえば、多くの動物とともに暮らす生活形態などにおいてである。
実際、冒頭に上げた記事によれば、この仮説のための研究対象となったのは、アフリカの遊牧民だった。
他に、アスペルガー症候群の人たちの徹底したマニアックな感覚・行動パターンなども、ある種の職人やある種の研究者としては、むしろその職業が向いている特徴だといってよい。

では、こういった人たちにとって、まったく不向きな環境とは何か。

言うまでもなくそれは、集団や組織だ。
もっと正確に言うならば、平板な価値観に支配され、画一的な行動や発言を要求される集団や組織である。
その最たるものの代表は、まずもって学校ではないだろうか。

現代の日本社会の中で、ADHDや広汎性発達障害が最初にクローズアップされたのは、まさに学校場面においてなのである。

そこに適応できないからといって、彼らばかりを異常とみなして、学校の構造的矛盾・異常さに目を向けないのは、論理的に不完全といわざるを得ない。

不登校についても、本人の能力にも家庭にもさほど大きな問題のない人が不登校になってしまうケースが、最近は異常に多い。

学校側の矛盾に目が向けられていない以上、ADHDや広汎性発達障害とされる人々は、不当に異常者扱いされてしまっていることになる。

昨今、猟奇的で無差別な犯罪が社会問題となり、犯人の広汎性発達障害の可能性がよく取りざたされるが、彼らが異常だから犯罪を犯したというよりも、不当な形で学校や周囲から否定され続けた生育歴が、爆発的な攻撃衝動を引き起こしてしまったケースは少なくないはずだ。



以下が記事の全文

注意欠陥多動性障害は遊牧民には有利か、米大学研究
2008年06月11日 12:10 発信地:シカゴ/米国

【6月11日 AFP】注意欠陥多動性障害(ADHD)に関連した遺伝子が、遊牧生活においては人間を環境に適応させる影響力を持つかもしれないとの研究が、9日の生物学誌「BMC Evolutionary Biology」に発表された。

 米ノースウエスタン大学(Northwestern University)の研究チームは、ケニアの遊牧民を対象に行った調査で、ADHDとの関係が指摘されているドーパミン受容体遺伝子が、牛を放牧する遊牧民の集団においては良好な健康状態と理想的な体重をもたらす一方、最近定住して農業を営むようになった彼らの親族では栄養不良を引き起こした可能性があることを突き止めた。

 研究を主導した大学院生(人類学)のダン・アイゼンバーグ(Dan Eisenberg)さんは、「人間の数ある個性の一部が、状況に応じて進化上有利になったり有害になったりする可能性を示唆している」と指摘。「ADHDを単に病気としてではなく、適応要素の1つとして考えられるようになるかもしれない」と述べた。

 ドーパミン受容体遺伝子は、衝動や期待感、依存などに作用し、食欲やADHDにも影響していると考えられている。

 こうした遺伝子の影響に関する調査はこれまで、産業の発達した社会では行われてきたが、ヒトの遺伝子が進化してきた過程をより色濃く反映した生存環境で調査が行われたことはほとんどなかった。

 アイゼンバーグさんは、こうした対立遺伝子を持った遊牧民の少年は、家畜を守ったり食料や水を探し当てる上で力を発揮できる一方、学校に通ったり農業を営んだり、物を売ったりといった定住生活では成功しない可能性があるとしている。(c)AFP

子どもの心のでこぼこについて④ - 2008.06.03 Tue

「将来」のためではなく……


さて、述べてきましたように、子どもたちは、実はきわめて大きな社会的役割を果たしていたわけですが、目に見えて何か有用なものを作り出しているわけではありません。そのため、その働きは非常にわかりにくいものです。
私は、今日ほとんどの子どもたちが、受験という過酷で非人間的な競争へと追い込まれざるを得ないのは、子どもが何の社会貢献も果たしていないという誤解からくる部分は、大きいと思っています。
なぜなら、今現在、何の役にも立っていないならば、ただひたすら「将来」のためだけに、何かをさせるしかなくなるからです。

「将来のために」という言葉は、子どもに対する、日常生活にいたるまでの管理と、単調な記憶・つめ込み勉強の強要、楽しみごとの剥奪といった、心という次元から見れば虐待そのものともいえる大人の行為を正当化します。
また同時に、実は世間体のよさや将来の経済的安定といった親の願望を、美談とすりかえてしまいます。
そしてその反面、子どもたちの「今この時」の大切さに対しては、ますます目を閉ざさせます。

子どもは決して、「将来」しかもたない存在ではありません。
また「遊ぶ」ということは、子どもにとって生きる意味そのものですらあるのです。

不慮の事故によって子どもを失った母親が、
「こんなことになるのがわかっていたら、あれもこれも、もっとやりたいようにさせてあげればよかった。」
と話し、自らを責めさいなむ姿はあまりに悲痛で、かけるべき言葉も見つかりません。
事実、「将来」そのものを失ったその子にとっては、ただ辛抱・我慢ばかりの人生だったということになるのですから。

さらに、私の臨床経験から見ても、本来の意味での豊かな「将来」とは、「今この時」に本来するべきこと(というより心底したいと感じること)を存分にやった先にこそ、存在するものです。

ここまで、子どもという存在を中心に話してきましたが、よく考えていただけば、すべての話が、実は大人にも当てはまるものであるということが、お分かりになると思います。

地域社会の支えがなくなって、子育ての不安や孤独感にさいなまれ、ただただ老後という「将来」のために、正直な感情を押し殺して、ひたすら蓄財と健康に腐心するだけの虚しさを抱えねばならないということは、大人にとっても大きな問題です。

今日たくさん報告される児童・乳幼児虐待とは、社会に潜在する、大きな虚無感という氷山の一角です。
それは、大人の中にも住んでいる子どもの心、自然にあるがままの正直な心を否定し、抑圧する傾向が、もっともあからさまな形で具現したものにほかなりません。

言いかえるならば、それは素直な感情の否定であり、感情の否定とは、生きる意味を失うということと同じなのです。

ただ、一部の人間がいくら「子どもの心を大切にしよう」と訴えても、社会全体からいかほども反応があるとは思えません。今日、子どもたちがさらされている過酷な状況も、逆らいようのない歴史の結果、ある種の必然であるには違いないからです。
それよりも、まずは道がアスファルトで覆われていない街づくりを考えてみるほうが、むしろ実は効果的なのではないかと、私は真面目に夢想します。

子どもの心のでこぼこについて③ - 2008.06.02 Mon

カウンセリングでできること・できないこと


ところで、今日、カウンセラーという職業は日増しに社会に認知されつつあり、同時にカウンセラーを志望する若者の数も、少子化の流れに逆行して、いまだ増加の一途をたどっています。

しかし、なぜ人々は、カウンセラーにこれほどまでに大きな社会的役割を期待し、また、自らもその仕事をしたいと考えるようになったのでしょうか。

もちろん、臨床心理学や深層心理学が、一般の人には分からない人間の心の深みを説明するものとして、あまりに過大評価されているせいもあると思います。
しかし、社会的背景の視点から見れば、何よりもまず、日本の大部分の地域において、小さな地域社会―いわゆるご近所づきあいが、実質的には崩壊してしまったため、その機能に代わるものが必要とされた結果だと、私は考えています。

近所づきあいがいい形で機能している場合、子育てはそれぞれの家庭の親だけがするものではなく、ご近所全体が行なうものとなります。
そして、子育てを助けてくれる人がいる分、子育てに対する親のプレッシャーも、うんと小さくなります。

例えば、毎日ことさらに頼まなくとも、向かいのおばあちゃんが子どもの面倒を見ていてくれたり、また、たいてい子どもたちは集団で遊んだので、グループ内の年長の子どもらは、小さな子を、その親から預かっているという責任感を持っていました。
つまり、子育てに対する責任の意識が、いい形で分散していることが多かったのです。

これは、実は子どもの側からも大切なことで、大人の監視や管理から外れた場所で、自分たちだけで何とかやっていくことに喜びが生まれ、集団への適応能力、あるいは集団を治める能力の成長がスムーズに行なわれます。

またこのことは、地域社会が子どもたちの心の生育に役立っていたばかりでなく、子どもや年寄りの存在がご近所をつなぎ、縁の下の力持ちになっていたことをも意味します。

ただただいたわられて、誰もが気分のよくなるものではありません。誰かに役割を期待され、それに応えることで、はじめて安心してこの世に身を置けるのがむしろ普通です。

お年寄りや子どもだって、例外ではありません。

とにかく、たった一組の親が子育ての全責任を負うというのは、とてつもなく難しい、というよりも、ほとんど不可能と言わねばなりません。
児童虐待を非人道的と非難し、その親や児童相談所を責めたてるばかりでなく、虐待が増加せざるをえない現代の社会状況を自覚し、改善する道に、一刻も早く私たちはふみ出さねばなりません。

私の生まれた街では、道路がアスファルトで固められて以来、子どもたちがあまり外で遊ばなくなり、またそれに連れて、近所の神社のお祭りがどこか白けたものとなりました。
また、細い路地の奥にあった、私たち近所の子どもしか知らない、またそれだけにかけがえのない子どもの社交場であった小さな駄菓子屋さんが、ひっそりと廃業しました。

それらは、まぎれもなく小地域社会の崩壊を意味していました。

現代特有の社会問題がいくつも絡み合っているので、私の街に起こった、そしておそらくは全国いたるところで起きたであろうこのような現象を、すべて道路舗装のせいにしていいとは思いません。
しかし、地面の共有によって結ばれた子どもやお年寄りのつながりが、地域社会の大きな基礎、あるいはつなぎになっていたことは、間違いないと思います。
そのような条件の下では、子どももお年よりも決してムダに存在するものではないのです。

気持ちの断絶してしまった親子がカウンセリングに訪れた場合、カウンセラーは、どうしてもお互いが正面から向き合うことを促す場合が多いのですが、そのやり方が適していないと感じる場合も少なくありません。
「親子が真正面から向き合う」というのは、いかにも明快な言葉ですが、実際にはそれらはあまりにも困難なことであり、向き合わなくてすむならば、向き合わない方が幸せな場合も多々あるからです。

親子ばかりではなく、自分自身と向き合うことすら、決して安易に勧められる道ではありません。それは、ある意味特殊な、非常に厳しい自分自身との関係のあり方で、生きた地域社会はそうせずともやっていける道を、人々に与えていました。

言いかえるならば、実質的に崩れてしまった地域社会に対して、その役割をカウンセラーと呼ばれる人々・カウンセリングという方法が、すべて取って代わるなどということは、現実的にありえません。
もし、カウンセラーに充分な力量があったとしても、カウンセリングという方法が効果的に適用できるのは、実際には、かなり限られた状況や性格の持ち主に対してだけなのです。

子どもの心のでこぼこについて② - 2008.06.01 Sun

心のでこぼこ


昨今よく指摘されるように、キレやすい子どもたちが増えている、つまり、多くの子どもたちの感情表現が、衝動的・爆発的で単調になってきたことは、やはりどうやら事実のようです。
私はこのことを、人間の本能や情念といった形で表現される心的エネルギー、すなわちリビドーを受け止めるべき「心のヒダ」「心のでこぼこ」が、極端に少なくなってしまった結果ではないかと考えています。

もう少し正確にいえば、それは、とくに感情を中心とした心の構造の複雑さ、多様さということですが、人間の情緒の豊かさは、人間や動物・物との豊かな関係や、きちんとした別れの経験(暴力的な剥奪ではなく!)によって育まれます。
イメージとしては、「ヒダ」や「でこぼこ」のない心とは、水がサーッと流れていってしまうガラス板のようなものですが、リビドーを受け止めることのできる感情豊かな心とは、水を吸収したりためておくことのできる、スポンジのようなものだといえるでしょう。

また、言うまでもなく、私の言う心の「ヒダ」や「でこぼこ」は、単にリビドーの流れを緩やかにさせるためだけのものではありません。
それは本来、リビドーという本能的エネルギーを、文化的な行動や言葉を通じての自己表現、あるいは夢や希望や思考といった内面的な活動へと、変換させるための機能のことなのです。

この「でこぼこ」が多いか少ないかという対比は、土の道と舗装道路の違いと実によく似ていますが、実は、明治時代以前・以後の河川においても、まさにこのイメージと同じような変化が起きていました。

武田信玄の治水に代表される日本の伝統的河川工法は、「河川の洪水は、山や森の豊かな養分を、耕地にもたらす恵みである」、という前提のもとに考えられていたので、わざわざ堤防のあちこちに低くなった部分が作られました。
つまりそれは、耕地への洪水の取り込み口です。
また、それは同時に、大雨の後の大きな川のエネルギーが、家々を破壊しないための水の逃げ口でもありました。

またさらには、増水しても川の流れが緩やかであるように、川の護岸や川底には聖牛(せいぎゅう)や出(だし)とよばれるさまざまな障害物、つまり「でこぼこ」も設けられました。
こういった日本古来の治水の考え方は、川を陸地から遮断する現在の治水の発想とはまったく異なっており、「減勢治水」とよばれます。

それらの障害物は、同時に、魚をはじめとする水中生物の巣となるばかりでなく、川を中心とする動植物の生態系全体を育み、その恵みを人間にも与えてくれました。

明治政府により、海外から最初に招かれた河川土木技師の一人、オランダ人デレーケは、長い年月を費やして日本各地の河川をつぶさに調査し、その特性を見極めて、河床傾斜の急な日本の河川には、日本古来の河川工法がもっとも適しているとの結論を出しました。
しかし、当時の明治政府にとっての至上課題は、殖産興業・富国強兵であったため、かえって彼は明治政府から排除されることとなり、代わりに別のイギリス人技師が登用されました。
そして結果的には、今日の日本の河川工事の基となるような工法で、日本の一級河川の姿は一変させられてしまったのです。

当時、軍事産業を中心とする重工業の発展のためには、河川を運河として活用する必要があり、そのためには、真っ直ぐで深い川が必要だったからです。

現在の河川工法では、陸地と水、あるいは上流と下流を、コンクリートの護岸やダムによって、「でこぼこ」のない線できっぱりと分けます。
洪水はできるだけ起きないほうがいいという発想から、山から流れてきた水は人間が100 パーセントコントロールし、排水の運搬や飲料水としての用が済めば、一刻も早く海に流し込んでしまう目的のためです。

しかし、こういった力ずくの治水法は、深刻な自然破壊をもたらすばかりでなく、その存続のために莫大な国費を投じ続けなければなりません。長野県で最初にあがった「脱ダム宣言」の発想は、こういう川特有の弊害から始まっています。

河川工法の変化が、直接子どもたちの心に与えた影響は、大きくはないかもしれません。しかし、その変化のあり方がどこか似ているというのは、決して偶然ではありません。
つまりこれらは、見た目がムダ・厄介に見えるものはすべて排除してしまうという、近代以降の風潮が生み出した二つの姿なのです。

私には、映画『千と千尋の神隠し』において、主人公の千尋が二人の川の主を近代社会の負の遺産から救い出し、代わりに、自らの人生に対する責任から逃げず、真に自分として生きる決意と姿勢を手に入れたことは、きわめて深い象徴性を含んでいるように感じられました。

参考文献:
 『日本の伝統的河川工法』 富野 章 著  信山社サイテック
 『水と緑と土』 富山和子 著  中公新書

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Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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