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2008-08

昨日の記事の影響 - 2008.08.29 Fri

昨夜は、かなり寝つきが悪かった。

たぶん原因は、すべてではないにしろ、自分の症歴をブログにアップしたことだと思う。

面接室の中でのことだとしても、カウンセラーが自分の病歴をクライアントに語るというのは、かなり型破りだと言える。
ましてや、不特定多数の人が閲覧するブログで、自らの名を明かした上で(HPにリンクしているという意味)それを書いているのだから、我ながらしんどくて当たり前だと思う。

しかしこれは、私自身の中の手続きとして、どうしてもやっておかなくてはならないことだった。

一つには、私がこのブログで述べていることは、絵空事でもなければ、うつの人々に対する単なる慰めでもないということを、はっきりと証明する必要があったから。
それに、どういった状態を経て、どうやってそれを乗り越えたのか、それを書いておかないことには、私のこれまでの言葉がどこから来ていて、何を意味しているのか、はっきりとは伝わらないはずだからだ。

私には、決して露出の趣味があるわけではない。
うつになったほどの人間である。本当を言えば、ひっそりと人々にまぎれていたい気持ちの方が強い。

しかし、私はこのブログを、まさに真剣勝負の場だと考えている。

繰り返し述べてきたように、たいていの場合において、「歪んでいるのはうつの人自身ではなく、それを取り巻く周囲である」と私は考えている。
そしてそのことは、うつの人が自覚するべきであるばかりでなく、何よりも世間が知るべきことだと、本当に考えているのである。

真剣に、マジで、世間に知らしめたい。

微力であることは重々承知だ。
しかし、何もしないでいて「無力です」とは言いたくない。

微力であるならその微力を使い切らないことには、職業人としても一個人としても、後悔するに違いないと思うのだ。
どえらい大変な時期を経て、せっかく拾ったこの命である。
後悔だけはしたくない。

「われ、事において後悔せず」と書き残した宮本武蔵を、本物の人物だと思う私なのである。

ただ、ドン引きを覚悟で書いた昨日の記事だったが、拍手の数が、一日分としては過去最高の20(合計)を示したのは意外だった。
今のところ、書いた甲斐はあったと考えていいのか……




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自分自身のこと-その2 - 2008.08.28 Thu

前回から続く


分析が始まった時点で、当然ながら私は職場を去ることを視野に入れていた。

だとすれば、次に何をすればいいのか……

もはや30に達していた私がそれを考えるためには、すでに自分が、人よりも明らかにたくさん持っているものを考える必要があった。
私が持っていたもの、それは、家族との深い確執や、思春期以来まともに人と目を合わせて話すことができないほどの強い対人恐怖を通じて、もがきながらも死にもの狂いで考え抜いた、哲学的思考の蓄積でしかなかった。

人と視線を合わせられないことは、約20年、ほぼごまかしきった。
これも、思い出したくないほどしんどかった。

哲学的思考の蓄積をもってできる仕事……
結論としては、カウンセラー以外に思い浮かばなかった。

こんなにも苦しんでいる自分が、同じように苦しんでいる人の体験や心の内を聞き、共に考えていく……
一見、まったくの逆説だった。
が、私にとっては、それにかけるしかなかった。

でなければ、死ぬしかなかった。

私は、カウンセラーでありながら、「とにもかくにも自殺はだめだ」という立場には、どうしても立てない。
「もしもだめだったら、いつだって死ねばいい。後のことなど知らない」
という考えがあったからこそ、重要な決断に迷いを持たなくてすんだのだし、そのいくつかの決断の結果、私は人生の意味を取り戻し、深い悩みとうつから脱することができたのだ。

「死ぬ自由」は、私にとって最後の切り札だったのである。

もともと、人からかなり深い相談を受けることが多く、そういった相談に乗っている時だけは対人恐怖の感覚がなくなっていたことも、カウンセラーになるという発想の一因ではあった。

しかし、少なくとも、私は好んで「カウンセラーになりたい」と思ったことは、一度としてなかったことを告白する。

数回の面接の後、私は「カウンセラーになるしかないのではないか」という漠然とした考えを、分析家に話した。
彼女は、何の躊躇もなく賛同してくれた。
カウンセラーに向いていると、すでに判断してくれていたようだった。

急に話が現実的になりかけたので、私の方がかえってあわててしまい、「でも、大学院にいかなきゃならないでしょう?」と問いかけたが、彼女はそれに対しても、こともなげに「行けるでしょう」と答えた。

少し話ははしょる。

それからも、越えなければならないハードルはいくつかあったが、とにもかくにもその1年半後、何とか神戸にある大学の大学院に入ることができ、まずは実習という形で、今にいたる私のセラピストとしての生活が始まったのである。

私が自分の当時の状態を、「うつ病」とはっきり表現できないのは、ひどい不眠症を抱え、ヒイヒイ言いつつも、何とか社会生活はできていたからである。

大学院の受験勉強も、ワンルームマンションにほとんど籠もりきりで、1日の大部分の時間を費やしていたし、カウンセラーとしての仕事が始まってからも、1~2度のミスを除いては、クライアントとの約束の時間にだけは間に合っていた。

正直、職場的には遅刻の常連だったが……。

それができたのは、それらがすべて、私にとって明確な意味を持っていたからである。
とくに、うつの方々(もちろん摂食障害やパニック障害などをともなう方を含めて)と会うことは、私自身にとってもかけがえのない体験だった。

彼らの人間としての真っ直ぐさや、反対にその周囲の歪みが客観的に見えてくることは、私のそれまでの人生をも肯定されることと同義だったからである。

これは、他の多くの「うつ」の方にも、ある程度当てはまることだといえる。
うつの人々は、「仕事」ができなくなったのではない。
「生理的に受け入れられない仕事」ができなくなったのである。


むしろ、うつの人には、自分や相手にとってきちんと意味のある仕事に対しては、まったく身惜しみせずに働く人が多いくらいなのだ。

専門的な知識のある人のために断っておくと、かつての私の不眠症は、躁状態をともなってのものではない。
四六時中ただただだるい、典型的な単極性のうつ症状である。

ただ、すでに、いまだ小さくともはっきりと、生きる意味を感じはじめていたので、周囲からはうつに見えなかったに違いない。
「時間にだらしない遅刻魔」だったのではないかと思う。

ちなみに、嫌な顔はされるにしても、遅刻くらいでクビにならないのは、専門職の特権だったと言える。

大学院を終了して3年目のこと、ある大きなできごとが私を襲ったが、それを乗り越えた瞬間、永遠に続くかと思われた曇り空が晴れ渡るように、心の中に光が溢れてくるような感覚を覚えた。

その日を境に、不眠は消失した。
もちろんそれは、完全にうつから脱したことをも意味していた。
しかも、まだある程度残っていた対人恐怖まで、片鱗すらなくなっているのが分かった。

うつ発症から、ぴったり10年目のことだった。




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自分自身のこと - 2008.08.28 Thu

これまでの記事で、かつて私自身がうつを経験したと書いた。

私が「うつ」あるいは「うつ状態」とは表現したが、なぜ「うつ病」とは表現しなかったか、その理由について少しだけ書いておこうと思う。

私は、以前にしていた仕事と人間関係、それに家族関係の中で(この3つは絡み合っていて、分けられないのだが)、かなり厳しい危機的状況(まぎれもなく修羅場だった)に陥り、強い不眠状態に陥った。
もちろん、仕事をこなすことはほとんど不可能となった。

結局この不眠は、それから10年間続くことになるのだが、ひどいときには3日連続で一睡もできず、何とか1晩だけ眠れたら、またそれから3日間一睡もせず、といったことも少なくなかった。

からだは四六時中だるいのだが、夜ばかりでなく、たとえば昼間電車に乗っていても、居眠りの気配すらこない。
さすがに何日も寝ないと、落ちるように睡魔が襲ってくることもあったが、5分ほどでギクッ!として目が覚める。
「あかん! もうちょっとで眠るところだった」と思っている自分がいる。
すぐに、「寝たらええやんけ……」と、一人でつっこんでいた。

周りに理解者は一人として存在しない状況の中、自分は間違っていないはずだということを確認するためには、自らが思考し続けていなくてはならなかったのかもしれない。

不眠のひどさの程度は、緩やかな波はあったものの、10年間ほぼ変わらなかったと思う。

人間、眠らなくても死なないものだな、ということを、身をもって知った。

発症から約半年後、私は京大の心理教育相談室を訪れ、自分のおかれている状況を話し、ユング派の分析家の紹介を願い出た。

昨年亡くなった、河合隼雄氏の本は当時時々読んでいたが、氏の『心理療法序説』という本に出会ったことが、決心のきっかけだった。
実を言うと、その時点ですでに、自分はカウンセラーになるのではないか、というよりも、カウンセラーになるしかないのではないかという、直観のようなものはあった。

京大の相談室で対応してくださったのは、当時心理臨床研究科の主任教授(科名・役職名ともに、正式名称は覚えていない)であるY先生だった。

後から分かったことだが、いきなり相談室を訪ねて分析家を紹介してくれと言っても、普通は応じてくれない。
「まずは、当相談室でカウンセリングを受けられたらどうか」となったはずだ。

しかし、どういうわけか(よっぽど迫力があったのか)、Y先生は、それ以上多くは尋ねることなく、数人の関西で活動しているユング派分析家(当時はまだ日本で13人しかいなかった)の連絡先を教えてくださった。

その中の一人に、分析を受け始めた。
当時のユング派分析家の中では、紅一点の女性分析家だった。

次回に続く



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愛情って - 2008.08.26 Tue

以前、クライアントの方から、「先生は愛情という言葉を、どういった意味で使っておられるのですか?」と質問された。
考えてみれば、この年齢までカウンセラーという仕事をしているのに、「愛情」の意味をはっきり言葉にしたことは、一度もなかったな、と気づいた。

「ちょっと、お時間いただけますか?」とことわり、数十秒、自分の中に答えをさがした。

そして、「相手が幸せになったり、嬉しいと思ったときに、自分も本当に嬉しいと感じる、そういった相手への感情。その意味で使っています」と答えた。
「感情」という言葉を、特に強調した。

その方は大きくうなずき、「よく分かりました」と納得された。

このことは小さいようだが、愛情の意味をはっきり言葉にしたことは、私にとっても大切なプロセスだったように思う。

以前の記事、「親孝行という倫理観の重圧」でも書いたが、うつの方は、ほとんど例外なく両親のどちらか、あるいは両方との間に深い確執をかかえ、その確執は劣等感をともなうコンプレックスを形成している。

ある方からのコメントで、「親は、愛情もどきを押しつけてきます」と書かれていたが、愛情の意味を言葉にしていたことで、そのコメントの意味がより深く理解できたように感じる。

愛情に似て非なるものは、家の中だけでも嫌というほどたくさんありうる。

たとえば、親が子に、一緒に暮らすことを強要すること。
「将来のためだ」と、詰めこみ勉強や身体の鍛錬、しつけを押しつけること。
家族みんなでの食事を、無理やりさせること。等々。

確かにこれらは、「愛情の押しつけ」ですらない。
見た目ばかり、いかにも愛情があるかのような欺瞞、つまり「愛情もどき」の押しつけである。

では、こういった感情をともなわない、見た目ばかりの愛情もどきによる家族関係とは、どんな価値観にもとづいて演じられるのだろうか。

まずもって言えることは、古典的なお仕着せの倫理観といえるだろう。

たとえば、
子はみな親を敬い、事あるごとに親の元に集う。
長男は家業を継ぎ、妻子ともども年老いた親とともに暮らす。
子宝に恵まれ、土地や家を、欠けることなく次の代に相続させる。

また、
他人をいたわり、困ったときには助けてやる。
集団の和を乱さない。
目上を立てる。

こういったことが、過剰に美徳とされる倫理観ではないだろうか。

こういった倫理観では、自分を大事にすることや、親が子にかけるべき愛情の中身の大切さについては、完全に欠落してしまっている。

親は絶対的な立場に置かれ、どんな親でも親というだけで敬わなければならないことになり、親が子どもに対してやってきたことは不問に付されてしまう。
また、集団のもつ歪みも、目上の理不尽な行動も、誰からも指摘されることはない。

自分の正当性を主張したり、自分をいたわったりすること、そして、どんな歪みのある集団に対してでもそれを指摘することは、中身に関係なく利己主義あるいは悪とみなされてしまう。

つまり、既成の集団の中で、どれほど不当に甘い汁を吸おうが、集団そのものをこわさない限り容認されるが、一方、集団の論理をゆるがす言動は、どれほどその言動が正当であろうが拒絶され、それでもやめなければ抹殺されてしまうのだ。

以前の記事でも触れたことだが、こういった倫理観が、日本のあらゆる階層に対して徹底的に教育され法にまで反映したのは、たかだか350年ほど前、徳川三代将軍家光のころからにすぎない。

また、その根幹にあった儒教思想自体、中国で興り発展するすべての過程において、為政者の政治的な目的と表裏一体だった。
つまり、儒教思想とは、東アジアの絶対君主が、封建体制を強化するためにたびたびもちいた、民衆の「洗脳」の道具だったのであり、普遍的な真理でもなんでもない。

これは、ほとんどすべての日本人の背景にひそむ一種の「プログラム」である。
そのため、「愛情もどき」を演じる親の理不尽さは、他人からはなかなか見抜かれない。
「どんなひどい親かと思ったら、普通やん」となる。
その他人にも、同じようにプログラミングされているからだ。

ある人は、「いっそ、虐待してほしかった。ひどさが、誰の目にもはっきり分かるから」とまで言い切った。

他人どころか、本人にも分からないことがほとんどである。
この倫理観に逆らうと、きっちり罪悪感がはたらくようにできている、そういった「プログラム」だからだ。

一つ一つのエピソードに即して、「愛情」と「愛情もどき」とをきちんと見分けていくことが、カウンセリングにおいて重要な要素であることは言うまでもない。



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一段落 - 2008.08.24 Sun

地位と収入を保証された大学では、どうしても自分の理想のカウンセリングを行なうことはできないと悟り、今年の4月、やはりカウンセラーである妻とともに、大阪にカウンセリングルームを立ち上げた。

だが、私は決して、何もかもが理想どおりに進んでいなくては納得のいかない、理想主義者ではないつもりだ。

たいていの仕事でならば、いろいろ我慢しながら、できる限り実情にあった線で合理的にやっていこうとするし、別に組織の上位にいることにも執着はない。

愛想笑いだって、人間としての尊厳を失わない範囲でならば、いくらでもするのである。
実際私は、「愛想のいい人」と評されることが多かったくらいだ。

しかしそれは、カウンセラーのような種類の仕事以外での話だ。

あらためて言うまでもなく、カウンセリングを通じて取り組んでいく問題は、人の人生を左右する可能性のある問題である。

しかも相手は、絶体絶命の危機に瀕している人ばかりである。
与えられた時間も経済的余裕も、大きくない場合が多い。

さらに言えば、カウンセリングに訪れる人たちは、いとおしいほどに正直一途な人である場合が、圧倒的に多い。

何度か書いたことだが、私は自らがうつ状態に陥り、ユング派の心理分析を受けたことがきっかけでカウンセラーになったが、やはりそのことは気持ちのどこかで劣等感を刺激していたこともあり、あまり公に明かすことはなかった。

しかし、自分が大学・大学院と寄り道せずに進みそのままカウンセラーになったのではなく、うつを経験し、カウンセラーの前に身を投げ出した経緯をもっていることは、数多くのクライアントの方々との出会いの経験を通して、むしろ私の誇りとすらなっている。

そうでなければ、あの優れた人柄の人たちと出会うときに、気おくれしてしまったのではないかと思うほどだ。

正直言ってしまえば、人格的に立派な心理学者と出会うことは少ないが、クライアントの中には驚くほどたくさんおられるのである。

私のこのような感情に、矛盾した理屈をこね回し、「逆転移にすぎない」と片付けてしまう臨床心理学者の、いかに多いことか。

ともあれ、多くは言わないが、少なくとも私の経験の範囲における限り、大学という組織は、人生の危機に瀕している人の利益よりも、教授の面子や気まぐれのほうがたびたび優先する、私にとっていつも煮え湯を飲まされる場所だった。

その怒りが、私の中に溜まりに溜まっていた。

ここで書いた過去の記事をあらためて読み返してみると、我ながら、まさに怒りの爆発だったな、と思う。

ここにきて、感情は一段落した気がする。

学校のことや企業のこと、さらには弥生時代以来の稲作農村の体質が、日本人の心にどのように影を落としているかなどについて、言いたいことはまだ山ほどあるのだが、さしあたっての感情の吐き出しは終わったというところか……

感情が一段落したもう一つの理由は、私のクライアントがこのブログを読み、気おくれするのではないかという懸念である。

言うまでもなく、うつの人々は自分に自信がない。

自分は弱い、あるいは人より劣っているという思考に慣れすぎており、したがって、認められ評価されることに、たいていはひどく気おくれするし、恐れすら感じてしまうのである。

「自分は変わり者の劣等者です」と、周囲にも自分にも認めるあり方の中に、また逃げ込みたくなるのだ。

私はそのことに悲しみは覚えるが、そこから脱するという選択を、強制する立場にはない。
それにともなう恐怖は、私自身知ってもいる。

そのようなわけで、これからの記事は、これまでと比べるとやや低めのトーンで書いていくことになろうかと思う。



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プロフィール

kohocounsel

Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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