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2008-10

記事を分類しました - 2008.10.20 Mon

記事の数がかなりたまってきたので、カテゴリ別に分類しました。

特にここのところ、「うつ……」というタイトルなのに、直接うつのことについて書いておらず、タイトルにひかれてこられた方に、「なあんだ……」と立ち去られてしまうのが辛いからでもあります。

ぜひ、ご活用ください。

職場のうつ - 2008.10.11 Sat

このブログの本来の目的は、うつの人の病理について語ることなのだが、ここのところ、主に現代社会がはらむ病理について述べ続けている。

それはもちろん、「うつ」について語るのをやめてしまったからではない。

うつの人に対するカウンセリングと、自らの体験に照らす限り、うつという病は、その人自身の病理よりも、むしろ家族病理・社会病理の犠牲者としての面のほうが、間違いなくより大きいと考えるからである。

決して非難するわけではないが、うつの方が書いているブログのタイトルには、少しでも心穏やかに、少しでも無理をせず、少しでも淡々としていたい、という気持ちのこめられたものが多い。

医師やカウンセラーにしても、うつに人には、「とにかく無理をしないこと」というアドバイスをすることが多いのだが、正直、これは必ずしも常に正しいとは言えない面がある。

もちろん、たとえばうつを発症して会社に行けなくなった人の場合、いったん長期休暇をとるなりして、会社から距離をとることは、短期的には有効な面がないでもない。

ただ、会社から離れることによって、その間仕事のことを忘れていられるかというと、当然ながらそうはいかない。
むしろ、取り残されていく不安に締めつけられる分、頭のどこかではますます会社や仕事のことが大きく膨らみ、劣等感は強まる一方である方が、むしろ普通なのである。

つまり、見た目の休養をとればとるほど、状況を悪化させてしまう面もあるのだ。
それに、責任のかかる仕事をきちんとこなすことなしに、劣等感からは解放されるべくもない。
ただただ見た目の平穏さを人為的に拵えても、「自分は本来、きちんと社会的にやれる人間なんだ」ということを確認する機会を失ってしまっては、立ち上がる手がかりまでもなくしてしまう。

その人が会社に行けなくなったのは、どうしても「飲み込むことのできない」仕事を課せられたために、会社に対する拒絶反応が出てしまった結果である。
だから、当然ながら、長期休暇という方法がよい結果をもたらすのは、当人が休んでいる間に、会社側が充分に有効な職場改善・体質改善を行なった場合、ということになる。

つまり、うつという症状は、場の歪みや矛盾を真面目な人が背負わされてしまった結果であるために、場そのものが変わらないことには、改善は非常に難しいのである。

もちろん、背負うほうが悪いとは、絶対に言えない。
むしろ、背負うほうが人間としてまともだし、そもそも、背負ったのがその人でなければ、別の誰かが背負わざるを得ない矛盾が、その場にあったからである。

ただ、その長期休暇という時間が、単に休養するためのものではなく、本人が会社内で体験したことを振り返り、自分が会社の要求に応えられなかった内面的な理由と、その正当性、そして、会社あるいは上司の矛盾と不当性を発見することに当てられるならば、症状改善にかなり有効だといえる。



うつの人は、まず例外なく強い劣等感にさいなまれている。
だが、その劣等感には、「他者を高く評価しすぎる傾向」が常にセットになっていることを忘れてはならない。

うつの人は、自分の心にうそがつけないために、ずるいことができない。
もし何か、少しでもずるいと思えるようなことをしてしまった場合など、いつまでも罪悪感にとらわれてしまう。
そして、本人にとって、「ずるいことをしない」のは、余りに当たり前であるために、うつの人は、誰しもが同じ考え方・同じ感覚を持っていると考えがちなのである。

しかし、現実はそうではない。
大なり小なり、ずるいのが当たり前なのだ。

過去にいじめられた経験のある人が、口をそろえたようにする話であるが、同窓会や何かで、昔自分をいじめた人と会ったとき、いじめた方は自分のしたことをまったく覚えていないことに、驚愕させられるという。
いじめた側にいじめた意識がないのは、断じて「罪のない」ことでも「仕方のない」ことでもない。
現実的に如何ともしがたいことであったとしても、された方は絶対に許してはいけないのである。

手前味噌な言い方かもしれないが、私は本来生真面目なうつ性格なので、こういう話を聞くと、自分にも忘れてしまったいじめの経験があるのではないか、と考えてしまう。
もちろん100パーセントないとは言い切れないが、それに類する自分の行為は、やはり、かなりはっきりと覚えているほうではないかと思う。

そして、そのことを思い出すたびに、罪悪感から、大きな声で叫びたくなってしまう。
これが、うつ性格の人間なのである。

「人を恨むのはよくないことだ」という考えにとらわれていたクライアントが、カウンセリングを通じて「私はあの人を恨んでもいいんですね」という考えに至ったとき、大きく症状の改善する場合が少なくない。
もちろん、その方に心の準備ができてからであるが、私ははっきりと、「一生恨み続けてやるべきですね。許す理由などどこにもない」と言葉にすることが少なくない。

その人は、誰かを恨む心にとらえられてうつになっていたのではなく、恨んでしまうことの罪悪感にとらわれていたことが、うつ病理の大きな一因となっていたのである。
「恨んでいいんだ」と心から思えた時から、不思議とその人のことを思い出さなくなった、という人も少なからずいる。
その対象は、親兄弟であることも少なくない。いや、むしろ多いと言える。



以前の記事で、「うつの人は、勇気を持って周囲の言葉に耳を貸さなくなる必要がある」と述べたことがある。
それは、言い換えるならば、周囲を見下すことになるのを、恐れてはいけないということである。

どの道、根本的に性格が違うのだ。
だから、周囲の言う教訓など、うつの人の人生にとって、ほとんど意味のないことばかりなのである。

「おかしいのは自分ではない。周りなのだ」と思うことは、ひどく傲慢に感じられてしまうため、これがなかなか思えない。
たしかに、口に出して言うことはお勧めではないが。

私の場合、とことんまで精神的に追い詰められたとき、「おかしいのは自分ではなく、実は周囲なのでないか」という一か八かの仮説を立てた。
そして、あらゆる現実をその仮説に基づいて見直すと同時に、行動してみたとき、どうしても割り切れなかった矛盾やわだかまりが、次々と解明され、解消されていったのである。

それは、「自分は狂気か、それとも誰よりも正常か」という厳しい問いであったため、それには大変な緊張感をともなった。
10年もの間、私が強烈な不眠症状に見舞われたのは、うつの症状というよりもむしろ、その緊張感のためだったのではないかと思っている。

「自分は間違っていないはずだ」と、自分に言い聞かせることの恐怖。
この恐怖を乗り越えることが、その時の私にとっての課題だったのである。

非常に厳しい言葉になるのを恐れずに言うが、うつの人で誰かを恨んでいる人は多いが、たいていの場合、まだまだ甘いと思ってよい。
うつの人が周囲からこうむった心的被害は、断じて生半可なものではないのである。
誰よりも、うつの人自身が、このことを知るべきなのだ。

うつの人に必要なものは、決して、単に見た目に無理をしないことではない。
冷徹なまでの状況の見極めと、傲慢になることを恐れない勇気、そして、1対100で戦う勇気と、あくまでも自分らしく生きることへの、徹底したあきらめの悪さである。




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昭和のご近所づきあい4-地面の死 - 2008.10.09 Thu

さて今回は、なぜ今日、「ご近所」という地域社会が壊れてしまったかについて書いてみたい。

ただ、私は「今日の日本では、ご近所づきあいの世界は壊れてしまった」ということを、当然の前提として話しているのだが、一部には「いやいや、うちではご近所づきあいが昔ながらに続いてるよ」と言う人もいるかもしれない。

もちろん地方に行けば、ある程度昭和の中期くらいまでに近い形でご近所づきあいが残っているところがあるのも、承知の上で書いていることを、一言断っておきたい。

しかし、やはり当時そのままに残っているところというのは、都市部周辺のみならず、かなり地方にいたるまで、皆無と言っていいに違いないと思っている。
もちろん、私はあらゆる地方を訪ねてそれを調査したわけではないが、‘原理的に’それはありえないと考えているからである。

ここでは、その‘原理’について述べたいのである。
キーワードは、本記事のサブタイトル「地面の死」である。

ただ、この話を書くのはなかなかに難しい。
というのは、この話にすんなり共感してくれる人は本当に少なく(というよりも、これまでにはっきりと共感したのは家内だけだった)、ぽかんとした顔をされることがやたらと多かったからだ。

私にとってみれば、疑いの余地がないとすら感じることなのに、かなり荒唐無稽な話に思えるらしい。
まず理解してもらえないだろうな、と思う話を書くのは、実はけっこうしんどい。
だから、こんなにも前置きが長くなってしまっている。
でも、えいやあっ、と書いてしまおう。

結論から言うならば、都市部のご近所づきあいをズタズタに分断してしまった最大の要因は、住宅地道路のアスファルト舗装であると、私は考えているのである。

私が小学校3年だったか4年だった頃、家の前の道路がアスファルトで舗装された。
それまでは、大阪の浪速区でも、ある程度大きな道路しか舗装されていなかったので、はじめはアスファルト舗装など他人事だと思っていたのだが、やがてそこいらの住宅地でも、徐々にアスファルトは勢力を拡大(!?)しつつあった。

私にとってアスファルト舗装とは、遊び場を奪われること以外の何ものでもなかったから、「こっちへくるな、こっちへくるな」と、念じ続けていたのだが、とうとうその日がやってきてしまったというわけだ。

何も遊びが見つからないときは、夕暮れまで飽きずに見ていた蟻の巣が、家の前だけでもいくつかあったのだが、言うまでもなく、それらはすべて完全に閉じ込められていた。
また、泥団子を作るのに、ちょうどいい土がとれる路地の端っこまで、丁寧にアスファルトに覆われていた。

あまりのショックに、たしかお婆さんにだったと思うが、「道路にかぶせたあの黒いやつ、いつまでかぶしとくん?」と尋ねたものだ。
婆さんは当然、「そんなん、ずっとあのままに決まってるがな」と答えた。

少し離れたところに公園はあったが、私のような内向型の子どものテリトリーは、さほど広くはない。
また、比較的外向的な子は、公園で野球やサッカーをしたが、私にとってそれらは、基本的に他の子との付き合いの道具でしかなかった。
しかし、私のみならず、すべての子どもらの遊びのバリエーションも、やはり著しく限定されてしまった。

アスファルト舗装の直後、私は「このことがどれほどひどいことか、いずれ分かる日が来るはずだ。今日のことは忘れずに覚えておこう」と心に決めた。

信じがたいと思われるかもしれないが、強く心に引っかかることがある時、このように自分に言い聞かせるのは、幼稚園くらいから私が身につけていた、感情を殺されないための方法だったのである。
実際、幼稚園ごろの自分の写真を見ると、まったく子どもの表情とはいえない厳しい顔をしている。

道路舗装から1年あまり後、私は人生最初のうつ症状に悩まされることになった。
半月ほどの間、どこにいて何をしていても、訳もなくただ悲しくて、涙が止まらなくなってしまったのだ。
これには本当に困った。
とくに、学校でごまかすのが至難の業だった。

私の懸念は、次第に現実化していった。
まず、習慣で家の前で遊んでいた子どもたちの表情の中にも、明らかに白けた雰囲気やイライラが混じりはじめた。
また、道路舗装までは、確かに他ならぬ「自分のこと」であった近所の神社の祭りが、いつしかまったくの他人事に感じている自分に気づき、愕然とした。

他の子どもたちはほとんど意識していないようだったが、やはりどこかで同じように感じているのは、見ているだけで分かった。

ボール遊びをしても、バウンドや転がるのが速すぎて、どうにも楽しめない。
棒一本で地面に絵を描くこともできない。
公園の土に比べ、道路の土は格段に固いのだが、その固い土にどれだけ深い穴を掘れるか競うだけでも、充分に遊びとして成立していたのである。

子どもたちの外で遊ぶことは目に見えて少なくなり、そのせいなのかどうかは定かではないが、かつては2~3日に1度は通っていた、町の片隅にある駄菓子屋が、知らない間に廃業していた。

駄菓子屋が廃業していたことよりも、それにすら気づかなかった自分にショックだった。
子ども心にも、家にひとりで引きこもり、死んだように生活する駄菓子屋のおばあさんの姿が想像されて、胸が痛んだ。

舗装されていない土の道は、毎日住人たちによって掃き清められ、水が打たれ、手の空いたときには雑草が引かれていた。
それはまぎれもなく、「自分たちのもの」だったからである。
そして、その隙間を縫うようにして、子どもたちは集団で遊んでいた。

アスファルトになって以来、当然ながら、大部分の地域住民は、こういった「地面のメンテナンス」をしなくなった。

年長のリーダー的子どもは、小さな子どもらを預かっている責任を感じ、利益と不利益が特定の子に偏らぬよう常に気を配っており、自分の兄弟だからといって、優遇することさえなかった。
またその気配りは、一つの遊びに加わらず、集団から一歩距離をとる私のようなタイプの子に対しても同様であった。

子どもばかりでなく、親たちも彼に感謝し、安心して子どもを預け、尊敬に近い感情すら持っていた。
明らかに彼自身、その中立的かつ正義の立場に、誇りを感じていたはずである。
おそらく、そのかっこよさに対する憧れが、次のリーダーを育てていた、あるいはリーダーを選ぶ眼を与えていたのではないかと思う。

子どもら自身、すでになかば社会の参入者であり、他の親と自分の親を比較する機会も格段に多く、幼い頃から親を絶対視せずにすんだ。
たとえ親が横暴であったとしても、横暴であることを、子どもは幼くして見抜くことができたため、心までは支配されにくかったのである。

何より、子育ての負担の軽さは、親子関係の良好さを保つ上で、きわめて有効だった。

今にして思えば、ご近所づきあいという人間関係の最大の接着剤は、「子ども」と「土の地面」であったように思うのである。
現在でも、お母さん方の友達の基本は‘ママとも’だが、昔は交流のあり方がずっと自然発生的で、しかも家族ぐるみであり、情報や感情のやり取りの量も桁外れに多かったように思う。

ご近所づきあいは、今でもあるにはあるだろうが、交流の量が10と100とでは、やはりまったく効果が違うのである。

ある一家が引っ越していくときなど、子どもらばかりでなく、おばさん同士までが数人で抱き合って号泣していた。
昨今のご近所関係しか知らない人の中には、これほどの他人同士の関係を、想像すらできない人もいるのではないだろうか。

「遠くの親戚より、近くの他人」という言葉がある(あった?)が、それは事実だったのである。

前回取り上げた永六輔さんの逸話にしても、一人の子どもを親とご近所が共同で育てたばかりでなく、永さんという子どもによって、ご近所が絆を深めていた面もあったと思う。

奇しくも、永さんの逸話が「地面を掃く」という共同作業にまつわるものであったのは、私にはすごく象徴的に思えるのである。

「故郷」とは、まずもって人同士のつながりであると、私は確信する。

少なくとも私にとって、家の前の地面がアスファルトで覆われたことは、間違いなく「故郷」の喪失を意味していた。





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昭和のご近所づきあい3-永六輔さんの話 - 2008.10.07 Tue

前回から続く

昔の「ご近所づきあい」という地域社会が、庶民の情緒を安定させる上ではたしてきた役割について書いてきているのだが、これも、昔はよかっただとか、いや、あんなしんどいものがなくなってよかったというように、単純な理屈で書ききれないものがあり、実にややこしい。

つまり、昔の「ご近所づきあい」には良かった面もあるが、年々変化しつつある日本人の心性にとっては、すでに合わなくなっていた面も、確かにあったと思うからである。

しかし今回は、ご近所づきあいの良かった面について、もう少し書いてみたい。

良かった面というのは、一つには前々回の記事でも書いたとおり、一家族の内部だけで通用する価値観は、どうしても独善的になってしまうことが多く、個々人の正当性はしばしば抑圧されるが、他人でありながら家族のようなご近所の人々の存在が、それを食い止めてくれるという面。

もう一つは、その時いただいたコメントにもあったが、子育てなど、責任をともなう負担を分散させてくれるという機能があった。
つまり、子育てなどは、一組の親だけがするものというより、地域全体が行なって当然のものだったのだ。



たぶん30年ほど前、永六輔さんが、ラジオだか『徹子の部屋』だかで語っておられた話。

子どもの頃、ある日親が、
「お前も10歳(?)になったんだから、家の仕事を手伝わなくちゃならない。
あしたから、家の前の掃きそうじはお前の仕事だよ」
と言う。

言われたとおり早朝に起きて、家の前を掃くが、いったいどこまで掃けばいいのか分からない。
そこで、お向かいはお向かいの人が掃くだろうと思い、道のちょうど真ん中で区切って、こちら側だけを掃いていた。

すると、同じように掃除に出てきた向かいのおじさんが、
「おいおい、そんなに線で区切ったように、自分の方だけを掃くんじゃない」
と言う。

だから、次の日は、お向かいの前まで全部掃いていた。
すると、やっぱり後から出てきた向かいのおじさんは、今度は、
「人間ってのは、お互い厄介をかけたくないもんだ。
だから、人ん家の前まで掃いちゃあいけない」
と言う。

じゃあどうすればいいんだと思っていると、
「自分の家の前は自分で掃く。そして道の真ん中は、お向かい同士両方が掃く。
でもって、一番きれいなところを他人様に通ってもらうんだよ」
と教えてくれた。

私はこういう風にして、下町の人情や心意気というものを覚えた。
と、おっしゃっていた。
細部の記憶はあいまいだが、おおむねこういった内容だったと思う。

私はまだ高校生くらいだったが、何やらひどく感動して、泣きそうになってしまったことを覚えている。
しかし、当時はなぜそんなに感動したのか、自分でもよく分からなかった。

江戸っ子の誇りは、こういう形で受け継がれてきたのか、といった感動もあった。
しかし、それ以上に、永さんの親の態度に感動した部分が、かなり大きかったと思う。

永さんの親は、ただ「明日から、お前が家の前を掃除しなさい」と言っただけだ。
やり方は一切教えていない。
つまり、やり方はご近所の方が教えてくれるということを、見越していたに違いないのである。
敢えて親が教えず、信頼するご近所の人まかせにしたということ。

おそらく、そういうことを他人様から教えてもらうこと自体が、人間として大切な経験だということを、自分の体験に照らして知っていたからではないかと思うのである。

何という深い信頼だろうか。
子どもは、放り出しておけば他人様が育ててくれる、という点に、疑いを持っていないのだ。
もちろん、その代わりに、他人の子どもがこちらを必要とした時は、惜しみなく力を貸してやる、という覚悟があってこそできることである。

子どもが社会性を身につけていくうえで、信頼できる他人の存在は、きわめて大切であることが分かる。

うーん、あまりにいい話を載せてしまったので、あとの言葉は蛇足っぽくなりそうだ。
今回はここで終えよう。

次回は、こういったご近所づきあいが、どうして壊れたかについて書きたい。

あれ? 前回の予告もこんなだったような…………




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昭和のご近所づきあい2-時代は戻せない - 2008.10.06 Mon

前回から続く

昭和30~40年代頃の都市部、とくに下町におけるご近所づきあい、つまり『ALWAYS三丁目の夕日』のような世界を一言で表現するならば、「半家族」と言うことができるように思う。

人間にとって、この「半家族」という存在がいかに大事であるかを書きたいのだが、その前に、あえて少し横道にそれてみたい。

『三丁目の夕日』や、1970年前後の少年たちの「ともだち」関係が鍵をにぎる『20世紀少年』のような作品が、こんなにも大ウケしていることに、日本人はちゃんと何が欠落しているのかを知っているんだな、と感じ、私としては希望の光を見出す心地がしている。

ただしかし、私は決して、その時代にそっくりそのまま日本は戻るべきである、という懐古主義者でも守旧派でもないことを、はっきりさせておきたい。

まず第一に、それ以降、今現在にいたるまで日本人が経験している、やたらと管理優先の「感情の不毛」という時代も、経験として無駄にするべきではないと思うからである。
また、そもそも時代を逆行させることは不可能だからである。


音楽一つをとっても、今さらド演歌バリバリの時代に戻ってしまうというのは、どう考えてもきついし、現実にありえないと思う(美空ひばりやサブちゃんや八代亜紀は好きですが)。

宇多田ヒカルが現れたとき、日本中の10代の女の子たちの音楽的感性が、ザザッと音を立てて変わるのを感じた。
出るべくして出てきた人なんだな、と思った。
いったん開かれた感性は、まず元に戻るとは思えない。

実際、20~30年前にはあんなにたくさんいた「おんち」の人が、驚くほど少なくなった。
彼女らにとっては、無理なく正しい音を出せる、つまりすんなり感情移入できる音楽スタイルが、まだ日本にはなかったんだなと思う。

お笑いにしてもそうだ。
かつては主流だった、作りこまれたネタをひたすら舞台上で演じる「しゃべくり漫才」などは、今や多くのお笑いの形の一つに過ぎなくなり、主流はむしろ、明石家さんまやダウンタウンによって完成されたフリートークや、体を使ったチャレンジ系、あるいはクイズ形式の番組になっている。

たしかに、『レッドカーペット』などでは、やはり作りこみのネタが披露されてはいるが、その場を経てのし上がった芸人たちは、ほぼ確実に作りこみの世界を卒業し、フリートークの場へと出て行く。
つまり、作りこみとは逆の、芸人やタレントたちの「素」を見て笑うというのが、現在の主流なのだ。

私の知る限り、日本の古文書で最初にお笑い芸が描かれているのは『古事記』、傷ついて天の岩戸に隠れたアマテラスを復活させるために、アメノウズメが踊った裸踊りである。
天地を揺るがす、神々の「ドッカン」だ。

すぐ裸になってしまう芸人を、「レベルが低い」と言う人もいるが、一概にそうは言えない。
裸になるのは、やはりお笑いの基本中の基本と言ってよいのだ。

『古事記』の挿絵では、アメノウズメは美しく描かれていることが多いが、むしろ森三中の大島を見るとき、アメノウズメのモデルは、実はこういう容姿と性格の持ち主だったのではないかと想像してしまうのである。

アメノウズメが、もしもセクシーな裸体の持ち主で、恥ずかしがり屋であったなら、あちこちで生唾を飲み込む音ばかりが聞こえて、笑えなかったはずだからだ。
アマテラスも、出るに出られない。

「素を見せる」というのもまた、ある意味「裸になる」ことなのである。

「笑われる」のと「笑わせる」のとは確かに違うが、それは技術うんぬんの問題よりも、笑わせる(れる)側のとらえ方次第である面が強いように思う。
もちろんそれは、愛のあるフォロー、つまり「ツッコミ」によって形をなす。

一方で、こういったお笑いのフリー化の動きとバランスをとるように、完全なる作りこみの世界である落語が再注目されているのは興味深い。
昔の桂枝雀や笑福亭仁鶴は、お決まりの落語の型を壊しているところが魅力だったが、現在ではそういった破戒的なスタイルよりも、むしろガチガチのオーソドックススタイルが好まれている。

ここ20年ほど、日本の音楽業界が多様化するのと逆行するように、女性演歌歌手は判で押したように着物を着るようになった(小林幸子を除く)のと、ややかぶって見えるものがある。



こういった音楽やお笑いの世界での二極化は、芸能界の内部でのみ起きている現象ではない。
芸能界・ゲーム・コミック・アニメといった、娯楽の世界・非現実的な世界での感覚・感性のフリー化と、学校・企業・各家庭という現実世界での、管理優先による場の硬直化、という現象の間にも生じているのである。

つまり、現実世界がガチガチになればなるほど、娯楽の世界では、どんどん枠が取り払われていくのだ。

深い感情が表に現れてくるには、場がフリーであることが絶対条件なのは、言うまでもない。
だからこそ、時代の流れの中で、一部の世界でではあるが、一歩一歩と解放されてきた日本人の感性は、決して元に戻るべきではないし、戻るはずもない。

それでいてなおかつ、昔の日本に存在した大切なもの、たとえばご近所という「半家族」などは、どうしても、日常の現実世界・生活空間において復活する必要があると考えるのである。

次回は、今日どうしてご近所という「半家族」が失われてしまったかについて、考えてみたい。




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Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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