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2009-04

発見 - 2009.04.09 Thu

臨床心理士の資格を放棄して1週間が過ぎたが、心境や感覚に不思議な変化が生じつつある。

その多くはまだ言葉にならないのだが、一つはっきりしていることがある。
それは、自分の力量の未熟さというか、相談者としての思いや考え、気づきのいまだ至らない部分が、妙にくっきりとリアルに感じられる点である。
15年ほどの間に、かなりの数の臨床心理士を見てきたわけだが、自身が臨床心理士であった間は、自分のカウンセラーとしての力量を、どうしても他のカウンセラーとの比較の中で見ていたのだなあと気づかされるのだ。

傲慢と思われても仕方ないが、正直、かなりいけていると思っていた。
他の臨床心理士と比較するならば、それがどれほどのベテランであっても、クライアントの病理に対する見識や洞察についても方法論の確実性においても、まず劣る気がしないことは、確かに今も変わりはない。
だが、いざ臨床心理士という資格を放棄してみると、途端に自分の一人間としての深さが、ダイレクトに自問されるのである。

つまり、臨床心理士をやめたことで、自分の力量を推し量る基準は相対基準から絶対基準に変化した。そしてその結果、「俺はまだこんな場所にしか達していなかったのか」と気づかされ、あきれているのである。
私自身が考えていたよりもずっと、私は盲目だったらしい。

相談者として、あるいは人としての見識の確かさと重層性が本当に充実してくるのは、少なくとも私の場合、50歳くらいからではないかと感じていたのだが、現在すでに47歳である。
今やめておかなければ、わが眼が蓋されていることにも気づかぬまま50代に突入したのではないかと考えると、肝が冷える心地がする。

もちろん、落胆しているわけではない。
ユングは、フロイトと袂を分かち、精神分析学会の会長職を辞してから(捨てた社会的地位は、私とは月とすっぽんだ)かなりの期間、強い方向喪失感から、精神病様状態を伴う極度のうつに陥っている。
正直、私も何らかの喪失感に陥るのではないかという不安があった。
資格放棄からまだ1週間である。それに伴う現実的な環境の変化もこれからなので、今からジワジワ実感されて来るものもあるにはあると思うが、どうやら深い喪失感がやってくることはないのではないかと感じている。

言うまでもなく、開業していなければ、さらにそれが軌道に乗っていなければ、やばかったに違いない。
そもそも、資格放棄すら考えようがなかったはずだ。


私は、武道ばかりでなくスポーツすら身を入れてやったことのない人間だが、例えば武術家などの言葉から臨床に関する気づきを得ることは少なくない。
ちなみに、私が特に影響を受けているのは、古武術家である甲野善紀氏の身体観・人間観からである。(日本の学校観にも、非常に深いものがある。)

たとえば、一般に、「しっかりと足を踏ん張ること」は、よい意味の表現として用いられる。
だが、武術においてこのことは必ずしも優位なことではなく、むしろ総体としての体の合理的な動きを止めてしまうことが少なくないという。
たまたま踏みしめることがあったとしても、それは合理的な動きの中での一過程に過ぎないというのが、武術における本来の身体のあり方だということではないかと思う。
武術家は、こういった身体のある部分を固めてしまうあり方を「居つく」と言って、非常に嫌うのである。

社会的な資格というものを有し、それに多少なりと依拠することで、いつの間にか私は「居ついていた」のだなと思う。

相談者としての実際の力量や見識は、権威があるとされる理論をどれだけ知っているかで決まるものではないし、ましてや誰かが定めた規定によって与えられた資格で決まるものではない。
いかに見る眼に曇りがないか、そして、本来向かうべきものから、いかに逃げないかで決まると言ってよい。
また、「これさえ持っていればいいんだ」 「これさえやっていればいいんだ」という考え方は、相談者にとってもっとも危険なものではないかと、私は考えるのである。

このあり方は、本来見なければならない対象に目をつぶらせてしまう、つまり、ありありと感じていなければならない感情や考えが、無意識化してしまうあり方である。
カウンセラーの感情が無意識化してしまうと、ほぼ例外なく支配性が布置する。
私が「ロジャーズ理論」を真っ向から否定する理由は、この点がもっとも大きい。

ユングは、「研究・勉強は目一杯やりなさい。しかし、クライアントとひとたび向き合ときには、それらはすべて忘れなさい」という意味のことを言っている。
臨床を行っていると、常に痛感させられる言葉だ。

ユングもまた、「居つく」ことの危険性を熟知していた人なんだな、と思う。






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臨床心理士会退会 - 2009.04.02 Thu

この記事は2009年4月2日にアップしましたが、私にとって非常に重要な事柄について述べております。
そこで、事実関係や私の内面的な経緯、心情について、より正確な表現を期すために、今後も時々細部に手を加えていくことになろうかと思います。
とくに、すでにコメントを下さった方々に、ご容赦の程をお願いいたします。

なお、この記事はそのまま残しておきますが、内容を少し拡充し、2012年5月20日の記事、『臨床心理士会を自主退会』http://kohocounsel.blog95.fc2.com/blog-entry-150.htmlと題しまして、再アップしております。できれば新しいコメントは、そちらの方にお寄せいただけるとありがたいと思います。



唐突ではあるが、重要な発表をせねばならない。
実は2009年3月31日の日付で、臨床心理士資格認定協会に資格失効の願いを提出し、資格証明書を返却した。
つまり、この4月1日をもって、私は臨床心理士ではなくなったのである。
もちろん、開業カウンセラーとしての活動は、今後も一切変わることなく続けていく。

このことは、事前に、家内や身内の他には、一部説明の必要だったクライアントの方々とごく少数の親しい友人にしか公表しなかったが、私自身の胸の内では、少なくとも2年前には確定していたことである。
さらに言えば、その心積もりは、はじめからカウンセリングルーム開業とセットになっていたと言ってよい。

出身大学院の教授や仲間、あるいはかつての職場の同僚でこの記事を読まれた方は、さぞかし驚かれることと思う。
非常に気の重い点だが、中には、エキセントリックな行動だと思う人も多いことだろう。
しかし、もちろん気がふれた訳でもなければ、理想に取り憑かれて無謀な行動に走ってしまったつもりもない。


言うまでもなく、臨床心理士という資格はあって邪魔になるものではない。
それどころか、この資格を得るにはそれなりの年月や労力や費用、何よりもそのためには「カウンセラーになる」という明確な意志を必要とするだけに、少なくとも社会的に見る限り、やはり価値のある資格とされることは重々承知している。
実際に、私自身これまで多くの臨床機関での勤務を経験してきたが、臨床心理士という資格があったからこそ雇用してもらったのだし、臨床経験と実績を積むこともできたのである。

ただ、私にとってこの資格を継続して持ち続けるには、あまりにも抵抗が強すぎた。

退会を決意するにいたった理由については、単純に語れない部分が大きいので、おいおいブログで書いていくことになると思うが、現段階で少しは述べておかなくてはならないだろう。
さしあたっての理由は、理念よりもむしろ実状によるところが大きい。


臨床心理士の資格は、5年ごとに更新される。
で、更新までの間に、資格認定協会から指定されている研修会あるいは学会に、6~8回程度出席して所定のポイントを獲得、累積させなくてはならない。
つまり、研修会・学会には、平均して年間に1~2回出れば済むことではある。
しかし私の場合、この年間たった1~2回の研修会・学会出席を、まずはどうしても生理的に受けつけなくなってしまったのである。

では、研修会・学会のどういった点を生理的に受けつけなくなったのか。
正直、この内容がすらすらと言葉になりにくい。
おそらくは、その場における矛盾が単純ではなく、十重二十重に絡み合っているからだと思う。

矛盾の一例として、このブログでずっと述べ続けてきたように、ほとんどのカウンセラーは、クライアントをはなから劣等者・歪みのある者、カウンセラー自身を優越者と決め付けていると言わざるを得ない。

しかし、症状の発症とは、ある意味人が生きたものである証と言ってもよい現象であり、一概に病者が異常・劣等と、単純に決めつけるわけにはいかない。
歪んだ場の中では、むしろ歪みのない者が発症せざるを得ないことが多々あるのである。
こういった視点は、少なくとも専門家である以上、常に意識していなくてはならないのはあまりに当然であり、多くの専門書にも記されていることである。

だが、実情はあまりにかけ離れている。

あらゆる学会・研修会の発表において、この視点はまったく意識されておらず、フロアからこのことを訴えたとしても、まず90パーセントの確率でその意見は無視される。
発表者からも他の参加者からも、まるで不思議な生き物を見るような目を向けられ、きょとんとされた後、「さて、それでは……」と別の話題に移られるのがオチである。
ただし、それを業界内の有名人が言った場合だけは別だが。
この傾向は、関東の方がより徹底しているように感じる。

その場にいると、こういったことに何の矛盾も感じない参加者たちに対して、心理療法とはクライアントをお仕着せの「正常」という枠に無理やり押し込め、ロボット化させることなのかと、声を荒げたい衝動に駆られる。
私や私の家内は、こうしたとき、握り締めた拳と食いしばった歯を終始緩めることができない。
さらには、心の深い部分が傷つくらしく、研修会参加から少なくとも1~2週間は、崩れた体調が元に戻らないのが常だった。

そうした、いわゆる専門家同士のやり取りのひどさは、もはや「無意味」という言葉では表現しきれなかった。明らかに「人としてやってはいけないこと」としか思えなかったのである。
それでも私は10年以上、文字通り歯を食いしばってこういった研究者としての生活を続けたが、とうとう抗えない強さで拒絶反応が出始めた。
4年ほど前から、どの研修会・学会に出席しようとしても、それを考えただけで激しい怒りや悲しみに襲われ、行けなくなってしまったのである。


九州である学会が催されることになった時、それでも私は参加を申し込んだ。
他の学会・研修会はどれも参加する気になれなかったのだが、以前から気分的に比較的参加しやすいと感じていた学会だった。
しかも、開催地は九州である。そこへ労力と金を使い、前日から泊り込みで行けば、さすがに出席しないわけにはいかないはずだ。要するに、是が非でも出席するしかない状況に自分を追い込んだのである。
これでだめなら、もう次の考え方をするしかない。

朝ホテルで目を覚ましたが、案の定、限りなく気は重かった。
ため息ばかりつき、着替えの動作すら何度も中断しなければならなかったので、とりあえず遅刻することに決めた。
すでにプログラムが始まっているはずの時刻に、朝食も取らず、かろうじてホテルを出た。
学会会場の大学は、ホテルから目と鼻の先だ。とりあえず、大学がある方向に歩いてみる。

大学が見えてきたところで立ち止まった。目の前に、いよいよ主体的に選択せねばならないラインが、かなりリアルに見えた。
完全に感情を殺さぬ限り、もう一歩も進めなかった。
「殺すのか、殺さないのか」と、すでに答えは分かっていながらも自問してみる。
自分の全身全霊が、「行ってはいけない。もう自分を殺してはいけない」と大声で叫んでいる。

私は、「そやな、もう殺しちゃいけないよな」と答え、今度は反対の駅の方向に歩き始めた。
そして、「さあて、えらいこっちゃ……。臨床心理士やめろってことね」と、声に出してつぶやいた。
資格を放棄する腹は、この時にほぼ決まったと言ってよい。
それは、単に嫌だという感情からでなく、「これ以上このおぞましい集団的行為に、加担するわけにはいかない」という「決心」だった。


私はうつの経験者、「自分にうそがつけない人」の一人であると同時に、カウンセラーである。だから、自分が何をすればうつになり、どうすればうつにならないかは、嫌というほど知っている。
そして、断じて自分にうそをつかないということが、多くの場合周囲からどう見えるかということも、またそれがどれほど厳しいことであるかも熟知しているつもりだ。

この記事を読まれた方には、やはり理解してほしいが、半面、理解されないことも覚悟している。
ともあれ、これが今の私にできる説明のすべてである。




追記

ひとつ念を押しておきたい。

私が今回資格を放棄したのは、決して「臨床心理士」という社会的ステータスそのものを嫌ってのことではない。
カウンセラーである自分にとって、この資格は、過去に職まで辞して本気でカウンセラーになろうとし、そのために労力と費用と時間を惜しまず、最善を尽くしたことの証明であり、その意味では確かに誇りにも思っていたのである。

だから、たとえば資格更新の条件が、何個の研修会・学会に参加したかではなく、どれだけ臨床をやってきたかという査定の方法であれば、迷いなく更新手続きをしていたことは言うまでもない(驚くべきことに、臨床実績はいっさい査定の対象とはならない)。
なので、今後も「臨床心理士」という肩書き(?)は出していくつもりである。

資格を放棄した今回のタイミングは、5年という更新までの資格有効期限が切れる時期だった。
つまり、正直に告白するならば、2年余り前に資格放棄を決意してからは研修会や学会に一切出席しなかったため、いわば放っておいても資格は失効するはずだったのである。
しかし、真面目なカウンセラーを自認する私としては、やはり「やめさせられる」のは納得がいかないので、その直前に自主退会したというわけである。


また、一緒にカウンセリングルームを経営する私の妻もまた臨床心理士なのだが、彼女の場合は次の更新時期までまだ4年ある。
だから、彼女はすぐには臨床心理士をやめないが、それは彼女の考えが私と違っているからではない。
彼女は、私が出会った中では、このブログで書いているのとまったく同じ考えを持っている唯一の臨床心理士であることを、あらためて断っておきたい。





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Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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