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2009-06

『古事記』超訳-後記 - 2009.06.29 Mon

『古事記』の、この世の初めからアマテラス復活までの超訳を書き終えてから、少し日がたってしまった。
日本の正史のことなので、アマテラスの岩戸籠りのくだりでどこをどう脚色したか、一応簡単に書いておこうと思う。


まず大きな部分で言うと、アマテラスの内面的な動きについては、原文には一切記述はない。
つまり、「弱き神」の節は、まるまる私の創作である。

ただ原文のままに読むならば、はじめは完全武装までしてスサノオを追い返そうとしていたのに、あとはスサノオのしたい放題の行状にも文句一つ言わず、果てはただ恐れて籠もってしまうアマテラスの行動は、やはり理解しがたい。
私自身、かつては「神様というのは、人間には理解できない行動を取るものだ」という程度にしか思っていなかった。

しかし、以前『古事記』の心理学的・象徴的解釈を試みた際、アマテラスの行動が、決して論理的に筋の通らないものではないことに気づき、今回はその時の解釈を脚色として含めたわけである。
実を言うと、この部分こそが、アマテラス復活を解釈する上での最も大切な部分ですらある。

また、呪術が行われた際の情景描写は、アメノウズメの神楽の系譜に深く関わる神社である、奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮での取材、他の神社での体験、日本書紀での記述などを参考に、ある程度リアリティーを考慮しつつ想像して書いた。

さらに、アメノウズメの行動はほぼ原文のままだが、キャラクターに関する記述は原文にはなく、これも私の解釈に基づく創作が含まれている。
河合隼雄氏は『古事記』のこのくだりを解釈し、「女陰には、明けをもたらすマナ的霊力があるのだ」と述べておられたが、正直そのニュアンスだと、神々はまるで魔法にかかって笑ってしまったように思えてしまい、あまりしっくりこなかった。

しかし、アメノウズメを一人のお笑い芸人として見れば、裸になって笑わせるというのは、不思議なことでも何でもない。
しかも、お笑い芸能の「真実を露呈させる」という機能は、物語の文脈から言ってもぴったり当てはまるので、ある程度お笑い芸人を意識してキャラクターを設定した。

ただ、『古事記』における、このあとの国譲りのくだりでのアメノウズメの活躍の仕方などを見ても、このキャラクター設定は妥当であると、自負はしている。

スサノオの罰については、原文にない表現はある程度含まれるが、何冊かの古事記研究書などを基にしているので、その中身はまず妥当だと思う。

なお、細かい点ではあるが、アマテラスが岩戸から出た後、タヂカラオが急いでそれを閉めようとしたところ、アマテラスが制したと書いたが、これは私の小さな創作である。
原文では、フトダマが、さっさと岩戸に尻くめ縄(しめ縄)を渡してしまう。

アマテラスがいったん制することにしたのは、父イザナギは千引きの石という強力な遮蔽物によってあの世を閉じ込めてしまったが、アマテラスにあっては、闇の世界を閉じ込めず、ただしめ縄で境界線を引いただけであることを強調したかったからである。



ともあれ、非常に楽しい作業だった。
自画自賛するわけではないが、みんなに「ね、古事記って面白いでしょ?」と普通に問いたい。
ちなみに、コメントばかりでなく、「古事記、面白いです」と、自分から触れてくださったクライアントの方も少なくなく、少々気をよくしているところである。

さて、残るは解釈なのだが、気軽に読めて分かりやすくて、しかも物語の意味の深い部分に触れるというのは、やはり至難の業のように思えてきている。

「やっぱりだめでした」となるかも知れませんが、次回以降、とにかく頑張れるだけ頑張ってみます。



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古事記物語⑨-最終話 - 2009.06.24 Wed

呪術

岩戸の前の大河原には、高天の原に住む八百万の神々のすべてが集まり、みな思い思いの場所に腰を下ろし、アマテラス再臨の呪術の始まりを待った。

あちこちで庭火が焚かれ、河原は、夕闇ほどの明るさになっている。
岩戸の左右手前には、とくに大きな庭火が二つ焚かれていたのでもっと明るく、岩窟の岩肌を闇の中に浮かび上がらせていた。
その二つの庭火に挟まれるようにして、差し渡しが神の背丈二人分ほどもある大きな丸桶が、伏せて置かれている。

やがてフトダマが、おもむろに、八咫鏡(やたのかがみ)をはじめ種々の供え物の取り付けられた真榊を、岩戸の方に向けて捧げ持った。
これが、呪術開始の合図となった。

まず、アメノコヤネが祝詞(のりと)を奏上した。
別天つ(ことあまつ)神々、神代七代(かみよしちよ)の神々と、岩戸に籠もるアマテラス大御神に捧げられる言挙げの詞である。
その声は朗々として、あるいは高く、あるいは低く、砂浜に寄せては返す波のような静謐なリズムを作り出し、河原全体を包みこんだ。

祝詞が終わると、一人の偉丈夫の男神が、音もなく岩戸の脇のくぼみに身を潜めた。
高天の原随一の剛力の神、タヂカラオであった。

どこかから時折聞こえる、「コーケコッコ――――」という長鳴き鳥たちの声と、庭火の薪が、パチリ、パチリとはぜる音のほかには、咳き(しわぶき)一つ聞こえない静寂の中、一人の女神が静々と岩戸の前に進み出た。
女神は、伏せられた桶の上に乗ると、ゆっくりと岩戸を背にし、神々のほうに向き直った。
踊りの女神、アメノウズメであった。

アメノウズメは、髪にマサキノカズラを巻き、アメノヒカゲ(足の長いコケ)を襷(たすき)にかけ、手には束に結わえた笹の葉を捧げるように持っていた。
これらは、いずれも霊力が強いとされる植物ばかりである。

彼女は、頬も身体もふくよかで、眉もまなじりも下がっており、美しいというよりは、愛嬌たっぷりの顔立ちをしていた。
もちろん集中はしているのだが、その顔立ちのせいで、少し笑っているようにも見える。
性質も、いたって朗らかで茶目っ気のあることは、高天の原のどの神もよく知っていた。
厳かな雰囲気の中、居並ぶ神々もそれまでどこか緊張していたが、彼女の姿を見ただけで少し気が緩んだのか、ほっというため息のような声が、河原のあちこちから洩れた。

アメノウズメの腰が沈み、同時に笹を持つ手が大きく円を描いた。
すると、その動きを合図に、横手から笛の音が入り、木桶のような打楽器の音が「トーン!」と響いた。

目を奪われるような、みごとな舞だった。
ただ、そのみごとな舞の中にも、生来のひょうきんな性質は隠せない。
厳粛な儀式というよりも、ただただ我を忘れて、遊んでいるように見えてしまうのだ。

はじめはやや緩やかだったその舞は、徐々に速く、また激しくなった。
舞台となっている丸桶を踏んだり、跳び上がったりするたび、桶は「ドン!ドドン!」という大きな音を発し、その音は高天の原中にも轟くほどだった。
汗びっしょりのアメノウズメの表情は、すでに恍惚となり、今度は気のせいではなく、確かに歓喜の笑みを浮かべていた。
神懸りとなっているのである。

踊りはますます激しく、身にまとったカズラもヒカゲも千切れ飛んでいる。
衣は乱れ、すでにその大きな乳房はすっかり露わになっていた。
アメノウズメが、自分でかき出だしたのである。
また、裳(も:古代のスカート)の前も押し広げていたので、もはや陰毛までが丸出しである。
と、裳を括りつけていた紐が半分ほどけ、陰毛の上に垂れ下がった。
それでも、アメノウズメはお構いなしに踊り続けるので、その紐は跳ね上がり、生き物のようにぺたんぺたんと女陰を叩く。

ある神が、ついにたまらず吹き出した。
すると、その笑いは一瞬で河原にいる神々全体に広がった。
ドオーンッ!!
神々の爆笑する声は、まるで火山が噴火する音のようであり、高天の原全体を揺さぶった。

それでも、アメノウズメは気にもかけず踊り続ける。
ドオーンッ!! ドオーンッ!!
神々はみな大口を開けて立て続けに爆笑し、手を叩いた。
言うまでもなく、この神々の笑い声は、岩戸の内部にも届いていた。


弱き神

岩戸の内側は、仄暗かった。
本来ならば、陽の大御神であるアマテラスの身は光り輝いていて、あたりを明るく照らすはずなのだが、その力がひどく弱まっているのである。
あるいは、アマテラスが岩戸に籠もらずとも、夜明けは来なくなっていたのかもしれない。

力を弱まらせていたものは、アマテラス自身の迷いであった。
そしてその迷いは、スサノオという弟から生じていた。

父によって神逐らい(かむやらい)された弟を、高天の原に立ち入らせてしまったということは、アマテラスもまた父の命に背いたも同然である。
しかし、アマテラスがスサノオを追い返せなかったばかりか、その狼藉を咎める気にもなれなかったのは、黄泉に閉じ込められた母イザナミの悲しみと恨みが、スサノオに乗り移ったものであると、そう確信したからだった。
アマテラスは、スサノオに対しても、ましてや母イザナミに対しても、父イザナギのようには、ただただ厳格にはなれなかったのである。

だがしかし、その結果として、高天の原を混乱に陥れたばかりか、ワカヒルメをも無惨な死に追いやってしまった。
アマテラスは、独り岩屋に端座しながら、
「何と、弱き神であることよ……。」
と自らを嘲(わら)っていた。

もしもあの時、そのままスサノオを追い返していれば……、とも思うが、今再び同じ状況になったとしても、結局同じようにしかできなかったのではないか、と思う。
このように弱き神が、この高天の原を治め続けるなど、途方もないことに思えたが、同時に、父のようにただ厳格なだけでも、もはや高天の原を治めることはできないのでは、と、心のどこかで感じていたことも確かだった。

何かが変わらねばならなかった。
「籠もろう。」
そもそも、そうアマテラスが思ったのは、誰の意見も感情もいったん遮断し、自らの内部に深く坐す神霊に、その答えを求めるためだったのである。


復活

と、岩戸の外から、ゴーッ! ゴーッ! という地鳴りのような音が聞こえてきた。
怪訝に思ったアマテラスは立って、岩戸に耳を近づけた。
どうやら、大勢の神々の笑い声であるらしいことが分かる。

自分が籠もっていることで、世は暗闇となっているはずなのに、どうしてみな笑っているのか。
不思議で仕方なくなったアマテラスは、ついに、ほんの少しではあるが岩戸を開け、隙間から外をのぞいた。
すると、岩戸のすぐ前で、ほとんど裸体のアメノウズメが、いかにも楽しげに踊っているではないか。

アマテラスは目を丸くして、思わずアメノウズメに尋ねた。
「私が籠もり、高天の原の夜は明けぬというのに、何ゆえそなたはそのように楽しげに踊り、八百万の神々は笑うておるのじゃ?」
アメノウズメは、すかさず答えた。
「アマテラス様にも増して貴い大御神が、ここにおわすのです。それでみな笑い、遊んでいるのですよ!」
「私よりも貴い……?」

自らの弱さを嘲っていたアマテラスは、それも仕方のないことと思ったが、ではそれほどの貴い神がどのような姿をしているのか、どうしても見ずにはおれなくなった。
アマテラスは、さらに岩戸を大きく開いて、外を見回した。

すぐ近くに、その貴き大御神は立っていた。
考えていたよりも、はるかに気高く、力強く、そして清らかな女神であった。
このような自分どころか、まさしく父イザナギにも勝る大御神である。
「おお……!」
アマテラスは、そのあまりの貴さに見惚れ、吸い寄せられるように、一歩、二歩と、岩戸を出て女神に近づいた。

神々の歓声は止み、代わりに「おお……!」 「アマテラス様……」といったささやきが、あちこちから聞こえてくる。
あとは皆、ただ固唾を呑むばかりである。

不意に、アマテラスは何者かに手をつかまれ、ぐいと大きく引き出された。
岩戸の横に身を潜めていた、タヂカラオであった。
はっと我に返り、もう一度前を見ると、そこにいたのは何者でもなかった。
誰よりも貴い女神に見えたのは、フトダマの掲げる八咫鏡(やたのかがみ)に映った、自らの姿だったのである。

アマテラスは、刹那、
「肯(よし)。」
という声を聞いたように思った。
すべてがこれでよかったのだと知った。
父の命に背き、スサノオを咎めることもできず、ただ独り籠もって内省するしかなかった、この一見弱々しげなありようが、実は何よりも尊いあり方であり、同時に、黄泉に押し込められた母イザナミの神霊をも救ったのだということを、自ら理解したのだった。

タヂカラオが急いで岩戸を閉じようとしたが、アマテラスは、
「閉じてはならぬ。」
と、静かにそれを制した。
もう、闇を闇の世界に閉じ込めてはならない。
アマテラスは、閉じ込められた闇はやがて牙を剥く、ということを学んだのだった。
そこで、フトダマが岩屋戸にしめ縄を渡し、
「もう二度と、ここにはお還りくださいますな。」
と平伏して言った。

この瞬間、アマテラスの身は、以前にも増して燦然とした光を発し、高天の原も葦原の中つ国も、再び陽の光を取り戻したのだった。


スサノオの罰

八百万の神々によって罰を言い渡されるスサノオは、気味が悪いほどに大人しかった。
憑いたものが落ちるがごとくとは、このような有様を言うに違いなかった。
自分でも理由は分からないが、とにかく何だかすっきりしていたのである。

スサノオが言い渡された罰は、多くの貢物を納めることと、爪と髭を切られること、あとはまたしても、高天の原からの神逐らいだった。
貢物は仕方ないとしても、爪と髭を切られることなど罰とは言えない。
伸びすぎた爪や髭の先は、悪気の溜まる場所とされているので、それは罰というよりむしろ、一種の祓え(はらえ:清める行為)であった。
ましてや、神逐らいなど、すでに高天の原に用のなかったスサノオにとっては、無罪放免に等しい沙汰である。

神々のなすがままに爪と髭を切らせ、身を清められて、さっぱりとした心持になったスサノオは、一度も振り返ることなく、下界へと飛び降りて行ったのだった。

このスサノオという男神、葦原の中つ国でも、いくつかの破壊による創造をなした後、自らの望んだとおり、かつて母イザナミの支配していた地下世界に降り、その王となる。
ただ、その世界はもはや黄泉とは呼ばれず、根の国と名を変え、この後重要な役割を果たす国となったのであった。




……………………………………
今回、すなわち古事記物語最終回では、もう脚色部分の文字色は変えませんでした。
なぜなら、脚色部分が全体の半分ほどになってしまったので、見た目がうっとうしいと思ったからです。
では、どこをどのくらい脚色したかについては、次回ちょっと詳しく述べることにします。
なかなかに疲れましたので、今回はこれまでということで。



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古事記物語⑧ - 2009.06.20 Sat

岩戸籠り

ある日を境に、高天の原に朝が来なくなった。
陽の大御神であるアマテラスが、弟スサノオの狼藉に深く傷つき畏れて、突然、姿を隠してしまったからである。

高天の原に朝が来ないということは、もちろん、人草の住む葦原の中つ国も同様であった。
つまり、この世のすべてが、闇に包まれてしまったのである。

アマテラスは、誰にも告げず、ひとり天の安河の上流の方へと歩いていった。
安河の上流には、平らで広々とした川原があり、その川原を上流のほうから見下ろすようにして、岩石でできた洞窟があった。
ところがこの岩窟は、やはり岩石でできた一枚岩によって、戸のようにぴったりと塞がれていた。
これを天の岩戸(岩屋戸)という。

アマテラスは、他の者では決して動かすことのできないこの岩戸を開け、中に入って、再び閉じてしまったのである。
こうしたことが、神々の立てた占(まに)によって分かった。

いつまでも明けぬ闇夜は、まさに悪しき神々の領分であった。
スサノオが泣き続けていた時と同様、禍つ神とその眷属たちは、ありとあらゆる災いを高天の原と葦原の中つ国に引き起こし、耳元で飛び回る羽虫の声のごときその不気味な哄笑は、この世のあらゆる場所を満たしていた。

どれほど剛力の男神が動かそうとしても、岩戸はピクリとも動かなかった。
たしかにアマテラスは剛力ではあったが、どうやらそれだけではなく、何らかの呪(まじ)がかかっているようだった。


はじめは、ただまちまちに騒いでいた八百万(やおよろず)の神々も、ようやく団結し、アマテラスに再び現れてもらうための相談を始めたのだった。


岩戸の前、天の安河の大河原に集った神々は、まず高天の原随一の知恵の神であるオモイカネに、その方策をゆだねた。
占(まに)を立てたオモイカネは、庭火(にわび:焚き火)を囲む主だった神々の顔を見渡し、アマテラス再臨の呪術を行うための方策を、矢継ぎ早に告げた。

「まずは、大御神に朝が来たとお知らせせんがため、高天の原におるすべての常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり:人間界では鶏)を集めよ。」
次にイシコリドメに命じて、
「安河の川上にある天の堅石(かたしわ)を取って参り、鍛冶師アマツマラに請い、堅石の上で天の金山(かなやま)の鉄をもって、八咫鏡(やたのかがみ)を作らしめよ。」
タマオヤに命じて、
「五百の玉が連なる八尺の勾玉(やさかのまがたま)の飾りを作れ。」
アメノコヤネ、フトダマに命じて、
「呪(まじ)を行う刻限を、太占(ふとまに)にて知らしめよ。」
そして最後に、
「天の香具山に生える大真榊を一本、根こそぎに取って参り、上の枝には八尺の勾玉を取り付け、中の枝には八咫鏡を取り付け、下の枝には白和幣・青和幣(しろにきて・あおにきて:コウゾや麻の繊維を編んで作る、象徴的な飾り)を取り付けよ。」
と命じた。

八咫鏡(やたのかがみ)と八尺の勾玉(やさかのまがたま)は、今に伝わる三種の神器のうちの二つである。

こうして、アマテラス再臨の呪術をとり行う準備は整った。

続く



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古事記物語⑦ - 2009.06.18 Thu

スサノオの狼藉

アマテラスとの誓約に勝ったことで、スサノオは有頂天となった。
また、それと同時に、ただ母に会いたいと願っただけの自分に、追放を言い渡した父親への腹立ちの分も含め、高天の原から自分を冷たく追い払おうとした姉アマテラスに、スサノオのすべての怒りの矛先が向けられた。
これよりスサノオは、高天の原において狼藉の限りを尽くすのである。

ある時は、大御神であるアマテラスが食す米を作る営田(つくだ)で、田作業をする神々を蹴散らし追い払うと、畦を滅茶苦茶に壊し、その土で溝を埋めた。
またある時は、アマテラスがその大嘗(おおにえ:一年の最初に献じられる米)を食す、もっとも貴い社殿に泥沓で上がり込んだかと思うと、やおら下帯ごと袴を下ろし、凄まじい悪臭を放つ巨大な糞をあちこちにひり散らかした。

だが、アマテラスはこれを咎めなかった。
「弟がわが営田の畦を崩し、溝を埋めたは、新しき田を作らんと地をならしたのであろう。
また、大嘗を食す殿を汚したは、よい気分で酒(ささ)を飲み、酔うて吐き散らしてしもうたのであろう。」
と、むしろかばったのである。

あの誓約以来、アマテラスは弟スサノオに対して不憫と思い始めたばかりでなく、訳も聞かずに追い返そうとしたことに、申し訳なさをも感じていたのである。
だが、そのことによって、高天の原を律する決まりごとは崩れ、全体に混乱を招きつつあることは確かだった。


当のスサノオは、それによって行状を改めるどころか、
「ふん!
我は新しい田んぼを作ろうと思うたのでもなければ、酔うておったのでもないわい。
我は糞をひってやったのよ!」
と、アマテラスの言葉にかえっていら立ちを覚え、
ますます乱暴な振る舞いを繰り返すのだった。
そしてその怒りは、ついに、もっともあるまじき狼藉をスサノオになさしめたのである。


ある日アマテラスは、忌機屋(いみはたや:神聖な衣の生地を織る機屋)にて、天の機織女たちに生地を織らせていた。
すると突然、どすんと大きな衝撃が走ったかと思うと、天井がばりばりと音をたてて崩れた。
見上げると、大穴が空いた天井の縁には、すさまじい形相の弟スサノオが立っているではないか。
屋根に登ったスサノオが、忌機屋の屋根を一蹴りで踏み抜いたのである。

スサノオの片手には、皮を剥がれ、血を滴らせて痙攣する瀕死の馬が、軽々とぶら下げられていた。
アマテラスの厩から盗み出した、天の斑駒(あめのふちこま:斑模様の馬)の皮を、逆剥ぎ(尻から皮を剥ぐやり方)に剥いだのである。

スサノオは、ものも言わず、それを無造作にどさりと投げ落としてきた。
それまで、声も出せずに震えていた機織女たちは、いっせいに叫び声をあげて逃げ惑った。
その時、一人の機織女が尻もちをつくと、そのまま倒れて動かなくなった。
尻のあたりから、床に血の輪が広がった。
不幸にも、尻を落とした拍子に、梭(ひ:横糸を通すための、先の尖った道具)が女陰に突き刺さってしまったのだった。

この機織女は名をワカヒルメといい、アマテラスが、まるで自らの分身であるかのごとく、とりわけ慈しんでいた女神であった。(ワカヒルメという神については、『日本書紀』参照)
ワカヒルメは、アマテラスの目の前で、たちまちのうちに絶命したのだった。

続く



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古事記物語⑥ - 2009.06.16 Tue

対決

アマテラスの鋭い詰問に、スサノオは口を尖らせた。
「姉上は、我に邪心ありとお思いか?
とんでもない!
父に、なぜ泣いてばかりおるのかと問われ、母の国に行きたいと答えたら、『なればこの国から出て行け』と、我は神逐らい(かむやらい:神の追放)を言い渡され申した。
我がこの国を去る事の次第を姉上にお話しいたし、お別れのご挨拶せんと昇って参ったまでのこと。
まこと、嘘偽りはございませぬ。」

アマテラスは少し動揺した。
弟には邪心ありと決めつけていたところが、言葉に偽りが感じられなかったことと、泣いていた理由が、「母の国に行きたかった」ということにである。
ここで母の話が出ようなどとは、アマテラスには思いも寄らなかった。

父があれほどまでに憎む母のことである。
だから、アマテラスもまた、母イザナミのことを悪に堕ちた神と思い込み、これまで母のことは考えまいとしてきたのだが、その虚を、不意にスサノオの言葉によって衝かれた形となったのだった。


「ならば、そなたの心が清く偽りのないことは、いかにして知ることができるのか?」
やはり警戒心を怠らずアマテラスは問うたが、それでもいつの間にか、一も二もなくスサノオは追い払わねばならぬ、という思いは失せていた
スサノオが答えた。
「姉上と我が各々子を生み、それにて誓約(うけい)いたしましょうぞ。」
この場合の誓約とは、一種の占いを意味する。

こうしてアマテラスは、スサノオの一方的な案を受け入れてしまったのだった。


誓約(うけい)

誓約は、そのまま天の安河をはさんで行われた。
まず、アマテラスが、
「そなたの剣を。」
と言うと、スサノオは剣を外し、それを鞘ごと投げてよこした。
ずば抜けて大柄なスサノオに見合う大剣であったが、アマテラスはそれを、こともなげに空中で受け取った。

アマテラスはその大剣をすらりと抜くと、まず手刀で三つに折った。

天の安河のほとりには、天の真名井(まない)という、清冽な水を満々とたたえた井戸がある。
アマテラスは、まず剣の切っ先の部分をその井戸の水に浸け、ゆらゆらと振り濯いだ。
次に、剣を自らの口に差し入れたかと思うと、ぱりんぱりんと細かく噛み砕き、川原に向かって口をすぼめた。
剣の破片を、狭霧のごとくふうーっと噴き出したのである。
剣の狭霧に成った神は、タキリビメという女神であった。
アマテラスは、さらに剣の中ほど、柄元の部分と、続けて同じように真名井の水で濯ぎ、やはり噛み砕いて噴き出した。
成ったのはイチキシマヒメ、タキツヒメという、いずれも女神ばかりであった。

次に、スサノオが、
「姉上の玉を。」
と言うと、アマテラスは左のみずらに巻いた八尺の勾玉(やさかのまがたま)を外した。そして、今度は先にそれを真名井の水で濯いでから、スサノオに投げて渡した。
スサノオは、アマテラスがやったのと同じように、それを口に含むと、こりこりと細かく噛み砕き、やはり川原に向けてふうーっと噴き出した。
そこに成ったのは、アメノオシオミミという男神であった。
後に葦原の中つ国に降臨する天孫、ホノニニギの父神である。

さらにスサノオが玉を請うと、アマテラスは右のみずら、頭、左手、右手に巻いた勾玉の飾りを、一つずつ外しては真名井で濯ぎ、スサノオに渡した。
スサノオがそれを噛み砕き、狭霧に噴き出して成ったのは、それぞれアメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマノクスビという、いずれも男神ばかりであった。

子はすべて成し終えられた。
三柱の女神と五柱の男神、合わせて八柱の神々である。
では、それぞれの神はどちらの子ということになるのか。
これには、アマテラスが断を下した。
「後に成った五柱の男神は、私の持ち物より成ったゆえ、私の子となるであろう。
反対に、先に成った女神たちはそなたの持ち物より成ったゆえ、そなたの子となるであろう。」

これを聞いてスサノオは、どういうわけかたちまち得意満面となった。
「我が心の清く偽りなきこと、これにて明らかなり。
そうでなければ、我が手弱女(たわやめ:優しげな女神)を成すことはなかったはず。
ゆえに、おのずと我の勝ちなり!」

これは、一方的な決めつけ以外の何物でもなかった。
通常、誓約(うけい)を行う場合には、結果がこうなった場合にはこういう神意が示されているという取り決めを、あらかじめ交わしておかなければならない。
その取り決めがなかったこと自体異常なのだが、女神を成したから自分の勝ちというのは、主観以外の何ものでもない。
だがこのスサノオという男神、はじめから嘘をついているつもりがないのだから、どういう結果が出ても自分が正しいということになるはずだと、一点も疑いを持っていなかったのである。
(このくだり、『日本書紀』等参照)


しかし、スサノオの強引さに押されるままに、アマテラスは、ついに彼が高天の原に足を踏み入れることを許してしまった。
それは、強引かつ我がままではあるが、真っ正直なスサノオの性分と、彼の「母が恋しい」という言葉の投げかけた波紋が、すでにアマテラスの心の中で大きく広がりつつあったためだった。

続く



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kohocounsel

Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

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