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2009-10

もう一つのブログ 開設 - 2009.10.29 Thu

HPの方に、もう一つブログを立ち上げた。
タイトルは「幸朋 日々のつぶやき」である。

はっきり言ってしまえば、SEO対策(検索順位アップ)が目的なのだが、「「うつ」自分にうそがつけない人たち」の方は、常にできるだけ明確なテーマで、一切手を抜かずに書くことがモットーとなっているだけに、かえって時事ネタやその時々にふと思うことが書きづらい。

で、その部分はそちらの方でやっていきたいと考えている。


よかったら、そちらの方も見にいらしてください。

もちろん、"「うつ」-自分にうそがつけない人たち" もこれまでと変わりなく続けてまいります。

生活リズムについて4 - 2009.10.22 Thu

一応、不眠時代の中でも最も苦しい状況を作り出した問題が、どのような幕切れを迎えたかについて書いておくならば、それは何ともあっけないものだった。
短く言うと、嘘によって私を陥れた人物と、その言葉を一方的に信じた人物が別の問題で仲違いを起こして、職場自体が混乱し、私が関わった問題は自然消滅のような形となったのである。
当初の問題の全容は、私一人の胸の内にしまい込まれ、二度と陽の目を見る可能性はなくなった訳である。

次年度の仕事はまだ決まっていなかったが、なぜか私には、「自分は、来年にはもうここ(職場)にいない」という奇妙な確信があった。
明らかに一つのプロセスに区切りがついた感覚であり、まるで、その過酷な経験をするためだけに、数年間その場に身を置いていたような気すらした。
そして実際に、その年度末の3月、思わぬ経緯で私の許に別の常勤職のオファーが舞い込んだのである。

しかし、最もひどい時期に比べてやや緩やかにはなったものの、それからもさらに3年半私の不眠は続くことになる。
それもやがて終わる時がくるのだが、その顛末についてはかなり根深い人間関係と、それにまつわる大きな事件がからんでいるので、今は書けない。

とにもかくにも、その10年間で私が学んだことは、権威を中心とする人間集団にあっては、真っ直ぐに立とうとすれば例外なく目の敵にされる、ということだった。


***

ところで、私の不眠時代の生活について、やはりこれも書いておかねばと気づいたことがあるので、追加しておきたい。
というのは、受験勉強と修士論文を執筆していた時期を除いて、不眠時代のほぼ全般を通じて、パソコンのゲームに相当な時間を費やしていたことである。
(ちなみに、今でも大人としてはかなりやっている方だと思う。)

私の場合、ゲームの種類はというと、大体はWindowsに標準装備されているカードゲームで、あとはテトリスなどのいわゆる「落ちもの」やオセロなど、無料の単純なものばかりだった。

すでに書いたように、不眠時代の私にとっては、取り憑かれたように思索・思考することが何よりも大切なことであり、また避けられないことであり、新しい知識を外部から取り入れることは決して重要でなかった。
私は、受験勉強やその後の勉強を通じて、頭に入ってくる心理学の知識の多くが、実際のカウンセリングに少なからず弊害をもたらすことを、経験的に知った。
弊害をもたらす理由は、言うまでもなくそれらが根本的に間違っている、もしくは正確でないからである。
そうした中で、私の「自分の頭で考える」という傾向はますます強くなっていったように思う。

だが、思索・思考というものは、いわゆる沈思黙考という形で、そればかりに専念することは実際にはほとんどありえないし、「よし、考えよう」といちいち決心した上ですることでもない。
私の場合、辛い状況の中で、ほとんど自動的に始まってしまう思索・思考に対して逆らわないことが、すでに習慣化していただけである。
だからこの時期、論文を書く以外に、思考するために何らかの努力を払った記憶はない。

私ばかりではないと思うのだが、感情を必要としない単純なゲームというのは、己れの思考の内に籠もるには持って来いのアイテムだった。

ゲームをやっている時のメインの思考は、もちろんパズルなどを解いていく作業そのものに費やされる。
で、その他のことについては、思考のメインの部分を明け渡しているために、いわゆる「考えるともなく考える」という形になる。
しかし不思議なもので、「考えるともなく考える」ほうが、かえっていくつかのことを同時に考えることができたり、何かを空想しながらそれ以外のことをつなげたり分解したり、意外と自由な思考が可能になるのである。

おそらく、ゲームの「解いていく」という方向性が、思考するのに適度な刺激となる面もあるのだろう。
また「考えるともなく考える」場合、論理的に思考するばかりでなく、自分がどう感じているのか、感性や感情に沈み込むようにして探索していく面も大きい。



ゲームのことをなぜわざわざ付け足したのかというと、その時期の私の体験について、これを読む方々から過大評価も過小評価もされたくないからである。

一般的に見れば、いい年をしながら自室に引きこもって没交渉、何ら努力めいたことはせずにただゲームに没頭していた「暗ーいおっさん」という面もあったことを、書かないわけにいかないのだ。
しかし反面、その時期があったからこそ、見えてきたものが計り知れないほど大きいことも、書かないわけにいかないのである。

繰り返し言うように、私はその時期を含むこれまでの大部分の体験が、私にとっては選択の余地のない、必然的で避けられないものだったと考えている。
もちろん、私自身が主体的になしてきたあらゆる判断も含めてである。

私が払ってきた「努力」に似た頑張りのほとんどは、津波に襲われそうになった人が、我を忘れて丘に向かって全力疾走するのとまったく同じであり、そうしなければ「心の死」に飲み込まれるしかないから、否応なくやってきたことに過ぎない。

不眠の時期のことを人に話すと、「すごい忍耐力だ」と言われることがあるが、私としては正直あまりピンと来ない。
「忍耐」と言うと、何か高い理想にでも到達するための静かな努力のように思えるのだが、それとは少し違うのである。
端的に言うと、私は「心の死」よりはましな方を取り続けたに過ぎない。

30台半ばで気づいたことだが、そもそも私は「努力」と名のつくことが大嫌いなのである。
その反面、努力をしないで済む方法にたどり着くためだったら、かなりのエネルギーを惜しまない自信はある。
時に活動的であっても、それは努力によるものではなく、自分の興味や気持ちに突き動かされるものでありたい。

私が自分の人生に求めるものは、努力による何かの構築ではなく、詰まるところ「解放」である。
存分に、生きたいように生きるというあり方以外に、私は人生にほとんど意味が見出せない。
私が、アメノウズメやこぶとり爺さんの陶酔的踊りに重ね合わせているのは、まさにそうしたことなのである。

「自分に嘘をつくまい」と思うのも、不当に踏みつけにされている人々に助力したいと思うのも、また微力を承知で「世の中を少しでもよくしたい」と思うのも、決して向上心からではなく、自らのやる瀬ない気持ちから解放されたいがために過ぎない。


あと1回だけ、このテーマ続く


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生活リズムについて3 - 2009.10.07 Wed

もともと、私の不眠体験にまつわるこの一連の記事は、うつの人にとって「生活リズム」を整えることに大した効力はなく、むしろプレッシャーを強めるばかりであることを説明するために、参考として書きはじめたものである。
しかし、どうも目的がまったく入れ替わってしまった。
すでに、完全に私が自分自身を振り返るために書いている記事である。

なぜ「今」、このことを振り返らなければならないのかは、自分でも分からない。
そういった理由が分かるのは、えてして後になってからである。
ともあれ、すでに始まってしまったことである。
もうこれは、最後まで書ききるしかないようだ。

こうなったら、とことんまでお付き合いくださいませ。
えいやぁっ!……と。





前回記事からの続き

大学院入試直後にはじまった発熱から回復し、普通に日常生活ができるようになるまで、結局11日かかった。

もうこれで不眠症から脱することができるのではないか、という淡い期待を持っていたが、身体症状が治まると同時に、やはり不眠はやってきた。
大学院生としての新しい生活が始まっても、不眠の程度はほとんど変わらずで、平日は常にひどい睡眠不足状態、そして週末・休日の朝から昼間にかけて、それを少しでも解消するというサイクル(?)だった。

こういった生活を長年続けると、生活形態は一変する。

私の場合、まず、夜入浴するということが一切なくなった。
夜入浴して気分がさっぱりしてしまうと、その日は一睡もできなくなる確率が高くなるからだった。
部屋の片付けや、洗濯物を畳むということもなくなった。
そもそも抑うつ感が強いのに加えて、こういうちょっとした頑張りによって交感神経(自律神経)が昂ぶってしまい、たちまちにして不眠を強めてしまうことが、経験によって分かってきたからである。
洗濯物はすべてハンガーに干し、畳まずに屋内用のハンガーパイプに掛けるだけ。
片付けができないから、とにかくできるだけ部屋を汚さないように心がけ、掃除機をかけるのも実に年に1、2度、休日の早い時間に、奇跡的に「おっ、今日はすごく掃除機をかけたいかも」という気分になった時だけだった。
何とか片付けができたのは、シンク周りだけである。
神経を緩める、つまり副交感神経をより活発化させるため、できるだけ不快なことは避け、できるだけ心地よい方向を選ぶよう、ほとんど無意識に心がけるのが常となったのである。

はじめは、昼寝すると夜眠れないと思い、たまたま日が高いうちに家で眠気が襲うことがあっても、眠らないようにしていた。
しかし、眠るまいとするその頑張りが仇となり、結局その夜は一睡もできなくなってしまうので、「眠れるときに眠る」というのが習慣化した。

へとへとになるまで運動すれば眠れるのでは、と考えたのも最初だけだった。
友人とテニスをやってみたり長距離を歩いたり、へとへとになるまで運動した日は、かえって神経が昂ぶり、ほぼ例外なく一睡もできないのである。
身体がへとへとの上に一睡もできず、それでも仕事に行かねばならない時のしんどさについては、語るまでもない。
それでも運動したいときには、その日は一睡もしない覚悟で運動した。

ほんの少しながら、眠れる確率を上げてくれるのはアルコールだけだったこともあり、とにかく毎夜、かなりの量の酒を飲んだ。
あまり正確に思い出せないのだが、ビール・赤ワイン・ウイスキーは、ほとんど毎日どれ一つとして欠かさなかったのではないかと思う。
とくに修士論文を書いていた間は、酒瓶をパソコンの横に置き、ほとんど酔わないにもかかわらず、毎日最低でも1本の赤ワインとボトル1/3ほどのウイスキーを消費していた。
そのため、一人暮らしの大学院生という立場からすると、月々の生活費はかなりの額だったと思う。
もちろん、生活費の計算など恐ろしくて出来なかった。

だが、何よりも心配なのは、「肝臓がもってくれるかどうか」という点だった。
毎日、酒を飲むたびに、「今の俺にはどうしてもこれが必要なんだ。何とか持ちこたえてくれ。ごめん!」と、自分の肝臓に頼み、詫びていた。
不眠の10年で私の体型はかなり変わった(太った)が、原因の大半がアルコールにあることはまず間違いない。

そのようにして書いた修士論文で、一番大きく取り扱った神話の題材は、おもしろいことに酒と踊りと愛欲の神、ディオニュッソス(バッコス)であった。


少し話は逸れるが、実は昨年から野口整体に通っている。
野口整体のことを知ったのは、武術家甲野善紀氏の著書やブログでである。
持病となっていた腰痛が通い始めた理由なのだが、始めてから間もなく、2年ほど飲み続けていた鎮痛剤が不要になった。
また、それと同時に、すごい臭いの汗が出はじめた。
不眠になって以来、それが治ってからも、私にはどうした訳かほとんど体臭というものがなかった(と、嗅覚の尋常ではない妻が言う)。
しかしこの頃から、これまで発することなく溜まっていた臭いの元(?)が次々と出始めたらしいのである。

ある時期には、すごく薬の臭いのする汗が出続け、またある時期には、酒に似たすえた臭いの汗が出続けた。どうやら、毎日飲み続けた痛み止めと、不眠時代に摂り続けたものすごい量の酒の成分だったようだ。
それに伴って、うつ伏せになった時の腹部の圧迫感が、明らかに小さくなっていった。
はっきり調べたわけではないが、すでに脂肪肝(気味)と診断されていた私の肝臓が、どうやら急速にしぼんできているらしいのである。
野口整体、恐るべしである。



話を戻そう。
抑うつ感は小さくなかったが、当初の不眠生活が私にとって地獄だったかというと、意外とそこまでの意識はなかった。
「自分は、本当に自由になど生きてよいのか」という、強烈な不安と恐怖が不眠の原因であることは何となく分かっており、だとすれば、「自由に生きてよいのだ」という答えが出さえすれば不眠は解消するはずだ、という楽観がどこかにあった。
逆に、「俺は、自由になど生きてはならないのだ」という答えが出れば、即座に死ねばいいと本気で考えていた。

正直言って、今となってはその感覚がよく思い出せないのだが、そういった答えが出て死を選ぶことに対しては、一片の恐怖も感じていなかったと断言できる。
死んだように生きることのほうに、はるかにリアルな恐怖を覚えていたのである。
その答えが、どういった形で訪れることになるのか、そのときには想像もつかなかったが。

そういった生活が地獄とは言えなかったもう一つの理由は、そんな自分にもできることがある、という実感からだった。
それは、他ならぬカウンセリングという仕事である。

うつになった人々の不安や恐怖が、手に取るように理解できたし、自然と「共に戦う」という立場に立つことができたので、とにかく身が入ったし、クライアントの側にもそれに見合った手応えを感じることができた。
それまでの人生において、どこかで感じ続けてきたある特殊な孤独感は、このときすでに解消していたと言えるかもしれない。

また、カウンセリングを通じて、「本当に自由になど生きてよいのか」という問いは、すでに私だけのためのものではなく、人間全般に関わる問いへと昇華しつつあった。
ちなみに、私はクライアントの方々に対し、基本的に自分の不眠症を隠すことはしなかった。

以前の私は、例に洩れず、やはり休日の夕方などに起きだすと自己嫌悪を感じていたが、ここまでひどい生活サイクルになると、自己嫌悪や罪悪感を感じるどころではなかった。
その生活が、自分にとって不可避かつ必然的であることは、あまりにも歴然としていたからである。


不眠が始まって3年余りが過ぎた頃、私の抑うつと不眠の強まる出来事が生じた。
詳しくは書かないが、数ヶ所あった非常勤の職場の一つ(大学院に通いつつ)で、ある同僚のかなり屈折した愛憎と嘘に巻き込まれてのことである。
また悪いことに、その女性は、私がこの世界に飛び込む際にかなり世話になった人物の友人であり、その人物から彼女の立場を守ってくれと、頼まれてしまったのである。

もちろん、それはかなり理不尽な要求だったが、私はすべて呑み込むことを決心した。
そして、断じて言い訳をしなかった結果、私は最悪の立場に立たされることとなったのである。
その状況は実に3年半もの間、結局私に別の常勤の仕事が決まって退職するまで続いた。
当然のことだが、現在私はその要求を持ちかけた人物と、連絡を取っていない。
果たすべきものは果たし、返すべきものはすべて返したからである。
このことを多少なりと公表するのは、この記事が最初である。

少なくとも、その状況が始まった最初の2年半ほどの私の精神的状況は、言うまでもなくかなり追い詰められたものだった。
ただでさえひどかった不眠はさらにひどくなり、実際の程度は定かではないが、30分眠れればそれでよしとしていた記憶がもっとも多い。というよりも、一昼夜のうちにたとえ一瞬でもぐっと眠れれば、それだけで上々という感覚だったように思う。
「人間、眠らなくても死なないものだな」と本心から思ったのは、この時期である。

はっきり言って、自分を陥れた人間に対する憎悪の塊だった。
断じて負けるわけにはいかなかった。
また、自分の非を暗に認めることを嫌って、逃げ出すという発想すら持たなかった。
それは、私にとって死を意味していたし、彼女らのために死を選ぶのはあまりに馬鹿馬鹿しすぎた。

それまで毎年1~2本はどこかに論文を載せていたが、常に心を捉え続ける激しい憎悪のために、この2年半は1本も書けず、それどころか、専門書も、ユングの『ヨブへの答え』を除いては1ページたりと読めなかった。

他に読めたものは、夢枕獏さんの小説だけだった。
もともと『陰陽師』を通してファンになったのだが、彼の作品にはエロくてグロくて暴力的で、それでいて耽美的なものが多い。
そういった作品を読み続けることで、私は憎悪を抑えるよりも、さらに滾(たぎ)らせることを選んだ……、というよりもそれは、私の内的要請においては、他に選択の余地のない道だったのである。

一番多かった時で、1年間に約250冊、彼の作品ばかりをひたすら読み耽り、まだ読んでいない彼の作品が手元になくなると、恐ろしく不安にもなった。
もしもあの時、夢枕獏という小説家がこの世に存在していなかったらと思うと、今でもぞっとする。しかも、よくぞ数100冊も書いていてくれたものだ。
彼は私にとって、紛れもなく、この地上で最も感謝の念を覚える人物の一人である。


聞く音楽も一変した。
もともと、J-POPはもちろんクラシックも映画音楽も洋楽も、わりあい幅広く聞くタイプだったのだが、その時期には、まず歌詞のある曲が一切聞けなくなった。
最後まで聞けたのは桑田佳祐だったが、それすら聞けなくなると、次には映画音楽、クラシックの順で次々に聞けなくなった。
で、とうとう聞けるのは民族音楽ばかりとなった。

一番よく聞いたのは、陶酔的なバリのガムラン音楽である。
インドのシタールや壺を叩く独特のパーカッション、ホーミー、チベット密教の読経、バグパイプ、アフリカの童謡、ラージャスタンの民謡など、おそらく古い時代に成った類の民族音楽は、洋の東西を問わずに聞くことができた。
中国音楽でも、時代の新しげなものは無理だった。

2年余りの間、毎日明け方まで陶酔的な民族音楽を流し、酔えない酒をあおり、枕元の電気スタンドだけを点けて、夢枕獏の描く、人が生きながらにして鬼に変貌し、殺戮し、犯し、喜悦の雄叫びを挙げる物語に、全身全霊で没頭する。

陽が昇り、窓の外に人の気配がしてきてはじめて、うまくするとふっと緊張の緩む瞬間があり、その機を逃さず数10分の睡眠をとる。
そして、再びタイマーでセットしたガムラン音楽で目覚め、遅刻ギリギリの時間に重い身体を起こして2分でシャワーを浴び、職場や大学に向かう途中でパンをかじる。
もちろん、何日も一睡もできないということもしばしばあった。

言うまでもなく、「俺はいったい何をやっているんだ」という不安に、幾度となく襲われた。
そうした時は、畳んだ掛け布団と敷布団の間に頭を差し入れ、絶対に部屋の外に声が漏れぬように絶叫したりしていた。

ほとんど狂気の生活である。

だがその間にも、「人として、何が正当であり、何が不当であるか」ということについては、心のどこかで、常に取り憑かれたように考え続けていた。
いや、紛れもなく、取り憑かれていたという表現が正しい。

その時期の思考によって、現在の私のカウンセリング観・人間観・家族観のベースの部分が、ほぼ形作られたと言ってよい。
事実、自分がそのような状態であったにもかかわらず、クライアントの人たちの状態・回復のスピード・何よりも表情の明るさなどからは、それまでとまったく次元の違う手応えを感じるようになった。

同時に、大半の心理学理論が、まったくの屁理屈に過ぎないものに見え始めた。
多くのユング派学者の理論も例外ではない。
また、気がつくと、職業・性的志向・学歴その他に基づくさまざまな差別的意識が、価値観の中から拭い去ったように消えていた。

私が臨床心理士の資格を得たのは、この時期のちょうど真ん中頃だった。
今よりはずっと簡単な試験問題ではあったが、勉強という勉強が手につかなかったので、そのために特に使った受験勉強の日数は、実質的に丸5日間のみである。
どうして受かったのか、自分でもよく分からない。



さらに次回に続く


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拙著

2015年2月28日発売
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プロフィール

Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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