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2009-12

仕事納め - 2009.12.31 Thu

昨日30日に仕事納めした。
ルームはさほど汚れてもいなかったので、大掃除というほどでもなかったが、終わってから1時間ほど、ちょこちょこっと溜まっていたダンボールなどを整理し掃除して、家族で近所のロイホに夕飯を食べに行ったのが夜の11時だった。

食事の最中あたりから、肩やら背中がキューッと引き攣ったように痛んでくる。
1年間ため続けた緊張のツケが、ほっとした途端に一気に襲ってきたのだろう。
東洋医学の方によく言われるが、鈍感化しているよりは、痛いところが痛いと感じられるほうが、よほど健康ということだ。

心理も同じことである。
家族や職場で上の者の矛盾が見えてしまうと、その場は耐え難いものになるから、多くの人が直視することを恐れるのだが、それでもその方が自分を見失わないですむ。

おかしいことがおかしいと感じられなくなること、これが現代人の精神病理の核だと私は思っている。

ともあれ、今年一年好意的にコメントを下さった方々、また考える機会を与えてくださった方々に、厚く御礼申し上げます。
来年もまた、よろしくお願いいたします。
それでは皆様、良いお年を。

お願い - 2009.12.21 Mon

最近のコメントの状況にかんがみまして、皆様にお願いがあります。

コメントの内容はもちろん基本的に自由です(誹謗中傷は即時削除いたします)が、ブログという媒体の性質が、いわゆる掲示板やSNSとは異なっておりますので、当ブログ上での横レスやコメンター同士のやり取りは、なるべくお控えくださいますようお願いいたします。
言うまでもなく、コメンターの方々が互いにメールアドレスを記入し、個人的にやりとりされることなどにつきましては、当方が制限を加えることは一切ありません。

また、横レスやコメンター同士のやり取りをお控えいただきたいもう一つの理由について、続けて書かせていただきます。

このブログ独自の実情を申しますと、一度もお会いしたことのない方がコメントされる場合が大半ですが、中にはカウンセラーとしてお会いしたことのある方、または現在続けてお会いしている方がコメントされている場合もあります。
しかし、ご承知のように、カウンセラーは「守秘義務」を有しております。
ですから、カウンセリングの内容が、こちらの書くリコメントに漏れださぬよう、またどのコメンターが見知った方で、どのコメンターが見知らぬ方であるかにつきましても、一般の方々からは見分けがつかぬよう、記述に細心の注意を払っています。

私といたしましては、考えたことや見立ての経緯等をすべて書くわけにはいかない、ある意味かなり不自由な状況においてリコメントを書いておりますので、ある方々へのリコメントに対しては、舌足らずのように感じられることも多々あるかと思います。
このように、リコメントの記述には限界のあることをご理解いただきたく、お願い申し上げる次第です。

併せて、当カウンセリングルームのクライアントの方々には、コメント欄にてあまりに立ち入った個人的な内容を書かれますと、当方の記述の限界から、一般の読者の方々に誤解を生じさせる原因にもなりますので、コメントを下さる場合にはくれぐれもご注意のほどをお願い申し上げます。

※この記事は、スタッフブログ『幸朋 日々のつぶやき』にもアップしています。

生活リズムについて5 - 2009.12.10 Thu

生活リズムについての話が、完結しないままになっていた。
ここのところ長文が書きづらく、なかなか更新できずにいたのだが、結局何を言いたかったのかだけは書いておかねばと思う。

生活リズムのことで私が一番言いたかった点は、「深夜じゃなければ見えないものがある」ということである。


私を含む「うつ性格」の人は基本的に内向性が強く、自分の中にモヤモヤと得体の知れない感情やわだかまりがあると、もうそれが気になって仕方なくなるし、それがある間は一日を終えるに終えられない気持ちになる。
結果、身体は眠くても、眠るに眠れない、眠るわけにいかない状態になる。
大ざっぱに言うと、これが抑うつに伴って不眠が起きる精神状態ということになる。

他の人の参考になるならないは別として、私の場合は、自らの意識と無意識が向かおうとする方向に逆らわずに、考え、感じ抜くことでその状態を脱することができた。
もちろん、「逆らわない」という発想に辿り着くだけでも時間はかかったが。

一方、人が、自らの感情を無視した思考ではなく、微妙で微細な感覚や感情を大切にしながら思考するためには、より強い集中力を必要とする。
そして、その内向的な集中力の最も増すのが、実は深夜なのである(自他の経験から言うのであって、精神医学的裏づけはない)。
昼間の思考回路は、物事の表面や現実的なことを考えるには適しているが、ものごとの深奥や自らの内面を正確に辿ろうとする時の思考は、断然深夜のそれが適している。


ところで、これまでの記事でも少し書いたが、私が不眠だった頃の「実感」の記憶としては、苦悩していたことは確かだが、それ以上に不思議な「甘ゆさ」を伴っている。

深夜12時を越えると、マンションの他の部屋からも戸外からも、人の気配は次第にまばらとなり、やがてはほぼ完全になくなる。
それにつれて、意識のある部分には解放感というか、一種の弛緩が訪れるのだが、別の部分は力をたわめるようにして逆にぐぐっと力を増してくる。
昼間は抑えこむしかなかったドロドロとした感情が、自らの抑圧の壁を突き破って現れ、意識を覆い包み、意識もまたそれに身を委ねる。
この「身を委ねる」というのは、自らの意志による、生半でない勇気を必要とする「主体的敗北」である。

深夜のことだから、その時の私を誰かが見たとしても、当然見かけ上は静かなものだったはずである。
だが意識の状態はと言うと、恐ろしく激しいものであり、私自身その状態を「鬼の狂喜乱舞」とイメージしていた。

それまでずっと押さえ込まれていた感情が初めて姿をあらわす時、それは例外なく、極めて荒々しくドロドロとしたものになる。
無理矢理檻に閉じ込められ、すっかり凶暴化してしまった野獣のイメージがそれに近い。
ほんの少しだけ具体的に言えば、それは殺戮の空想であったりする。

だが、自我がそれに逆らうことなく身を委ね続ける時(行動化してしまうという意味ではない)、そのドロドロが突如として変容する瞬間がおとずれる。
この上ない透明感、清浄感へと変わるのである。
私の場合、このとき現実的状況がシンクロして変化したが、それは決して、現実が安定した「から」精神的にも安定したというわけではない。
内面的状況が山場を乗り越えたことを感じたとき、同時に現実的にも「山場は越えたな」と直観したところ、実際にそうなっていた、ということである。



こうした感覚は、残念ながらこれ以上言葉で伝えようがないが、ともあれ、こういったプロセスはすべて深夜から明け方に経験したことである。
「夜」でなければやれないことがあるのを、本当に知った。

以来、「生活リズムは規則正しく。」といった言葉を聞いたりすると、ひどく機械的で未熟な言葉に思えてしまうようになったのである。

私がこの記事をなかなか書けなかったのは、どうしても、ほんの少し非科学的な内容が含まれてしまうからである。
なので、あえてどなたにも理解は求めないでおきたい。
ただ、イメージしていただけるならば幸いである。



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プロフィール

Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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