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2010-08

きれいごとではない - 2010.08.31 Tue

古い記事のコメント欄ではメールアドレスを公開していたのだが、迷惑メールがちょいちょい届くため、ウェブ上でのアドレスをできるだけ削除しようと、ここのところそれらをアップしなおす作業をしていた。

当然、古い記事を再び読み返すことにもなったのだが、拍手数やコメントが、平均して今よりもずっと多かった。
「うつ」や「人の心」というものについて長い間考え続けてきて、このブログで初めてそれらをまとめて吐き出していたのだから、さもあらんというところだ。
明らかに、言葉の温度が高いのである。
もちろん、書きたいネタ自体は、今でも限りなくあるのだが。

ところが、古い記事の中でも、私自身がかなり気に入っている記事に対するコメントや拍手数は、意外とかなり少ないことが分かった。
とくに『感情』http://kohocounsel.blog95.fc2.com/blog-entry-53.htmlという記事である。

私自身が幼い頃、昆虫たちに加えてきた虐待についての記事である。
正直、ちょっと書くことがためらわれたのだが、自分の中の見たくないものから目を逸らさず、できるだけ正確に見るという作業を公開の場で行なうことで、このブログが「きれいごとではない」ということを示しておきたかったのだ。
今読み返しても、それを書いたときのある種の苦痛が蘇る。

あらゆるカウンセリングの山場においては、まず例外なく、こうした「目を逸らさぬ苦痛」がともなう。
この苦痛がいかに大きなものであったとしても、今とは違う場所に辿り着こうとする以上、こればかりは乗り越えないわけにいかないのである。

もちろん、何人たりとそれを強要するべきではない。
違う場所に行こうとするのかしないのか、それは当人の選択によるべきものだ。
言うまでもなく、我々カウンセラーもまた同じ立場である。

しかし、違う場所に行く道を選択する以上は、必ず乗り越えなくてはならない。
ここには、選択の余地はないのである。


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「悪い人じゃないんだけど……」? - 2010.08.07 Sat

たとえば、飲み屋でのサラリーマンの会話。
A「あの人(上司)さぁ、もともと自分がミスしたくせに、まるでこっちがミスしたみたいに、みんなの前で言うんだぜ。」
B「ああ、あの人時々そういうことやるよね。わかるわかる……。
まあ…、悪い人じゃないんだけどね。」

一見、どこにでもありそうな、いや、実際しょっちゅう耳にする内容の話である。

しかし、私はいつもこのBの言葉の最後のところ、日本人がやたら使いたがる「悪い人じゃないんだけど……」という部分にひどく引っかかる。
はっきり言って、「思いっっきり悪いやんけ!」と思うのだ。

この上司は、家庭を構え、毎日会社に出勤して妻や子どもを養っているのだとしたら、少なくとも表面的には、確かにいい夫であり、いい父親なのかもしれない。
また、社内でも、細かく彼のことを知らない人からすれば、多少いい加減なところはあるけれど、陽気で弁の立つムードメーカーなのかもしれない。

だがそんなことは、この会話の内容に関する限り、何の関係もないのである。
会社でミスを起こすことは、当然ながらその後のマイナス評価につながる。
ミスをやったのが誰なのかということは、言うまでもなく、サラリーマンにとっては死活問題なのだ。
また、だからこそ、この話題の人物は自分のミスを人のせいにしたのである。

さほど大きくないことだったとしても、この人物は、自分の負うべき責めを、無実の他人に押し付けたのだ。
その人間を「悪い人じゃない」と、なぜサラリーマンBは言うのだろうか。
このことが悪くないとして、じゃあどういうことならば悪いということになるのか。その基準はどこにあるのか……
そもそも、ひどい目に合ったAをいたわるべき場面で、なぜひどいことをやった上司のほうを弁護してしまうのだろうか。

日本人が形成するあらゆる集団では、目上に反論することはそれだけで「悪」という色合いを帯びる。
言い換えるならば、下に対しては、やりたい放題がまかり通るということなのだ。

Bの言葉は、彼がそれを容認する立場に立っていることを意味する(もちろんそれが大多数派なのだが)。
だから、問題になっている事実とはまったく無関係の、その人物の違った側面を持ち出してきて、「害悪のある人間」のことを「悪くない人間」とすり替え、Aに対して「この矛盾を飲み込め。そしてもう二度と触れるな。」と言っているのである。

Aは、この会社を辞めるか、自分自身が誰かに対して矛盾を押し付ける人物にならない限り、うつになる可能性が高い。
「泣き寝入り」することと、「そんなことを考える自分が悪いんだ」という諦めは、まずもってうつの最大の要因だからである。

もしAがうつになったとしても、Bは自分にも原因があるとは絶対に考えない。
それどころか、Aがうつになっても、まったく知らない振りを決め込むか、さもいたわるような口調で、「気にしすぎだよ」とダメ押しの追い討ちをかけるであろうことは、ほぼ確定事項である。

さもいたわるような口調で言われると、Bのやっていることのひどさは、AにもB自身にも認識されにくい。
ましてやAとしては、数少ない味方を一人でも減らしたくない気持ちがあるために、よけいにそうなってしまう。

日本人の、「上には決して逆らってはならない」という刷り込み・洗脳は、どうすれば解除できるのか……
日本でカウンセラーという仕事をしていると、このことが最大の問題ではないかと、よく感じさせられる。

もちろん誰しも、上の者がやろうと下の者がやろうと、理不尽は理不尽だということは、頭のどこかで分かっている。
分かってはいるが、その思いと考えが抑圧されているのである。

心理学的見地から言うと、抑圧された感情は例外なく、あらぬ方向に向かって歪んだ形で表現される。
不当に押さえつけられた者自身が上の立場に立ったとき、やはり自分も下を押さえつけるのは、その一例と言えるだろう。
これは、矛先を向けるべき相手のすり替えであり、「上が下を押さえつける」という集団の因習に、自らが同化した形だ。

また、無差別殺人衝動などにおいては、その対象が不特定多数に広がってしまっている。
考えてみれば、池田小の事件にしても秋葉原の事件にしても、対象は小学生であったり、ある程度マニアックな人々であったりと、攻撃性が社会的弱者・少数派に向かっている。

日本の教育に恨みを抱く者が、その刃を子どもたちのほうに向けてしまう……
この上なくおぞましい人間心理である。
多くの幼児・児童虐待や、学校・会社におけるいじめにおいても、まず間違いなく、これと同様の心理が働いている。



うつになる人々の多くは情緒が発達していて、人の痛みを感じやすいために、争いを好まず、自分が誰かに対して不当なことをすることもできない。
だから、何らかのせめぎ合いが起きたときには、例え相手の方が不当だとどこかで分かっていても、自分のほうが引き下がって気持ちを飲み込んでしまうし、結局そちらのほうが楽だと考えてしまう。

だが、心は嘘をつかない。
理不尽を飲み込めば飲み込んだ分だけ、それは攻撃性として、澱(おり)のように感情の深いところに溜まっていく。
そして、やがてその「外に向かわない」攻撃性は自分自身へと向かい、痛めつけ始める。
それが「うつ」なのだ。


誰彼なく、相手に対して攻撃的になれとは言わない。
ただ、自分自身の心を守るために、「降りかかる火の粉を払う」気性と攻撃性だけは、何が何でも身につけなければならないのである。
自分の心は、突き詰めれば自分しか守ってやれないのだ。
きわめて厳しいことだが、それすら拒否するということは、「この世で生きる気はない」という意志を表明してしまうも同然なのである。

多くのうつの人たちに、この自覚を、切に切に願う。


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講習会『日本神話と人間関係』-「異」なるものとの対立を超えること - 2010.08.01 Sun

7月25日、大阪は難波神社の一室で、クライアントの方々にのみ告知し、ごくクローズドの形で講習会を行なった。
テーマは『日本神話と人間関係』(副題-「異」なるものとの対立を超えること)である。

以前、このブログで日本神話である『古事記』の現代語超訳をこころみ、その心理学的解釈を行なうと予告していたのだが、分かりやすい言葉で文にすることがあまりに難しく、断念している状態だった。
しかし、相手の顔を見ながら語り言葉で伝えることは可能だと思い、講習会のテーマに選んだわけである。

こういった講義や講演を行うと、内容が真面目なものであるだけに、たいてい眠気を感じる人がある程度の割合でいるものだが、今回の講習会では、そうしたことがまったく感じられなかった。
この体験だけでも、私にとってはかなり新鮮だったのだが、その後参加者の方々から寄せられた感想を読ませていただくと、かなり深く聞き込んでくださっていたのが分かる。
まったく、貴重な体験だった。

講義の形は、あらかじめパワーポイントで資料を作成し、プロジェクターを使ってスクリーンに映し出す方法を取ったのだが、数日前からPCの調子が悪く、途中何度も機械がダウンするというトラブルがあった。
大変申し訳ないことではあったが、参加者の方々は生きた感性の持ち主ばかりだったので、「やはり有機的な場とPCは相性が悪い」と思ったものである。


以下は、そのときの内容のダイジェストである。
要約なので、意味が分かりにくいところがあると思うが、このブログで書いた『古事記』超訳を今一度読んでいただければ、おおよそご理解いただけるのではないかと思う。




「日本神話と人間関係」 -「異」なるものとの対立を超えること


1. 人間にとって、神話・昔話がなぜ大切なのか(なぜ心理学の研究対象となりうるのか)

・神話・昔話のストーリーは、基本的に無文字社会での言い伝えがベースになっていると考えられる。文字によって記録されていないので、代々語り継がれる過程で、話は少しずつ作りかえられる。しかし、そのことによって、万人にとってよりしっくりとくるストーリーが出来上がっていくと考えられる。
物語が文字で記録されると、改変が行なわれなくなるために、物語の成長は止まると言ってもいい。
・こうして、神話や昔話は、人の心のしくみや心の成長のプロセスを、表現するようになる。=普遍的無意識(ユング)の内容の表現
・神話は「自分はどこから来たのか」を教え、セルフ・アイデンティティー(自分はこれこれの者である、という意識)を安定させる。


2. アメノヌボコ - 攪拌の心理段階
(イザナギ・イザナミが、天の沼矛で海をかき混ぜたくだりより)

・渦以前は そこもここも違いがない =新生児の世界(自他が分かれていない)
・渦には中心がある・・・動かない一点(渦の中心)が決まったことで、一応そことここの違いが生じている。 =空間の広がりが認識される、最初の意識段階
・でも、いまだ渦の中では、右も左も分からない
この心理段階の例……周りを振り回す中心人物(ワンマン社長とか、自己中心的親とか……)。いわゆる「カリスマ性」を持った人で、このタイプの人は多い。

特徴……一貫性がないのに自信たっぷり
⇒周りは、いつもその人の顔色を見、何を考えているのか読みとることに専念してしまう。
⇒「私はこの人を尊敬している」と脳が勘違いを起こしてしまう。
=中心に立つためには、矛盾が必要(この人にとっては、論理は毒薬)
これがイザナギの性格


3. イザナギ(・イザナミ)の性格

・イザナギとイザナミの関係
    ・男が先に口をきかなければならない
    ・目に映る女性(イザナミ)の姿は  最高の美 ⇔ 最低の醜悪
    =男尊女卑的・善悪二極的

・矛盾に満ちている
    ・死者を追いかけ、黄泉に降ってしまう
    ・本人の罪ではないのに、ヒノカグツチの首を切り落とす
    ・「見るな」と言われても、我慢できずに見る
    ・自分が戻ってくれと頼んだのに逃げ出し、イザナミを黄泉に閉じ込め、憎む
    ・スサノオに腹を立て 「もうわしは知らん」と役割放棄…ets.

  「千引きの石」がイザナギの性格を表現 = あちらとこちらを無理矢理分ける



4. 男性性と女性性の(代表的な)現れ方

《男性性》  意識性の強いとき……知的・論理的   無意識性の強いとき……高圧的・無茶苦茶な理屈

《女性性》  意識性の強いとき……情緒的・生命力  無意識性の強いとき……取り込む支配性・疑心暗鬼(不安)


5. 三貴子の性格

・アマテラス・・・イザナギの左目より生まれる
   ⇒明るい場所を見る能力
・ツクヨミ・・・イザナギの右目より生まれる
   ⇒暗い場所を見る能力
・スサノオ・・・イザナギの鼻より生まれる
   ⇒本能的に嗅ぎ分ける能力(動物的・本能的)


6. スサノオの性格

・スサノオ・・・名の由来は「荒(すさ)の男」か
    荒々しさ = 自然災害そのもののような神
・母に会いたいと泣き叫ぶ・・・幼児的
・海原の統治を命じられる・・・無意識的(海や沼・池は無意識を象徴する)
すべてにおいて 自然そのもの

ということは、
・スサノオの駄々こね・乱暴狼藉も自然の機能(ホメオスタシス)?
※ホメオスタシス……生物のもつ、生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生体の状態が一定に保たれるという性質

つまりスサノオは、イザナギ・イザナミが作り出した世界のアンバランス(母性が抑圧されすぎた状態)を補正しようとしていた。=イザナミの神霊を救う衝動



7. スサノオの行動の意味

・母に会いたいと泣き叫ぶ ⇒ 母性を遮断していてはならないと 訴えている
・田の畦を壊し 溝を埋める ⇒ 境界線を 取り払おうとしている
・神聖な場所に糞をひる ⇒ 現在の価値観を壊そうとしている
  =ギリシャ神話での「ディオニュッソス(バッコス)」に相当するキャラクター
・馬の生皮を忌機屋に投げ入れる(ワカヒルメの死) ⇒ アマテラス(=古い価値観の代表者)を心理的に殺害し、より高度な論理を確立させる

梭(ひ)とは 横糸を通すための道具 …… 二極構造から四極構造へ



8. アマテラスの性格の移り変わり

・生真面目でズルができない = 完全なうつ性格

 1. 最初に物語に登場したとき
    父親イザナギと同じ立場に立ち、厳格・高圧的
 2. 誓約(ウケヒ)後 ~ 忌機屋のくだり
    受動的・なされるがまま = 無意識のメッセージに心を開く段階
 3. 天の岩戸のくだり
    内向的・内省的 = 受け入れ、同化する段階



9. 誓約(ウケヒ)~忌機屋の段階

・誓約については 日本書紀にいろいろな物語がある
  (スサノオの子が女ばかりだったので、怒って暴れる…ets)
・単に弟をかばうというより、田を滅茶苦茶にしたり神殿に糞を撒き散らしたことの、意味を考えようとしている。
・アマテラスは別名をオオヒルメノムチといい、死んだ機織女は「ワカヒルメ」と日本書紀にある。(ヒル=太陽のこと)
機織女はアマテラスの分身
つまり、ワカヒルメの死とはアマテラスの象徴的死


10. 梭(ひ)について

・論理・理性は、ものごとを判別する(切り分ける)ものであることから、よく剣などで象徴される。梭もまた、縦糸を分けて横糸を通すものであり、ワカヒルメの女陰を突いて死なせたことは、それと同じこと。
・加えて……これまでの二極構造に終止符を打ち、十字(縦糸と横糸のクロス)によって象徴される、高度な精神構造(四極構造)に生まれ変わらせる行為。
・さらに……逆剥ぎの馬を女性の世界に投げ入れるのは、いわば強姦の隠喩だが、これは、この時点ではまだ充分に自我(アマテラス)が、無意識(スサノオ)の投げかけるものを受け入れられてなかったため。


11. 岩戸ごもりの段階

・スサノオの投げかけたものを、受け入れ同化する段階
・女性にとっての 「籠もる」ことの重要性
   生理前症候群(PMS)では、籠もることが許されない状況が関係?
   =ダイエット不可能 ・過食が出やすい

内から生じてくる身体感覚・感情・想念に逆らわず、それらを充分に感じ、自分で自分を抱えること。



12. タマフリの呪術

・真榊・・・神の姿を模したもの?
・鏡・・・これこそがカウンセラーではないかと!(その人の歩んだ道の尊さを映し返す)
・アメノウズメの踊り
   ・ 裸踊りはお笑いの基本?
   ・ 「舞踊」のうち アメノウズメのは「踊り」←「桶を踏みとどろこす」
     「舞」は円運動 ・・・求心性を高める
     「踊り」は縦の動き ・・・シェイクすることで、物事をあるべき場所に治める
   ・ 女陰を見せる
     「お笑い」はありのままの姿を露呈させ、受け入れさせる機能を持つ



13. アマテラス再臨

・一般に、万事に迷いのないイザナギタイプの人のほうが
 尊敬を集めやすい ←父親コンプレックス
・鏡を見て、自らの偉大さを知る =父親越え・父親殺し
岩戸は閉じられない ただしめ縄を掛けたのみ
   ・異界(未知なるもの)との風通しを良くしておくことで、ものごと本来の意味を見失わない
   ・自らの意志によって、こちらとあちらを分ける =常に主体性が関与



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拙著

2015年2月28日発売
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プロフィール

Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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