topimage

2010-11

リズムを掴む - 2010.11.25 Thu

前回の記事で、「(自分・クライアントの)本当の感情はどうなんだろう」という思考は、追及しすぎると、かえって迷路にはまり込んでしまうことがあると書いたのだが、それに比べて、その人本来の「リズム」を知ることは重要だと言える。

小さな例だが、自分のことを書いてみよう。
私の母親はさまざまな意味で非常に影響力の強い人だったが、よく
「食器の片付けをするときガチャガチャ音を立てるのは、下品だ」
と言っていた。

この影響からなのだろう、私は長い間、独り暮らしの自宅で食器の片付けをするときに、いつも肩が凝った。
ガチャガチャ音を出してしまわないかと、自然と緊張してしまっていたのである。
当然ながら、その作業は私にとって億劫(おっくう)なものとなり、食器洗いまではしても片付けるということをしなくなった。

ある時そのことに気づき、私は毎日、あえて乱雑に食器を扱ってみた。
茶碗が欠けても皿が割れてもかまわないと、腹をくくってやってみたのである。
実際、いくつもの食器が欠けたものだ。

はじめはよけいに緊張したが、次第に解放感を感じるようになり、やがてその作業はさほど苦痛ではなくなっていった。また同時に、そんなにガチャガチャ音を立てる必要も、かえってなくなっていった。
つまり、自分のリズムでやれるようになったわけである。
これも、ちょっとした「親殺し」であり「ルール破り」であったと思う。

とくに緊張の高すぎる子どもに対するプレイセラピーにおいて、遊びの「ルール破り」が現れることは、しばしば重要である。
その子にとっては、親の作り出した「いい子」像からの脱却の一歩なのである。



余談だが、初めてカウンセリングを経験した頃、私も例にもれずガチガチに緊張していた。

学校で習ったカウンセリング理論では、いわく
「カウンセリングでは、自分のことや自分の感情について、話してはいけない」
「決められた時間と部屋をあくまでも守り、その枠は崩してはならない」
等々、「掟(おきて)」とでも言いたくなるような、さまざまなルールを頭に叩き込まれていたのだが、それもこれも守りながら、同時に「リラックスしていなくてはならない」などという、強烈なダブルバインドによって、心と身体を固められていたのである。

C.G.ユングは、カウンセリングの技法というものについてはほとんど語っておらず、ただ、
「さまざまな事柄を存分に学びなさい。しかし、ひとたび面接室でカウンセリングを行なうときには、それらはすべて部屋の外に置いていきなさい(忘れなさい)。」
という意味のことを語っている。
私はある時から、ただそればかりを心がけるようになったのだが、それでも一旦習ってしまったものはどうしても意識に残り、心と身体に微妙によくない影響を与えてしまう。

そこで私が次々と行なったことは、どうにも理解できないルールの一つ一つについて、その真逆をやっていくことだった。
それらのルールに本当に根拠があるならば、それを破れば必ず問題が出てくるはずである。

だが、結果として分かったことは、それらのルールの大部分には、ほとんど根拠がなかったということだったのである。
それどころか、それらの多くは、カウンセラーが自らを神秘的なベールに包み、巨大な存在に見せるための方法であったことにも気づかされたのだった。

考えてみれば、教えられたことを自ら検証もせず、その集団から追い出されないためにただ守り続ける態度を、プロの態度と呼ぶことはできないはずだ。



カウンセリングを学ぶための教育法の一つとして、ケースカンファレンス(グループスーパービジョン)という方法がある。
もちろん一切の個人情報は伏せてのことだが、自分の担当しているカウンセリングケースにおける会話の流れを数人~数10人の同業者(現役カウンセラー・教授・大学院生)の前で発表し、その内容について議論しあうというものである。
大人数ではないし、クライアントに断っているとはいえ、他人の耳に触れることが前提とされていない重要な会話を公表することになるので、私はこれが好きではなかった。

私はこれを行なうとき、自分がカウンセリングのルールを破った発言の部分については、一切レジュメに書くことをしなかった。
書けば、まず袋叩きにあうことは間違いなかったからである。
だが私の発表は、1度を除いて、おおむね高い評価を得ていた(もちろん、うまく進まないケースはあまり発表しなかったが)。
自画自賛するようだが、ありていに言えば、まず例外なく絶賛と言ってよいほどの評価だった。

こちらが、カウンセリングにおいて多少なりと有効と思われる事柄については、どのような事実も、また自らの感情も隠さずにカウンセリングを行なっていたので、クライアントの言葉もまた生きており、同時に好ましいプロセスが展開されていたからであろう。

カウンセラーが自分の感情や見立てを充分に話すこともなく、好ましいカウンセリングが進むはずがない。
多くの場合、クライアントの感情にだけ焦点を当て続けるのは、クライアントを追い込むことに等しく、それさえやっていれば自然とプロセスが進んでいくという考えは、幻想・迷信に過ぎないのである。

ちなみに、1度だけ高い評価を受けなかったというのが、自分のルール破りを一切隠さずに語った唯一の発表だったことは言うまでもない。


自分のリラックスできるリズムをつかむというのは、意外と易しくないことが多い。
果敢な挑戦が、しばしば必要なのだ。
だが、一歩踏み込めば、そこには広々とした場所があることもまた事実である。


少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ

気持ちと論理の分割 - 2010.11.24 Wed

ちょっと難しい、ある意味マニアックな話になるかもしれない。

単極型のうつにおちいった人は、その大半が生まれ育った家庭環境に問題を持ち、家族コンプレックスが複雑かつ強力であり、そのために劣等感が非常に強い。

そしてその結果として、何か人間関係に問題が生じると、たとえまったく相手のほうに非がある場合でも、「悪いのは私」、あるいは少なくとも「私の方にも問題があった」という思考におちいりやすい。
さらには、自分が関わる事柄でマイナスの状況が生じた場合、それが本質的に自分とは無関係なことであっても、「自分のせいだ」とその非を引き受けてしまうのである。

分かりやすい例を挙げよう。
Aという人が自分の友人Bを別の友人Cに紹介し、その2人は新しく友人関係となった。
ところが、ほどなくその2人は仲たがいし、周りを巻き込んで大変なもめ事を引き起こしてしまった、とする。

Aが非を引き受けがちな人である場合、「私があの2人を引き合わせてしまったから……」と、自分のせいのように考えてしまうことが多々あるのである。
ひどい場合には、「私の心の中には、もともと、もめ事を引き起こしたいという邪まな願望が潜んでいたのではないか」とまで考えてしまう。

言うまでもないことだが、こうした考えは矛盾している。
「被害妄想」という用語があるが、ここまでくると、まるで「加害妄想」とでも言いたくなるような思考である。

Aが紹介したBとC2人の関係は、それが始まった時点で、すでにAの手から離れたのであり、それから先の彼らのもめ事については、Aが双方に互いの悪口を吹き込んだというのでもない限り、まったくAにとっては責任外のできごとである。

当然ながら、Aに対するカウンセリングにおいては、これがAの責任ではないことを、できるだけ論理的に説明することになるのだが、実はこの論理がなかなか入っていかない。

こうした背景には、Aが育った家庭で、常に「それもこれも、結局Aが悪いんだ」と非難され、無理矢理飲み込まされてきた長年の経緯などがある。
つまりその場合、実は矛盾だらけの家族関係であるにもかかわらず、「うちの家族には何も問題はない」ということを既成事実化するための、スケープゴートとなっていたのだ。

その結果として、Aは「私が悪いのです」と自らも受け容れることで、かろうじて許され、少なくともその場のストレスからは解放されるというパターンが繰り返されて、潜在意識に刷り込まれてしまった、といったことが考えられる。

したがって、家族コンプレックスが強いと、感情レベルで「自分は悪くない」と納得することは困難である。
それでも「私が悪くないことは、頭では分かるのです」というところまでは、Aは理解することがある。
しかし、コンプレックスを抜け出していくプロセスとしては、まずはこれで充分であるということを強調したい。

ちなみに、女性は男性に比べて、感情までが伴ってはじめて、「理解した」と認識する傾向が強いようであるが。

感情や衝動とは、それ自体は心の内に反応的に生じる、いわば「自然現象」である。
つまり、風が吹いたり雨が降るのと同じであり、それを直接コントロールすることは原理的に不可能なのだ。
だから、感情については、それが独りでに向かう方向に向かわせる他、仕方ないのである。

言い換えるならば、頭での理解と感情の変化には、どうしてもタイムラグが生じるということであり、感情のほうは、新たなの経験の蓄積や、まったく別の角度への視野の広がりによって、後からついてくる形で変化するのが普通なのだ。

したがってカウンセラーは、カウンセリング中に感情までが変化することを、あまり執拗に追及してはならない。
あとあと感情の次元での変化が生じるための、「論理という種を蒔く」というほどのイメージが重要である。
もちろん、漠然と蒔くわけではないが。



感情は感情としてその変化に身をゆだねつつ、一方、論理はしっかりと通すこと。
実はこのイメージは、大好きな武術家甲野善紀さんの、「体を割る」という身体操法に関する考え方に刺激されて、明確になってきた面がある。

専門家ではないので、詳しい説明はできないが、ある一つの動きをするときに、身体の各所の動きを分割することで、かえって身体のキレを増す、というほどの意味であろうと思う。

甲野さんは、そのイメージとして次のような喩えを挙げている。
大型の魚が180度方向転換するときには、大きく回りこむ動きが必要になるが、小魚の魚群が方向転換するときには、一匹一匹の小魚が各自、同時に方向転換するので、一瞬で逆方向にも動き始めることが可能となる……。

私はスポーツ・武術いずれにおいても素人なのだが、そうした動きの質が非常に合理的であることは何となく理解でき、これは人の心の動きにおいても言えることなのではないかと、どこかで感じていたのである。


現在のカウンセラー教育においては、感情に焦点を当てることに重きが置かれすぎているのではないか、と感じることが多い。

かなり単純化して言うならば、ある欲求が満たされず、それを飲み込まざるを得ないときに覚えるのが「悲しみ」という感情であり、満たされなかった欲求がエネルギーを蓄えて突き上げてくるときに覚えるのが「怒り」という感情であり、それが満たされるときに覚えるのが「喜び」である。

つまり、感情とは、内的・外的要因の相対関係において生じる、一種の心の揺らぎであり、実体でないことは言うまでもない。
だから、「クライアントの本当の感情はどうなのか」という追求にとらわれ過ぎると、目的地のない迷路に入り込んでしまうことが多々あるのである。


少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ

見返りを意識すること - 2010.11.07 Sun

今年の激しい気候の変化のせいもあるのだが、ここのところ疲労感が強く、ブログの更新のほうも無理をせずにいたところ、何とブログ開設以来初めて、未更新が2ヶ月以上も続いてしまった。
この間、自分の疲労感と向き合ういい機会になったように思う。

カウンセリングルームを開設してちょうど2年半。
はじめは、どのくらいクライアントが来られるか分からない不安があり、どうしてもサービス過剰気味になってしまっていたのだが、ようよう採算に安定感が感じられるほど忙しくなってきたところで、この過剰サービスがわが身に跳ね返ってきた感じである。

そこで、ここしばらくは、延長料金を設定したり少し休みを増やしたり、身を守るために、ルームの運営に関していろいろと手入れを行なってきたわけである。


今、社会全体において最も問題となっている、単極型のシンプルなうつの人々においては、このように「見返り」を意識する態度がきわめて重要である。

繰り返し言うように、それらの人々の多くは、根が善良で察しがよい。
もちろん、家族関係など他にも要因はあるのだが、まずその結果として、人の気持ちや都合を考え、自分の欲求を後まわしにしてしまう傾向が強い。
さらには、相手が「悪いね」と言ったとしても、「あ、全然いいねん」と、つい口をついて出てしまう。

ご近所づきあいなど、コミュニティにおける人間関係の感覚が全体に安定していた時代でだと、それもある程度は成り立っていたのではないかと思う。
それは言うまでもなく、そういう態度を、全員とまではいかないまでも、かなり多くの人々が持っていたからである。

「情けは人のためならず」という言葉で表されるように、たとえその場その場で見返りを求めなくとも、人に情をかけてさえいれば、誰かがどこかでそれを見ていて、自分もまた人の情けを受けることがあるはずだ、という考えが成り立っていたのである。

ところが、はっきり言って、現代社会ではすでにこのことが、ほとんど成り立たないようなのである。
さまざまな意味で、現代は価値観が「まだら」なのだ。

こちらが自分の身を切ってやったことであっても、相手は際限なく要求を繰り返し、とうとう音を上げて「もうできない」と言うと、逆にキレられる。
ましてや、「もうできない」と言う代わりに、職場などに行けなくなって「うつ病」と診断されなどしてしまうと、口では言わずとも態度で劣等者扱いされてしまう。
人の都合や感情を慮(おもんばか)ってきた結果がそれというのは、たしかに、あまりにも酷である。

きっちり線を引くのが難しいことであるのは確かだが、うつに陥らないためにも、自分の身は自分で守るということ、また見返りのない奉仕をできる限りやらないことは、どこかで必ず意識しておかねばならない。


少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

拙著

2015年2月28日発売
アマゾン限定商品

プロフィール

kohocounsel

Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

ブログポリシー
当ブログの記事内容の著作権は、幸朋カウンセリングルーム代表松波にあります。
本サイトの内容を権利者に無断で複製・改変することは、固く禁止いたします。

関連ページ

最近のコメント

最近のトラックバック

最新記事

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリ

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

RSSフィード