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2011-10

「いじめられる側の要因」について1-没頭することの効果 - 2011.10.04 Tue

今回の記事は、まだ思索中のことについてなのだが、私自身の覚書の意味もこめて、現時点で書けるところまで書いてみたい。
その内容とは、「いじめを受ける側の要因」について。
もう少し具体的に言うと、あるタイプの人たちが、自分でも気づかぬ間に(いじめる側の目に対して)目立ってしまう理由と、それを脱する方法についてである。

ツイッターのほうでも書いたのだが、先日幸運にも、尊敬する武術家甲野善紀先生から、講演会の打ち上げでしばしお話を伺う機会を得た。

講演会の参加者は50~60名という少人数(会場のキャパが小さく、宣伝は極力控えているとのことだった)で、そのほとんどが、先生の関西講演のたびに足を運んでおられるような雰囲気の方々である。
だから、講演会初参加の、いわば「新参者」の私としては、長年先生を慕って足を運んでおられる方々を押しのけてやしないかという気後れのために、過去10年は記憶にないほどガチガチに緊張してしまった。

それでも、以前の記事「未知のゾーン-うつの人が生き抜く方法論」でも書いたように、「不当な圧力や攻撃や否定を受けたときでも、最終的にその場をやり過ごす、あるいは制することのできるような方法」について、何としてもヒントを得たいという思いから、先生や周囲の人たちへの失礼を省みず、かなり思い切った質問をさせていただいた。

そうした場で、「いじめを受ける側の原因」についても話が及んだわけである。


ところで、その時になって初めて気づいたことだが、我々カウンセラーが「いじめ」について言及するとき、いじめられる側の原因について語ることは、ほとんどまったくないと言っていい。
「いじめ」は絶対的に悪いことであり、したがってその原因はすべて「いじめる側」にあるという見方から、「いじめられる側」の要因に言及することが、思わず知らずタブー視されているためだと思う。
いじめられる原因について語るだけで、「なんだ、いじめられるほうが悪いとでも言うのか!?」と、カウンセラーにあるまじき者という烙印を押されでもするかのような、恐れを抱くのだ。

しかし、かつていじめを受け、それが原因で精神のバランスを崩された方々の話を伺っていると、「なぜだかいじめっ子に目をつけられてしまう自分」について、語られることは少なくない。
つまり、いじめられる側の要因を考えることは、まさにいじめられやすいタイプの人にとってこそ、きわめて重要なのである。
またそもそも、「いじめ」の背徳性と、「いじめられる側の要因」について考えることは、まったく矛盾しない。

このことは、まさに私にとっても、カウンセラーの暗黙のタブーのために、ある程度盲点になっていたと認めざるを得ない。
恥ずかしいことだが、偽善とはこのように形成され、このように致命的な心理的影響を及ぼしてしまうのかと、身をもって思い知らされた次第である。

「偽善」は、背後に複雑な集団心理と個人心理のプロセスを持っており、その悪影響を個々人が感知するのは難しいため、単純な悪行よりももっとたちの悪い面がある。



前置きが長くなってしまった。
さて、本題である。

ただ、甲野先生とのやり取りの際、先生がおっしゃったことについては、残念ながらあまり具体的に細かくは書けない。
(それを期待してくださっていた方々には、まことに申し訳ないのだが……)
私自身の発言ではないため、微妙なところを間違えず正確に伝えなくてはならないし、またその考えを一般に公表していいかどうか、先生ご自身どうお考えであるか分からないからである。

さらに言うと、それらの言葉がどうつながって今回の私の考えに至ったのか、いざ文にしようとすると、論理的にうまく説明できない面もある。
先生のいくつかの言葉の断片が、突然直観によって1つの結論をもたらしたというか、1つ1つは光の点でしかない星が、複数集まって形をなすと、それが星座と呼ばれて意味を持ったような、そんな感覚である。

先生のその時の言葉を、ここは書いても問題ないだろうという部分に絞って、断片的かつ大まかにあげると……
・先生が稽古の際、「気配を消す」という言葉を「力の出どころ(場所・タイミング)を分からなくする」という意味で使っておられ、気配を消す術の1つの極みが、「隠形(おんぎょう)の術(隠れ身の術)」と呼ばれるものであること。
・気配を操作することで、恐ろしく威厳のある雰囲気を出すこともできれば、一瞬で普通の人になることもできる人が存在すること。
・何かに没頭しきっている人は、まずいじめようがないということ。
……などなど。
ちなみに、忍術などにおける「隠形(おんぎょう)の術」では、必ずしも物陰などに隠れなくとも、例えば誰からも見える場所に立っていながら、誰もその存在に気づかない、といったものもあるそうだ。

これらの中で、まず強く心に残ったのが、「何かに没頭している人は、まずいじめようがない」という話だった。

そういえば、職場のいじめで悩んでいた女性が、例えば、ある日大好きな彼氏ができて、どうすれば彼とうまくいくかということばかり考え始めたとき、話題がそちらのほうに完全にシフトしてしまう、といったことが時折ある。

もともとの話題に全然触れないものだから、さすがにこちらから「職場のほうはどうなりましたか?」と聞くと、たいていは本人も初めて気づいたように「ああ!」と言う。
そして、「あちらのほうは問題なくなりました」と続けることもあるし、「まあ、問題はなくなってないんですが、あまり気にならなくなったというか……」と言うこともある。
もちろん、そのような場合、こちらはすぐに「ところでその彼氏は、なかなか感性の鋭い人ですねぇ」などと、クライアントがより興味のある話題に戻す。

また別の例では、パチンコ依存で悩んでいた人が、パチンコの必勝術に没頭することで、逆にパチンコ依存を脱するということもあるのだ。これはいじめの話ではないが。
これなどは、一見すごく矛盾しながら、実は非常に理にかなったことである。

これは私がネットで調べたことなのだが、忍術で木や石と同化する隠形の場合、仏教の守護神である摩利支天(まりしてん)の真言を、胸の内で唱えるそうだ。
ウィキペディアには「摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したものである。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。」とあり、その真言を唱えるのは、そうした摩利支天の本性に同化するのが目的なのであろうが、やはりある種の「没頭」もカギになっていると言えるだろう。
真言密教で言うところの、「三昧」の境地である。

一般的に言うと、より深い興味への誘導が、変に目立ちにくいためのカギを握ると言ってもいい。
興味のあることへの没頭は、単に苦痛を伴う問題から目を逸らすための、モルヒネのごとき作用もたらすわけではなく、「自己一致感」を強め、自分でも気づかないうちに自己評価を安定させる働きを持っているのである。
※ここでいう「自己一致感」とは、ザックリ言うと、自らの感情と言動とが一致している状態の感覚のこと。

ともあれ、ある物事への没頭は、そこに1つの自己完結、すなわちある種の心理的な閉鎖系を生み出すことになる。
「いじめ」とは、一種の社会(学)的な現象であり、人と人とが互いに「存在を意識し合う」状況において初めて生じるのだが、閉鎖系の中に没入し、そのことがもっとも大きな関心事になっている人にとっては、他者の存在とは基本的に無関係ということになる。
内向的なタイプの方によく話すことだが、内向的なタイプは、よりキッパリと内向性を極めたほうが、得意な分野が開発され、結果的に社会適応もしやすくなるのである。

(ただ、昨今、多くの企業では、「マルチプレイヤーであれ」という傾向が強い。
だから、長年、製造現場や経理担当で会社を支えてきた人が、突然営業職などに回されてうつを発症するケースが多い。
つまり、はじめは内向的な仕事を与えられ、それに適応してきたにもかかわらず、ある日突然「お前は今日から外向的になれ」と言われるわけである。
どうして「適材適所」という考えが働かないのかとイライラする反面、社員の配置についてもマニュアル化が進んでいることで、会社側もかえって合理的に動けないようだ。)



以上、「何かに没頭している人は、まずいじめようがない」ということについて触れてきたが、いじめの要素は他にもある。
また、自己イメージや自己評価が不安定な人にとっては、何かに没頭すること自体容易なことではない。
とくに、典型的なうつ性格の人の場合、関係調整型の方が多いので、そもそも人の目を気にするなということにも無理がある。

このような場合、「人の目を気にするな」と言い聞かせるより、思い切ってより冷静かつ精密に周囲を俯瞰し、見下すくらいの視点で、逆に利用できるようになるほうが近道なのだが、ただ今回は、それらを書き始めるとあまりの長文になってしまう。
また、変に目立ってしまう状態から脱する方法については少し触れることができたが、そもそもなぜ目立ってしまうのかについては、触れることができなかった。

このあたりのことについては、次回の記事で書いてみたいと思う。



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Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

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