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2012-01

祖母のこと - 2012.01.21 Sat

ここ1年ほど老眼がひどく進んでいて、視力が不安定なため、眼鏡を作り替えることもできないでいる。
11月に、甲野善紀先生の勧めで、大著の大本教教祖出口なお・王仁三郎伝『大地の母』を読み始めたのだが、やはりこれも15分ほどで頭痛がし、休み休み読まねばならない有様で、年末頃には中断せざるを得なかった。

そこで、今年になって石坂浩二さんCM出演のハズキルーペを購入したところ、これがなかなかに具合がいい。そこで再び『大地の母』を読み始めたのだが、やはり面白く、また深いところが刺激される。

ただ深いところが刺激されるといっても、今のところ宗教観が刺激されているというよりも、むしろ明治年間の農民・庶民の生活や人情の生き生きとした描写。また、それほど特別なことでもなく、人に狐や狸やどこそこの神様が憑くほど、自然と不可分の人々の生活・心性に、情緒の刺激されるところが大きいのである。
また、当時の貧しい人々が(というよりも、今の人々の暮らしぶりからすると、物量という意味では平均して貧しかったわけだが)生活の糧を得るため、物思いにふける間もなく馬車馬のように働くありさまに、ある部分では懐かしさのようなものを覚える。

もちろん、私は明治時代の農民のような生活を経験したことはない。
ただ、私が幼かった頃には、この小説の描く時代の雰囲気を残した人々が周りに大勢いた。
その中には、口の悪い人やぶっきらぼうな人、いやに横柄な人もたくさんいるにはいたが、どことなく、現代の人々にはない、ある種の安定した善良さや朴訥(ぼくとつ)さがあった。
たとえば、噂話が好きな代わりに、近所の誰かが困っていれば助けてやらなければならないということに、そういった人のほとんどが一点の疑いも持っていなかったのである。

この小説を読んでいると、彼らの持っていた雰囲気が思い出され、日本人としての深い場所のどこかが、疼いたりあるいはフワッと緩んだりする。
そういえば、渡辺京二著『未踏の野を過ぎて』を読んでも、まったく同じ部分が刺激された。

一応断っておくと、私は大本教とはまったくの無縁である。
私と宗教とのかかわり、および考え方について簡単に触れておくならば、かつて実家が、大本ではないが、幕末に始まった、日本では代表的な新宗教を熱心に信仰していた時期はあった。
実を言うと、私がある指導者の一人と考え方の面で衝突した結果、私の考えに引っ張られて、家族全員がその宗教から離れたという経緯がある。
以来、教団と名のつくものとはまったくの無縁なのである。

もちろん、その宗教のことも、教団信仰そのものも否定するつもりはない。
教団信仰は確かに、かなり多くの人々にとって、必ずしも思考というプロセスを経ずして、自らの存在をこの世に位置づける思想・信念であり、営みであり、奇跡の場である。
そういった点において、どうしても必要なものであることは否定するわけにいかない。
大まかに言うと、無神論でもいいが、安易に他人の信仰を否定するのは好ましくない、というほどの認識を持っている。

また、私がカウンセラー・心理学者として、一応の理論的根拠とするユング派では、宗教的表象・象徴を重んじる。
だから、教団信仰、個々人の心の中に生じる宗教性・イメージに関わらず、宗教や神と人との関係について、我ながらかなり真剣に考えてきたことは、まず人後に落ちないつもりではある。


ともあれ、今回は信仰について述べるのが目的ではない。

明治生まれの私の父方の祖母は、福井県の農家出身の人で、『大地の母』が描く時代の匂いをぷんぷん匂わせる人の一人だった。
祖母は、長男である父の家族と同居していたので、もちろん私も、生まれてから大学時代に一人暮らしを始めるまでは、ずっと同居していた。
祖父と結婚して以来、戦後の貧しい時代を含めて、専業主婦以外は経験したことのない人である。

少なくとも私が物心ついて以降ずっと、彼女は耳が遠く、家事はどれ1つとっても雑だったが、しかしパワフルで、家族の誰よりも人情家であった。
彼女の言動の雑さについて例をあげると、わが家に欠けていない茶碗はなく、またよく割れたものだ。
落として割るわけではなく、彼女が普通に食器を洗うだけで、どんどん食器が欠けたり割れたりしていくのである。耳が遠いせいもあったのか、彼女が食器を洗うと、まるで「怒っているのか」と言いたくなるほど、出す音がガチャンガチャンと派手だった。

また、私が育った家の壁はほとんど塗り壁だったが、畳から3~5センチ上の部分は、すべてえぐれて下地がむき出しになっており、壁土の中の刻み藁がヒョロヒョロ飛び出していた。
祖母が掃除機をかけるとき、ガンガン壁に当てるからである。
ケチャップやマヨネーズを使い終わると、そのしぼり口をペロリと舐める。私が見咎めると「知らん!やらしい子や!」と開き直る。

小学校の頃、ある夏の夜ゴキブリが出て、私は祖母に「取って!」と頼まれスリッパを片手に近寄ったところ、突然そいつが私の顔めがけてブーンと飛んできた。
しかし、後ろにいた祖母が「イヤー!」と私を押したために、私はかわすことができず、首を前に下げたところ、そいつは襟首からパジャマの中に飛び込んだ。

ゴキブリが背中を走り回るものだから、私もワーワー叫びながら走り回ったが、祖母もまたワーワー言いながら、「やめろー、やめろー!」と言う私の背中をバンバン叩く。追いかけっこだ。私と祖母とゴキブリと、3者同時にパニックである。
ゴキブリはかろうじて難を逃れ、私のパジャマの裾からどこかへ飛んでいった。
あとで話を聞いた家族に、涙を流して笑われた。

また、彼女は盗み酒が好きで、中学高校の頃の私はよくその相手になった。
他の家族がいないとき、するめがあればその端っこをちょっとちぎって炙ったり、何もなければ出汁雑魚(だしじゃこ)を数匹、甘辛く炒めたりして、誰もいないのに声をひそめて「ちょっおいで」と私を誘い、わざわざ台所の隅で、2人で父の取って置きの日本酒を、ほんの少しだが冷やでちびちびやるのである。

私は顔に出ない体質なので、私の方からばれることはなかったが、祖母は目の周りだけが赤くなるたちで、家族から「お婆さん、また狸みたいな顔しとるがな!また隠れて飲んだやろ!」と笑われると、「知らん!」と白を切っていた。
初めて覚えた酒の味のせいだけではなく、後に一人暮らしして当たり前に飲むようになった酒よりも、婆さんと2人で「へっへっへっ」と飲む隠れ酒のほうが、格段にうまかったように思う。

祖母とは、よく喧嘩もした。
私は何か物をこしらえるのが好きで、よく机の上に作りかけの物を置いていたが、途中で触られるとわけが分からなくなるので、学校に行く前「絶対に触るなよ!」と祖母に念を押した。
だが、まずそれが守られたためしがなかった。机を拭くのに、すごく雑な片付け方がしてあるのである。
「何で触んねん!」と抗議しても、「知らん!」と言う。
「ほかに誰が触んねん!」と言えば、「やらしい子や!」と返す。
何事につけ、事実も認めなければ非も認めないので、とにかくよく怒鳴り散らした。

9人の子を産み、育ててきた人なので、子どもに対する扱いも雑だった。
幼い頃で言えば、風呂から上がると、まず髪の毛がちぎれんばかりの勢いで頭を拭かれる。そして身体の前を拭き終わると、両肩をつかんで独楽のようにくるりと回され、後ろを拭かれる。
私は、ただしばしの苦痛に身を任せるばかりである。
目にごみが入ったと言うと、いきなり頭をつかまれ、私が「うわーっ」と叫ぶのを意にも介せず、眼球をベロリと舐められる。

……等々、現代的な感覚でいえば、とにかくやることなすこと粗雑で、思慮・配慮というものからは無縁の人のように見え、愛情などというものもあるのかないのか、直接にはよく分からなかった。
だが、やはり長らく時を経てみると、彼女は自分なりに楽しむことを知っており、また私をはじめ家族はみな、彼女から愛されていたことがはっきりと分かる。
私のどこが好きだとかいうことではなく、お婆さんだからという理由で、当たり前のように子どもや孫を愛していたのである。

おそらくそうした家族のありようは、親が子に頭から頭へと伝えたものではなく、地域社会全体において、皆が馬車馬のように働きつつも、ふとしたくつろぎや楽しみの共有がある生活を通じて、身体から身体へと伝えられたものなのであろう。
大勢から大勢に対して伝えられていたとも言えるだろう。

日本人は、家族に対して「愛している」という言葉を発しにくいし、褒めないし、抱きしめるといった愛情表現も苦手である。
それは、家族愛が薄いとか、単に表現が下手というよりも、当たり前のように身体の隅々まで染み込んでいるつながりの感情、漠然としつつも確かな信頼を、ことさらに「愛情」と名づけて抽出し、表現することに違和感を覚えてしまう、そうしたありようの名残りではないかと思うのである。

今日では、そうした、身体から身体へ、大勢から大勢へと何かが伝えられる自然発生的システム、地域社会や大家族の構造が、見る影もなく破壊されてしまっている。
したがって、直接的な愛情表現が苦手だなどと言っていては、今やいい家族関係を作ることは難しい。かなりはっきりとした形で、そうしたものを作る努力をしなくてはならないのである。
しかし、このように、小さな地域社会すなわち近所づきあいが、ひどい機能不全を起こしているままで、どこまでもいけるものだとは到底思えない。
実際、今日、うつや社会不安障害を訴えるケースにおいては、その当人のみならず、症状の原因となった家族や職場の同僚においても、自然発生的な人間関係の感覚が歪んでいたり、場合によっては崩壊しているのである。
かく言う私においてすら、現代社会に生きる者であるのだから、歪んでしまっている可能性は否めない。

カウンセリングでは、家族に対する今日的な愛情表現や配慮について、助言することはある程度まで可能である。
しかし、地域社会そのものを再生することはできない点に、はっきりとした限界を感じざるを得ない。
これは、すべての日本人が必ずクリアしなければならない課題であると、私は思う。


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Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

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