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2017-09

国家が自信を回復するということ - 2012.10.19 Fri

近代の河川工法(すなわち西欧の河川工法)では、できるだけ頑丈な堤防を築き、水流を完全にコントロールする。
対して日本の伝統的な河川工法においては、増水の際に、一定以上水位が上がらないように、水の逃げ道、つまり堤防にわざと低い部分を作る。

もちろん河川の特徴自体が違うのだが、西欧式の河川工法ではしょっちゅう補修工事をせねばならず、莫大な労力・費用がかかる。
しかし日本古来の河川工法、たとえば武田信玄が行った山梨県釜無川の信玄堤などは、手を加えないでも、400年以上経った今でも機能している。
さらには、逃がされた水は、単に放流されたにとどまらず、森の豊かな養分を耕地にもたらすという面も持っていた。

明治の初期、オランダから招聘された土木技師のデレーケは、この日本の技術に驚愕した。

ところで、日本の伝統的な治世の感覚においては、民衆を「水」と捉える面がある。
もともと、為政者にとって治水と治世は切っても切れない関係にあったが、それらは質的にも同じものだったのである。
たしかに、民衆に高度な論理は通用しない。
水のごとく、ただ高きから低きに流れるばかりだが、それは時として恐るべき破壊力をも生み出す。

だから日本の感覚では、民衆を統治する際にも、絶対的抑圧を加えない。
民衆にストレスを溜めさせることの危険性を知っているからだ。
むしろある程度の余裕や楽しみを与え、何かを強制しなくとも、民衆の方が進んで従ってくれるような方法を好むのである。



最近、やはり日本人として知っておかなくてはならないという気持ちから、尖閣諸島や竹島のことを調べるうち、当然ながら南京大虐殺や従軍慰安婦問題にも行き当たった。
細かく知れば知るほど、それらが完全に捏造されたものであることがはっきりとし、さらには、むしろ当時の日本軍は、世界でも類を見ないほど統制が取れ、占領地の人々に寛容であり、略奪や強姦に関する軍規において、非常に厳格な集団であったことが見えてくる。

私は決して、日本軍は善意の集団であっと言いたいわけではない。
ただ、そのような仕方の方が占領地の人心を掌握し、統治しやすいことを知っていたのだろうと思うのである。

実際、日本の統治下にあった当時を知る台湾の人々が、日本に対してきわめて好意的なのを見ると、そうしたことにも納得がいく(いうまでもなく、基本的に台湾の反日活動家は中国人だ)。
近い記憶で言うと、イラクにおける日本の自衛隊の派遣においても、結果的には、引き上げ時に、帰らないでくれと現地の人々の間でデモが起きたほどだ。

我々が繰り返し刷り込まれてきた非道な日本軍の姿は、こうした認識を通じて、私の中でかなり変容しつつある。
日本はその非道さのゆえに敗れなければならなかったのではなく、むしろ、アメリカのように想像を絶する非道さをやってのけることができなかったというのが、敗戦の一因ではなかったかとすら思う。



事実として、アメリカを除き、中国軍ほど多く虐殺ということを行ってきた軍隊はないし、一方韓国軍についても、ベトナムにおける強姦の多さは異常なほどだった。
つまり、自分たちのやりそうなこと、その感覚を、日本軍に投影しているように見える。

そして今度はアメリカである。またしても沖縄において、アメリカ海兵隊の兵士が強姦事件を起こした。
以前から疑問だったのだが、沖縄の基地移設問題において、どうしてこうしたことがあまり表立って論じられなかったのだろう。
沖縄に駐留するアメリカ兵の態度が現地の人々にとって歓迎するべきものであったならば、事情はまったく異なっていたはずである。

私はここで、地位協定という外交上の問題の是非について論じているわけではない。
人としてもっと根源的な人間関係上のスキル、たとえば礼儀といったものについて話しているのである。
世界中に散らばるアメリカ軍の兵士が、方々で捕虜の虐待などを行なっているのを見ると、やはり「アメリカにあらずんば人にあらず」とでも言うべき超大国の傲慢さを感じずにはおれない。
もちろん、キャンプ内に現地の人々を招いてイベントを行うなど、ちょっとは融和的な策もほどこしているのだろうが、片手間感がありありである。

「制するためには緩め、喜ばせる」という一種の逆説的発想に、いまだに至っていないという点で、私にはアメリカも中国も、とても先進国には見えない。
ただ、悲しいかな日本も世界の風潮になびき、「制するためにはひたすら抑圧する」という傾向が強くなってきているように思えてならない。



カウンセラーの公式ツイートで、外交問題などを論じることについては、違和感を覚える人は少なくないと思う。
実際、心理学的なことを書かずにこういう問題ばかり論じていると、若干フォロワーも減ってくる。

しかし私は、もちろんこれらのことを、あくまでもカウンセラーの立場で論じている。
なぜなら、精神疾患や人間関係の問題と、国家の外交問題とは、すごく深い関係があるからだ。

大砲を突きつけられての開国、太平洋戦争における敗戦、東京裁判などの外圧によって、日本人はすっかり自国の国民性に自信をなくし、卑屈になってきた。
かつての全共闘における、いわゆる「自己否定」などはその極みであった。
彼らは、日本国および民族は償いきれない犯罪を積み重ねてきた醜悪な恥晒し国家・民族であり、その存在価値が全くないので、自らを積極的に否定しなければならないのだ、と主張する。

卑屈さというものを払拭できたとき、人の人格には、ピッと芯が通る。
このことは、国家レベルにおいても同じだ。
逆に言うと、卑屈さがあると、怒りや攻撃性、毅然とした態度を表に示すことができなくなり、それらはすべて内部へと向かう。
つまりそれらは内部の弱者へと向かうので、企業のレベルで起きるとパワハラの頻発ということになるし、家庭のレベルで起きると児童虐待となる。
そして、個人の内面で起きると、うつや摂食障害、自傷行為となる。

個人のレベルで起きた場合、つまりうつなどにおいては、それは純粋な意味での自己否定ということになる。
それはもちろんいいことではないが、突き詰めると、不当な形で他者に迷惑を及ぼしていないので、救いがある。
ちなみに、うつの人間は迷惑だ、という人は多いが、そういう人はそもそも人をうつにさせてしまっている立場なのだから、私に言わせれば自業自得だ。迷惑がる筋合いではない。

そして、うつになぜ救いがあるのかというと、人には迷惑をかけず、ものごと非を背負い込んでいる分、本質的には後ろめたさを感じる必要がない立場にあるからだ。
だからうつの人たちは、深いところではかなり真っすぐに立っている人が多い。
あくまでも深いところでは。

それに比べて、全共闘の言う「自己否定」などは実にたちが悪い。彼らは、本質的にはちっとも自己否定などしていないのである。
だから「自己否定」という表現は、まったくもって詭弁である。
それは決して、自虐行為ですらない。

彼らが否定しているのは自分自身ではなく、あくまでも「自国民」「自国家」である。
そしてそれは、「こんなひどい国の人間ですが、私だけは特別ですよ」という立場を恥ずかしげもなく強調する態度であり、同胞を貶めることで成り立つ、なりふり構わぬスタンドプレイであると同時に、強者(戦勝国・強国)へのへつらいだ。
歪みをもって無理矢理歪みを修正したような屁理屈である。

中国での反日暴動を受けて、大江健三郎氏をはじめとする100人単位の文化人が、この「自己否定」をやってのけたが、まさしく全共闘時代の亡霊を見るようだった。
自国を睥睨することをもって、インテリの資格証明書とするその卑劣な態度に、正直吐き気を催した。

こういうツイートの後には必ず付け加えるのだが、私は決して右翼思想の持ち主ではない。
母国が、いや、他のどの国についても、虚偽の中傷を受けることにやりきれなさと怒りを覚えているに過ぎず、韓国とも中国とも、真の友好関係を望んでいる者である。

軍事上の問題を横に置けばという話だが、たとえば尖閣諸島の問題にしたって、
「当時はまだ、この無人島をどこの国も領有していなかったのは事実だが、同時に海域に関する取り決めもない時代のことで、地下資源があるなんてことも分からなかった。だから、早い者勝ちなんて野暮なことはせずに、一旦白紙に戻して、共同管理の線を模索しようじゃないか。」
と主張してきたのならば、やはり日本は聞く耳は持たなくてはならないと思う。竹島だって同様だ。

国境はどうしても線で考えなければならないのだろうか、どちらでもなくどちらでもある、「境界領域」という考え方は、本当に不可能なのだろうか。
西欧では、さまざまな問題をはらみつつも、EUという形でそれが進んでいる。もしも極東でそれが可能になったら、それこそ世界に誇れるモデルケースになるだろうにと思う。

人間の心理構造においても、境界領域を設けることは、実はいい加減さ、曖昧さによるものではない。
論理性の本質は切断機能、つまり切り分けるという性質だが、きちんと境界領域を設けるのは、実はより高度な切り分け能力によるものだ。
直線的に2つにしか切り分けられないのは、むしろ原始的で未熟なやり方なのである。


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● COMMENT ●

卑屈さというものを払拭できたとき、人の人格には、ピッと芯が通る。

卑屈さがあると、怒りや攻撃性、毅然とした態度を表に示すことができなくなり、それらはすべて内部へと向かう。

私もそう思います。

自己主張、その中には怒りを表現することも含まれますが、そもそも自分の感覚や考えに自信がなければ、怒ることなどできないんですね。

怒りや自分の感覚を抑圧しつづけると、それらが信じられなくなり、卑屈につながっていくんだと思います。

octさんへ

大変厳しいことですが、今の時代にあって内向型の人がうつにならない、あるいはうつを乗り越えるためには、「覚悟」が必要だと痛感します。
100対1で戦う覚悟といいますか、誰が何と言おうと正しいものは正しい、おかしいことはおかしいということに迷わない覚悟ですね。

コメントありがとうございます。

ブログを書いていますので、よろしければ見てやってください。

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南京大虐殺や慰安婦問題について、先生は本当に勇気のあることを語っておられると思います。

年末からいろんな事が起こり、他人事ではなく責任を持って捉えなければいけないような気がしています。
・夫婦別姓制度の最高裁判決・慰安婦問題の韓国への謝罪・議員の育休など
政治家や識者が議論しているなあと外から見ていられない時代にいよいよなってきた感じです。
(一般社会的には他人事という人が多いと思いますが)

私は南京大虐殺や慰安婦問題のことはよくわからないのですが、こちらの記事を読んで、ネットの記事や動画を見たところ、やはり強制連行ではなく、海外で仕事させる目的で連れて行ったと考えるのが自然ではないかと感じられました。
本をいろいろ読んでというのではないので感覚でしかありませんが。
戦後、つい最近まで慰安婦問題というのは大きい問題としてあるものの、ふわっとして誰も決定的なことを言わないテーマとして存在してきたと思います。それが最近は流れが変わってきて、「あった」という人の声が大きくなっています。

年末の岸田外相の韓国への謝罪のあと、笑い飯哲夫がそれについてツイートして、すごく叩かれていました。
内容はこんな感じです。
「みんな同じようなことをしてるのに何で日本だけ怒られるのか」「日本はもう謝りませんよ」
叩かれたあとは
「本をたくさん読んで自分なりに理解したつもりだったのですが」「強制があったのであれば僕も賠償金を出したいです」

誰もなかなか正解を表明しないふわっとした問題だったのに、急に「あったに決まってる」「謝れ」というような論調が強くなったように思います。「無かったと思う」といってる人を頭から否定するような。
冷静に考えると、無かったと思うという立場としては、哲夫は特に間違ったことは言っていないと思います。

この件で私の観測範囲で残念だったのが、保守系・リベラルといっている社会学者も、「あったに決まってる」という方向で哲夫を批判していたことです。その人は保守の立場で民主党に政策提案する、と言って学者のグループを作っていたのですが、何だか期待できないなと思ってしまいました。

ノーサンへ

コメントありがとうございます。

3年前に書いた記事を改めて読み、こういうことを書いていたんだなとか、この3年(特に2015年)の安倍政権の暴走から、政治や国際問題に対する自分自身の意識が随分と変わったんだなと感じています。
もちろん、ここで書いたことが間違っていたと思ったわけではありませんが。

ただ、正直今だったら、従軍慰安婦や南京の問題について安易には触れられない気がします。
いっそガッツリと取り組むならばまだしも。

というのは、それらの事件があったのかなかったのかという二分法では、おそらく正確には状況を説明できないからです。
そもそも、ごく一般人の私には正確な事実が分からないというのもあります。

あえてざっくりとした印象を言えば、韓国や中国が主張するような事実に類する何かがあったかもしれないが、極端に誇張されすぎている、というところですかね。
いずれにせよ、恐ろしいのは集団心理、集団ヒステリーですね。個々の自我が大きな渦に巻き込まれコントロールを失うという、、、

笑い飯哲夫の件については、ツイートの内容そのものよりも、ネット上の炎上という現象に私は嫌悪感を覚えます。
学者などは実名で投稿しているにせよ、炎上というのは、安全な場所から匿名で他人を人格否定している人間が大勢いるということですからね。
もちろん、対象が政治家の場合は、国民が実害を被るので例外ですが、集団でタレントをこき下ろすのはただのいじめじゃないかと。

炎上商法なんてのもありますが、ネットが世の中をすごく気持ちの悪いものにしている気がします。

松波先生、お返事ありがとうございます。(遅くなりましたが)
今は考えが変わられているんですね。
また機会があれば、がっつり取り組まれた発言も読んでみたいです。

私も炎上自体が嫌で、政治家が対象であっても、炎上があると気分悪いです。集団の力をもっと有意義なことに使ってほしいと思います。


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まとめ【国家が自信を回復する】

近代の河川工法(すなわち西欧の河川工法)では、できるだけ頑丈な堤防を築き、水流を完全にコントロール

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このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

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