愛情って
考えてみれば、この年齢までカウンセラーという仕事をしているのに、「愛情」の意味をはっきり言葉にしたことは、一度もなかったな、と気づいた。
「ちょっと、お時間いただけますか?」とことわり、数十秒、自分の中に答えをさがした。
そして、「相手が幸せになったり、嬉しいと思ったときに、自分も本当に嬉しいと感じる、そういった相手への感情。その意味で使っています」と答えた。
「感情」という言葉を、特に強調した。
その方は大きくうなずき、「よく分かりました」と納得された。
このことは小さいようだが、愛情の意味をはっきり言葉にしたことは、私にとっても大切なプロセスだったように思う。
以前の記事、「親孝行という倫理観の重圧」でも書いたが、うつの方は、ほとんど例外なく両親のどちらか、あるいは両方との間に深い確執をかかえ、その確執は劣等感をともなうコンプレックスを形成している。
ある方からのコメントで、「親は、愛情もどきを押しつけてきます」と書かれていたが、愛情の意味を言葉にしていたことで、そのコメントの意味がより深く理解できたように感じる。
愛情に似て非なるものは、家の中だけでも嫌というほどたくさんありうる。
たとえば、親が子に、一緒に暮らすことを強要すること。
「将来のためだ」と、詰めこみ勉強や身体の鍛錬、しつけを押しつけること。
家族みんなでの食事を、無理やりさせること。等々。
確かにこれらは、「愛情の押しつけ」ですらない。
見た目ばかり、いかにも愛情があるかのような欺瞞、つまり「愛情もどき」の押しつけである。
では、こういった感情をともなわない、見た目ばかりの愛情もどきによる家族関係とは、どんな価値観にもとづいて演じられるのだろうか。
まずもって言えることは、古典的なお仕着せの倫理観といえるだろう。
たとえば、
子はみな親を敬い、事あるごとに親の元に集う。
長男は家業を継ぎ、妻子ともども年老いた親とともに暮らす。
子宝に恵まれ、土地や家を、欠けることなく次の代に相続させる。
また、
他人をいたわり、困ったときには助けてやる。
集団の和を乱さない。
目上を立てる。
こういったことが、過剰に美徳とされる倫理観ではないだろうか。
こういった倫理観では、自分を大事にすることや、親が子にかけるべき愛情の中身の大切さについては、完全に欠落してしまっている。
親は絶対的な立場に置かれ、どんな親でも親というだけで敬わなければならないことになり、親が子どもに対してやってきたことは不問に付されてしまう。
また、集団のもつ歪みも、目上の理不尽な行動も、誰からも指摘されることはない。
自分の正当性を主張したり、自分をいたわったりすること、そして、どんな歪みのある集団に対してでもそれを指摘することは、中身に関係なく利己主義あるいは悪とみなされてしまう。
つまり、既成の集団の中で、どれほど不当に甘い汁を吸おうが、集団そのものをこわさない限り容認されるが、一方、集団の論理をゆるがす言動は、どれほどその言動が正当であろうが拒絶され、それでもやめなければ抹殺されてしまうのだ。
以前の記事でも触れたことだが、こういった倫理観が、日本のあらゆる階層に対して徹底的に教育され法にまで反映したのは、たかだか350年ほど前、徳川三代将軍家光のころからにすぎない。
また、その根幹にあった儒教思想自体、中国で興り発展するすべての過程において、為政者の政治的な目的と表裏一体だった。
つまり、儒教思想とは、東アジアの絶対君主が、封建体制を強化するためにたびたびもちいた、民衆の「洗脳」の道具だったのであり、普遍的な真理でもなんでもない。
これは、ほとんどすべての日本人の背景にひそむ一種の「プログラム」である。
そのため、「愛情もどき」を演じる親の理不尽さは、他人からはなかなか見抜かれない。
「どんなひどい親かと思ったら、普通やん」となる。
その他人にも、同じようにプログラミングされているからだ。
ある人は、「いっそ、虐待してほしかった。ひどさが、誰の目にもはっきり分かるから」とまで言い切った。
他人どころか、本人にも分からないことがほとんどである。
この倫理観に逆らうと、きっちり罪悪感がはたらくようにできている、そういった「プログラム」だからだ。
一つ一つのエピソードに即して、「愛情」と「愛情もどき」とをきちんと見分けていくことが、カウンセリングにおいて重要な要素であることは言うまでもない。
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- 心と身体
- うつ病(鬱病)、メンタルヘルス
Comment
2008.08.26 Tue 01:42 | 愛情と食べもの
母親の料理
『すきやき』『鍋物』
が多かった。
「美味しいものを食べさせてあげたいの」
母親は言った。
違う
ただ手を抜きたいだけなのだ。
だのに、私達を想っての事だとこじつけられる事に辟易した。
高価な材料を買い集め、切るだけ。あんなもの料理じゃない。
私はよく、それらを胃に押し込んでは吐いた。
「こんな物より、その手で握ってくれたおにぎりのほうが、ずっとずっと[ごちそう]なのに」
幼い私は思っていた。
幼いながらも、食べる者を想い(大きさや、形や、具を選び)握る[愛情の塊]だと理解していたように思う。
なぜおにぎりが欲しかったのか、今解った気がする。
- #-
- nulikabe
- URL
2008.08.26 Tue 03:08 | はじめまして
うつ病歴4年の主婦です。
私も幼い頃から愛情を感じることなく育ちました。
「必要ないなら産まなきゃよかったのに・・・」
ずっとそう思っていました。
でも他の兄弟は親とうまくやっている。
親に感謝しない自分のほうがおかしいんだとずっと自分に言い聞かせてきました。
でも自分が子供を持った時に、壁にぶつかりました。
どうやって子供を愛していいのかがわからなかったんです。
おもちゃを買い与えることでもない。
優秀な教育をすることでもない。
大事に思っているのに、それを表現する方法がわからない。
与えられたことのないものを人に与えるのは難しいですよね。
愛情とは何か?
どうやったら自分の子供たちに与えられるのか?
それは永遠の自分の課題です。
- #-
- ガアラ
- URL
2008.08.26 Tue 10:56 | nulikabeさまへ
ご自身の辛い体験の、ほんの一部しか書いておられないのでしょうが、「おにぎり」の話、分かるような気がします。
私の家内は食のことを通して人間を考えるうち、管理栄養士からカウンセラーに転身したのですが、あなたのコメントを読み、佐藤初女(さとうはつめ)という人物のことを教えてくれました。
この人は、「食」を通して傷ついた人を癒す生活をしておられるのですが、この人にとって一番大事な料理は、「おにぎり」だそうです。
2008.08.26 Tue 11:21 | ガアラさまへ
はじめまして。
コメントと、それからブログも拝見しました。
大変な状況、ほんの少しですが、お察しします。
何かしら私たちは、「人は親にしてもらったことしか、子どもにできない」といった考えにとらわれがちですが、いろいろな方と会ううち、ほとんど関係ないのだなとの結論に、私は達しています。
妊娠中の精神状態にしても、子どもの立場からすれば、「ママは自分のために戦ってくれている」ということになるのですから、必ずしも不幸とはいえないように思います。
詳しい状況を知らずに申し上げるのは失礼だと思いますが、私ならばあのブログを、将来、子どもに見せるのではないかと思います。
2008.08.26 Tue 22:36 | プレゼント
子供のころ、親からプレゼントをもらうのが苦痛でした。私の本当にほしいものは選ばせてもらえず、まったく使わない、必要ないけど高価なものばかりを、買い与えられたから。そして、感謝することを強要されたから。
私がほしかったのは、形のないもの。朝一番に見る笑顔。いってらっしゃいの言葉。本当につらいときに心配してもらえること。見守ってくれているとわかること。
親は、いまだに、家から逃げ出した私に、必要でもなんでもないものを送りつけてきます。そしてその代わりに家に帰って来いと言います。
- #wU6a0ICI
- kaori
- URL
- Edit
2008.08.26 Tue 23:04 |
コメントありがとうございます、さっそく遊びにまいりました。
愛情を与えている「つもり」で子にかける愛情の意味を理解しきれてない親が多いのでしょうね。
うーん…難しい問題です。
- #-
- りょうすけ
- URL
2008.08.26 Tue 23:30 | kaoriさまへ
これも自分の経験だけではきっと分からなかったことですが、こういう場合、親のあげたいものとこちらの欲しいものが、単にずれているだけではないようなのです。
無意識性の強い親は、動物的勘というか、嗅覚が鋭く、こちらの欲しいものを嗅ぎ分けて、敢えてくれないようなところがあるようです。
無意識なので罪悪感はまったくありませんが……
2008.08.26 Tue 23:41 | りょうすけさまへ
お、いらっしゃいませ。
そうなんですよね。そういう親にとっては、それが愛情という意味になってしまうわけで……
ただ、だからといってひどいことをされる筋合いはない、という強い意識を持つ必要があるように思います。
いずれはここでも、学校にある無数の矛盾について書きたいと思っています。
にしても、軽やかで鋭いブログですね。
2008.09.21 Sun 00:59 | なるほど。
はじめまして、CBTと申します。
ブログ村のトラコミュから来ました。
愛情と愛情もどきの問題はなかなか深いですねぇ。このエントリーを読んでわたしも愛情について考えてみたので、あとで記事に書いてみますね。
2009.07.09 Thu 05:59 | 親子と愛情
私はうつ病で休職している40歳の女性です。
私は最近調子が悪くて家に引きこもっています。何もする気持ちになれず家で寝ているので昼夜逆転してしまっています。そういう私に対して、先々週母は刃物で殺そうとしてきました。
それは私が役に立たないからではなくて、自分が不機嫌だったからです。今まで何度も母の不機嫌(私のものの言い方が偉そう。いばっている・・そんなことはないのですが、親の権威というのを大事にするのですね)で殺されそうになりましたが、今回は自分も死んでもいいと思ったので軽く腕を刺されてしまいました。
首を狙ってきたときはさすがに逃げてしまいましたが、勇気があれば死ねたのにとあとから思いました。
親との確執が自分に大きな影響を与えているのではとつくづく思いました。それは昔よくいわれていた母原病とかそういうことばでは説明しつくせない何かです。
だけど私はどうしていいかわからず、病院に行き、薬を飲んで、あとは引き籠もるだけです。
もう復帰はないかなと思っています。
- #-
- あじさい
- URL
2009.07.09 Thu 23:20 | あじさいさまへ
はじめまして。
一旦リコメントしましたが、私自身内容的にしっくりこず、取り下げて改めて書かせていただきます。
お母さんの行為は、たしかにすでに刑事犯罪ですらあります。
ただ、こういった場合に私が注意を払うのは、比較的ましに見えるほうの親、あじさいさんの場合ですと、お父さんのありようはどうだったのか、という点です。
一方の親が、誰の目から見てもひどい親だと、ついそちらに意識がとらわれがちなのですが、もう一方の親もまた、ただ知らぬ顔を決め込むばかりであったり、子どもよりも配偶者のほうを擁護する傾向が強かったりすることが少なくありません(この微妙な役割を果たすのは、親以外の存在であることもあります)。
子どもは、その親が一見比較的ましであるだけに、憎むことすらできないので、実はそちらのほうが病理を深めてしまっていることが、かなり多いです。
たったこれだけの情報で詳しいことは言えませんが、何らかのご参考になればと思います。
2009.07.10 Fri 01:14 | 感嘆
ここでは書けませんが父もかなり問題を抱えた人間です。っていうかもしかしたら人格的に問題があるかもしれない人です。なのでよくそこまで分析できるなって感動しました。ただここでも書けることは母が私を殺そうとしているのに、父はとめる気持ちもなくまったく平然としていたということです。私が腕から血を流していても私に「お前はタダ飯を食っている。出て行け」などといっていました。
うまくいえませんが、絡み合っているような気がします。
ここらへんで糸をときほぐして今後の人生を、仕事だけでなくいろいろな面で、自分らしく生きて行けたらと思っているのですが、どうはじめたらいいかわからずにいます。
2009.07.10 Fri 12:27 | あじさいさまへ
そうでしょうね。実際大変なことではあります。
「やっぱり私のほうがおかしいんじゃないか」という迷いと闘いつつ、相手(家族や同僚)の矛盾を見極めていかなければなりませんから。
ご武運をお祈りいたします。
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