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2017-07

ロジャーズ理論の問題点-序説として - 2008.12.02 Tue

以前の記事(おそらく記事91026のすべて)に、カウンセラーの方からあるコメントをいただいた。

私の考え方について好意的な内容だったが、カウンセリングにまつわる問題意識に微妙なずれがあり、そのことを指摘してお返ししようと思ったのだが、とても短い文では収まらなくなった。
また、ずっと表明を保留していた問題でもあるので、記事として掲載することにした。

なので、コメントは結果的に話のきっかけとして用いさせていただいたのであり、それに対する反論ではないことを、まず断っておく。

保留していた問題とは、「来談者中心療法」という、アメリカの臨床家カール・ロジャーズが体系化したカウンセリング理論に対する批判である。
ロジャーズ理論というものについてご存じない方のために、簡単ではあるが、
「日本の大部分のカウンセラーに、学派を超えて少なからず影響を与えている理論」
とのみ紹介しておきたい。

知識のある方は、比較的すんなりと読めるはずだが、知識のない方には難しいと思うし、ある程度ご自分で調べながら読んでいただく必要がある。
また、かなりの長文である。
何よりもそのことが、ブログで触れることを保留してこなければならなかった第一の理由なのだが、興味のある方のみご覧いただくということで、今回はお許しいただきたい。
といっても、実質的な内容は、これまでこのブログで私が語り続けてきたことばかりである。




sinririnshoukaさまへ

初めてのコメント、ありがとうございます。

私もsinririnshoukaさん同様、ロジャーズの三原則の中で「自己一致」だけは、相談者として紛れもなく重要な要点だと思います。
突き詰めれば、それだけあればいいのではないかと思うくらいです。
また確かに、臨床家の口からは「自己一致」よりも「受容」「共感」という言葉ばかり出てきますね。
そのあたり、まったく同感です。

ただ、sinririnshoukaさんが専門家の方ですし、この機会に他の方々にも私の臨床のスタンスを明らかにするためにも、あえて議論を曖昧にせず、私の論点をはっきりさせておきたいと思います。
私が感じているのは、sinririnshoukaさんのおっしゃるように、単に日本のロジェリアン達に問題があるというよりも、「自己一致」を除くロジャーズの三原則そのもの、特に「無条件の肯定的関心unconditional positive regard」という原則を中心とする問題点です。

河合隼雄先生は、ある著書でこの三原則について触れ、「無条件の肯定的関心」と「自己一致」は原理的には矛盾するが、これをより高度な次元で統合していてこそカウンセリングが成立するのだ、といった意味のことをおっしゃっていました。

頭ではなるほどと思った反面、その本を読んで以来10年ほど、ずっと私の中ではモヤモヤとしたわだかまりが残りました。
その間、貪るように、少しでも多くのケースをもつことを最優先の行動基準としてカウンセラー生活を送ってきたわけですが、その体験を通じて、この問題はもっと根が深いと考えるようになりました。

つまり、三つの原則のうち単に二つが矛盾しているというよりも、「無条件の肯定的関心」という原則それ自体が、すでに論理的・根本的に破綻しているということです。
より具体的に言うと、カウンセラーが人間である限り、他者に対して無条件に肯定的関心をもち続けることは原理的に不可能だ、ということです。

sinririnshoukaさんのおっしゃるように、「共感」や「受容」は姿勢・態度とも言えますが、「肯定的関心positive regard」とはさらにそれ以前のこと、つまり、「興味」や「好奇心」といったものと同様、対象によって喚起され、かつ対象に向けられる感情の一形態です。
したがって「常に肯定的関心をもちつづけよ」とは、解釈にどれだけ巾を持たせたとしても、カウンセラーは自らの感情を完全にコントロールし、クライアントに対し肯定的であり続けよ、と言っていることになります。
(regardという英語は、「配慮」とも「尊重」とも訳せますが、いずれにせよ同じです。)

しかし、少なくとも私の場合、というよりも誰しもだと思うのですが、クライアントの言葉や態度に明らかな矛盾を発見すれば、態度をどう取り繕ったとしても、本音では肯定的でいられません。

確かに、ほとんどのクライアントは、大変な問題を乗り越えるために、カウンセラーに対して自らのすべての情報をさらけ出す覚悟を決めることのできた人たちですから、非常に繊細である反面、腹の据わったところもあります。
つまり、芯は優れた人格の持ち主である場合が多いため、実際にはこちらとしても、大部分のクライアントに対して、肯定的な関心を持ちます。
しかし、必ずしもすべてのクライアントとその言葉に、常に肯定的な関心を持ち続けられる保証はどこにもないのです。

たとえば、うつなどのクライアントは、しばしば「悪いのは私のほうなのだ」という自己否定への幻想に逃げ込むために、自らの真の感情に矛盾する考えを口にします。
彼らからすれば、家族や周囲の不当性を意識し糾弾するよりも、自らが罪を引き受けるほうが社会的に収まりがいいからです。

他にも、もっとあからさまに、こちらが肯定的関心を失わざるを得ない言葉を、クライアントが延々と語り続けられる場合もあります。
ただ、その具体例をここで挙げるのは控えます。
文字情報には限界があるので、自己評価の低いクライアントの方々がこれを読み、「それは私のことではないか」と、事実に反して思い込んでしまう可能性があるからです。

ともあれ、そのような場合、カウンセラーが「それはおかしい」と素直に感じ、かつそれを言葉にしなければ、クライアントはまず間違いなく、かえって混乱します。
またそれ以上に、カウンセラー自身の内部で論理的整合性が損なわれながら、なおかつ平静を保たなくてはならないために、多くは何らかの解離を生じさせます。
典型的な例を言えば、カウンセラーは異様なまでに淡々とした雰囲気を身にまとい、張り付いたような薄笑いを浮かべ続けることになるでしょう。

クライアントに肯定的関心が持てない自分を、その理由も考えず、ただただ「カウンセラー失格者」として責めるのは愚かですし、関心が持てないこと自体を否認し抑圧すれば(関心が持てないのに「私は関心を持っている」と強迫的に思い込む)、抑圧された否定的感情は、多くの場合、クライアントへの陰湿な攻撃性として顕在化せねばならなくなります。

こうした矛盾を含む言葉も、それはそれで、総合的に言えばクライアント自身の感情の表明なのだから、カウンセラーが変わらず肯定的な関心を持ち、本人のその感情を本人に反射して支え続ければ、やがてその人が自ら深い洞察に達するといった理想が、ロジャーズ理論にはあるといえるでしょう。

しかしそれは、そもそもカウンセラーの側において、すでに原理的に不可能です。
なぜなら、「自分は感情を完璧にコントロールできる」という人がいるとすれば、それは全能の神であるか、完全な錯覚のどちらかでしかありえないからです。

私は、人間が自分についてコントロールできるのは、せいぜい限られた範囲での行動の次元のみだと考えています。
感情の抑制が辛うじてありうるとすれば、それは、うつの人々のように、セロトニンの分泌を抑制することで、感情機能そのものを鈍磨させてしまうくらいしかないのではないでしょうか。
しかし、これはあくまでも脳の自律的反応であり、言うまでもなく、自我による主体的なコントロールだとは言えません。

もちろん、感情が抑圧または解離されることは多々あります。
しかし多くの場合、抑圧されたネガティブな感情は、より無意識的かつアルカイックな形、あるいは不当かつ歪んだ形(暴力的・支配的な)で表現され、しばしば歪みのない人々への、嫉妬に基づく攻撃衝動となるか、あるいは神経症として現れるしかありません。
つまりそれは、感情のコントロールどころか、コントロールの失敗による、無意識化した感情や衝動の暴走です。

したがって、クライアントの話すことに対し、無条件に肯定的な関心を持ち続けるなど、理論的にも現実的にもありえないことであり、そのようにありえないことを目指そうとすれば、必ず何かがおかしくなるはずです
何よりも、関係の有機性が大きく損なわれます。
平たく言えば、「意味のある」「生きたやり取り」がまったくできなくなるということです。

現実にこういったカウンセリングが行われた場合、クライアントから見たカウンセラーは、「自分について何か大事なことを知っているようだが、自分自身の考えは一向に口にしない人」、つまり「恐ろしく巨大に見えるが、何を考えているのかさっぱり分からない人」となります。

私にとってこのことは、口にするのもおぞましい事態です。
なぜなら、多くの心理症状の持ち主、特に不安神経症や境界性人格障害の人にとっての恐怖は、「周りの人間が、本当は何を考えているのかわからない」ということです。
言うまでもなく彼らは、どれほど細心の注意を払って正当な言動を取り続けても、突然自分が悪者にされ酷い攻撃を受けてしまうなどの、根深い人間不信を形成せざるを得なかった背景を持っています。

彼らがこういった態度のカウンセリングを受けた場合どうなるか、専門家でなくとも想像できるのではないでしょうか。
実際多くのクライアントたちが、カウンセリングを受けたために、かえって不安と絶望の中に投げ込まれています。
「最後の頼みの綱であるカウンセラーまでもが、腹黒い偽善者なのか」という、自らの激しい怒りにもみくちゃにされる人もあれば、何年たっても、はっきりした見立ても自信も得られないまま、氷のような表情で、延々とカウンセリングに通わされ続ける人もいます。


私の場合、カウンセリングにおいて、自分がどのような人間であるのか、できるだけクライアントに分かりやすく開示しておくことを、かなり大事にしています。
そして、開示を大事にしていること自体も伝えています。
このブログでも、ある程度私のうつの病歴を書いていますが、私の生い立ちその他細かい体験、私の個人的な電話番号等、かなりの個人情報まで知っているクライアントは少なくありません。

もちろん、自分の体験について話したほうがいい理由がなければ、わざわざ話すことはありませんが、ある程度心がけて話しているのは事実です。
私の個人情報まで知っている何人かのクライアントは、パニックにともなう自傷・他害や、自殺の危険性のかなり高い時期のあった人たちですが。

また、こちらからの質問の意図が見えないと思われる場合には、「これこれの理由で質問したいのですが……」と、できる限り前置きしてから質問します。
滅多にしませんが、ご本人の希望で心理テストを施行した場合など、その結果を余さず伝えることは言うまでもありません。
本人に関する重大な情報を、本人が知らないのにこちらだけが知っているというのは、人権上の理由から、よほど特殊な理由がない限り、あってはならないことだと思うからです。
しかし、ご承知のように、このことすら、カウンセラーとしては必ずしも多数派ではない行動に属します。

もちろん、何らかの指摘を行なう場合など、劣等感や不安の強い方が誤って自分を責めてしまわぬよう、細心の注意は払いますが。

当然ながら、大学院では、こうした徹底的な自己開示は否定されるどころか、そんなことはしないというのがあまりにも当然の前提とされていました。
その主な理由は、「自己開示は転移を誘発するから」などでしたが、私にはよく理解できませんでした。

しかし私は、自分の意志でこの道を選んだプロです。
はっきりした理由も分からず、実際にやってもみないで、「何だか変だなあ……」と感じていることを、ただすんなりと受け入れる訳にはいきませんでした。

もちろんはじめは恐る恐るでしたが、実際に「自分を隠さない」という態度を貫いてみて分かったことは、生身のカウンセラーの姿が等身大でクライアントに見えているほうが、はるかに転移は起こりにくい、ということでした。
おそらく、理想化などが起きにくいからだと思います。
普通に考えれば、当然のことですね。
私のこの経験的結論は、逆にロジャーズ技法も少なからずやってみて、かつ手痛い失敗も少なからず経験した上で導き出したつもりです。



ともあれ、自らの感情を支配することが前提となっている一点のみにおいてすら、私は、ロジャーズ的世界においては、カウンセラーに神のごとき全能の存在が投影されている、すなわちかなり危険な考え方であると結論せざるをえませんでした。

カウンセラーの自我肥大の危険です。
そして、その危険性が現実化してしまっている例は、文字通り嫌というほど見てきました。

多くの場合、一見コントロールされたかに見えるカウンセラーの感情は、無意識的な支配という形で無制限に暴走し、何とか殺されまい、何とか生き延びようとするクライアントの感情に対し、最後のとどめを刺そうとします。
また彼らは、「カウンセラーは正しき者であり、クライアントは劣等者である」という何の根拠もない前提に、一度たりと疑いを持ちません。

ロジャーズ理論は、カウンセラーの「非指示」「自らを語らない」という態度とも相まって、カウンセラーが、自らを専門家というベールの向こう側に置き、現実世界のクライアントからは手の届かぬ安全な場所に居つづけるという卑劣な態度を、合理化してしまったのだと、断じざるを得ません。

しかも恐ろしいことに、他のあらゆる学派のカウンセラーの多くも、ロジャーズ理論の「自らをベールの向こうに置き、姿を見せない」という性格だけは、取り入れてしまっています。
はっきり言って、自らの権威の保護という、低次元な利得が大きな理由ではないかと思います。

思えばカウンセラーのこの態度は、ロジャーズ以前、フロイト初期の治療法、すなわちクライアントを寝椅子に寝かせ、治療者はクライアントの頭部方向にいて、姿を見せないまま会話するという方法を取った時以来のことなのかもしれません。

以上のような理由で、私は「ロジャーズの原則そのものに問題はないが、解釈する側に問題がある」という立場には、どうしても立てません。

ロジャーズ自身、自ら打ち立てた原則に、必ずしもとらわれずにカウンセリングを行なっていたのだとしたら、ロジャーズは「あの原則には、こういう問題点があった」と自ら指摘し、変更なり取り下げをしなければならなかったはずですが、彼は死ぬまでそれはしませんでした。

「私はロジャーズであって、ロジャーズ派ではない」とは、言ってはならないことです。
ロジャーズ派というものが社会的に形成される時に、彼が一大反対運動でも起こし、「あのカウンセリング理論はあくまでも私個人のためのものであって、汎用性はない」と宣言していたのなら話は別ですが。

私は、彼がもともと牧師を志望していた、牧会カウンセリング出身の人であることを知った時、「なるほど」と唸らざるを得ませんでした。
ロジャーズという人物は、彼自身が意識していたかどうかは知るよしもありませんが、終生変わらず、キリスト教的「神」の代行者であろうとした人ではなかったかと思えるのです。
また、結果的に彼は、何の根拠もないカウンセラーの絶対的優位性という幻想を、終生手離せなかった人なのではないでしょうか。




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好意的なコメント、ありがとうございます。
直接メールにてお返事差し上げます。

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初めて投稿させていただきます。

カウンセリングの勉強を初めて、まだ2年ほどですが、どうしても来談者中心療法の中で、納得が出来ない点があり、心の中で正当化しようと思いました。 が、今回のブログを読んで、「やっぱり、プロの方にも同じ疑問を持っている方がいる!」と思わずひざを叩いてしまい、衝動的に投稿させて頂きました。

以下、思わず頷いた点です。
長文、お許しください。

●誰しもだと思うのですが、クライアントの言葉や態度に明らかな矛盾を発見すれば、態度をどう取り繕ったとしても、本音では肯定的でいられません。

●ともあれ、そのような場合、カウンセラーが「それはおかしい」と素直に感じ、かつそれを言葉にしなければ、クライアントはまず間違いなく、かえって混乱します。

●しかしそれは、そもそもカウンセラーの側において、すでに原理的に不可能です。
なぜなら、「自分は感情を完璧にコントロールできる」という人がいるとすれば、それは全能の神であるか、完全な錯覚のどちらかでしかありえないからです。

●平たく言えば、「意味のある」「生きたやり取り」がまったくできなくなるということです。

●ロジャーズ理論は、カウンセラーの「非指示」「自らを語らない」という態度とも相まって、カウンセラーが、自らを専門家というベールの向こう側に置き、現実世界のクライアントからは手の届かぬ安全な場所に居つづけるという卑劣な態度を、合理化してしまったのだと、断じざるを得ません。


貴重なご意見ありがとうございました。
次回を楽しみにしております。

XJさまへ

コメントありがとうございます。
臨床心理学のあらゆる理論は、すべてここ100年余りの間に仮説として立てられたものばかりです。
ある理論に社会的権威が生じたからといって、それを頭から信じて疑わないというのは、まったくもってプロフェッショナル的とは言えないですね。
自分の頭で、あくまでも論理的に合理的に必死に考えることは、不可欠だと思います。
また機会がありましたら、お立ち寄りください。

ロジャースのことをこんなにわかりやすく書いて下さり
ああ、そうか なるほど ふむふむと読みいりました。

ロジャースが神的存在を意識していたなんて なんかぴったり来ます。
やっぱり先生のカウンセリングは 健全ですね。

先生が長い時間かけて 導きだされた結論に尊敬と敬意を表したいと思います。

hiroさまへ

ありがとうございます。

臨床心理を学んでいると、随所でロジャーズの考えが応用されていて(しかも部分的な形で)、よく混乱させられたものです。
何年かたち、おしまいには怒りがこみ上げてきて、それで真剣に批判しだしたんですね。

こういう話をしても無反応な他のカウンセラーを見ると、何かぼーっとした表情に見えます。
でなければ、話の筋も何もない怒りをぶつけてくるかです。

何ともはや気持ちの悪い世界です。


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大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

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