topimage

2017-09

古事記物語① - 2009.06.06 Sat

私は『古事記』という日本神話が好きである。

まあ正直、後半部分については政治的色合いがどんどん強くなってくるので、読んでいると少ししんどくなってくるのだが、序盤のアマテラスとスサノオ姉弟が活躍するくだりなどは、繰り返し読めば読むほど、泣きそうにすらなってしまうのである。

もちろん、大和朝廷ありきの政治的目的によって編修された日本の正史としてではなく、おそらくは古くから言い伝えられてきた民間神話をベースとする、純粋な意味での神話・物語としての部分にである。
アマテラスの岩戸籠りの話などは、うつの人の病理やその復活について考える上で、きわめて重要な示唆に富んでいる。

で、『古事記』のそういったあたりの解釈を、しばらくシリーズで書いてみようと思う。
実は、以前論文でこのことを書いたことがあるのだが、研究職でない方々には、やはりどうにも内容がややこしすぎる。
だから今回は、ユング心理学の知識がない人でもできるだけ読みやすいように、改めてオリジナルとしてその心理学的解釈を書いていきたい。

おそらく、合間合間に別に何か書きたいと思えば、時々中断して差し入れていくと思うが、これは一応最後まで書きたいと思っている。

解釈をしていく前に、さしあたって何回かは、『古事記』の冒頭からアマテラスの岩戸篭り、そしてその復活までのストーリーを、独自の解釈に基づく若干の脚色を含みつつ、本筋とは無関係な部分は要約し、かつ超訳的に書いていくことにする。

やはり由緒ある日本の正史なので、こういったものには、一般的には「脚色は入れてはいけない」という制約がある。
しかし、『古事記』の原文をそのまま読み、書かれている内容だけを現代語訳しても、しばしば辻褄が合わなかったり意味が分からなかったりする。
そのため、一般に出版されている『古事記』の現代語訳は、かなり有名な作家の訳も含めて、その制約のために残念ながらどうしても面白さに欠けるのである。
特に「国生み」のくだり以降のことだが、読み込めばこれほどに意味が深く、面白く、美しい物語なのに……、と、いつも考えていた。
で、ほんの少しの脚色入りを思い立ったわけである。

そこで、私が若干の脚色を入れた部分については、少し文字の色を変えることにし、どう脚色したかについてはいちいち説明しない。
※印や説明文をたくさん入れると、どうしても文の雰囲気を壊してしまうからである。
勝手ながら、気になる方はご自分でお調べいただくということで、お願いしたいと思う。
ちなみに、原文および注釈は、岩波文庫の『古事記』(倉野憲司 校注)を参考にし、現代語訳については文芸春秋社の『口語訳 古事記』(三浦佑之 訳)・学研文庫の『古事記』(梅原猛 訳)を参考にしている。

ではでは、古事記物語の始まりである。

……………………………………………………

この世の初め

この世に、上と下、天と地が生じ分かれ、ようようその姿らしきものが見え始めた時まさに、天なる世界すなわち高天の原(たかまのはら)に、一柱の神が成った。
これをアメノミナカヌシの神という。

また、アメノミナカヌシに続いて、二柱の神が高天の原に成った。タカミムスビの神とカミムスビの神である。

これら三柱の神は、いずれも伴侶を持たない独り神であったため、直接には子を成すことなく、やがて姿を隠し、目には見えぬ存在となった

地上はというと、それはいまだ、水に浮く鹿(しし)の脂のごときもので、くらげのようにゆらゆらと海に漂うばかりであったが、そこから葦の芽のごとく目覚しい勢いで萌え上がるものがあった。それは二柱の神となって天に昇った
最初に成ったのはウマシアシカビヒコヂの神、次に成ったのがアメノトコタチの神である。

この二柱の神も、やはり独り神であったため、直接は子を成さぬままに姿を隠し、目に見えぬ存在となった

これまでに成った、合わせて五柱の神は、別天つ(ことあまつ)神という。高天の原の神の中でもとりわけ貴い、特殊な地位にある神々というほどの意味である。

続いて、クニトコタチ、トヨクモという神が高天の原に成ったが、やはり二柱とも独り神であり、やがて姿を隠した。
さらに、ウヒジニとその妹スヒジニがともに成り、
ツノグヒと、その妹イクグヒ、
オホトノヂと、その妹オホトノベ、
オモダルと、その妹アヤカシコネ、
イザナギと、その妹イザナミが、それぞれに成った。

クニトコタチの神から、イザナギ・イザナミの兄妹神までを、神代七代(かみのよななよ)という。

すでに姿を隠して神霊ばかりとなった神々も含め、これら天つ神々は集い語らいて、イザナギ・イザナミの兄妹に、
「ゆらゆらと漂えるこの国に理(ことわり)を吹き込み、固め成せ」
と命じ、天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けた。矛とは、槍に似ているが、槍よりも穂先の長い古代の武具である。
 
イザナギ・イザナミの二柱は、高天の原から天空に突き出した天の浮き橋に並んで立ち、天の沼矛を、海上に浮かぶあの鹿の脂のごとき柔らかいものに指し入れ、ぐるりぐるりと掻き回し始めた。
手応えが変わったところで矛を引き上げてみると、矛の先には塩が凝り固まっていた。
塩は次々と海に滴り落ちて重なり、一つの島となった。海上に、小さいながら初めて硬い地面ができたのである。
これを、オノゴロ島という。
 
イザナギ・イザナミはともに天より降り、このオノゴロ島に降り立った。

※「柱」は、神々を数えるときに用いる数称である。
しかし、これ以降は情景のリアリティーを考え、「一人、二人」と数えることにする。


イザナギ・イザナミの国生み

島にはすでに木々が生えていたが、中でもひときわ目を引く、頂きが天にも届くほどの堂々とした大樹があった。
二人は、この大樹が落とす巨大な葉陰の及ぶところを、これから二人が暮らす大神殿と見立てた。その太い幹は、さながら神殿の中央に立つ大柱である。
二人は、これこそこの土地を修める中心となるにふさわしい、天と地をつなぐ御柱だと直観した。

この時イザナギは、妹イザナミに問うた。
「そなたの身体は、どのようにできておるのか。」
「私の身体は、だんだんと成ってこのようになりましたが、一ところだけ塞がらぬところができてしまいました。」
「さようか。我が身体もまた、だんだんと成ってこのようになったが、そなたとは反対に、一ところだけ余るところができてしもうた。
余るところと塞がらぬところ……。そうじゃ、我が余るところでそなたの塞がらぬところをふさげば、理(ことわり)が通る。そうして国を生んでいくのが善いと思うが、そなたはいかに思うぞ?」
イザナミは目を大きく開き、こぼれるような笑みで、
「おお、それはまことに善き考えにございます!」
と答えた。
イザナギは言った。
「では、天地を貫くこの御柱の周りを、我とそなたで反対方向に巡り、行き合うたその場所で交わることにいたそうぞ。」

かくして、この世で初めての結婚の儀、国生みの営みは始まった。

イザナギは言った。
「そなたは右より巡り給え。我は左より巡ろう。」
二人は衣を脱ぎ、互いに反対方向に柱の周囲を巡った。
二人が顔を合わせるや、イザナミはきりりと逞しいイザナギの姿に、思わず、
「ああ……、なんと善い男(おのこ)なのでしょう。」
と、ため息を漏らした。
イザナギもまた、たった今朝露から生まれ出たばかりのような、イザナミの瑞々しく美しい裸体を見て、
「おお……、そなたはなんと善い女(おなご)なのだ。」
とつぶやいた。
しかし、そうつぶやいた後でイザナギは、
「出会うて、まず最初に女であるそなたが口を開いたのは、好いことではなかったのう……。」
と、わずかばかり眉をひそめた。

それでも二人は交わり、瞬く間にイザナミは最初の子を出産した。
ところが、生まれた子にはまるで蛭(ひる)のごとくに骨がなく、立つことすらままならなかった。
それゆえ、この生まれし子を、ヒルコという。
二人は、このヒルコを葦舟に入れ、海に流した。

子はもう一人生まれた。
しかしそれは、波頭に生じる泡のごとき島、アワ島であり、生まれてすぐに消え去ってしまった。

これら二人の子は、そのあまりの儚さゆえに、イザナギ・イザナミの子には数えられないのである。



続く




少しでも多くの方に読んでいただけたらと、ブログランキングに参加しています。
↓押していただけるとありがたいです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ うつ病(鬱病)へ

● COMMENT ●

古事記は、一度だけ読んだことがあります。何だか、次々と子供が生まれる話だ、という印象が強く残っています。
こうして筋を拝見していると、この日本という国が神の体液で塗れて出来ているような感覚に陥りました。嫌悪感に似た抵抗を感じるのは、恐らくこの神話が、私の個人的な想念を刺激するからかもしれません。
同じく、ヒルコやアワ島に、我知らず自分自身を重ね、虚しい思いになりました。何故なのか分かりませんが、何故なのか分かりたくないという気持ちだけは自覚できます。

古事記をどのように読まれていくのか解釈が大変楽しみであり、この神話が私の内的世界にどう関わっていくのかも個人的に興味を持ちました。
1度読んだものの、全くといっていいほど内容を記憶していません。どう読み、どう咀嚼すべきか、私には分からなかったからかもしれません。
今後の記事を、楽しみにしています。

美鳥さまへ

そうですね、多くの各国の神話同様、古事記の情景って、生々しくてエグくてエッチなんですね。
それに、ヒルコは漢字で書くと蛭子。これはエビスと読めます。つまり辺境の蛮族の総称です。あるいは、大陸系の朝廷に辺境に追いやられた、先住民のことなのかもしれません。
出来が悪く、捨て子された長男・長女として扱われ、しかも子どもの内にも入れてもらえない……。
日本人の根底にある、ネガティブ感情を刺激するモチーフかもしれません。

文学の香しき地平

 そうですよね。口碑という言い方もある。これを摂家神道派が編纂した日本書紀が台無しにした部分。

島根ロマンの観光家さまへ

コメントありがとうございました。
ただ、不勉強にて摂家神道派のことがよく分かりません。
もしお手すきのときがございましたら、少し教えていただけるとありがたいです。

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://kohocounsel.blog95.fc2.com/tb.php/70-0d9c05e9
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

神話をめぐる断片(1)

○神話を扱う学問や科目は多いけど、本学では「口承文芸論」でやってるよね。どうして? ●コトバには声のコトバと文字のコトバがあって、声のコトバの方がずっと古いのは知ってるね。「口承」というのは、声のコトバで受け継がれて来たという意味。神話は語られるか、歌...

古事記物語② «  | BLOG TOP |  » 安全策の落とし穴

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

拙著

2015年2月28日発売
アマゾン限定商品

プロフィール

kohocounsel

Author:kohocounsel
大阪市西区にて、夫婦で幸朋カウンセリングルームを運営しております、松波幸雄と申します。

このブログでは、「うつ」と診断される方々の本質的な真っ直ぐさと、ではなぜ彼らが発症しなくてはならなかったかについて、おもに家族病理・社会病理の観点からお伝えしていきます。

なお、皆様のお考えにつきましては、できるだけ読者全員の方々とも分かち合いたいと思いますので、基本的に、コメントは公開設定にてよろしくお願いいたします。

ブログポリシー
当ブログの記事内容の著作権は、幸朋カウンセリングルーム代表松波にあります。
本サイトの内容を権利者に無断で複製・改変することは、固く禁止いたします。

関連ページ

最近のコメント

最近のトラックバック

最新記事

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

カテゴリ

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

RSSフィード